575手目 穴熊?
※ここからは、葦原くん視点です。
ついにやって参りました。
これぞ役得。いいカードを引き当てましたよ。
舞台にあがって、まずはご挨拶から。
「御霊高校3年生、葦原貴です。よろしくお願い致します」
「大国高校の少名でーす。よろしくお願いしまーす」
会場は、拍手もそこそこに、雑談がかまびすしくなってきました。
それも無理からぬこと。
囃子原vs捨神は、決勝でもおかしくないカードです。
もちろん、あくまでも外野目線で、ですが。
「それでは、少名さんといっしょに、まずは戦型予想などを」
この出だしに、光彦は笑いました。
「それは意味ないでしょ。捨神の角交換型振り飛車に、囃子原の居飛車だよ」
「では、囃子原くんの作戦を考えてみましょう」
光彦は、これにもあらかじめ予想を立てていたようでした。
「急戦だと思うね」
「なぜですか?」
「決勝と準決勝のあいだには、30分休憩しかないだろ」
なるほど、決勝も見据えれば、長期戦にはしない、と。
スタミナの温存策としては妥当ですが、私には疑問でした。
「準決勝で負けては、元も子もありません。目の前の一戦に賭けるのでは?」
「いやいや、囃子原はそういうタイプじゃないよ」
人読みですか。
光彦のは、出雲さんといっしょで、よく当たりますからね。
と、ここで司会のかたが登場。
内木さんがいらっしゃいました。
「葦原選手、少名選手、よろしくお願い致します」
こちらこそ、よろしくお願い致します。
「今、なにをなさっていましたか?」
「ちょうど戦型予想をしておりました」
私はふたりの意見の相違を、簡潔に伝えました。
「なるほどぉ、どちらにも説得力がありますね。では、この機会に、おふたりの予選の感想も、お聞かせいただければと思います。まずは、葦原選手から、お願い致します」
はて、このようなコーナーがあるとは。
私は扇子を口もとに当てて、しばらく黙考。
「……そうですね、プレーオフ進出の芽も、途中まではあったのですが、最後及びませんでした。これも実力ですので、仕方がないかと思います」
「ありがとうございます。少名選手は、いかがでしたか?」
「俺もなぁ、途中までは良かったんだけど。鳴門が崩れなかったから、しょうがない」
「ありがとうございます……あ、振り駒です」
モニタには、歩をかき混ぜる捨神くんの手が映っていました。
ぱらりと散らばって──歩が3枚。
捨神くんの先手です。
内木さんは、
「先後が決まりました。なにか影響があると思いますか?」
と訊いてきました。
私は、
「あると思います」
と答えました。
「どのように、ですか?」
「囃子原くんは、作戦を立ててきたはずです。角交換型振り飛車の場合、先手と後手とでは、違いが生じます」
「承知しました。序盤に注目ですね」
内木さんは、このまま開始まで、こちらにいらっしゃるようです。
あと1分ほどですし、おとなしく待ちましょう。
二、三言葉をかわして、残り10秒。みなさん、無言に。
私たちは、モニタのデジタル時計を見つめました。
15:59:57 15:59:58 15:59:59 16:00:00
《対局開始です》
7六歩、3四歩、7七角、同角成、同桂、4二玉、6八飛。
【先手:捨神九十九(H島県) 後手:囃子原礼音(O山県)】
始まりました。
内木さんは、
「戦型は、予想通りですね」
とコメントしました。
光彦は、
「ただ、いきなりの角交換に、ためらいがなかったな」
と返しました。
光彦の言うとおりです。
おそらく、序盤になにか予定があるはず。
私は、
「ひとまず、急戦か持久戦か、そこが焦点になります」
と言って、大盤を動かす作業へ。
6二銀、4八玉、8四歩、5六歩、8五歩、8八飛。
光彦は、
「向かい飛車を強制したか。後手はなにか狙ってる」
と予想しました。
そして、これは的中しました。
パシリ
会場が、沈黙に包まれます。
ひとまず、解説の任を果たさねば。
「奇抜ですが、狙いは明確です。5七角ならば、同角成、同玉と引きずり出し、王様の位置が悪くなるという主張です」
「んー、ようするに、6八銀の出遅れを突いた手か」
「左様です。6六角は同角、同歩、6七角ですし、7五角は同角、同歩、6四歩から、桂頭を狙えます。よって、先手にはひとつしか手がありません」
捨神くんも、これにはすぐ気づきました。
モニタに左手が映ります。
パシリ
これです。
光彦は、
「後手は角の手放し、先手は一手損か……評価は簡単じゃない」
と、うなりました。
内木さんは、
「後手は角頭が丸いので、8筋を維持できるかどうかですね」
とつけくわえました。
囃子原くんは、悠々と3二玉。
8筋を守る算段もある、ということでしょうか。
囃子原くんの手つきからして、すべて作戦のようにも。
捨神くんは、ここで考え始めました。
私は扇子の先で、8五の地点を指します。
「いきなり8五桂は、あります」
光彦は、あごを撫でました。
「3九角成、同金、8五飛で、2枚換えだけど?」
「それは8六歩と反発できます」
「逆棒銀か。じゃあ2五飛のスライドは?」
「3八金のあと、継続手がありません」
【参考図】
「なるほどね、8五の桂馬は、しばらく放置するしかないか」
「そのあいだに8六歩と突けば、ひもが付きます。ただし、大きな問題があります」
「飛車先が渋滞する」
「正解です」
つまり、8五桂~8六歩は、8八の飛車を止めてしまう結果になります。
捨神くんの考慮の中身は、これでしょう。
ここまでの解説を、内木さんはうなずきながらまとめました。
「しばらくは、先手の駒組みが制約されるかたちですね……では、他の大盤に移らせていただきます」
それでは、またのちほど。
続きは、私たちだけで繋がないといけなくなりました。
とりあえず、現局面に読みを入れましょう。
「飛車を振りなおすのが、第一感です」
「そのためには、王様をなんとかしないといけない」
「そうですね、玉飛接近形になってしまいます」
候補としては、4八玉から潜りなおして、6八飛。
すぐに、というわけにはいきません。6八銀~5七銀が先でしょう。
このあたりを解説している最中、指し手の音が聞こえました。
光彦は、大盤を動かしながら、
「行ったねぇ。囃子原がどこまで研究しているか、見ものだ」
と、期待を込めたコメント。
私もこの先は気になります。
そしてそれに応えるかのように、囃子原くんはノータイムの連続でした。
5四歩、8六歩、5三銀、6八銀、5二金右、4八金。
先手も工夫してきました。
光彦は腕組みをして、首をかしげました。
「これは……んー、さすがに4九から入るのか? 仁王立ちじゃないよな?」
「中央でがんばるのは、難しそうですが……」
7四歩、4九玉。
入りましたね。
捨神くんの指し手も、速くなってきました。
さきほどの長考で、構想をまとめたのでしょう。
4四銀、3八玉、2二玉、5七銀、6四歩、5八金左。
囃子原くんの手が、ようやく止まりました。
光彦は、
「ここで研究切れかぁ」
と言って、両手を後頭部に当てました。
やや残念そうでもあり、納得しているようでもあり。
私は扇子であおぎつつ、大盤をしばらく観察。
「貴、どうした?」
「……5八金左は、研究外しだった可能性があります」
「ん? というと?」
「この先手陣のかたちは、それほど良くありません。例えば、8九飛と引いて、7八金と上がるほうが、バランスは取れていました」
【参考図】
「もうひとつ、4八金よりも、4八銀のほうが自然です。以下、7四歩、5七銀、6四銀に4八玉という流れが、ひとつあります」
「つまり……囃子原には、もうちょっと研究があったってことか?」
「私はそう感じます。捨神くんはやや時間を使っていますが、研究外しを考えていたのかもしれません。4八金~5八金左は、彼の解答に見えます」
「じゃあ、囃子原は今、作戦の立て直し中?」
「これも推測になりますが、研究通りなら、急戦を用意していたのではないでしょうか。例えば、7四歩、5七銀、6四銀、4八玉のケースなら、5五歩が見えます」
【参考図】
光彦は、納得してくれました。
「んー、そっか、8九飛~7八金の場合も、7四歩、4八銀、6四銀、5七銀、5五歩くらいで、仕掛けられそうだな」
「はい、というわけで、速攻を諦めるかどうか、これを読んでいるのだと思います。だとすれば、持久戦。すると、悩んでいる手も限られてきます」
光彦は、ひとさしゆびを立てました。
「1二香ッ!」
「そうです、穴熊です」
捨神くんも、これには気づいているでしょう。
深く読まずとも、先手陣が不安定だから、固めて勝負、という発想は、すぐに出てきます。むしろ、捨神くんから挑発した、とすら言える局面。
ここは見守ることに──あ、内木さんが戻って来ました。
「お疲れ様です。こちら、囃子原選手の長考中でしょうか?」
「左様です」
「後手としては、そこまで駒組みに困る局面でも、ないように思いますが?」
「急戦と持久戦、この選択かと思われます。具体的には……」
パシリ




