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こちら、駒桜高校将棋部Outsiders  作者: 稲葉孝太郎
第46局 決勝トーナメント・準決勝(2015年8月4日火曜)
586/683

574手目 By chance

※ここからは、萩尾はぎおさん視点です。

挿絵(By みてみん)


 さて、どうかな。

 8八角は、最善手だよ。奇手じゃない。外野の中には、早乙女さおとめの思考外しだと、深読みしてるひともいるんじゃないかな。一応、半分は合っている、半分は、ね。

 早乙女は評価値が見えるのか?

 それはわからない。他人の脳内は、覗き込めないからだ。

 だけど、謎の強さがある。対策は必要。

 さて、どうする? ボクが採用した考えは、シンプルだった。

 外面的にわかることだけを扱う。将棋で外面的に残るのは、棋譜だけ。

 だから、早乙女の負け棋譜を研究した。

 そして、ある弱点を見つけた──奇手に対する精度が低い。

 もちろん、ただの奇手じゃダメだ。対応されて、そのまま押し込まれる。

 重要なのは、奇手で、かつ、それがそんなに悪くないケース、これ。

 なぜそうなるのか? それはもうどうでもいい。

 仕組みは無視して、とにかく統計に賭けるしかない。

 早乙女の強火力については、もう認めざるをえないからね。

 持ち時間の差は、ここまでの成功を示している。

 早乙女の残り時間は、5分を切った。

 ようやく顔を上げて、うしろ髪をなでた。無表情。感情は読み取れない。


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 最善で来た。

 やっぱり簡単には折れないよね。

 ボクは8五桂と跳ねた。

 早乙女は8六銀打。手堅く受けた。

 9五香、同香、7七桂成、同銀。

「悪いね、本命はこっちなんだ」

 ボクは駒音高く打った。


挿絵(By みてみん)


 桂馬のタダ捨て。

 からくりは簡単だよ。同銀なら、9七角成と成る。

 さっき成れば良かった? 進行が違う。

 単に9七角成は、8二歩、7一飛、7二歩、3一飛と追いやられる。先手優勢、ってわけじゃないけど、後手にうまみがない。以下、8九香で8筋を支えられたら、後手には攻め手がなくなる。

 6六桂は、この順を回避する魔法のタダ捨てだ。同銀なら9七角成、8二歩の瞬間に、8八馬と入れる。8二歩に代えて8九香なら、8六歩。


挿絵(By みてみん)


 (※図は萩尾さんの脳内イメージです。)


 このとき、同銀右でときない。単に同銀、9六馬、8七桂、8六飛。

 ここまでが、6六同銀のパターン。6六同金は8五桂、8八銀、同桂成、同玉、7六歩の突き出しに、7三角、5二玉。先手は手がない。7六金なら7七銀と打ち込んで、これはさすがに後手が優勢。

 というわけで、6六桂で後手良し──じゃないんだよなあ。

 後手を持ちたい、くらい。

 桂馬を渡してるから、そこははっきりマイナスになっている。

 盤面全体からして、桂馬は使いどころがないだろう、という読み。

 この一点が崩れると困る。

 早乙女はこぶしを握って、それを口もとに当てていた。

 動作で見せた、初めての感情の起伏。

 困惑? 動揺? 衝撃? 後悔?

 それともボクの手に対する、嘲笑?

 ありうるね。6六桂は奇手だけど、妙手かどうかまではわからない。

 ボクは不動の体勢で、先を読んだ。

 勝ち筋もあれば、負け筋もある。まったくわからない筋も。

 時間が過ぎていく。削れているのは、早乙女の時間だ。

 早乙女は口もとにこぶしを当てたまま、目を閉じた。


 01:06 01:05 01:04 01:03


 ここで動いた。


 パシリ


挿絵(By みてみん)


 同銀か。きっかり1分残してきた。

 ボクはここからが正念場だ。

 とりあえず、分岐のないところはさっさと指す。

 9七角成。

 次の手が広い。早乙女のさっきの長考は、そこで悩んでいたはず。

 そして案の定、早乙女は着手が早かった。

 8九香。

 チェスクロが押された。ボクはお茶を飲む。

 8六歩……だよな。

 8八歩を一本入れたり、9六桂と打ったりする手もある。

 だけど、それは繋がらない。

 8八歩は取らずに、8二歩、8九歩成、同飛で逆用される。

 9六桂は7七金の猶予が生じる。8筋が固くなると、攻め切れない。

「8六歩」

 同銀、9六馬、8七桂、8六飛。

 早乙女、残り10秒。


 ピッ


 1分将棋に。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ


挿絵(By みてみん)


 受けに回った。

 ボクは、頭の手ぬぐいバンダナをなおす──イケるかも。

 攻め合いはない、と認めた手だ。

 攻め合うなら、9八桂からの8七飛成、同香、7四馬、8二飛だった。

 早乙女が見落としたのか、読んだうえで切ったのかは不明。

 ボクは30秒使って、慎重に8一飛と引いた。

 9二香成、7一飛、7二歩、3一飛、7五金。


挿絵(By みてみん)


 ちょっと読みが合わない。

 守りというより、入玉狙いくさい。

 一手一手に、微妙な時間を使わさせられた。


 ピッ


 ボクも1分将棋に。

 8八歩は手抜かれるか? 8六歩は?


 00:49 00:48 00:47


 8八歩は、6七玉、8九歩成、9七歩、同馬、7六玉が面倒か。

 入玉の可能性が生じてしまう。

 8六歩は、6四歩の攻め合いが間に合うかも。


 00:34 00:33 00:32


 3八歩成が入る?

 同飛なら4九銀の割り打ちだ。

 でも取らないで9七歩がある。


 00:20 00:19 00:18


 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………もう一発勝負が必要か。


 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ


挿絵(By みてみん)


 2発目の桂捨て。

 迷いの中で、チェスクロを押す。

 同金なら同馬、7五桂、8八歩で攻める。

 

 ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!


 早乙女は7六金と引いた。

 6六桂、同金寄、8六歩。


挿絵(By みてみん)


 早乙女はこの手を見て、息をついた。

 タメ息というよりも、なにかを察したような、軽いものだった。

「先手の候補手が、すべてマイナスになりましたか……逆転の余地がありません。投了します」

 ボクは一瞬、反応できなかった。

 早乙女はチェスクロを止めて、

「ありがとうございました」

 と言って、頭を下げた。

 ボクもようやく声が出た。

「ありがとうございました……先手、まだ指せない?」

「ここからは、後手が平凡な手を指して行くだけで、勝ちです」

 なるほど、ね。

 まあそれっぽいかな、とは思う。

 後手は広い。先手は入玉できない。4二の角が斜めに利いているし、3一の飛車も、最下段をガードしている。そもそも、すり抜ける隙間がない。

 だけど、投了しなくても、よかったんじゃないかな。

「粘る順は、見なかった?」

「綺麗なものは、綺麗なまま終わらせましょう」

 ん? どういうこと?

 泥臭いのはイヤって意味だろうか。

「感想戦、する?」

「萩尾先輩は決勝がありますし、また後日にでも」

 了解。

 ボクはもういちど一礼して、席を立った。

 会場を出る。

 その足で、選手が泊まっている階へ降りた。

 すると、レクリエーションルームみたいなところで、松陰まつかげ先輩が待っていた。

「決勝進出、おめでとう」

 そう言って、松陰先輩は立ち上がった。

「ありがとうございます……ここで観てたんですか?」

 ボクは周囲を確認した。

 松陰先輩しかいないし、テレビもついていなかった。

 テーブルの上に、スマホが投げ出されているだけだ。

「いや、ちょっと休憩してただけだ。スマホで観戦してたら、急に終わった」

 だよね。

 観客的にも、タイミングが読みにくかっただろう。

 解説のひととか、今頃大変なんじゃないかな。

 ボクはソファーに腰を下ろした。

 両腕を広げて、もたれかかる。

「なんか疲れました」

「130手くらいじゃなかったか?」

「なんていうんですかね……濃密な対局でした」

 松陰先輩は、肩をすくめてみせた。

 だけど、この対局の流れが変わっていたことには、気づいていたらしい。

 座りなおして、質問をしてきた。

「早乙女は6六桂に、なんで同金としなかったんだ? 本譜の6六同銀は、桂捨ての効果がはっきりしてる。同金は、そうでもなかったと思うが」

「あー……あそこは、ちょっと難解なんですよ」

 ボクはからくりを説明した。

 まず、6六同金、8五桂、8八銀、同桂成、同玉、7六歩。


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 ここまでを、スマホのアプリですらすら並べた。

「松陰先輩なら、どう指します?」

 松陰先輩は、画面をじっくり見て、30秒ほど考えた。

「……7六同金?」

「それは7七銀、7九玉、9七角成で、寄りますよね?」

「たしかに……7七銀に同金とできないなら、敗勢か。だが、俺の質問に対する答えに、なってなくないか? 今の順だと、6六桂の意味は、特になかった」

 あるんだよね、これが。

 私は追加で、

「7六同金に代えて、7三角、5二玉、6四桂ってありえますか?」

 と質問した。


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 松陰先輩は、

「いや、これはない」

 と即答した。

「理由は?」

「同角と切って終わりだからだ。同歩に、7七桂成」

 そこですよ、とボクは言った。

「なんで桂馬を成れます?」

 松陰先輩は、ハッとなった。

 パチリと指を鳴らす。

「そうか、6六桂で金が吊り上げられてるからだ」

「そういうことです。6六桂と捨てずに8五桂、8八銀、同桂成、同玉、7六歩の進行は、7三角、5二玉、6四桂があるんです」


【参考図】

挿絵(By みてみん)


 ここで同角と切るのは、成立しない。

 7七の地点がガードされているからだ。

 松陰先輩は腕組みをして、うなった。

「稀に見る妙手だな。同銀でも同金でも、絶妙な進行になる」

「たまたまですよ。こんなに綺麗な……」

 ボクはそこで、口をつぐんだ。

 そう──たまたまなんだよね、こんなに綺麗な手が存在したのは。

 自分で指しておきながら、今まで気づかなかった。

 勝利の余韻を超えて、そのことがなんだかとても、おかしく感じられるのだった。

場所:第10回日日杯 4日目 決勝トーナメント 女子準決勝

先手:早乙女 素子

後手:萩尾 萌

戦型:後手右玉


▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲4八銀 △8四歩

▲4六歩 △3二金 ▲4七銀 △8五歩 ▲7八銀 △5四歩

▲5八金右 △6二銀 ▲6八玉 △4二銀 ▲5六銀 △5三銀右

▲3六歩 △4三銀 ▲9六歩 △7四歩 ▲2五歩 △3三角

▲3七桂 △7三桂 ▲7九玉 △9四歩 ▲4八飛 △6二金

▲7七角 △8三飛 ▲1六歩 △6四歩 ▲6六歩 △1四歩

▲2八飛 △5二玉 ▲8八玉 △8一飛 ▲6七金 △4二角

▲5九角 △3三桂 ▲2九飛 △6三玉 ▲4七銀 △7二金

▲5六歩 △8三金 ▲5八金 △6二銀 ▲2四歩 △同 歩

▲同 飛 △4五桂 ▲2九飛 △3七桂成 ▲同 角 △2四歩

▲2六角 △5三銀 ▲3五歩 △同 歩 ▲同 角 △3三金

▲2六角 △8四金 ▲5九角 △9五歩 ▲同 歩 △8六歩

▲同 歩 △8五歩 ▲同 歩 △同 金 ▲8六歩 △同 金

▲同 角 △同 飛 ▲8七銀 △8一飛 ▲8六歩 △6二銀

▲3九飛 △3七歩 ▲7五歩 △8五歩 ▲同 歩 △6五歩

▲同 歩 △7五歩 ▲6四金 △5二玉 ▲7四桂 △7六桂

▲7八玉 △6三歩 ▲6二桂成 △同 玉 ▲7四金 △8八角

▲7七桂 △8五桂 ▲8六銀打 △9五香 ▲同 香 △7七桂成

▲同 銀 △6六桂 ▲同 銀 △9七角成 ▲8九香 △8六歩

▲同 銀 △9六馬 ▲8七桂 △8六飛 ▲7七金 △8一飛

▲9二香成 △7一飛 ▲7二歩 △3一飛 ▲7五金 △7四桂

▲7六金引 △6六桂 ▲同金寄 △8六歩


まで130手で萩尾の勝ち

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