570手目 勝負の組み立て方
※ここからは、吉良くん視点です。
難解。それが、俺の第一印象だった。
8四飛の選択には、ワケがある。
4一飛なら4八飛、6三金、4九飛、6二金で、千日手模様。
これが俺の読みだ。
千日手にしても、よかったんだが──2局指すメリットを、感じられなかった。
この段階で、先後は関係あるか? ないだろう。
外野がどう言おうと、当事者の意見としては、そうだ。
半分は気力で指している。
全国大会でも、こんなレベルじゃ疲れない。
俺は鍛えてるから、まだいい。烈はどうだ? 座力はまた別か?
とにかく、この一局で仕留める。できないなら、俺の力量の問題だ。
水を飲む。烈も動いた。
パシリ
よし、そうこなくっちゃ、面白くない。
俺は同歩と取った。
同銀、同銀、同桂、4四銀。
烈は30秒ほど読みなおした。
「7一角です」
問題の局面になった。
俺はいったん落ち着く。
4三銀か、4三金。前者は重く、後者は軽く受ける手だ。
4三銀は、4一銀、6一玉、3二銀不成、同銀、8二金。
(※図は吉良くんの脳内イメージです。)
きわどい。先手の攻めが切れている、とは言えない。
7二銀に9五歩と、端に手をつける順が気になった。
4三金の場合は、8二銀、7二金、7三銀不成、同金、5六桂。
(※図は吉良くんの脳内イメージです。)
これも厳しい。
俺が一番悩んだのは、この順で後手が死んでいないかどうか、だった。
即死する可能性もあった。
6一玉に4四桂としないで、5三桂成、同金、同角成、同銀、4一飛成。
右玉で一方的に飛車を成り込まれる。普通ならダメとしたもんだ──が、先手は駒を捨て過ぎている。角桂損。さすがに攻め切れない。
6一玉で、しのげている……はず。
だからこそ、8四飛を選んだ。
「4三金」
俺はチェスクロを押した。
烈は8二銀と打つ。さっきの順に入った。
7二金、7三銀不成、同金、5六桂、6一玉。
烈はほとんど迷わず、4四桂を選択した。
7一玉、5二桂成。
俺は手が止まった。
「……」
頭のなかでは、すでに想定済みの局面だった。
それでも、目の当たりにすると、かなりの圧がある。
4四銀の予定だったにもかかわらず、不安が生じた。
5三桂成、同金、同成桂、同銀、4一飛成の筋がちらついた。
数手前に4四桂とせず、5三桂成、この順が、今のと若干似ていた。
【現局面から4四銀、5三桂成以下】
【55手目に5三桂成以下】
王様の位置と、駒損の仕方がちがう。
前者は7二玉で、先手は角桂損。
後者は8二玉で、先手は桂損+角金交換。角を手放してるのが先手。
駒損は駒損なんだが……差が縮んでいる。
でも、桂損+角金交換だぞ? 普通なら、続かなくないか?
それに、8二玉としないで7二玉とすれば、王様の位置も同じになる。
となれば、持ち駒の金銀に、どれくらいの価値があるのか、ってことだ。
詳細に読む。
……………………
……………………
…………………
………………だいぶちがうか?
7一銀、7二玉、5二金が気になる。
3枚の攻めは切れない……ってやつか、なるほど。
執拗に王手しないで、金をいったん置いておく、という発想が抜けていた。
俺はもういちど水を飲んだ。
どうする? 読み間違えた。認めるしかない。
現状整理だ。
駒損でも攻めが通る。攻めの主役は? 飛車だ。
飛車が成り込んできたら、終わり。
だったら対策は、成り込ませないこと。これだ。
成り込みを防げるか?
4筋はスカスカだ。
俺は目を閉じる。
組み立ての問題。ダンスと同じ。
組み立てられる振りつけと、組み立てられない振りつけがある。
それは人体の構造で決まる。
関節は、曲がらない方向へは曲がらない。
将棋も同じだ。
組み立てられる順と、組み立てられない順がある。
それは将棋のルールで決まる。
駒は、動けないところへは動けない。
……………………
……………………
…………………
………………組める。
「1三角」
これが俺の答えだ。
端角を起点に組み立てる。
烈の表情が、かすかに変わった。
予期していなかったように見える。
この振りつけは、難易度Sだぜ。応手も難解だ。
5三桂成と行くか、6二銀と打つか、1五歩と突くか。
俺自身、読み切っているとは言わない。
最善だと感じた順を選んだだけだ。
烈は残り8分まで考えて、5三桂成と突っ込んだ。
4六銀、3五銀。
それは読んである。
「4八歩ッ!」
叩いて同飛に5三金。
同成桂に5六桂と打ち込んだ。
王手飛車確定。
烈はくちびるを結んだ。
見落としじゃあないだろうが、攻守は逆転。
先手の飛車が成り込める可能性は、なくなった。
同歩、5七銀打、7九玉、4八銀成、同金、8二玉。
、いったん逃げる。
4六銀、同角、6八銀打。
ん? 控えて打った?
5七銀なら、1九角成の予定だった。同角成、同金、5九飛の王手金は、6九桂一発で受かる。
本譜は、角を逃げる必要がない。攻めてもいい。
5九銀か5九飛が、パッと思い浮かぶんだが──罠の可能性もある。
さっきのところは、5七銀、1九角成で、斬り合えただろ。6二銀と打てた。
なんで後手に余裕を与えた? 受けに徹するつもりか?
6八銀打は早かったし、手つきもしっかりしていた。
飛び込んでいくには、ためらいがある。
だとしたら、本譜も1九角成で──いや、ダメだ。それは遅い。6八銀型は、5七銀型より硬い。こちらがゆるめると、あとで攻めようがなくなる。
「……5九銀」
打った瞬間、わずかに後悔の念が生じた。
攻めさせられている?
5八金、6八銀成、同金右、5七銀。
烈はここで、6二銀と打った。
詰めろじゃない。
俺は4九飛、8八玉まで決めた。
「フゥ……」
ひと息つく。
そのかすかな音に、烈は顔をあげて、すぐにもどした。
俺はそういう仕草も、もう気にならなくなってきた。
じっと盤を見る。
6八銀成が、詰めろじゃないんだよな。
7三銀不成、同玉、6二銀、8二玉、7三金、8一玉の瞬間、6八銀で質駒を回収されてしまう。これは詰めろ。俺の負けだ。
「7二金」
いったん受ける。
罠を張ってみた。6三銀みたいな手なら、6八銀成で勝ちだ。7二銀成、9三玉、7三銀成で、後手負け、じゃない。7八成銀、9七玉に8六角で詰む。
引っかかってくれる気はしない。
いずれにせよ、速度勝負になった。
残り時間は、先手が3分、俺が4分。ほとんどない。
烈はそのうち1分使って、5七金と受けた。
同角成、6八金打、6七金、同金直、同馬、7九金打。
やっぱり受けか。
どうやら烈は、受け切りの方針らしい。
6八銀打以下の狙いは、はっきりしてきた。
先手は簡単に寄らないかたちだ。
俺は苦しさを感じる。後手は補強のしようがない。
「5六馬」
「6八桂」
執拗に受けてくる。
……ピッ
予定より早く時間がなくなった。
俺のほうが1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! 切るッ!
「7八馬ッ!」
同金、4五角。
攻防に打つ。
……ピッ
烈も1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
当然の受け。
俺も8三金打で受ける。
6一銀、6二金、同成桂。
詰めろか? ……いや、詰めろじゃない。
攻めの手は入るか? 8六歩は? 6九銀は?
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
パシリ




