568手目 帰去来
※ここからは、剣さん視点です。
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同玉か。
私はモニタのまえで、仁王立ちしたまま、
「正解だな」
とつぶやいた。
うしろでソファーに座っていた神崎も、
「残念だが、そのようだ」
と返した。
ここは、ホテルの各階にある、ラウンジ。
そのモニタで、私と神崎は、鬼首vs大谷を観戦していた。
同玉は正解だ。
これで詰まないはず。
なぜ、だと?
勘の神様、神崎が詰まんと言ってるから、詰まんのだよ。
気に食わんニンジャだが、そこは信用している。
しかし、詰む筋も多いと言っていた。
正確に逃げ切れるか?
すでに1分将棋だ。
モニタからも、チェスクロの音が聞こえる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
パシリ
金を放り込んだ。
同金は、同桂成から詰みそうだ。同角、7六金、同玉、7五金で押さえ込めるし、同角に代えて同玉は、8五桂がある。これはさっきと似た筋に入る。この8五桂も、かなり見えにくかった。正直な話、賭けでそちらに突っ込んでも、よかったかもしれない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
あざみは6六玉と立った。
これもきわどいが──
「神崎、ほんとうに詰まないのか?」
「拙者を信用しないのなら、それでもかまわん」
私はあごに手をあてて、読みを入れた。
6五歩、同玉、7五金のような手が利かないのは、大きい。
8六の角が、守備の要になっている。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
大谷は慌てて龍を寄った。
上からの攻めは、成立しなかった。となれば、この一手。
6八桂くらいで受かっているだろう。
7六金、同玉……ん? これはあやしいか?
20秒ほど考える──同玉は詰み?
7五金、同角に7八龍と滑り込まれるのが、王手になる。
以下、6六玉、7七龍、6五玉、7五龍、5四玉、4四金。
詰みだ。このかたちは、くりかえし出てくるな。
6八銀合なら詰まないか?
7八に滑り込まれるのを防ぐなら、6八飛合?
「神崎、正解はなんだ?」
私の質問に、答えは返ってこなかった。
ふりむくと、神崎の姿は消えていた。
その代わりに、早乙女が立っていた。
変装か? ……いや、ドアが開いているし、気配がちがう。
神崎が消えたことには、納得した。
大谷の敗北を直視できなかったのだろう。
しかし、早乙女の入室に気づかなかったのは、我ながら不覚だった。
今でもまるで、機械と対峙しているような感覚に陥る。
「もう終わったのか?」
「ええ……結果を聞きますか?」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
パシリ
単引き。
4七から5七へ逃げたときと、逆のルートだ。
合駒は詰んでいたか?
いや、それよりも、現局面が詰むかどうかだ。
「早乙女、詰みが読めるか?」
早乙女は、ソファーに腰をおろしていた。
そのあでやかな黒髪を、静かにさわった。
「……10手……いえ、20手以内に、詰みはないです」
「それ以上は?」
「120秒ほどいただければ、計算も終わるかと」
私も59秒まで考える。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
6七金打。
大谷は、王様を追う。
それ以外に手はない。途切れた時点で、後手の負けだ。
4七玉、5八龍、3六玉、4四桂、2七玉。
どうだ? きわどいか?
私はまだ、詰みの有無が読み切れなかった。
「早乙女、どうだ? とっくに時間は過ぎたぞ」
早乙女は、うしろ髪をさらりとながした。
心持ちあごをあげた。
「詰みます」
「……ウソではないな?」
「詰みます……が、手順は難解です。ここから19手あります」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
パシリ
「第一関門は突破。3八銀は不詰みでした」
あざみはノータイムで2六歩。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
3五桂。
「これも正解です。あと16手」
私はまだ、読み切れていなかった。
あざみは、どうだ?
ここのモニタは盤上カメラで、サイドの映像はなかった。
対局者の表情は、垣間見れない。
1七玉、2八銀、同銀、同龍、同玉、2六香、3九玉。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
大谷はギリギリで歩を打った。
「これが最後のクイズでした。あとは簡単な詰みです。4九玉、5八銀、3八玉、2七桂成、3九玉、3八歩、4八玉、3六桂まで。歩1枚余りません」
「……」
さすがに、途中から私も気づいていた。
あざみは、持ち駒をかちゃかちゃやって、テーブルのうえにばらまいた。
後頭部が映る──終わった。
そのあとの感想戦は、足早におこなわれたようだ。
私が会場のとびらの前で待っていると、案外すぐに出てきた。
あざみは、納得がいかないような顔で、後頭部をかいていた。
私に気づいて、軽く舌打ちをした。
「チッ、桃子の野郎、笑いに来たか」
「べつに笑わないが……ごくろうだった」
「最後、詰んでたか?」
私は、早乙女の言葉を伝えた。
あざみは、もういちど舌打ちをした。
「チッ、他人任せだな」
あざみは、窓際のソファーに身を投げ出した。
両腕を背もたれにかけて、天井をあおぐ。
「あ~、つかれた」
「メックにでも行くか?」
「お、桃子のおごりか?」
「おごってやってもいい」
あざみは、天井を見上げたまま、返事をしなかった。
背景に、H島の景色が見える。
5時過ぎだ。
真夏の空はまだ青かったが、町の雰囲気は変わりつつあった。
「……なんで負けたんだろうな?」
「弱いからだろう」
「だな。じゃあ、なんでオレは弱い?」
私は鼻で笑った。
「じぶんが羽生や藤井だとでも、思っているのか?」
あざみは首をあげて、顔だけこちらへもどした。
いつもの睨みつけるような感じではなく、真摯なまなざしだった。
「そういう意味じゃねえよ。さっきのは勝ってただろ。なんで勝ちきれねえんだ?」
たらればだな。
それが第一印象だった。
強い者が勝ち切るのではなく、勝ち切る者が強いのだ。
しかし、あざみの質問にも、若干の正当性があるように思われた。
あざみは、なぜ負けた?
勝てない相手では、なかったと思う。
囃子原グループで事前に計算したレーティングは、3位だった。
1位が萩尾、2位が早乙女、3位があざみだ。
4位以下は混戦だった。もちろん、正確かどうかはわからない。
それに、最後の詰みは、たまたまだったようにも見えた。
もちろん、大谷の粘りが功を奏したのは、まちがいないだろう。
とはいえ、大谷も最後の最後まで読み切っていなかったし、詰む詰まないの分岐が、異様に複雑だった。
指運か? あざみの人生のように?
あざみには両親がいない。
親戚の家に預けられて、居心地が悪くなって家出した。
そのあと暴力沙汰を起こして、少年院送りになるところで、礼音様が助けた。
なぜ助けた? 私ですら知らされていなかった。
「運が悪かった、と私が答えたら、どうする?」
「あん? なんだよ、そのたらればは?」
「どうする?」
あざみは目をつむって、後頭部をがりがりとかいた。
「……オレが指運なら、大谷も指運か? そりゃちげーだろ。あいつは正確に指したぜ。何手詰めだったか、おぼえてねえけどよ」
「25手だ」
「25手連続で正解するのを、運がいいとは言わないだろ」
そうだな。私もそう思う。
けっきょくのところ、あざみに足りないのは、長期的な視野だ。
その場の雰囲気で判断していることが、多すぎる。
だが、今はその場の雰囲気に、流されるとするか。
「あざみ、メックへ行くぞ」
「そういや、礼音はどうなったんだ?」
「さあな」
「は? おまえそれで付き人なの?」
「怖くて確認できない」
あざみは、しばらくのあいだ、私の顔を見つめた。
それから立ち上がって、ひざを叩いた。
「んじゃ、行くか。敗者は去るのみだぜ」
「おまえはあとで解説役だがな」
「なんの?」
「決勝の、だ」
「聞いてねーよ。とんずらする」
解放感が漂う。
居心地というものは、どこにいるかでは決まらない。
どういう生き方をして、そこにいるのかで決まる。
礼音様の言葉を思い出しながら、私たちは会場をあとにした。
場所:第10回日日杯 4日目 決勝トーナメント 女子準決勝
先手:鬼首 あざみ
後手:大谷 雛
戦型:先手右玉
▲7六歩 △8四歩 ▲5六歩 △8五歩 ▲7七角 △3四歩
▲5八飛 △7七角成 ▲同 桂 △6二銀 ▲7八金 △1四歩
▲4八玉 △4二玉 ▲1六歩 △3二銀 ▲5九飛 △3一玉
▲6八銀 △6四歩 ▲6六歩 △4四歩 ▲6七銀 △5二金右
▲3六歩 △6三銀 ▲3八銀 △7四歩 ▲5八金 △4五歩
▲3七桂 △5四銀 ▲2六歩 △4三銀上 ▲2九飛 △3二金
▲9六歩 △7三桂 ▲2五歩 △4四角 ▲2四歩 △同 歩
▲同 飛 △8六歩 ▲同 歩 △6五歩 ▲同 桂 △同 桂
▲2三歩 △8六飛 ▲8七歩 △8一飛 ▲4六歩 △3五歩
▲4五桂 △3六歩 ▲6五歩 △6六歩 ▲3四桂 △6七歩成
▲同金右 △3四銀 ▲同 飛 △4三銀 ▲4四飛 △同 銀
▲3三歩 △4七歩 ▲同 玉 △3三桂 ▲同桂成 △同 金
▲2二銀 △4一玉 ▲7二角 △7一飛 ▲6四桂 △2三金
▲5二桂成 △同 玉 ▲3六角成 △5四桂 ▲5五金 △3五歩
▲2五馬 △4三歩 ▲4四金 △3六銀 ▲同 馬 △同 歩
▲5四金 △同 歩 ▲6四桂 △5三玉 ▲7二桂成 △同 飛
▲6四角 △6三玉 ▲9一角成 △8二歩 ▲8一馬 △5九飛
▲5八香 △3七歩成 ▲同 銀 △4九飛成 ▲5七玉 △8四角
▲6八玉 △8五桂 ▲7五歩 △同 角 ▲6四銀 △同 角
▲同 歩 △5二玉 ▲8六角 △7五桂 ▲7二馬 △6七桂成
▲同 玉 △7七金 ▲6六玉 △6九龍 ▲5七玉 △6七金打
▲4七玉 △5八龍 ▲3六玉 △4四桂 ▲2七玉 △2五香
▲2六歩 △3五桂 ▲1七玉 △2八銀 ▲同 銀 △同 龍
▲同 玉 △2六香 ▲3九玉 △3八歩
まで142手で大谷の勝ち




