５６７手目 喧嘩稼業
※ここからは、鬼首さん視点です。
そうきたか──チッ。
６六歩なら、オレが勝ってたと思うんだが。
まあいいや。
最善で来たら、最善で返す。
「同飛」
大谷は４三銀で、雁木の組みなおし。
２四飛だと、こんどこそ６六歩が成立する。
オレは４四飛と切った。
同銀、３三歩、４七歩。
攻め合い？ 上等じゃねーか。
つっても、大谷の手は、すこしあせってるな。
のこり時間がすくないからだろう。
「そんな手じゃ、オレの時間は減らせねーぜ。同玉」
３三桂、同桂成、同金、２二銀。
どんどんいく。
４一玉、７二角、７一飛、６四桂。
オレは桂馬を打ったあと、ポケットをまさぐった。
……げッ、チョコがねえ。さっき補充しときゃよかった。
まあいいや。
大谷は、ここでまた悩んでやがる。
さっきまでの順は、型で指してきた。深く読むんじゃなくて、経験から、妥当そうなやつを選択したってことだ。そうしないと時間差で負ける、と思ったんだろう。
５分を切ったところで、２三金。
最善くさいか？ ３七歩成も、あった。
「５二桂成ッ！」
同玉、３六角成、５四桂。
オレは金を手にした。
「５五金だ」
評価値は、どうだ？ オレが悪いか？
どうでもいいけどな。
後手がぜんぶ受け切って勝ち、とかなんだろ、どうせ。
そんなの人間じゃできないから、いいんだよ。
ケンカでも、そうだ。
絶対に入る攻撃なんか、ない。１００パー正確にガードできたら、勝ちだ。
できたら、の話だがな。
オレのここまでの読みで、後手が１０手以内に反撃する筋は、なかった。３五銀打、２五馬、３四歩、５四金、同歩、８二角、８一飛、７三角成、２二金、３六桂、３三銀みたいに、受けが続く。そのあとで後手にチョ～うまい反撃があるとしても、どうでもいい。５分間ガードしきれば金的のタイミングがくる、なんて言われても、それで納得するやつはいねえ。
大谷、また考えてるな。時間がなくなるぜぇ。
パシリ
３五歩と打ってきた。
これまた中途半端だ。
受けと攻めの中間を取ったか？
「２五馬」
４三歩、４四金、３六銀。
予想通りだ。受けと攻めの中間。
かしこいっちゃ、かしこい。
どっちに転ぶかわかんないなら、保険は必要だ。
同馬、同歩、５四金、同歩、６四桂。
６五の歩を、くりかえし踏み台に使う。
後手は、２二金と取るタイミングが、なくなった。
「……５三玉」
「７二桂成」
「！」
桂馬を捨てて、同飛に６四角。
王手飛車コースへ誘導する。
６三玉、９一角成。
放置なら８一馬が準王手飛車。
大谷はここで、最後の時間を使った。
２分あった持ち時間を、全投入する。
将棋はタメが利かないから、きついよな。気張っても１手しか指せないし、パスもできない。
２二飛か？ ２二金か？
オレは、大谷をちらっと見た。
真剣に読んでる。
やっぱこいつ、以前ボコったレディースのヘッドに、似てるんだよな。
顔が、じゃねーぞ。雰囲気が似てる。
あいつもなかなか強敵だった。今じゃあ、けっこう仲いいぜ。
アイカってやつだ。漢字は知らねえ。
ピッ
大谷、持ち時間がなくなる。
……ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ！
パシリ
……………………
……………………
…………………
………………ん？ なんだそれ？
オレは椅子から乗り出した。
……………………
……………………
…………………
………………受け切りに、賭けたか？
８一馬、２二金、６四銀……さすがに、これはねーか。
２分使ってこのルートだと、アホすぎる。
８一馬に７一金？ 意味なくね？
６四銀を止めただけか？ ありうるな。あのままだと即死してた。
大谷のほうを見る。
さっきまでの強い雰囲気は、消えていた。
あきらめたか？
往生際がいいのは、あんま好きじゃないんだけどな。
仕留めて欲しいなら、仕留めてやるよ。
「８一馬」
チェスクロを押す。
交差するように、次の手が指された。
パシーン
……………………
……………………
…………………
………………詰めろかッ！
口のなかに、血の味が広がる。
本物じゃなくて、思い出の血の味が。
なんつーんだっけ、これ。デブ……デビ……わかんねーや。
とりあえず、なんでアイカのことを思い出したのか、それはわかった。
あのときもそうだった。形勢が不利になったアイカは、あきらめたように脱力した。オレが踏み込んだところで、足を引っかけられて、顔面にマジパン食らった。鼻筋を通る血の匂いが、ありありと思い出された。
オレはおやゆびで、鼻頭をなでた。
「やるじゃん」
「……」
「同じ手にかかるのは、バカだよな……ま、オレはバカだからな、しゃあねーか。そこは認めるぜ。オレのミスだ」
オレの弱点は、なんだ？
頭が悪いことか？ 前科があること？
将棋には、関係ねーよな。
視野が狭いこと。これだ。これがオレの弱点。
犬井には、なんども注意された。うるせー、そんなに簡単に治るかよ。
大都会高校に入って治ったのは、虫歯だけだ。あとすぐ殴るクセか。
「……５八香」
３七歩成、同銀、４九飛成。
「３度目のポカはないぜ。５七玉」
大谷は、わずかに表情が変わった。
これも、あのときと同じだ。
ワンパンもらったあとの立てなおしには、自信がある。
鼻血出しながら、最後は勝った。攻め過ぎを誘ってからの、サイドステップで。
アイカがずっこけて、その背中にひじ打ちぶち込んでフィニッシュ。
人生って、同じことのくりかえしなのかね？
だとしたら、つまんなくねーか？ それとも、そっちのほうが救いがあるか？
救いは、あったほうがいいな。勝ったあと、オレは逮捕された。
そのままガチで少年院送りになりかけたところで、囃子原に助けられた。
助けられたのか？ よくわかんねーや。
あいつの考えてること、意味不明だし。
いずれにせよ、救いがあるのはいい。
オレの王様も、救ってもらう。
先手はまだ悪いが、大谷もどっかでミスった。
単寄りで助かってるのを、見落としてたにちがいねえ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ！
「８四角」
攻防か。
ノータイムで６八玉と引く。
８五桂、７五歩、同角。
角がうぜえ。消す。
「６四銀ッ！」
同角、同歩、５二玉、８六角。
どうだ、今度はこっちが攻防だ。
主導権が、どんどん入れ替わる。
泥仕合じゃない。こいつは最高のインファイトだぜ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ！
大谷は７五桂と打った。
おっしゃ、かかったッ！
そいつは攻防じゃねーんだよ。
オレは７二馬と取った。
「……あ」
７五桂が受けにも攻めにも利いていないことに、大谷は気づいた。
前傾姿勢になる。
後手玉は、６三馬、４二玉、５一銀、同玉、４一飛まで。
６三歩成は不要。
しかも、６七桂成からは詰まない。
６五桂なら詰めろだった。土壇場で、ひとマス間違えたな。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ！
６七桂成。
大谷は指したあと、口もとに手を当てた。
同金でも詰まない……いや、詰むか？
……………………
……………………
…………………
………………待てよ、ほんとに詰まないのか？
確信が持てなくなってきた。
同金、７七銀、同金、同桂成、同玉、８五桂、６六玉。
（※図は鬼首さんの脳内イメージです。）
これ、詰みそうじゃね？
だけど６九龍じゃ、詰まないよな？
６五歩でも詰まないし、６七金でも詰まない。
勘違いか？
オレは、６七同金としかけた。
イヤな予感がする。
えりくびから離れたはずの手が、まだオレの首にかかっていた。
錯覚か？
ケンカと違って、物理的な体感がねえ。
「……」
そうか、同金は詰む。７六金のうまい捨てがある。
（※図は鬼首さんの脳内イメージです。）
同玉、７五金、同角、７九龍、６五玉、７五龍、５四玉、４四金までだ。
まさか、同玉も詰むのか？
ピッ
チッ、時間がねえ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ！
こっちだッ！
