565手目 ゴキゲンからの
※ここからは、磯前さん視点です。
はい、というわけで、解説です。
大盤会場は、満員御礼。
みんなヒマだね。いや、いいことなんだけどさ。
あたしはみかんといっしょに、大盤の前に立っていた。
あたしが会場から向かって右、みかんが左。
これ、右が一応上座なんだっけ? そうでもない?
足もとのモニタには、選手の姿が映っている。
まずは、レモンちゃんのあいさつから。
「皆さま、大変お待たせ致しました。これより、第10回日日杯、決勝トーナメント、準決勝の解説会を行います。司会の内木檸檬です」
パチパチパチ。
レモンちゃんは、あたしたちへ向きなおった。
「この大盤は、大谷雛選手、鬼首あざみ選手のカードです。解説は、磯前好江選手、温田みかん選手で、お送りします」
はい、よろしくぅ。
拍手を受けて、ちょっと恥ずかしい。
「開始まで、10分ほどございます。解説のおふたりに、戦型予想などを、お伺いしたいと思います。磯前選手、いかがでしょうか?」
よし、これは準備してある。
あのあと、真剣に予想した。
「大谷さんが先手なら、相掛かりだと思います」
「その心は?」
「プレーオフを見る限り、もう研究ストックがないっぽいです。というわけで、力戦に持ち込むんじゃないでしょうか」
「鬼首選手は、受けるでしょうか?」
「受けると思います」
鬼首は、かなりの負けず嫌い──いや、負けず嫌いとは、また違うな。なんていうんだろう、挑発を避けないタイプ。初手2六歩なら、素直に8四歩だろう。
このあたりも説明して、レモンちゃんは納得のようす。
「今のは、大谷選手が先手の場合ですね。後手だと、どうなるでしょうか?」
「後手の場合は、7六歩、8四歩の出だしになりそうです。横歩はないと読んでます」
これは、わりと断言できる。
ひよこの性格からして、プレーオフで出し惜しみは、しなかったはず。もし横歩の後手番で必殺があるなら、鬼首かあたしに、ぶつけてきたんじゃないかな。ただ、これは性格診断になっちゃうから、いちいち言及しなかった。そのまま話を続ける。
「問題は、鬼首さんがオールラウンド、っていう点です。振り飛車も指せるし、三間とか四間でもいいのかな、と……まあ、先手で振る必要は、ないかもしれません。後手でワンチャン振るかなあ、くらいです」
「ありがとうございます。温田選手は、どう予想しますか?」
レモンちゃんは、みかんのほうへマイクを向けた。
「磯前先輩と、だいたいいっしょなの~でもでも、振り飛車党として言わせてもらうと、先手番だから振らないっていうのは、ないと思うの~振り飛車を不利飛車だと思ってるひとは、そもそも振らないの~」
なるほどね、振り飛車は、困ったときのなんちゃって戦法じゃない、と。
レモンちゃんは、モニタを確認した。
「あ、振り駒が始まります」
鬼首が振って……歩が4枚っぽい?
音声が入って来ないから、わからない。
結果は、イヤホンでスタッフから伝わった。鬼首の先手。
あたしは、
「7六歩、8四歩だと、予想しておきます」
と繰り返した。
こういうの、ごまかして曖昧に言うひとも、多いよね。
でもさ、解説なんか気楽にやればいい、というのがあたしのスタンス。
それでは、対局開始まで、静粛に──となるはずもなく。
レモンちゃんは、
「それでは、解説のおふたりに、予選の感想も伺ってみましょう」
と続けた。
プレーオフの話はするなよ、絶対にするなよ。
「磯前選手、プレーオフは、いかがだったでしょうか?」
「……そうですね……3人の中では、順位が一番悪かったですし、予選で勝てなかったのが祟ったな、という印象です。あと、大谷さんには予選第1局でも負けてるので、特に言い訳もないですね」
「ありがとうございます。温田選手、予選について、ご感想は?」
レモンちゃん、けっこう厳しいね。
がんがん訊いてくるじゃん。
みかんも、ちょっと困ったような感じで、
「大事なところで落としたから、しょうがないの~もっと強くならないとダメなの~」
と答えた。
「ありがとうございます。失礼ながら、私は捨神vs囃子原戦へ、移動させていただきます。またのちほど」
レモンちゃんは、別の大盤へ移動した。
15時59分。今度こそ静粛に。
会場内の、ひそひそ声だけが聞こえる。
《……対局開始です》
天井カメラに、ふたりの後頭部が映った。
鬼首は余韻もなにもなくて、すぐに7六歩と指した。
ひよこは10秒ほど気息を整えて、8四歩。
鬼首は3手目も即指しだった。
【先手:鬼首あざみ(O山) 後手:大谷雛(T島)】
ゴキゲンじゃん。
みかんは、
「気分的にイケイケなの~」
と微笑んだ。
解説は、しやすくなったね。
相居飛車だと、みかんは慣れてないだろうし。
対抗形なら、この解説ペアには好都合。
ひよこはまた10秒ほど考えて、8五歩と伸ばし切った。
7七角、3四歩、5八飛、7七角成、同桂、6二銀。
司会役がいないの、きつい。
あたしたちだけで、なんとかするしかない。
とりあえず、
「対抗形だね」
と、見たまんまのことを言ってみる。
みかんは、
「7七角成、同桂に8六歩、同歩、8七角もあったけど、それは7八銀、7六角成、8七角、8六馬、4三角成の殴り合いになるの~」
と、変化を解説した。
【参考図】
「でもでも、これだってあったと思うの~大谷先輩、ちょっと消極的~」
大舞台でやるには、勇気がいる順だ。
そうこうしているうちにも、局面は進んでいた。
7八金、1四歩、4八玉、4二玉、1六歩、3二銀。
あたしは駒を動かしながら、
「左美濃を見せたね。先手も3八玉くらいか」
と、無難にコメントしておいた──つもりなんだけど、これはハズレた。
5九飛。早めの飛車引き。
みかんは、
「先手、なにかプランがありそう~」
と予見した。
そんなもんかね。
3一玉、6八銀、6四歩、6六歩。4四歩。
ふーん、ほんとに王様を入らないな。
「これ、なにか意味あるの?」
「わかんな~い」
だよね。なんか変なことしてる印象。
この段階で、ゴキゲンの秘策があるのか?
ひよこもなあ、ちょくちょく時間を使ってる。
「鬼首さんがゴキゲン指した局、みかんは知ってる?」
「うーん、わかんないの~」
スタッフに訊かないと、ムリかな。
ピンマイクに手をかけた瞬間、前列のほうから、
「ニャハハ、1局だけですよ。9回戦の越知vs鬼首ですね*。鬼首vs萩尾もゴキゲンの出だしでしたが、けっきょくなりませんでした**」
という声が聞こえた。
見ると、猫耳型ヘアの、メイド服を着たお姉さんが、3列目くらいにいた。
私は脱帽して、
「お姉さん、ありがとうございます」
とお礼を言ってから、みかんに、
「だとすると、研究があっても、おかしくないね」
と告げた。
「やっぱりオールラウンダーは強いの~」
6七銀、5二金右、3六歩、6三銀、3八銀。
「先手も美濃か。ゴキゲンと藤井システムの組み合わせ?」
「ん~、なくはないの~大谷先輩も、左美濃潰しが怖いから、王様を待機させてる可能性があるの~」
ひよこは7四歩と突いた。
鬼首は前傾姿勢になる。後頭部が天井カメラに映った。
その体勢で、指ぱっちんを2回。
次の手を指した。
……ん? 金上がり? こ、これは──
「もしかして、右玉?」
「っぽいの~めちゃんこびっくり~」
ひよこの手が、完全に止まった。
現時点の残り時間は、先手が27分、後手が25分。
すでにちょっと差がある。
ひよこ、動揺するなよ。組み方が変なんだから、落ち着いて対処しよう。
あたしは4四の歩を、前に進めて、
「とりあえず、4五歩と突いておきたい。理由は、4六歩が入っていないから。位を取っておく。4四角を打つスペースも欲しい。4四角に2六角は、取らなきゃ問題ない。4三銀くらいでオッケー」
と説明した。
「3七桂で、すぐに狙いたくなるの~」
「それはあるよね……5四銀で、支えるしかないか」
【参考図】
あたしは盤面を大きく見て、構想を練る。
「……2六歩、4三銀上、2五歩?」
「4三銀上だと、2筋が守れないから、2四歩が生じるの~」
「たしかに、2九飛と回って、すぐに突くのもあり……っていうか、2九飛は必然か。だとすると……いや、さすがに3三銀はないね。5五歩、同銀、4五桂で潰れる」
「もしかして、先手はこれを狙ってるの~?」
かもしれない。
鬼首は、どっちかっていうと攻め将棋、のはず。
ただなあ、このあたりの棋風は、1、2回戦ったくらいじゃ、わからない。
鬼首がどういう性格なのか、あたしはまだ測りかねていた。
ひよこは2分ほど考えて、ようやく4五歩。
以下、3七桂、5四銀、2六歩、4三銀上、2九飛で、解説通りになった。
ひよこは3二金。雁木が完成。
鬼首は一本9六歩と入れた。
ひよこは端を受けずに、7三桂と跳ねた。
ここで、鬼首も手が止まった。
あたしは、
「さっきの解説通りなら、2五歩から2四歩だと思うけど、他を絡めておくかどうか」
とコメントした。
「絡めるところ、あんまりなさそうなの~」
そうなんだよね。
5七角みたいに、とりあえず置いておく、という手はある。
だけど、特に効果があるわけじゃない。
あたしはちょっと考えて、
「2五歩、4四角、2四歩と、ストレートに行くのが本命か」
とつぶやいた。
みかんは、
「同歩、同飛、2三歩、2九飛に、8六歩とできないのは、気になるの~8六歩、同歩、同飛は、8五歩で飛車が動けなくなるから~」
と指摘した。
【参考図】
あれ、そうだな。
先手視点で考えてたけど、後手視点でこの進行は、イヤかもしれない。
「んー、2五歩に4四角が、ヌルいのかな……」
「2四同飛に、2三歩以外の手は、ないの~? そこ手抜きたいの~」
ん、そっか、その手があったか。
あたしは2三歩を入れない順を考えた。
打たないのも成り立つ、という結論に。
「2筋を放置して、8六歩、同歩、6五歩と突こう」
【参考図】
「これで、どう? 同歩は6六歩で銀が死ぬから、ないよ。同桂一択」
「そこで後手も同桂なら、この桂馬が取れないっていう寸法なの~」
その通り。取ったら9九角成。
「この進行は、後手悪くないんじゃない?」
「先手も2筋から反撃してきそうなの~」
あたしは、大きな歩の駒を手にして、2二に打った。
「こう?」
「そこまでは分かんないの~振り飛車で、こんなかたちにならないの~みかんなら、6四角って打ちそう~」
「それもあるね。6四角、8一飛、7三角成から、ぼちぼち、と」
難しいな。
先手も、そこそこ指せそうだ。
鬼首が飛び込んだだけあって、採算のある順になっている。
それでも、あたしは後手持ち。
パシリ
あ、指した。
モニタには、2五歩が映っていた。
4四角、2四歩。開戦。
同歩、同飛、8六歩、同歩、6五歩。
「解説、当たったね」
ひと安心。ここまでは、けっこうぐだぐだだったから。
以下、同桂、同桂。
鬼首は30秒ほど考えて、2三歩。
あ、それなんだ。
あたしはとりあえず、歩を大盤に打った。
「磯前先輩、この手は、どういう意味なの~?」
ちょっと待って。
わかんないときに振られると、困る。
「2二歩、同金、2三歩、3二金なら、手番は先手。ただ、歩切れになる。それを嫌ったのかな……後手番になっちゃったけど」
「後手からも、あんまり手はなさそうなの~」
たしかに、手渡しとも考えられる。
おかしな手を指したら、一気に押し込まれるパターンか?
ひよこ、どう対応する?
腕力で持っていかれないように、祈っとくよ。
*461手目 鬼
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**501手目 ダレる解説
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