561手目 最後の一枠
※ここからは、磯前さん視点です。
……わからない。
分岐的なのは、わかる。
左に逃げるか、右に逃げるか。これがひとつめの分岐。
もうひとつは、切れるまで逃げ回るか、とちゅうで反撃するか。
せめて10分くらい欲しい。
まだ逃げ方にも確信が持てない。左は角筋があるから、右だと思う。
ただ、右が広いかと言われると──
ピッ
1分将棋に突入。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
助かってくれ。
ひよこは背筋を伸ばしたまま、じっとこの手をにらんだ。
5七金と打ち込んでくる。
4九玉、4七金。
ここでまた悩む。
攻めるなら、5二になにか打つ。金か銀。第一感、銀。
2五桂もちらっと考えた。でも、たぶんダメ。
受けるなら4八金で、攻め駒を消す。
5二銀、3二玉、5三馬の瞬間、4八銀、同飛、5七桂以下は、こちらが一手勝ちしているように思う。以下、3九玉、4八金、同玉、4九飛、3八玉、4六桂、2七玉、2六歩、同玉、2九飛成、2七歩、2五歩、同桂、同金、同玉、2七龍、2六金、1三桂、3四玉。
(※図は磯前さんの脳内イメージです。)
これで耐えてる……はず。めちゃくちゃ怖いけど。
ただなあ、これはルートのひとつでしかない。他にもこんな感じの筋が多すぎて、読み切れない。5二銀は、打ったらとにかく寄せないといけないから、紙一重の勝負になりそうだった。
とはいえ、4八金で消しに行くのも、難解。ただし、この順でも一気に先手勝ちになる順がある。例えば4八金、同金、同飛、4六桂なら、いきなり同飛と切って、同歩、5三馬、同玉、5二金、4三玉、4二金、同角、4四銀、3二玉、4二飛成。
(※図は磯前さんの脳内イメージです。)
詰みだ。
つまり、5二に銀を打たなくても、金銀を後手からもらえば、すぐに詰む。
これがさっきの長考の結論。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「4八金ッ!」
チェスクロを押す。
ひよこはこの手に、やや前傾した。
それから、すぐに背筋をもどした。
ひよこは、まだ2分残している。けど、ここで全部使うんじゃないかな。
同金、同飛、4六桂は、こっちの勝ちだから、5七桂を読み進める。
これも難しい。3八玉、4九銀に、同飛と取るか取らないか。直感的に、2九玉、3八金、同飛、同銀成、同玉で、後手の攻めが切れてそう。2六桂と打たれても、2七玉の位置で耐えている。4六桂なら4七玉。ここまでは、ひとつ前の長考で、読んであった。
問題は、反撃をどうするか。後手は飛車しか持ってないし、4五桂くらいで崩せるか。
……………………
……………………
…………………
………………ん、待てよ。
3八玉に4九銀と打たないで、4四角と覗くのも、あるな。
(※図は磯前さんの脳内イメージです。)
んー……4一銀で、縛れる?
いやでも、4六歩が面倒かもしれない。
あたしはこの筋が、やたらと気になり始めた。
4六歩の伸ばしに、3二金と重ねる順を読む。
4七金と打ち込まれても、詰まないよね?
同飛はマズいけど、2九玉以下で詰まなければ、後手の詰み。めっちゃ簡単。5二馬、同金、同飛成まで。
ピッ
ひよこも1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
ひよこの指が、桂馬をとらえた。
パシリ
……………………
……………………
…………………
………………これは読んでなかった。
あたしは動揺する。
まさか寄り? ……いや、寄りはない。
狙いは? ……同歩に3六銀か。
取らない手は、ある? ない?
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
あたしは同歩と取った。
チェスクロを押して、首をかしげる。
6四銀も、あったような気がする。読み切れなかった。
ひよこは59秒まで考えて、5七桂。
3九玉、4八金、同玉、3六銀。
だんだん冷静になってきた。
先手に即寄りはない。3五桂を打たれた瞬間、正直かなり焦った。
あたしは3八金打で、厚めに受ける。
3五金、2三銀。反撃。
ひよこは4四玉で、上に逃げた。
4七桂と打ちたい。でも、同銀成で意味がない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
3九玉。深く逃げておく。
これなら次に4七桂と打てる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
2六金。圧殺狙いか。プレッシャー。
これ、4七桂でいいよね?
打ってダメだと困るんだけど。
全力で読む。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
イケるッ!
「4七桂」
これでイケる。
3七銀不成なら2六飛で、これが詰めろ。5三馬以下。
ひよこがこの手に気づかなければ、勝ち。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
ひよこは4三金打とした。
くぅ、さすがに気づいたか。けっこう長手数だったんだけど。
あたしは気を取りなおして、8四馬と撤退した。
このまま切らせる。4八金以下の方針は、そういうこと。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
ひよこは7五歩と打った。
ここで8五馬……ん? ダメか。3筋から殺到されて、受けなしになる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「7三馬ッ!」
6四歩、2五桂、同銀、3七歩、4六歩、2七歩。
金を釣り上げた……けど、まだ自信がない。
同金、同飛、2六歩、2八飛、2七桂のあと、飛車が詰みそうだ。4八玉、1九桂成、5九玉、2七香とか……2七同金には、同金のほうがいい?
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
……そっち? え、もしかして寄るの?
あたしは息が止まる──いや、寄らないでしょ。
金を助ける手に見える。けど、突っ込まれたほうが困った。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同歩」
同金、4五歩、同玉、3七桂。
こっちに攻めが回ってきた。王手銀取り。
ひよこは当然に、5六玉と滑り込んできた。
ここは慌てない。
4八歩、4七歩成、同歩、5五角、2五桂、3七桂。
これは1八飛とかわす。
単に5八銀だと、4九桂右成、同銀、同桂成、同玉、2八角成があった。1八飛とかわしておけば、2八にスペースができる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
2六歩。
あ、4九桂右成じゃないのか。
同歩で? ……2七歩かッ! 一手詰みじゃないかッ!
っと、落ち着け。べつにただの詰めろだ。手数は関係ない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同歩ッ!」
2七歩と垂らされた。
詰めろ。
4八金なら詰まないか? 4九桂右成、同金、2八歩成、同飛、4九桂成、同玉、2八角成。
(※図は磯前さんの脳内イメージです。)
つ、詰まないけど、どうにもならない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「5八銀ッ!」
攻防に打つ。
ひよこは6七銀成。
あたしは3七金と立った。
「そのような順が……」
という声が、かすかに聞こえた。
ひよこ、ここで初めて、姿勢を崩した。
口もとに手を当てたあと、椅子に座りなおす。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
ひよこは同金。
6七銀、同玉、7八銀、7六玉、7七歩。
頼む、取ってくれ。同角成、同銀、同玉なら、5九角で止まる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
ひよこは、スッと王様を寄った。
……………………
……………………
…………………
………………打ち歩詰め。
全身が脱力する。
椅子にもたれかかって、天井をあおぐ。
とちゅう、勝ってたと思うんだけどなあ……5二銀なら勝ちだったか……それとも、王様の逃げる位置をまちがえたか……。
……………………
……………………
…………………
………………いや、ちがうな。
これがわからない時点で、あたしの負け。
上から圧殺という、簡単な目標を作った、ひよこの作戦勝ち。
先手は迷う局面を作ってしまった。
リールがからまった。魚が逃げていく。
あたしは10秒残して、脱帽した。
「決勝トーナメント、行ってきな。あたしの負けだ」
大谷雛 決勝トーナメント進出確定
場所:第10回日日杯 4日目 女子プレーオフ 第2局
先手:磯前 好江
後手:大谷 雛
戦型:居飛車力戦形
▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲7七銀 △4二銀
▲2六歩 △6二銀 ▲2五歩 △3三銀 ▲3六歩 △3二金
▲7八金 △4一玉 ▲6九玉 △8五歩 ▲4八銀 △7四歩
▲5八金 △5四歩 ▲5六歩 △7三桂 ▲3七桂 △6四歩
▲6六歩 △8一飛 ▲4六歩 △6三銀 ▲7九角 △6五歩
▲同 歩 △4二銀 ▲6四歩 △同 銀 ▲2四歩 △同 歩
▲4五歩 △7二金 ▲2三歩 △3三角 ▲2四角 △同 角
▲同 飛 △3三銀 ▲2九飛 △2四歩 ▲4七銀 △5二玉
▲9六歩 △6三金 ▲9五歩 △1四歩 ▲6六歩 △2三金
▲1六歩 △4二銀 ▲4六角 △3三角 ▲7九玉 △6五歩
▲同 歩 △同 桂 ▲2五歩 △7五歩 ▲2四歩 △同 金
▲8八銀 △6六歩 ▲4四歩 △同 歩 ▲7七桂 △同桂成
▲同 銀 △7六歩 ▲同 銀 △7七歩 ▲6八金左 △7一飛
▲7三歩 △同 飛 ▲7五桂 △5三金 ▲6五歩 △7五銀
▲7三角成 △7六銀 ▲7二飛 △4三玉 ▲6二馬 △8七銀成
▲6九玉 △4五桂 ▲同 桂 △同 歩 ▲3七桂 △2八歩
▲同 飛 △2七歩 ▲同 飛 △2六歩 ▲同 飛 △2五歩
▲2八飛 △7八歩成 ▲同 金 △同成銀 ▲同 玉 △6七金
▲同 金 △同歩成 ▲同 玉 △6六銀 ▲5八玉 △5七金
▲4九玉 △4七金 ▲4八金 △3五桂 ▲同 歩 △5七桂
▲3九玉 △4八金 ▲同 玉 △3六銀 ▲3八金 △3五金
▲2三銀 △4四玉 ▲3九玉 △2六金 ▲4七桂 △4三金打
▲8四馬 △7五歩 ▲7三馬 △6四歩 ▲2五桂 △同 銀
▲3七歩 △4六歩 ▲2七歩 △3六桂 ▲同 歩 △同 金
▲4五歩 △同 玉 ▲3七桂 △5六玉 ▲4八歩 △4七歩成
▲同 歩 △5五角 ▲2五桂 △3七桂 ▲1八飛 △2六歩
▲同 歩 △2七歩 ▲5八銀 △6七銀成 ▲3七金 △同 金
▲6七銀 △同 玉 ▲7八銀 △7六玉 ▲7七歩 △8六玉
まで168手で大谷の勝ち




