560手目 会場の熱気
※ここからは、裏見桂太くん視点です。
磯前の姉ちゃん、大谷の姉ちゃん、ふたりともがんばれ~。
一般会場のうしろのほうで、四国勢も観戦中。
こういうワイワイしてる空間、好きなんだよね。
俺のひだりどなりには、二階堂亜紀ちゃんが座っていた。
亜紀ちゃんは、
「ハァ~、お姉ちゃん、いつもみたいにハキハキしなきゃ」
と、さっきから愚痴っていた。
振り飛車党だから、しょうがないと思うんだよね。そもそも、振り飛車党をこの対局の解説に選ぶのはどうなの、ってことになりそう。
右に座っている香宗我部先輩は、
「お互いに疲れ切ってる感じの将棋だな。インファイトだが、殴り方に力がない」
と言った。
たしかにね。サッカーも、後半はぐだぐだになるからなあ。
最後に渾身の必殺技が出て終わり、みたいなスポーツって、まずない。
手なり将棋だから、解説も苦労してる。
早紀ちゃんは、
《えー、そうですねー、6九飛と寄る手も、あるかもしれません》
と、自信なさげ。
これには亜紀ちゃんが、
「お姉ちゃん、その振り飛車脳やめて……ここは取るイチだよ……」
と頭をかかえていた。
仕掛けの筋に飛車を振れ、ってね。
あ、モニタに手が映った。なにか指したっぽい。
同歩かな。
レモンちゃんは、
《取りました。これは同桂の一手です》
と言いながら、駒を動かした。
この予想は当たって、同桂。
以下、2五歩、7五歩で、攻め合いに。
レモンちゃんは、
《カウンター狙いだったのでしょうか。2五歩はノータイムでした》
とコメントした。
出雲先輩は、
《大谷氏の7五歩も早かった。2五同歩もあったように思うが》
と指摘した。
出雲先輩の解説によると、2五同歩、同桂、2四角、同角、同金、6六銀と逃げてどうか、らしい。こっちは過激な順だね。
本譜の7五歩は、同歩じゃなくて、2四歩が本命。
というわけで、磯前姉ちゃんも2四歩。
同金、8八銀、6六歩、4四歩、同歩、7七桂。
桂馬をぶつけた。
同桂成、同銀で、大谷姉ちゃんの長考。
ここで解説陣の意見が、完全にばらける。
出雲先輩は2三歩。2筋を収める手。
早紀ちゃんは7六歩で、そのまま取り込む手を提案した。無難。
レモンちゃんは3五歩。んー、2五桂、2二角、2三歩で、攻め込まれるんじゃないかな。それを見落とし、ってことはないか。攻め合い上等?
伊吹ちゃんは8六歩、同銀、6五桂。ただ、ほかの3人と違う手にしたかっただけっぽい。一番最後に答えてたし、だいたい出尽くしましたかねえ、とも言っていた。
俺は、
「亜紀ちゃんなら、どう指す? 俺は7六歩なんだけど」
とたずねた。
「うーん……どの順も、先手の反撃が怖いよね」
「まあね。その中では7六歩が、一番マシだと思う」
ようするに、7六歩、同銀、7七歩、6八金左、7一飛と回って、どうか。
【参考図】
けっこうイケると思うんだ。
ちなみに、7七歩に同金はダメだよ。7五歩、6五歩、7六歩の取り合いの瞬間、金当たりになっちゃうからね。
そして、この予想がどんぴしゃだった。
飛車寄りまでパタパタと進んで、磯前姉ちゃんは7三歩。
同飛に7五桂。
うまいッ! 単に7五桂だと、同銀、同銀、同飛で駒損。
この局面で同銀は、7三角成で飛車を取れる。
解説も慌ただしくなってきた。
レモンちゃんは、
《先手、好調のようです。5三金に6五歩で、攻めが続きます》
と、先手持ちを宣言した。
早紀ちゃんも、
《7五銀、7三角成、7六銀で2枚換えですけど、交換させられてる感がありますね》
と同意した。
本譜もその順に。
5三金、6五歩、7五銀、7三角成、7六銀。
磯前姉ちゃんは7二飛で、本格的な寄せに入った。
4三玉、6二馬。
大谷姉ちゃんは、勢い8七銀成。
この手を見た伊吹ちゃんは、
《後手の方針は、頓死狙いっぽいです。後手はだいぶ前から、劣勢を意識していたみたいですね。上から潰す順を、がんばって作っているんでしょう》
と解釈した。
レモンちゃんも、
《たしかに、ここで6九玉の早逃げ以外は、逆転しそうです》
とつけくわえた。
俺も読んでみる──なるほど、放置だと7八銀だし、7七金のような受けは、8八銀から追われそうだ。
磯前姉ちゃんは、帽子のつばを親指ではじいた。
6九玉。冷静。
4五桂、同桂、同歩、3七桂、2八歩。
大谷姉ちゃんは、飛車の頭を叩き始めた。
同飛、2七歩、同飛、2六歩、同飛、2五歩、2八飛。
早紀ちゃんは、このやりとりの意味をたずねた。
2筋を受けないと崩壊しそうだったから、というのが、出雲先輩の回答。
今の手順なら、先手を取れるからね。まだ後手番。
ただ、残り時間が厳しい。後手は5分を切っている。
解説陣の意見も分かれた。
出雲先輩は、6七桂の打ち込みを推奨した。パッと見、ありそう。
レモンちゃんは7八歩成で、直接的な王手。同金、同成銀、同玉に6七金で、追い回せるのではないか、という意見。
伊吹ちゃんもこれに乗っかった。このふたりの意見が合うのは、めずらしい。
早紀ちゃんは5一銀打という、受けの手を提案した。
【参考図(出雲案)】
【参考図(内木・夜ノ案)】
【参考図(二階堂(早)案)】
すっごいバラバラ。どれもアリ。
大谷姉ちゃんはお茶を飲んで、また考えた。
ここ一番の局面な気もするし、あっさり流して、時間を残したい局面な気もする。
2分が経過して、7八歩成が選択された。
同金、同成銀、同玉、6七金、同金、同歩成、同玉、6六銀。
ん? 思ったより危ないか?
3三の角が、活躍する展開になってきた。
今度は、磯前姉ちゃんが考える番だ。
レモンちゃんは、
《先手優勢だとは思いますが……》
と、だんだんトーンダウンしてくる。
伊吹ちゃんは、もうちょっと楽観的で、
《切れてると思いますけどねえ。金と桂馬2枚じゃ、続かないです》
と断言した。
後手の無理攻めっぽくは、ある。ただ、頓死筋もありそう。
大盤も忙しくなった。
レモンちゃんは、
《左は角筋も利いてますし、5八玉でしょうか》
と言って、そちらのほうへ王様を引いた。
伊吹ちゃんは、この手に不満げ。
右手をかるくにぎって、口もとに当てて考え込んだ。
《……7八玉と、左に引いてよくないですか?》
《狭いほうへ逃げるんですか?》
《いや、レモンちゃんのほうが、狭いですよ。飛車に接近しますしぃ》
アイドル対決、再燃。
でも、今回は早紀ちゃんのフォローが入った。
《左へ逃げると、7五桂と打たれて、右へ逃げると、5七金から銀を取られる、という感じですね。それぞれの手について、ふたりはどう対応しますか?》
伊吹ちゃんは、7八玉、7五桂に6九玉と引いて、6七桂成、5九玉と、さらに逃げる順を提示した。
【参考図】
これを見たレモンちゃんは、
《やっぱりこっちへ逃げてるじゃないですか》
と、つっこみを入れた。
《いえいえ、銀をボロっと取られない順なんです。そう言うレモンちゃんは、5七金以下で、どう受けるんですか?》
《5二銀と打ち込みます》
【参考図】
え、それって寄らなかったら、先手即死じゃない?
会場の疑問を、伊吹ちゃんも代弁してくれた。
《修正の利かない手ですが、いいんですか?》
《先手は4八金に同飛と取れるので、一手余裕があります》
《その余裕のあいだに、なにを指すんですか?》
《5三馬で寄せます》
伊吹ちゃんは、3二玉、5三馬に、4八銀と打ち込んだ。
同飛、同金、同玉、6八飛、3九玉、2七桂、2九玉、1九桂成、同玉。
【参考図】
レモンちゃんは胸を張って、
《ほら、先手は詰みませんよ》
と、自説の正しさを強調した。
伊吹ちゃんは、
《まだひとつ調べただけでしょう。っていうか、馬がどいたら詰みます》
と、安全の証明ができていないことを指摘した。
やんややんや。
俺は香宗我部先輩と亜紀ちゃんに、意見を訊いた。
「俺の棋力だと、なんとも言えんが……ひとつだけ確かなのは、5二銀だと修正が利かない、という点だ」
「わたしは、2三玉と逃げられるのが、気になるかなあ。5二金で銀を回収されたら、今度こそ先手は寄るよね……あ、でも、それは後手が詰みそう?」
難しい、難しいよ、これは。
磯前姉ちゃんは、まだ考えている。
残り時間が2分を切った。
先後の持ち時間差は、とっくに逆転。
使い切りそう。
王様をどこに逃げるか。そのあとどう寄せるか。
モニタの向こうがわで、スポーツキャップのつばが上がった。




