549手目 敵陣を目指して
※ここからは、六連くん視点です。
対応してきたか……予想の範囲内ではある。
あれだけ考えたんだから、さすがに正解は出してくるだろう。
この4四歩は、5五歩に4三銀を用意した手だ。これなら千日手を継続できる。
となると、僕のほうで回避しないといけなくなった。
「……8四角」
6五歩、7三角成、6一飛。
僕は2五歩と打った。
「んー、いきなり回避か……」
2、3回は上下運動をすると思ったのかな。
時間と体力がもったいないから、やるわけがない。
正直なところ、午前中はこの一局が限界だ。
早めに仕留める。
「あんま時間ないしなあ。3九馬」
2六飛、2五歩、同飛、2四歩、2六飛。
後手は手がむずかしいと思う。
積極策なら3三桂、消極策なら2二玉──と、もう指してきた。2二玉。
阿南先輩のなかには、明確な方針があるみたいだ。
迷わせる手を指すと、無難な手ですぐに反応してくる。
だけど、それがいつまでも続くとは思えない。指運もからんでくる。
僕は5七銀と引いた。
阿南先輩は前髪をなおした。
「2連続で手待ちか……」
さすがに阿南先輩も考えた。
でも、1分とかからなかった。2五歩と突いてきた。
同飛、3三桂、2六飛、2五歩。
わりと過激な順を選んで来たな。
僕は同桂……いや、こっちを先に入れよう。
「7二馬」
飛車を追いやる。
このタイミングで6四飛は、やりにくい。
飛車が中途半端な位置になるし、千日手の流れでもない。
阿南先輩も3一飛と逃げた。
2五桂、同桂、4八銀、4九馬、6七歩。
予定していた封鎖を実施。
「馬が活きないね。困った困った」
阿南先輩は頭をかいて、ちょっと考えた。
「切るのも早いし……2四銀」
本格的に入玉模様?
直感的に、これは押し返せる。
僕は5九金と引いて、催促した。
1四桂、2八飛、4八馬、同金。
「割打ちぃ」
飛車さえ生かせば、止められるはず。
僕には自信があった。
3八飛と寄って、4八銀成、同飛、3七桂成。
阿南先輩は方針が明確だから、早指しになっている。
けど、これまでの消費時間は大きい。
後手は残り5分を切っていた。
僕のほうはまだ9分ある。
ここは4九飛と、慎重に引いておく。
3八金、5九飛、4八成桂。
飛車の横利きを嫌ってるな。殺しに来ている。
ただ、後手は受け駒がなくなった。
「5七飛」
阿南先輩は3七金。
あくまでも飛車を殺す気か。だったら、この金を目標にする。
2三歩、同玉と叩いて──
「2五歩」
同銀に2四歩を見せる。同玉なら4六角の両取り。
阿南先輩は、この筋を軽視していたらしい。
口もとに手をあてて、首をかしげた。
「……そっか」
阿南先輩、長考。
1分1秒残して、3三銀と引いた。
器用な残し方をしてる。とくに意味はないと思うけど。
僕は2四銀と打ち込んだ。
バラバラにして4六角も、両取り。
だから本譜は同銀、同歩のあと、3三玉──でも、これは予定通り。
「5四馬」
「!」
阿南先輩は、明らかに読んでいなかったようだ。
やや前傾になった。
ピッ
1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! 同歩。
「6四角」
阿南先輩は頭に手をあてて、のけぞった。
だけど顔は笑っていた。
「へぇ、そういう手があるんだね」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「5八角ッ!」
4七金はムリと見たか。実際、3一角成、同金、2三飛で、ほぼ終わる。
これに対して、5八角は悩ましい。同飛か、7九玉か。
7九玉だと2四玉、3七角の瞬間、4七成桂が生じる。
以下、5八飛、同成桂、同玉のとき、角のポジションがあいまいだ。
交換しよう。
同飛、同成桂、同玉、3八飛、6九玉、6一飛。
「6四角が迷子になってるんじゃない?」
無視して考える。
僕のほうも、あと2分しかない。
そのうち1分使って、5三銀と打った。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「交換するしかないか。6四飛」
「5二銀成」
阿南先輩、顔をしかめる。
読みが合わなくなってきた。
6四同銀成は8九銀で、金がないと受からなかった。
見えてなかったか? だったら同銀成でも──
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
「!」
こんどは僕がおどろく番だった。
王手飛車覚悟の脱出だ。
この手を指した阿南先輩は、大きく背伸びをして、お茶を飲む。
それから腕まくりして、テーブルにひじをついた。
いつもの軽い表情は消えて、真剣に読んでいる。
本気で入玉するつもりか。
ということは、劣勢を意識しているはず。
ピッ
僕も1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「4九金」
狙いの金打ち。
3九飛成の王手を防ぎつつ、入玉防止の拠点にもなる。
これを打ちたかったから、5二銀成とした。
阿南先輩は2八飛成と逃げた。
「4六角」
阿南先輩は左目をつむって、髪を撫でた。
入玉しにくいことは、わかってるっぽい。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「2五玉」
ムリやり入ってくるか。
6四角、5五歩、同角、1九龍、3九桂。
丁寧に壁を作っていく。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「4八銀」
ここで9一角成。
4九銀成なら3七馬で、完封コース。
阿南先輩は椅子を引いて、背中を丸くした。
遠目に盤を見る。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「2八角」
4六馬、3五香、2七香、2六桂、2九歩。
「? ……あ、3八銀か」
1七角成でも、3八銀。以下、2七金、4八金、3八桂成に、3六銀と打つ。同香は2四飛、1六玉、3六馬と狭めて、3九の桂馬を拠点に清算する。
阿南先輩は椅子の位置をもどした。
また背筋を伸ばす。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
4九銀不成としてきた。
僕はペットボトルに手を伸ばした。
キャップを開けて、じかに水を飲む。
手にすこし力が入らなくて、水があごを伝った。
残り30秒。正念場だ。
口もとをぬぐって、キャップを閉めずにボトルを置いた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
2八歩、3九龍、2六香、同玉、2七銀。
阿南先輩は、くちびるをむすんだ。
入玉できないことが、はっきりしてくる。
同金、同歩、同玉には、1九桂という好手がある。
これを嫌って2五玉と引くのは、3五馬、同歩、2六香以下で詰み。
後者は引っかかるか? 1分将棋ならありえる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同金」
すぐには決まらないか。
同歩、1七玉、2六角、2七玉、1八金、1六玉。
後手は、ぎりぎりのところでもがいた。
けど、入玉できないことは、これで確定。
あとは頓死しないように気をつける。阿南先輩が5八銀成、同玉、6九銀、5七玉、5八金の頓死を狙ってるのは、さっきから気づいていた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「5九桂」
阿南先輩は首を左右にふり、小声で、
「いやぁ、からいなあ……」
とつぶやいた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
2四香。
阿南先輩は撤退戦を始めた。
自陣までもどらないと、端で詰まされるからだ。
2一飛、2二銀、1七金、2五玉、3五角。
持将棋はなくなったから、大駒は渡してもいい。
同歩、2六香、1四玉。
完全に押しもどした。
僕が視線を上げると、阿南先輩と目が合った。
やるね──そう言われた気がする。
先輩、ちょっと僕を舐め過ぎましたね。
それとも、リスペクトしすぎたのかな。
いろんな策を用意してきたのは、わかった。
でも、真っ向勝負で来られたほうが、怖かったかもしれない。
僕の3手目6六歩は、弱気だった。今さらながらに。
それじゃ、寄せに行こうか。




