537手目 終わりよければ
※ここからは、今朝丸くん視点です。男子第15局開始時点にもどります。
ハッハッハ、ついに最終局だ。
決勝トーナメントには絡めなかったが、最後まで全力で指すぞ。
あいては同学年の今治くん。申し分ない。
「おう、待たせたな」
今治くんは、その巨躯を椅子にどかりと落とした。
「まさか最終戦で今朝丸と当たるとはな」
「今年のT取県代表は、僕ではない。もう全国大会で指す機会もないし、記念でいいではないか」
今治くんは笑った。
「たしかに、わしも県代表ではない。というより、1度しかなったことがないからな」
柔道と二足のわらじでなっているのは、すごいと思うのだが。
「で、振り駒はどうする?」
「今治くんでいい」
「ではゆずりかえす」
ふむ……振らせてもらうか。
よくかき混ぜて、ぽい。
「表が2枚、今治くんの先手だ」
あとは対局開始を待つだけだ。
無駄口は無用。
「……」
「……」
《対局準備はよろしいでしょうか?》
無論。
《では、始めてください》
「よろしくお願いしますッ!」
「おう、よろしく頼むぞ」
7六歩、3四歩、5六歩、8四歩、5八飛。
ゴキゲンか──用意して来た作戦がある。
「8八角成だ」
【先手:今治健児(E媛県) 後手:今朝丸高志(T取県)】
「ほぉ、同飛とせい、と?」
「そこは今治くんの自由だ」
どちらも用意してある。
さすがに同飛で決め打ってはいない。
「挑発されては、取るしかあるまい」
同飛、1四歩、1六歩、8五歩、6八銀、6二銀、7七角。
やはり打ち返してきたな。
3三角、4八玉、4二玉、3八銀、3二銀、3九玉、3一玉。
僕は銀冠を予定している。
先手から速い手がなければ、後手十分の陣形になるはず。
5七銀、7七角成、同桂、5二金右。
今治くんは、
「速攻封じか。しばらく付き合うしかないな」
と言って、8九飛と引いた。
では、付き合ってもらおう。
4四歩、6八金、7四歩、2六歩、2二玉、3六歩、4三金。
僕が高美濃に組んだところで、今治くんの手が止まった。
テーブルにひじをつき、体重をかけた。
「なるほど……わしは左金を寄せられん、と」
そのとおりだ。
こちらは陣形が低い。暴れることもできないぞ。
さあ、どうする。
「……2七銀」
そのまま囲い合うつもりか。
となれば──4六銀が有力だな。これ以外は、陣形差を埋められない。
僕は3三桂と上がった。
2八玉、5四歩、3七桂、2四歩、3八金。
問題の局面がきた。
僕が銀冠に組むとき、ひとつだけ難点がある。
それは5二角の余地が生じることだ。
例えば2三銀~3二金だと、5二角がある。
(※図は今朝丸くんの脳内イメージです。)
ただ……これは消せるのだ。
4二金引として、6一角成に4三角、同馬、同金直。
また5二角と打てば、以下、千日手コース。
千日手でもいいが……今治くんは、これを選ばないだろう。
おそらく、5五歩とつっかけてくる。
以下、同歩、同銀、5四歩、6六銀、7三桂くらいか。
僕は今治くんのほうを見た。
今治くんは、学帽をいじりながら、ニヤリと笑い返した。
このようすだと、気づいているな──どうする?
下駄を預けてもいいが、あくまでも最善を指したい。
「……4二金直」
今治くんは、頭をかいた。
「むぅ、考えたな」
これは先手に一手多く指させて、さっきの5五歩を消す手だ。
ようするに、6六歩と突かせる。
それ以外は指しにくいはず。
今治くん、1分考えて6六歩。
2三銀、4六銀、3二金。
さあ、ここで5二角は、確実に千日手コースだぞ。
今治くんは学帽を下げ、目もとを隠した。
腕組みをして、眠るように長考。
僕は先手の攻め筋が、ほかにないかどうか考えた。
しばらくして、今治くんは顔をあげた。
「5二角」
ん? 意外だな。あっさり千日手か?
4二金引、6一角成、4三角、同馬、同金上。
「ここで5五歩だ」
歩突き? ……同歩、同銀、5四歩で、どうするのだ?
「同歩」
同銀、5四歩、4六銀。
ここで僕が指さないといけない。
手渡しだったか? 今のところ、千日手コースは回避できていないが。
「3二金だ」
「5七銀」
むッ! そうきたか。
「しかし、それが最善とは思えないぞ」
「承知のうえだ。千日手にはせん」
ひとまず、狙いはわかった。
僕が指すのは、9四歩~5三銀くらいしかない。
そのとき6五桂と跳ねて銀当たり。
6四銀なら4一角とこちらに打てる。
以下、6二飛に8六歩で8筋から逆襲するつもりだろう。
ならば──
「9四歩」
「5六銀」
「5三銀」
「これは見えているだろう、6五桂だ。どうする?」
「こうだ」
桂馬を露骨に殺す。
「5三歩で、どうする?」
「5一銀だ」
「あくまでも殺す気か。なら暴れさせてもらおう」
7五歩、同歩、7九飛、6四角、7四角。
桂馬は殺せなくなったが、これはチャンスだ。
「6二飛」
「8三角成。先に馬ができた」
僕は2五歩と突き出した。
王様のこびんを、こちらは一方的に狙えている。
しかも金銀3枚vs金銀2枚。玉頭戦で潰す。
今治くんは、
「うーむ、反動が大きすぎたか」
とうなった。
「取るしかない。同歩」
同桂(これを先手は取れないのだ)、2六歩、3七桂成、同金。
ここで切るか?
3七角成、同玉に4五桂で……同銀と食いちぎられるな。
そのあとが続かない。
3五歩で玉頭戦を継続するか?
同歩、2四桂、4六金、3六歩は……2九桂で止まる。
僕はチェスクロを確認した。
のこり時間は、僕が9分、今治くんが11分。
おたがいに少ない。
ここは本腰を入れて考えるところだ。
「……3五歩」
同歩に4五桂と打つ。
「2四桂かと思ったが……同銀」
同歩、2九桂。
僕は滑らせるように4八銀と放り込んだ。
角の働きを活かす。
5八金、3七銀成、同桂、2五歩、3六銀打、3四歩。
執拗に攻めていく。
今治くんは2五歩と取って、いったん小康状態にした。
ここで4四金と上がれればいいのだが……5六桂が両取りだ。
「3五歩」
銀を吊り上げる。
同銀に3四金打で、両取りを回避しながら盛り上がる作戦へ。
「玉頭が安定せんな。同銀」
同金、7四馬、3五歩。
3筋を制圧した。次に3六銀と打てれば、後手有利だ。
6四馬と切られて、2四歩と伸ばされるのが、すこし怖い。
今治くんは、いやはや、と言ってから、長考した。
僕は6四馬以下を読んだ。
たっぷり5分も考えたところで、今治くんは笑った。
「どうしたのだ?」
「コロンブスの卵の話を思い出していた」
「なぜ今?」
今治くんは、その太い指で、5二歩成とひっくり返した。
歩の成り捨て? ……同飛と取れない、という意味か?
「同銀だ」
6四馬、同歩、2四歩、同銀、2六桂──ん?
僕は手が止まった。眉毛がぴくぴくする。
「お、王手飛車の筋かッ!?」
「そうだ。歩が邪魔でかからないなら、成り捨てればいい」
ぐッ、たしかにコロンブスの卵のような手だ。
しかし、いったん受ければ──
……………………
……………………
…………………
………………受け駒が悪すぎるッ!
というより、僕の駒の配置が悪すぎる。
なにをしても両取りコースになる。
「今朝丸、困ったか?」
「すこし静かにしてくれたまえ」
「おっと、すまん」
……………………
……………………
…………………
………………ダメだ、3四桂に2三玉と立つくらいしかない。
ピッ
1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「3六銀だッ!」
逆転の芽は残す。
3四桂、2三玉、2五歩、2七銀成、同玉、3六銀、3八玉、2七角、4八玉。
ここで3七銀成。
「む?」
今治くんは、怪訝そうにこの手を見た。
寄らない、と思ったからだろうな。
だが、狙いはそこではない。
「そうか、馬を作る気か。長引かせんぞ」
同玉、3六角成、4八玉、2五馬。
玉頭を安全に。入玉の道もひらく。
今治くんも1分将棋になった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
2二金、3四玉、3二金、3六歩。
「しまった、入られる可能性が出てきたな」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
今治くんは5一角と打った。
うしろから追う気か。
先手は金銀4枚持っているから、合理的ではある。
僕もすぐにはトライできない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6三飛」
4二角成、3五玉。
今治くんは大きく息をついた。
50秒のところで、金を手にする。
「5六金」
……ぐッ、いい手だ。認めざるをえない。
4六歩からの逆襲を防ぎつつ、次に4六銀からの追い返しを見ている。
後手が厳しくなった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「3七歩成ッ!」
5七玉、5五桂。
この桂馬で、上部開拓する。
「最後まで手強いな。今朝丸らしい将棋だ」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
パシリ
厳しい……だが、あきらめない。
「同玉」
4六金、3四玉、4五銀、2三玉、3四銀打、同馬、同銀、同玉。
「王手飛車だッ! 5二馬ッ!」
「それは引いて粘れるッ! 2三玉ッ!」
今治くんは、6三馬と取った。
一瞬のスキ。
僕は6七金で、反撃に転じた。
同金、4七と、同金、同桂成、同玉、5五桂。
「かーッ、こんなに難しい将棋じゃなかったろうが」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
今治くんは力強く、5六玉と上がった。
4七銀、4五玉、3四銀、5四玉、4三金、6四玉。
先手はもう寄らないが、とにかく粘れるかたちにする。
僕は2二歩で、後手の寄せミスに賭けた。
4一角、3五銀、2二金、3四玉。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「入玉はできんぞッ! 2三銀ッ!」
……簡単な詰みだったな。
ここまで指したのは、すこし失礼だったかもしれない。
僕は持ち駒をそろえた。
「負けました」
「ありがとうございました」
「恥ずかしい将棋にしてしまい、もうしわけない」
「ハハハ、5二歩成はたまたまだ。それに、そこまで厳しいとも思っていなかった」
「最初はなんとかなると思ったのだが、まったくならなかった。駒の配置がとにかく悪かった」
さて、どこから見直したものか。
「いったん5五角と、出たほうがよかっただろうか?」
【検討図】
「これは5六金で、次に困るのではないか?」
「たしかに、それを懸念して上がらなかった。しかし、本譜では両取りの筋が頻発してしまった以上、ここで逃げておくしか、なかったように思う」
「5六金、4四角、2六桂……先手、悪い気はしない」
とはいえ、後手も悪い気はしない。
本譜は玉頭にこだわりすぎた。僕の失策だったともいえる。
「2六桂のあと、後手は具体的に、どうする?」
「3五金と立つのは、ダメだろうか?」
「4五金とぶつけられるが」
4五金、同金、同桂のあとが、むずかしいか。
僕は代案を考えた。
「……3五銀と打つのは?」
【検討図】
今治くんは、
「金を渡すのか?」
とたずねた。
「そうだ。3四桂、同銀で、上部を厚くする」
「なるほど、4五金とはできんし、5二歩成、同銀も、圧が弱い」
「先手としては、3三歩と打つくらいではないだろうか。そこで……」
盤面に、ふと影が差した。
顔をあげると、松陰くんが立っていた。
「もう終わったのかね?」
「ああ、っていうかだいたい終わってるぞ」
今治くんは学帽をはずして、
「どうだ、3年生同士で、飯でも食いに行くか」
と言った。
僕は、
「香宗我部くんと葦原くんも呼ぼう」
と提案した。
松陰くんは、
「男子の3年生は、全滅してるからな」
と自嘲気味に笑った。
ハッハッハ、それでいいのだ。終わりよければ、すべてよし。
日日杯、ぞんぶんに堪能させてもらったぞ。
場所:第10回日日杯 4日目 男子の部 15回戦
先手:今治 健児
後手:今朝丸 高志
戦型:先手角交換型向かい飛車
▲7六歩 △3四歩 ▲5六歩 △8四歩 ▲5八飛 △8八角成
▲同 飛 △1四歩 ▲1六歩 △8五歩 ▲6八銀 △6二銀
▲7七角 △3三角 ▲4八玉 △4二玉 ▲3八銀 △3二銀
▲3九玉 △3一玉 ▲5七銀 △7七角成 ▲同 桂 △5二金右
▲8九飛 △4四歩 ▲6八金 △7四歩 ▲2六歩 △2二玉
▲3六歩 △4三金 ▲2七銀 △3三桂 ▲2八玉 △5四歩
▲3七桂 △2四歩 ▲3八金 △4二金上 ▲6六歩 △2三銀
▲4六銀 △3二金 ▲5二角 △4二金引 ▲6一角成 △4三角
▲同 馬 △同金左 ▲5五歩 △同 歩 ▲同 銀 △5四歩
▲4六銀 △3二金 ▲5七銀 △9四歩 ▲5六銀 △5三銀
▲6五桂 △6二銀 ▲5三歩 △5一銀 ▲7五歩 △同 歩
▲7九飛 △6四角 ▲7四角 △6二飛 ▲8三角成 △2五歩
▲同 歩 △同 桂 ▲2六歩 △3七桂成 ▲同 金 △3五歩
▲同 歩 △4五桂 ▲同 銀 △同 歩 ▲2九桂 △4八銀
▲5八金 △3七銀成 ▲同 桂 △2五歩 ▲3六銀打 △3四歩
▲2五歩 △3五歩 ▲同 銀 △3四金打 ▲同 銀 △同 金
▲7四馬 △3五歩 ▲5二歩成 △同 銀 ▲6四馬 △同 歩
▲2四歩 △同 銀 ▲2六桂 △3六銀 ▲3四桂 △2三玉
▲2五歩 △2七銀成 ▲同 玉 △3六銀 ▲3八玉 △2七角
▲4八玉 △3七銀成 ▲同 玉 △3六角成 ▲4八玉 △2五馬
▲2二金 △3四玉 ▲3二金 △3六歩 ▲5一角 △6三飛
▲4二角成 △3五玉 ▲5六金 △3七歩成 ▲5七玉 △5五桂
▲4五金 △同 玉 ▲4六金 △3四玉 ▲4五銀 △2三玉
▲3四銀打 △同 馬 ▲同 銀 △同 玉 ▲5二馬 △2三玉
▲6三馬 △6七金 ▲同 金 △4七と ▲同 金 △同桂成
▲同 玉 △5五桂 ▲5六玉 △4七銀 ▲4五玉 △3四銀
▲5四玉 △4三金 ▲6四玉 △2二歩 ▲4一角 △3五銀直
▲2二金 △3四玉 ▲2三銀
まで165手で今治の勝ち




