532手目 心外と友情と
※ここからは、米子くん視点です。男子第15局開始時点にもどります。
駿……さっきの持将棋は、なんっすか?
これ、俺っちに勝たないと、決勝トーナメントに進出できなくなったよね?
俺っちには100パー勝つ?
さすがにそれは心外っすよ。
対面に座った駿は、さっきからひとことも話さなかった。
足で小さなリズムを刻んでいる。
それは駿がお気に入りの、ジャズバンドの曲だった。
これじゃ、俺っちのほうが浮足立ってる感じになっちゃう。
とりあえずお茶を飲んで、大きく深呼吸。
《対局準備はよろしいでしょうか?》
オッケーっす。
《では、始めてください》
「よろしくお願いします」
駿の先手。
7六歩、8四歩、2六歩、3二金、2五歩、8五歩。
やっぱ角換わりだよね。
先手の勝率が高いけど、アマチュアならそんなに関係ない。
7七角、3四歩、6八銀、6二銀、7八金、3三角、6六歩。
【先手:鳴門駿(T島県) 後手:米子耕平(T取県)】
え? 拒否?
まいったな、べつに研究手順とかじゃないんだけど。そんなに警戒しなくても。
まあ手なりでいくっす。
4四歩、9六歩、9四歩、4八銀、7四歩、3六歩、4二銀。
これは相雁木だね。
そこまではすぐに組めそう。
3七桂、1四歩、1六歩、5二金、6七銀、4三銀、4六歩。
4筋……角交換してないから、5筋を突いてもよさげ?
いや、あとで交換する可能性が高いのか。
一応、右四間も警戒しておこう。
6四歩、5八金、6三銀、6八玉。
6九玉じゃない。
俺っち、手が止まる。
これは……7九玉~8八玉を予定してるっぽい?
構想がよくわからないっす。
こうなったら、駿のかたちに合わせよう。
半分いやがらせみたいになるけど、俺っちからうまく攻める順がない。
「7三桂」
4七銀、4一玉、5六銀右、5四銀右、7九玉、3一玉。
駿は、肩のヘッドセットに手をかけた。
「同型、ね」
攻めるなら、駿から攻めるしかないっすよ。4五歩とか。
ただなあ、4五歩、普通にあるんだよね。
成立してたら困る。
4五同歩、同桂、4四角に1五歩、同歩、7五歩かな。
これで俺っちの桂頭が危ない。6三金、7四歩、同金、2四歩で、どうか。
(※図は米子くんの脳内イメージです。)
……意外と先手続かない感じ?
同歩、2五歩、8六歩、同角、7七歩で、反撃できる。
ちょっと安心したところで、駿の手が伸びた。
2九飛。
一手溜めたね。
じゃ、真似して8一飛。
2八飛、8二飛、2九飛、8一飛、2八飛。
ん?
8二飛、2九飛、8一飛、2八飛。
俺っち、困惑。
「……8二飛」
駿はなんのためらいもなく、
「千日手だね」
と言った。
「え、あ……そうっすね」
駿は手を挙げた。
スタッフのひとが来た。
「千日手です」
「少々お待ちください。本部に確認します」
スタッフのひとは、ほんとうに千日手かどうか、本部に連絡した。
こういうの、ちょっと不安になるよね。
「はい……はい……わかりました」
スタッフのひとは、
「残り時間は、どうなっていますか?」
とたずねてきた。
駿はチェスクロを見て、
「先手が23分、後手が24分です」
と答えた。
「では、そのままの持ち時間で、先後を入れ替えてください。2回目の千日手は引き分け処理になりますので、ご留意ください」
ふたりで盤面をもどした。
チェスクロの位置を反転。
駿はひと呼吸も置かずに、
「よろしくお願いします」
と言って、チェスクロを押した。
気持ちを入れ替える時間もなにも、あったもんじゃない。
俺っちは7六歩。
駿は8四歩で、角換わりを誘うような手。
なんだろ、後手番の研究があったのかな?
それでさっきは避けたとか?
いいっすよ、俺っちは避けないから。
2六歩、8五歩、7七角、3四歩、6八銀、4四歩。
【先手:米子耕平(T取県) 後手:鳴門駿(T島県)】
マジ? 後手でも避けるの?
そんなに角換わりしたくないんだ──いや、分かるよ。
駿は、いつでも合理的。
持将棋だけじゃない。さっきの千日手も、そう。
じぶんだけ時間を使うのがもったいないから、まったく打開しなかったよね。
角換わりを避けてるのも、まだ秘蔵のやつがあるからでしょ。それをプレーオフで烈にぶつけるつもりなわけだ。
曲作りでもそうだし……流行をちゃんと押さえてるというか……怒ってるわけじゃないよ。ただ、その合理性が、気にかかることがある。俺っちも、今朝丸先輩ほどの情熱家じゃない。どっちかっていうと、冷めてる。でも、駿のはまたちょっと違うよね。どこがどう違うのか、うまく言えないけど。
俺っち、小考。
7八金と上がった。
4二銀、4八銀、3二金。
また相雁木。
4六歩、4三銀、6九玉、5四歩、4七銀、6二銀。
どうするかな。右四間っぽくなってきた。
駿からの速攻は、あんまり考えてない。ムリはしてこないはず。
でないと、ここまでやってきたことと、ちぐはぐっすからね。
7九玉、5三銀、5六銀、5二金、2五歩、3三角。
俺っちから攻めるしか、ないんっすかねえ。
一番いやらしい指し方は、もういちど千日手を模索。2回目の千日手は、持将棋といっしょで引き分け。駿は5敗で予選敗退になるから、もう千日手にはできない。ムリヤリ打開させることができるわけ。でもさ、千日手コースなんて、そう簡単に登場しないし、将棋というゲームの本質から離れてるよね、あいての勝敗数頼みなんて。
というわけで、4八飛を考える。
かたちがそれっぽい。
問題は、右四間でほんとにいいのか、ってことっす。
3六歩~4八飛~3七桂まで決めて、4五歩が入るかどうか。
俺っち、お茶を飲み飲み、長考。
一直線で進めるなら、3六歩、7四歩、4八飛、4一玉、3七桂、3一玉、4五歩。これを取らないで、2二角、4四歩、同銀右のあとが、どうか。
(※図は米子くんの脳内イメージです。)
んー、あんま続かないっすかね、これ。
当たり前だけど、右四間ポンで、そう簡単に潰れるわけがないんだよね。
潰れるなら、みんなやってるし。
もっと速く攻めてみる? いきなり4五歩とか?
3六歩~3七桂は、さすがに必要っすか?
それとも不要?
俺っち、けっきょく3分も考えて、決断。
3六歩。
駿は7四歩と突いた。
「4五歩っす」
駿、息をついて、姿勢を変えた。
目を閉じて考え込む。
ちょっと予想外だったかな。
これは同歩があると思うっす。ムリヤリ角交換させられるかも。
ただ、6四銀もかなり有力。
駿の選択は──
パシリ
そっちか。
だったら全面戦争だね。
俺っちは3七桂と跳ねた。
7七角成、同桂、4六歩、2四歩、同歩、同飛、2三歩、2八飛。
飛車先を交換して、感触良し。
駿は1四歩で、端を楽にした。
俺っちになにか指せ、って催促してる。
居玉だけど、いいのかな。
そんな心配はどこ吹く風で、駿はずいぶんとリラックスしていた。
読み通りになっちゃってる? ……いや、そんなはずはない。
プレッシャーをかけていくっすよ。
6六角、4七歩成、同銀、3三桂、3五歩。
どんどん攻める。
駿は1分ほど考えて、同歩。
ここから2度目の飛車先交換。
2四歩、同歩、同飛、2三歩。
「3四歩っす!」
暴発じゃないよ。飛車を渡しても、十分イケるはず。
かと言って、取らない手はないでしょ。
6六角と打ったのは、これが狙いだったんだよね。
2四歩、3三歩成、同金、同角成は、受け駒が悪すぎて先手優勢。
だから攻め合うしかなくて、4六歩が第一感。そこで5八銀と引いて、悪くない。3二とまで入れば、飛車と金桂の2枚換え。損もしてない。
駿は背筋を伸ばして、頭をかいた。
両肩のヘッドセットが揺れる。
ちょっと感情っぽいのが出たね。
人間同士の戦い、そうじゃなきゃ面白くない。
最後の壁は高いっすよ、たぶん。
場所:第10回日日杯 4日目 男子の部 15回戦
先手:鳴門 駿
後手:米子 耕平
戦型:相雁木
▲7六歩 △8四歩 ▲2六歩 △3二金 ▲2五歩 △8五歩
▲7七角 △3四歩 ▲6八銀 △6二銀 ▲7八金 △3三角
▲6六歩 △4四歩 ▲9六歩 △9四歩 ▲4八銀 △7四歩
▲3六歩 △4二銀 ▲3七桂 △1四歩 ▲1六歩 △5二金
▲6七銀 △4三銀 ▲4六歩 △6四歩 ▲5八金 △6三銀
▲6八玉 △7三桂 ▲4七銀 △4一玉 ▲5六銀右 △5四銀右
▲7九玉 △3一玉 ▲2九飛 △8一飛 ▲2八飛 △8二飛
▲2九飛 △8一飛 ▲2八飛 △8二飛 ▲2九飛 △8一飛
▲2八飛 △8二飛
まで50手で千日手




