530手目 気負い
※ここからは、飛瀬さん視点です。男子15回戦になります。鬼首vs大谷戦はいったん中断になります。
捨神くん、がんばって、もうそれしか言えない。
私は駒桜のみんなと、モニタ前に陣取っていた。
朝一で来て、よかった。うしろは立ち見になっている。
箕辺くんは、
「捨神ぃ、頼むぞぉ」
と言いながら、そわそわしていた。
画面が切り替わって、御城くんと、もうひとり、知らない男子が登場した。メガネをかけた、マジメそうなひと。どことなく知的な感じがして、パッ見、優等生タイプ。夏物の制服を着ていた。紺のネクタイを締めている。手には扇子を持っていた。御城くんはラフな白のシャツ。手ぶら。
《牧野です。よろしく》
《よろしく……タメ口でいいぞ》
《私のポリシーですので、お気になさらず》
御城くんと同じで、高2っぽい。
まずは状況整理から。
《捨神は、ここまで10勝3敗の2位タイ。K知の吉良と並んでる。プレーオフ以上が確定していて、じぶんが勝てば決勝トーナメント進出確定。負けた場合も、石鉄負け、六連負けなら確定する。それ以外はプレーオフだ》
さっき内木さんが説明してたのと、いっしょだね。
って、当たり前か。
牧野くんはそれを受けて、
《競争相手は強豪ばかりです。本局の相手は、香宗我部さんですが……》
とコメントした。
御城くんは、
《なにか用意してそうではある》
と予想した。
それっぽいね。
なんとなくだけど、香宗我部先輩は、今回の大会を個人戦と思っていない感じがした。ピンポイントに何局か絞っている。宇宙人にはわかるよ。
吉良くん、石鉄くんのサポートに回って、全力で来そう。
《まあ、捨神としては、これまで通り指す以外にないな》
《たしかに……あ、始まります》
ピポ パシリ
7六歩、3四歩、2六歩、4二飛、6八玉、8八角成。
【先手:香宗我部忠親(K知県) 後手:捨神九十九(H島県)】
予想通りの、角交換型四間飛車。
同銀、6二玉、4八銀、7二玉、7八玉、4四歩、5八金右。
《先手の手が速い。研究へ誘導か》
牧野くんは、
《捨神さんは角交換型振り飛車一本なので、読みやすいところはありますね》
と答えた。
5二金左、4六歩、3三桂、4七銀。
捨神くんは1分考えて、4筋の歩を勢いよく進めた。
……………………
……………………
…………………
………………え、攻めた?
となりに座っていた遊子ちゃんは、
「急ぎ過ぎじゃない?」
とつぶやいた。
そう……かも……。
香宗我部先輩の後頭部が、一瞬映った。
座り直したみたい。驚いたってことだね。
《御城さん、この手は捨神さんの研究でしょうか?》
《……あいての研究外しな気がする》
遊子ちゃんは、
「舐めプじゃないの?」
と言った。
「あのさ……捨神くんは、そういうことしないから……」
「いや、わかんないじゃん、そんなの」
わかんないじゃん、じゃなくて、わかれ。
とりあえず、香宗我部先輩の研究は、パーになった模様。
長考し始めた。
解説も考えないといけなくなった。
《まあ、同歩の一手なんだが……》
《問題は、そのあとの構想です。同歩、同飛と飛び出されたとき、先手にはいくつか選択肢があります。安全なのは4六歩ですが、2五歩と伸ばす手や、7七銀と上がっておく手も見えます。もちろん、2五歩、4一飛、4六歩ならば、4六歩、4一飛、2五歩と合流します》
香宗我部先輩は3分使って、同歩、同飛、2五歩を選択した。
捨神くんは4六歩。
後手から先着。
これでいいのかな? 捨神くんが指してるんだから、いいよね、たぶん。
牧野くんは、
《指されてみれば流れの一手、という感じですが、これは収まりそうにありませんね》
と、攻め合いを予想した。
じつは捨神くんのほうが研究手順?
でも、香宗我部先輩にぶつけるまで温存するかな?
香宗我部先輩はまた1分ほど考えて、3六銀と上がった。
4一飛、2四歩、3五歩。
牧野くんは、
《先手の長考は、4六歩で台無しになってしまったようです。追加の1分でどこまで考えたのかは、わかりません。時間を離されないように、節約した可能性もあります》
と解説した。
3五歩で、また時間を使ってるね。
読み切りなら、ここもノータイムのはず。
ということは、解説の読みが正しいのかな。
手が進まなくなったので、解説陣は雑談を始めた。
《なあ、牧野、持ち時間って、どういう風に使ってる?》
《持ち時間ですか……ひとそれぞれだと思いますが、私の場合、日日杯の対局条件なら、100手を超えあたりで秒読みに入ることが多いです》
《将棋の平均手数が、110手台だったか》
《そのようですが、あくまでもプロの手数だったと記憶しています》
《アマだと長くなるんだろうか? それとも短くなるんだろうか?》
《わかりません。変わらない可能性もあると思います……が、本大会では、比較的長引く将棋が多いようです。すべては観ていませんけれども、短手数で記憶に残っているのは、鬼首vs早乙女の89手くらいです》
《実力が均衡してる、ってのもあるか》
《粘って指していることも大きいと思います。囃子原vs今治は、140手くらい指していたように思います。最後の十数手は、今治さんの敗勢でした。プロならもっと早く投げているのではないでしょうか》
濃い会話だね。
香宗我部先輩は、けっきょく2三歩成と攻め合った。
捨神くんもノータイムで3六歩。銀得。
香宗我部先輩はこの段階で、7分離されていた。
後手が27分なのに対して、先手は20分。
これ以上離されるとマズいから、香宗我部先輩はすぐに4二歩と打った。
牧野くんの第一声は、
《これは……悩ましい手です》
だった。
《同金の一択じゃないか?》
《第一感そうですが……攻める手もあります》
《飛車取り放置で?》
牧野くんはタブレットを操作した。
《4七歩成と踏み込んで、4一歩成、5八と、同金、4五桂が一案です》
【参考図】
先手は薄いから、もう攻めてよし、っていう判断だね。
《その瞬間に3三飛だと?》
《3七歩成で追加します》
殴り合いの順か──でも、そこまでするかな?
捨神くんは長考している。
観てる私が心配になってきた。
パシリ
ほんとに指した。
遊子ちゃんは、
「気負ってる感じがしない?」
と言った。
「そうかも……捨神くん、アクセル急に踏むときがあるから……」
私への告白も、今考えたら唐突だったよね。
前振りがなんにもなかったし。
でもそんなところが好き。
逆に遊子ちゃんは、すべてを周到に用意してそう。
箕辺くんからの告白も、手のひらのうえで踊らされてそうだよね。
牧野くんはしばらく読んだあと、
《やはりムリ攻めとは言えません。これは通る可能性があります》
と告げた。
やった。通って。
香宗我部先輩がこの手を読んでいたのかどうか、それはわからなかった。
ただ、むやみに時間を使うことは、やめたっぽい。
すぐに4一歩成として、3九角まで決めさせた。
ここで長考。
《今の使い方は、うまいですね。3九角のところは5八ともありました。先に局面を指定してくれ、という進め方です》
《ここも2四飛の一手じゃないか?》
牧野くんは、むずかしいですね、とコメントした。
《3三とや6八金寄は、ないと思います。飛車を逃げる一手で……あ、指します》
香宗我部先輩の結論は、2六飛。
そこなんだ──個人的には中途半端かな、と思った。
県代表にもなってない私の第一感だけど。
5八と、同金、4五桂、2四角。
……そうか、2四に角を打ちたかったんだね。
ただ、これはどうなの? 受けるなら7九角じゃない?
捨神くんの手が止まった。
牧野くんは、
《一目、後手は指したい手があります》
と言った。
《3四金だよな? 3六飛の切り返しは気になるが》
《はい、ここは後手も長考しそうですね》
打ったら一直線だ。
盤面が静かになる。
牧野くんは、パチリと扇子を閉じた。
《御城さんの時間の使い方は、どのようなものでしょうか?》
《ん、俺か……俺は……》
パシリ
3四金を指した。
そこからはパタパタと進んだ。
3六飛、2四金、3一飛成、5七桂成、4二と、4一歩。
《これで先手の攻めを遅らせたら、勝てるってことか?》
《そこまで後手が速いようにも見えませんが》
同龍、6二金寄。
香宗我部先輩、さすがに長考。
また時間を使わされている。
解説も忙しくなった。
《5二銀以下で、どちらが速いかですね》
《俺はよくわからん。牧野は、どうだ?》
《5二銀に8二玉の早逃げで、後手が余しているように思います》
【参考図】
《以下、6一銀成、5八成桂がいきなりの詰めろです。そこで7九銀と手を戻しても、5七角成が再度の詰めろです》
《7九金は、どうだ?》
《そこを今考えていますが、これも後手に手があるような……》
解説が考える中、うしろのほうで、猫山さんの声が聞こえた。
「ニャハハ、それは詰みですねえ。6八金、同金、同成桂、同玉なら5七銀以下、6八金に7七玉なら6七金、同玉、6六銀以下。後者、6七金に8六玉は8五銀と捨てて、同玉に8四角成と引けるのがポイントです」
【参考図】
ナイス。さらに30秒ほどして、解説陣も同じ結論に到達。
《5二銀からの攻め合いは、先手の速度負けですね、おそらく》
《香宗我部さんが気づくかどうかだな》
気づかないでください。
お願いします。
パシリ
あ、受けた。
ここで捨神くんの手が止まった。
……………………
……………………
…………………
………………あれ? 長考してる?
いや、長考はいいんだけど……対局者カメラの捨神くんの動きが気になる。
表情に変化はない。でもこれは困ってるときの雰囲気に似ている。
彼女だから分かる。彼の、ひとに見せたくない不安が、わかる。
すごいよね、将棋って。
こんな状況なのに、エールを送ることもできない。
歓声も、フリップボードも、なにもない。ただ見守るしかない世界。
だから、私は最後まで見守るよ。どんな結末でも、最後まで。




