523手目 一本
※ここからは、今治くん視点です。男子第14局開始時点にもどります。
さて、ラス前で囃子原とはな。
止めれば金星だ。取り組み表としては、悪くない。
六連戦の再来といかせてもらおう。
それに、じつはまだ最下位脱出の芽もある。
そんなことを考えていると、スーツ姿の囃子原が来た。
「お待たせした」
「なーに、まだ5分ある」
早めに集まってにらめっこしても、しかたがあるまい。
わしは肩の関節をほぐして、それから振り駒を勧めた。
「今治くんでいい」
「なら振らせてもらおう」
この大会の駒は、立派で助かる。
小さいとつまみにくいからな。
「……表が3枚。わしの先手だ」
「承知した」
チェスクロの位置を変えて、あとは待つだけだ。
会話はない。する必要もなかろう。
《……対局準備はよろしいでしょうか?》
おう。
《では、始めてください》
「よろしく頼む」
「よろしくお願いする」
7六歩、8四歩、7八金、8五歩、7七角、3四歩。
【先手:今治健児(E媛県) 後手:囃子原礼音(O山県)】
角換わりか。受けて立つぞ。
6八銀、3二金、2六歩、7七角成、同銀、4二銀、2五歩、3三銀。
囃子原のやつ、手が速いな。
吹っ飛ばされんように用心しよう。
3八銀、6四歩、6八玉、6二銀、3六歩、6三銀、9六歩、1四歩。
柔道と将棋は、似ているところもある。
最初に間合いを詰めるところ。そのあたりの呼吸。
掴み合ったあと、傍から見るとぐだぐだなところもか。
細かい読み合いは、外野からわかりにくい。
3七銀、5四銀、5八金、4四歩、2六銀。
これを見た囃子原は、
「ほぉ、棒銀かね」
と言った。
「わしは攻めが好きでな」
「なるほど……ではしばらくつきあおう。9四歩」
7九玉、1五歩、3五歩。
囃子原は4三銀と引いた。
さすがだ。ムリに反発せず、身を任せてきている。
6八金右、4二玉、8八玉、5二金。
「うまく雁木に組みよったな」
「今治くんこそ、3五の歩が止まったままのようだが」
ふーむ、どうしてくれるか。
感情に任せて押してみても、意味はない。
3四歩は感情的か?
同銀右、3六歩、3一玉、3五銀と出れば、そこそこ攻めにはなる。
とはいえ、突破できる気はせん。
「もうすこし溜めるぞ。6六歩」
3一玉、5六角、5一金、4六歩、4二金上。
囃子原のやつ、組み替えよった。
4七角、5四銀、5六角、4三銀、4七角、5四銀。
ん?
5六角、4三銀、4七角、5四銀。
わしは、
「千日手にするつもりか?」
とたずねた。
「まだ同一局面4回ではない」
「だがあと2手だぞ」
「今治くんが手を変えるかどうか、ようすを見ていた」
……………………
……………………
…………………
………………つまり、千日手にはせんわけか。
しかし、どう打開するのかが見えてこん。
わしからは変えられん。こうなったら乗るしかない。
「5六角だ」
「4五歩」
これが囃子原の答えか──角筋の遮断だ。
単に3四歩では弱い。
「1六歩」
「いい手だ。4四銀」
3四歩、4六歩、1五銀。
端を破る。どのくらい効果があるのかは、わからん。
4七歩成、同角、5五角。
その角打ちは、ただの牽制か? それとも攻めの拠点か?
攻めの拠点なら、6五歩を警戒する必要がある。
「1八飛」
囃子原は黙って6五歩。
ふむ、懸念が当たった。
「同歩は8六歩、同歩、8五歩のつもりか……取らんぞ。2六銀」
「それでも8六歩だ」
同歩、8五歩、3七桂、6六歩。
「2四歩だッ!」
わしも攻める。
同歩、4三歩、同金直、4五歩、同銀右、同桂、同銀。
「ぐッ……」
4五銀の位置が絶妙か。
どこから手をつける? 2三歩か?
しかし、8六歩のほうが速いようにみえる。
6四歩で6筋を狙っても、8六歩だろうな。
「……8五歩」
こうするしかあるまい。
1七歩、同飛、3四銀、3五歩、2三銀、2五歩。
かたちは悪くなったが、攻め手を増やす。
「僕も追加しよう。9三桂」
2四歩、同銀、2三歩、8五桂。
2三に歩を置けたが、だいぶ遠回りになった。
「8三歩だ。飛車をどけ」
囃子原は6二飛と逃げた。
ここで攻める。
2二銀。
同金、同歩成、同玉。
「6三歩ッ!」
4二飛で玉飛接近。
思ったより粘れている。このまま押す。
2五銀、同銀、同角、3三金、4七飛、同飛成、同角、6七歩成。
バラしたが……これでもまだ、わしがキツイ。
歩切れは解消した──が、1歩では使いどころに困る。
同金直、8六歩、4二飛、3二歩、6六銀、1九角成。
迷うところだ。
5六角と上がるのは確定として、2三歩を先に決めるかどうか。
2三歩に同金、5六角、2八飛となるか、ならないか。
単に5六角でも、2八飛は打たれそうだが……さて。
「ふぅむ、ここに来て歩1枚が惜しい」
「元手が少ないほど、ひとは慎重になりがちだ」
それは金持ちの皮肉か?
囃子原に限ってそれはないか。
「……5六角だ」
「そのようすだと、ほかに打ち場所を見つけたようだな。2三銀」
3四銀、同金、同歩、7四桂、7九玉、8七銀、7七金寄、3九飛。
「ここだッ! 4九歩ッ!」
寝技に持ち込む。
囃子原は腕組みをして、しばらく考えた。
「……柔道では、寝技にも一本があったな」
「ん? ……それがどうかしたか?」
10秒抑え続ければ有効、15秒で技あり、20秒で一本だ*。
あいての背中か肩を、畳につけないといかん。
「囃子原は柔道をするのか?」
「たしなみでしたことはある……もちろん、今治くんあいてに一本はムリだろう」
わしは笑った。
「しろうとにやられるわけにはいかんからな」
「しかし、きみの王様はどうだろうか。7七桂成」
……………………
……………………
…………………
………………なるほど、組み伏せるつもりか。
わしの肩はついている。
それは認めよう。敗勢だ。
ピッ
しかも1分将棋。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「できるもんなら、やってみいッ! 同銀ッ!」
5五馬、2四金、同銀、4三飛成、2三歩。
なんとしても返す。
8七金、同歩成、3三銀、同桂、1四桂。
囃子原も1分将棋に。
ピッ……ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同香だ」
「3三歩成ッ!」
同馬、同龍、同歩、3四桂、同歩、5五角、3三桂。
……………………
……………………
…………………
………………返せなかった、な。
完全に組み伏せられた。ブリッジもできん。
「7七桂成から、20秒ならぬ20手か……参った。一本だ」
「ありがとうございました」
どこから感想戦を……いや、そのまえに言うことがあった。
「囃子原、決勝トーナメント進出、おめでとう」
「ありがとう。いい将棋だった」
「感想戦は、するか? わしは次で終わりだが、おまえは……」
「もちろん。決勝トーナメントは、早くて昼食休憩後だ」
わしは、8五桂と跳ねられたところまでもどした。
【検討図】
「2二銀、同金、同歩成、同玉に2三歩で、攻めに徹したほうがよかったか?」
「僕は本譜の8三歩が、最善だと思っている。2二銀、同金、同歩成、同玉のあと、いずれにせよ8三歩と打たねばならない。その後の展開で、後手は銀を受けに使える。これは本譜より固い」
「そうか……そうなると、手の変えようがない」
もっと前が悪かったか。
わしは、囃子原にポイントの局面をたずねた。
囃子原はかなり前までもどした。
【検討図】
「本譜は同角だったが、2四歩と攻めるのではないかね?」
「なるほど、下がったのが悪手だったか」
「悪手というほどではないけれども、こちらが指しやすくなった」
「しかし、これは過激だな。2四歩、同歩、同銀に4六角がある」
囃子原は、2七飛と浮けば助かる、と答えた。
1九角成に2二歩、というわけだ。
わしはこれを認めて、
「こちらのほうがおもしろかった。本譜は腰が引けた」
と返した。
あとは雑談を少々。解散した。
囃子原は先に席を立ち、わしは残った。
トップ抜けと最下位。典型的な勝者と敗者。
悪くはない。勝負ごとは、必ずそうなる。
「……次は今朝丸とだったな」
3年生同士、楽しく指すか。
語り残したことはないが、指し残したことくらいは、あるだろう。
*2017年改正以前のルールにもとづく。
場所:第10回日日杯 4日目 男子の部 14回戦
先手:今治 健児
後手:囃子原 礼音
戦型:角換わり先手棒銀
▲7六歩 △8四歩 ▲7八金 △8五歩 ▲7七角 △3四歩
▲6八銀 △3二金 ▲2六歩 △7七角成 ▲同 銀 △4二銀
▲2五歩 △3三銀 ▲3八銀 △6四歩 ▲6八玉 △6二銀
▲3六歩 △6三銀 ▲9六歩 △1四歩 ▲3七銀 △5四銀
▲5八金 △4四歩 ▲2六銀 △9四歩 ▲7九玉 △1五歩
▲3五歩 △4三銀 ▲6八金右 △4二玉 ▲8八玉 △5二金
▲6六歩 △3一玉 ▲5六角 △5一金 ▲4六歩 △4二金上
▲4七角 △5四銀 ▲5六角 △4三銀 ▲4七角 △5四銀
▲5六角 △4三銀 ▲4七角 △5四銀 ▲5六角 △4五歩
▲1六歩 △4四銀 ▲3四歩 △4六歩 ▲1五銀 △4七歩成
▲同 角 △5五角 ▲1八飛 △6五歩 ▲2六銀 △8六歩
▲同 歩 △8五歩 ▲3七桂 △6六歩 ▲2四歩 △同 歩
▲4三歩 △同金直 ▲4五歩 △同銀右 ▲同 桂 △同 銀
▲8五歩 △1七歩 ▲同 飛 △3四銀 ▲3五歩 △2三銀
▲2五歩 △9三桂 ▲2四歩 △同 銀 ▲2三歩 △8五桂
▲8三歩 △6二飛 ▲2二銀 △同 金 ▲同歩成 △同 玉
▲6三歩 △4二飛 ▲2五銀 △同 銀 ▲同 角 △3三金
▲4七飛 △同飛成 ▲同 角 △6七歩成 ▲同金直 △8六歩
▲4二飛 △3二歩 ▲6六銀 △1九角成 ▲5六角 △2三銀
▲3四銀 △同 金 ▲同 歩 △7四桂 ▲7九玉 △8七銀
▲7七金寄 △3九飛 ▲4九歩 △7七桂成 ▲同 銀 △5五馬
▲2四金 △同 銀 ▲4三飛成 △2三歩 ▲8七金 △同歩成
▲3三銀 △同 桂 ▲1四桂 △同 香 ▲3三歩成 △同 馬
▲同 龍 △同 歩 ▲3四桂 △同 歩 ▲5五角 △3三桂
まで144手で囃子原の勝ち




