522手目 釈然としない
※ここからは、石鉄くん視点です。
だいじょうぶですよね、たぶん。
後手の攻めは足りていないはずです。
「7八金です」
鳴門先輩は、スーッと7六歩。
僕はここで反撃に出ました。
8三香成。
鳴門先輩は親指をひたいにあてて、背筋をもどしました。
肩にかかったヘッドセットが、すこしだけ揺れました。
「……9一飛」
悩みどころです。候補は4つ。
ひとつは3四歩、同銀、3五歩、4三銀で、拠点を作る手。そのあと2四歩、同歩まで決めて、6四桂と左右挟撃に持ち込みます。
もうひとつは6四桂を先に打つパターン。この瞬間に一手空くので、6七金と打たれます。以下、3四歩、同銀、3五歩、4三銀なら、ほぼ似たようなかたちに。でも、3四歩の瞬間に1五角が考えられるんですよね。
(※図は石鉄くんの脳内イメージです。)
これは、1六歩に6八金、同金、5九角成とできるからです。3四歩を先に入れた場合は、成立しません。
3番目の選択肢は、4五銀。これも6七金と打たれますが、4六角と飛び出すチャンスが生じます。すぐにではないですけどね。ただ、6七金よりも6七歩成のほうが、気になるかもしれません。同金、6六歩、5七金までいくと、だいぶ薄いので。
最後に、5九桂。これは守りの手です。後手も4一玉くらいでしょうか。
それぞれにメリットとデメリットがあって、判断が難しいです。
僕はチェスクロを確認。残り時間は、僕が10分、鳴門先輩が13分。
これ以上離されると困るので、腹をくくりましょう。
「4五銀です」
鳴門先輩はかるくうなずいて、6七歩成。
厳しいほうで来ました。
同金、6六歩、5七金、6七金、6九香。
耐えてください。
鳴門先輩は30秒考えて、1五角。
イヤな手が来ました。
3七歩はたぶんダメです。3筋に歩が利かなくなります。
攻めるなら6四桂か3五桂ですが……受けるほうがいいのでしょうか……。
直感的に、本局一番の悩みどころです。
……………………
……………………
…………………
………………角を活かします。
「6七金」
鳴門先輩は、大きく息をつきました。頭をかきながら、
「受けか……」
とつぶやきました。
本命ではなかったっぽいです。
その証拠に、長考しました。
僕も読み進めます。潰れる順は、ないはず。
鳴門先輩は2分ほどして、同歩成。
4六角、8一飛、8二成香。
上を全清算して、入玉含み。
二兎追うものはなんちゃらですが、本局は追ってみせます。
鳴門先輩は7八金。
同飛、同と、同玉、4八飛、6八金、4七飛成。
「4四歩ですッ!」
これは攻めじゃありません。4七の龍を移動させます。
同銀、同銀、4六龍、8一成香、4四龍、6四桂。
と、とにかく上部開拓。
6七歩、同玉、4八角成、5七銀、4九馬。
僕は王様を7八へ下がりました。
なかなか脱出できないです。
鳴門先輩はすこし迷ってから、再度6七歩。
同金、4七角、7九金、2九角成で、駒をひろいました。
あれ? もしかして鳴門先輩も入玉狙いですか?
僕は半信半疑のまま、7一成香。
6三銀、5二桂成、同銀、7二飛、1九馬。
相入玉っぽいです。鳴門先輩も、ムリに寄せに来ていません。
だいぶ後手が良さそうなので、この方針は助かります。
先輩の気が変わらないうちに、トライしましょう。
8五銀、4二玉、6八金上、3七馬、7六銀。
やっかいな拠点も払えました。ヌルヌル進めていきます。
4三玉、4六歩、4二金、6四歩、3三桂、7三飛成。
そろそろ点数を考えないといけないです。
大駒1枚とはいえ、24点法ですから、そんなに難しくないんですが──問題は、鳴門先輩が持将棋にしてくれないかも、っていう点です。局面的には後手優勢ですし、粘られると困ります。ルールブックを読んだとき、持将棋は0.5勝0.5敗の扱いだったと記憶しています。あと、200手を超えたときは、大会審判の裁定で持将棋になることがある、という決まりも見ました。最後はそこに賭けるしかありません。
3四玉、6三歩成、4一銀、7七玉、2五玉、8六玉。
もうちょっと前までいかないと、安心できないです。
9二桂、6四と、5五歩、7四と、5六歩、同銀、5二香。
僕はここで手を止めました。
「け、桂馬が……」
邪魔過ぎます。なかなか入れません。
ピッ
1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
4六馬、6四歩、5三桂、8五玉。
鳴門先輩は背筋を伸ばして、両手を頭に当てました。
入れそうですか? 入れる気がしてきました。
ピッ……ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
鳴門先輩は6五桂。
同銀、5七歩、9四玉、5八歩成、8三玉(!)、2八馬。
入れました。けど、こんどは点数が不安なことに。
自陣の駒を助けないと、ぎりぎりになっちゃいます。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
7六金、2六玉、9二玉、1七玉、7七桂。
この瞬間、鳴門先輩は急に口をひらきました。
「持将棋にしない?」
……………………
……………………
…………………
………………え?
鳴門先輩は、
「合意で持将棋にできる条件は、そろってるよね?」
と言って、盤面を確認。
双方が敵陣の3段目以内、おたがいに24点あります。
これが日日杯の持将棋引き分けのルールです。
あとは対局者が合意すればいいだけ。
だけど、僕は混乱。
「え……その……」
「55秒まで待つよ。それ以降は次の手を指すから」
僕の混乱の原因は、受けるか受けないかじゃないんです。
なんで鳴門先輩から持将棋の提案を?
順位は良くないですよね? ここで勝たないと……あッ!
僕はとんでもない可能性に気づきました。
鳴門先輩、僕が最終戦で吉良先輩に負けると思ってますね。
さらに調子の悪い六連くんが負けて、じぶんは米子先輩に勝つ。
ここで僕に負けて、5敗になるのだけは避けるってわけですか。
50、51、52、53、54
「う、受けます」
持将棋が成立しました。
手近なスタッフのひとを呼んで、申告。
スタッフのひとは盤面を確認したあと、タブレットで本部に連絡。
僕たちは一礼しました。
「ありがとうございました」
鳴門先輩はすぐに席を立って、インタビューへ向かいました。
なんだか釈然としないです。
合理的な判断だというのが、その思いに拍車をかけていました。
200手近くかけて持将棋にするよりも、さっさと切り上げたいですよね。
僕が反対の立場だったら、どうしたでしょうか?
次が吉良先輩との対局で、明確な持将棋になるまで指しますか?
わかりません。たらればなのは分かっていますが──
僕も席を立ちました。
イヤホンをはめると、海老野さんの声が。
《おつかれ~大会初の持将棋だったね~》
「うん、ちょっとびっくりした」
《とちゅう悪かったから、がんばったと思うよ。別府くんと代わるね》
すぐに別府くんの音声が入りました。
《もしもし、おつかれさま》
「おつかれさま」
《解説の検討では、受け切れるんじゃないかなあ、って感じだったけど、悪くなっちゃったね。石鉄くんは、どう読んでた?》
「僕も受け切れると思ってたんだけど、4五銀が良くなかったかも」
【検討図】
別府くんも同意してくれました。
《そうだね。ここは5九桂で守るのが本線かな、と思った》
「受けるなら一貫して受けないといけなかった」
《次は大一番だから、がんばって》
《美々も応援してるよ~》
インタビューは終わりました。
会場内の空気は、複雑です。
ついに予選も終わりなんですね。長かったような、短かったような。
ともかく、僕の最終局は大一番。
鳴門先輩、絶対に後悔させちゃいますよ。
場所:第10回日日杯 4日目 男子の部 14回戦
先手:石鉄 烈
後手:鳴門 駿
戦型:居飛車力戦形
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲7八金 △4四歩
▲2五歩 △3三角 ▲6八銀 △3二金 ▲3六歩 △4二銀
▲5六歩 △6二銀 ▲7九角 △4三銀 ▲6九玉 △7四歩
▲7七銀 △5二金 ▲5八金 △5四歩 ▲6六歩 △7三桂
▲4八銀 △9四歩 ▲3七銀 △8五歩 ▲6七金右 △6四歩
▲3五歩 △同 歩 ▲同 角 △9五歩 ▲7九玉 △4五歩
▲3六銀 △8六歩 ▲同 歩 △8五歩 ▲6八角 △8六歩
▲8八歩 △9六歩 ▲同 歩 △9七歩 ▲同 香 △8五桂
▲8六銀 △9七桂成 ▲同 銀 △6五歩 ▲同 歩 △9六香
▲同 銀 △6六香 ▲8五香 △9二飛 ▲9五歩 △6七香成
▲同 金 △6六歩 ▲7七金 △7五歩 ▲7八金 △7六歩
▲8三香成 △9一飛 ▲4五銀 △6七歩成 ▲同 金 △6六歩
▲5七金 △6七金 ▲6九香 △1五角 ▲6七金 △同歩成
▲4六角 △8一飛 ▲8二成香 △7八金 ▲同 飛 △同 と
▲同 玉 △4八飛 ▲6八金 △4七飛成 ▲4四歩 △同 銀
▲同 銀 △4六龍 ▲8一成香 △4四龍 ▲6四桂 △6七歩
▲同 玉 △4八角成 ▲5七銀 △4九馬 ▲7八玉 △6七歩
▲同 金 △4七角 ▲7九金 △2九角成 ▲7一成香 △6三銀
▲5二桂成 △同 銀 ▲7二飛 △1九馬 ▲8五銀 △4二玉
▲6八金上 △3七馬 ▲7六銀 △4三玉 ▲4六歩 △4二金
▲6四歩 △3三桂 ▲7三飛成 △3四玉 ▲6三歩成 △4一銀
▲7七玉 △2五玉 ▲8六玉 △9二桂 ▲6四と △5五歩
▲7四と △5六歩 ▲同 銀 △5二香 ▲6五銀右 △4六馬
▲6四歩 △5三桂 ▲8五玉 △6五桂 ▲同 銀 △5七歩
▲9四玉 △5八歩成 ▲8三玉 △2八馬 ▲7六金 △2六玉
▲9二玉 △1七玉 ▲7七桂
まで153手で持将棋(引き分け)




