520手目 金なし将棋
※ここからは、磯前さん視点です。
……………………
……………………
…………………
………………わからない。
なんなんだ、この戦型は?
地下鉄飛車なのかと思ったけど、どうも違う。
しかも進めてみたら、意外とめんどくさかった。
みかんのオリジナル戦法? ……考えるだけムダか。
あたしが受験勉強してるあいだに、藤井システムが進化してた?
アンテナは張ってたつもりなんだけど。
とりあえず、攻めるか受けるかを決めないといけなかった。
受けるなら4七歩、攻めるなら6四角。
さっきから両方を読んでいて、だいたい結論は出た。
「6四角」
攻めるっしょ。もうラスト2局なんだから、怖いものはない。
前へ出る。
みかんもこれは予期していて、即座に6八銀と打ってきた。
攻め合いかあ。さすがに後手のほうが速いんだよね。
4六飛で犠打をはなつ。
7七銀成、同銀、4六馬、同角、6四歩、5六桂。
みかんはいったん6三銀と引いた。
「3三歩成」
遠巻きに包囲していく。間に合え。
「う~んなの~」
みかん、ここで長考。
残り時間は、あたしが13分、みかんが10分。
みかんの性格からして、差が広がらないように指してくるはず。
この予想はどんぴしゃだった。
9分を切りかけたところで、9六歩と突いてきた。
ここは手の変えようがないから、ノータイムで付き合う。
同歩、9七歩、同香、4八飛。
詰めろではないけど、さすがに受けておく。6八角打。
7八金、4一龍、6八飛成。
このタイミング。
「8一銀ッ!」
4枚の要塞から引っ張り出す。
7三玉、6八角、6七角に8五桂、8四玉。
これで陣地は無効化できた。
あたしのほうが詰めろだから、いったん受け。
「8八飛」
あんまり打ちたくはないんだけどね。これ以外に駒がない。
先手悪いかなあ。粘らないといけなくなった。
みかん、また長考。
「……同金なの~」
同銀、7八金、7九金、5八飛。
あたしは4五龍と引いた。
間接的に詰めろ。
金が手に入れば、7五金、同歩、同龍、9四玉、9五歩で詰む。
気づかれなかったら儲けもの。期待はしてない。
みかんは30秒使って、7九金。
同角……7六角成。だよね。
今度はあたしが長考。
第一感、7七歩。
8六金もあるか。ただなあ、8六金は同馬、同歩、9八歩、同玉と上に吊りあげられたあと、7六金で圧殺されそうなんだよね。これがいきなり詰めろだし。
「7七歩」
無難に受ける。
6六馬、6七歩、同馬、6八歩。
手順を尽くして、後手のスピードを遅らせる。
5六馬、同龍、同飛成。
小康状態に。さっきよりは悲観しなくていい局面だ。
反撃しないといけない。手があるかどうか。
4三と、くらいしかない? それだとキツイ。
……………………
……………………
…………………
………………9二金と打つ?
暴発したような手だけど、これが最善っぽい。
同香なら同銀成、5九龍に8二成銀がいきなり詰めろ。
(※図は磯前さんの脳内イメージです。)
9三角、9四玉、9五歩、8五玉、7六銀まで。5手詰め。
見落とさないよね? 見落としてくれたらラッキー、くらいか。
ただ、手拍子で9二同香はしてくれるかも。
問題は、そうならなかったとき。こっちのほうが厄介。5九龍、8二金、7八金みたいな展開は、後手のほうが速そう。かと言って、8二金としなかったら、受ける駒もない。それこそ6七角くらいか。
あたしは取られた場合と取られなかった場合を、慎重に読み進めた。
それから、4三と、みたいな手も一応読んだ。
「……9二金」
みかんはちょっと表情を変えた。
あ、読んでなかったな、これは。チャンス。
みかんの残り時間は少ない。あと3分。
取ってくれる可能性もあった。
「……」
「……」
みかんは斜め下を見ている。脳内将棋盤かな。
それから「ん~なの~」とつぶやき、手を伸ばした。
取らない……か。
この8五玉は厄介だ。6七角の王手龍は、同龍、同歩と清算されて、こちらが不利になる。次に7五歩くらいでジリ貧。
あたしは8二金で、駒を補充した。
7五歩、3四角。
逆サイドから龍を狙う。
5九龍、4三と、5一金、5四歩、同歩、5三歩。
みかんはこっちの攻めを全部受けた。
けど、5三歩は受からない。
攻めて来るはず。
……ピッ
みかん、1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
手筋。次に9八歩、同玉、8六桂打か。そうなったら助からない。
あたしは9五銀と受けた。
みかんは59秒まで考えて、6九飛。
ん? なんだそれ? やけに狭く打って……あ、5六桂か。
マズい。急所過ぎる。
あたしは反撃の筋を読んだ。時間がなくなる。
……ピッ
あたしも1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
さっと9一金。
みかんは7四玉で早逃げした。
9四銀、5六桂。
受けが……ない……。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
5二歩成。もう手がなかった。
みかんは7八金と置いた。
あたしはお茶を飲む。
大きく息をついて、頭を下げた。
「負けました」
「ありがとうございましたなの~」
いやあ……あたしは帽子を脱いで、頭をかかえた。
時間差あっても、意味なかったでしょ、この展開は。
受けがなさすぎた。
金銀のない穴熊が、ここまでもろいとは。
「……8二金の攻めは繋がりそうだったけど、繋がらなかった」
あたしは、そこから感想戦を始めた。
「4三とじゃなくて、7二銀不成もあったと思うの~」
【検討図】
「それもチラっとは考えた。同銀、同金、同金なら4二角成だよね。だけど、取らずに9八歩、同玉、9四桂で、ダメだと思った。銀が質駒になってるのが最悪」
「たしかに、これで先手良しって感じはしないの~」
とは言ったものの……受けがないんだよね。
受けがないなら、なりふりかまわず攻めたほうがよかったか。
周回遅れなのに、事故を気にしてブレーキを踏んだような感覚。
「……」
「どうしたの~?」
「いや、なんでもない……4八角のあたりは、どうだった? 先手悪くなかったと思う」
【検討図】
「その前の4六歩に同歩じゃなくて、いきなり2一飛成とされたら、困ったかもなの~」
そのコメントに、あたしは「ん?」となった。
けど、考えてみれば簡単なことで、この瞬間に入れば、4一歩と打てない。
かと言って、4七歩成は8一角、7三玉、8五桂がある。
あたしはポカに気づいて、戦慄した。
「ただこれ、めちゃんこ厳しいのかは分かんないの~8五桂を防ぐために、8四歩とすれば、お尻は受かるの~だから、4六歩、4八角で、本譜と似たかたちにはなるの~」
「でも先手は1手速い。6七金寄、4六飛に1一龍が入る」
「その代わり、本譜の8五桂の筋は消えてるの~」
そうか……落胆するほどでもなかったのか。
「ところでさ、これってどういう戦法? みかんスペシャル?」
「ん~そんな感じなの~」
今の言い方、なんか気になる。
烈との共同開発? 訊いても教えてくれそうにないな。
次が最終局ということもあって、あたしたちは早めに感想戦を切り上げた。
インタビュータイム。気が重い。
みかんが終わるのを待っているあいだも、さっきの対局の反省をしていた。
イヤホンをはめて、最初に聞こえて来たのは、香子ちゃんの声だった。
《もしもし、おつかれさま》
「おつかれさま。なんかジリ貧な一局だった」
《先手に明確な悪手はなかったと思う。穴熊が薄過ぎた感じかしら》
「解説席のほうで、なにか打開策は出てた?」
《うーん……終局後にいろいろ議論してみたら、4六歩、同歩のところで、2一飛成のほうがよかったかも、っていう話はあったわ》
「それは感想戦でも出た。以下、8四歩、4六歩、4八角、6七金寄、4六飛、1一龍だよね。先手は香車、後手は8五桂の打消しで、互角じゃないかな」
《それでも本譜よりいい、っていうのが解説席の結論……あ、でも、対局者のほうが深く読んでると思うから、感想戦のほうが正しいんじゃないかしら》
「……そっか、了解、もう一回考えてみる」
《姫野さんに代わるわね》
《もしもし、姫野です。おつかれさまでした》
「おつかれさまです」
《わたくしから申し上げることは、とくにございません。次は予選リーグ最終局です。良い将棋を期待しております》
「全力を尽くします」
インタビューは終わった。
あたしは帽子をかぶりなおして、息をついた。
……………………
……………………
…………………
………………マズいな。思考のふわふわ感がもどらない。
これはアレだ、安全圏から落ちたとき、ギアチェンジができないやつ。
このままだと、ほんとに予選落ちだ。
あたしは気合いを入れなおすため、会場を飛び出した。
場所:第10回日日杯 4日目 女子の部 16回戦
先手:磯前 好江
後手:温田 みかん
戦型:先手居飛車穴熊vs???
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲4八銀 △9四歩
▲6八玉 △9五歩 ▲5六歩 △4二飛 ▲5八金右 △3二銀
▲7八玉 △4三銀 ▲7七角 △5二金左 ▲8八玉 △6二玉
▲5七銀 △7二玉 ▲6六歩 △6四歩 ▲6七金 △7四歩
▲9八香 △7三桂 ▲9九玉 △5四銀 ▲2五歩 △3三角
▲8八銀 △6二金上 ▲3六歩 △4五歩 ▲7八金 △8二銀
▲3五歩 △同 歩 ▲2四歩 △同 歩 ▲6五歩 △同 桂
▲3三角成 △同 桂 ▲2四飛 △5七桂成 ▲同 金 △4六歩
▲同 歩 △4八角 ▲6七金寄 △4六飛 ▲2一飛成 △4一歩
▲3四歩 △5九角成 ▲6八角 △6九馬 ▲4六角 △7八馬
▲7七金 △5六馬 ▲6四角 △6八銀 ▲4六飛 △7七銀成
▲同 銀 △4六馬 ▲同 角 △6四歩 ▲5六桂 △6三銀
▲3三歩成 △9六歩 ▲同 歩 △9七歩 ▲同 香 △4八飛
▲6八角打 △7八金 ▲4一龍 △6八飛成 ▲8一銀 △7三玉
▲6八角 △6七角 ▲8五桂 △8四玉 ▲8八飛 △同 金
▲同 銀 △7八金 ▲7九金 △5八飛 ▲4五龍 △7九金
▲同 角 △7六角成 ▲7七歩 △6六馬 ▲6七歩 △同 馬
▲6八歩 △5六馬 ▲同 龍 △同飛成 ▲9二金 △8五玉
▲8二金 △7五歩 ▲3四角 △5九龍 ▲4三と △5一金
▲5四歩 △同 歩 ▲5三歩 △9四桂 ▲9五銀 △6九飛
▲9一金 △7四玉 ▲9四銀 △5六桂 ▲5二歩成 △7八金
まで126手で温田の勝ち




