517手目 圧倒的な相性
※ここからは、早乙女さん視点になります。女子第16局開始時点にもどります。桐野vs剣戦はいったん中断になります。
昨日はカァプの試合もなかったし、ぐっすり眠れたわね。
あいかわらず不破さんが居座ってたけど。
あとで部屋代を徴収しておこうかしら。
対局までとくにすることもないから、着席して待機。
開始間際になって、鬼首さんがあらわれた。
「よろしくぅ」
「よろしく……これが初手合いかしら」
鬼首さんは椅子を引きながら、
「おまえと指した記憶はないぜ」
と答えた。
それから手の指をポキポキ鳴らして、
「メックのダブルバーガー食ったし、今日は覚悟しとけよ」
と言った。
それって相関関係はあるのかしら。
気になっちゃう。
鬼首さんは歩をつまんで、
「振らせてもらうぜ」
と、じぶんから振り駒をした。
表が1枚。私の先手。
駒をもどしているあいだにも、アナウンスが入った。
《対局準備はよろしいでしょうか?》
心を落ち着けるために、素数を数えましょう。
100189、100193、100207──
《では、始めてください》
「おなしゃーす」
「よろしくお願いします」
7六歩、3四歩、2六歩、8四歩、2五歩、8五歩。
【先手:早乙女素子(H島県) 後手:鬼首あざみ(O山県)】
横歩へ誘導。
7八金、3二金、2四歩、同歩、同飛、8六歩、同歩、同飛。
しばらくは研究手順。
鬼首さんもスピードを合わせてきた。
3四飛、3三角、5八玉、5二玉、3六歩、2六歩。
あら、積極的なのね──好都合だわ。
「2八歩」
7六飛、7七角、同角成、同桂。
「2七歩成だッ!」
これは取らずに2四飛。
2八となら、同銀で手が稼げる。しかも桂馬当たり。
鬼首さんもそれはわかっているから、2二銀と出た。
8八銀、3六飛、2七歩、8二歩、3七歩、3五飛、3八金。
「どうすっかなぁ」
鬼首さんは、椅子をうしろにかたむけた。
両手の親指を合わせて、遊んでいる。
30秒ほど考えて、7二金と上がった。
4八銀、6二銀、9六歩、3三桂、9五歩。
「ん? 端攻めか?」
なくはないわね。
ただ、個人的には鬼首さんから攻めてもらいたい。
そして、この希望は叶った。
1四歩と突いて、2六飛に1五歩と伸ばしてきた。
私は、
「端を攻め合うつもり?」
とたずねた。
「おお、いいぜ。かかって来いよ」
「そうね……むしろその手に乗ろうかしら。1六歩」
8六飛でもよかったけれど、これには狙いがある。
それはあとでわかること。
鬼首さんは、
「オレにカウンターか? 舐めてんな」
と愚痴った。
「べつに舐めていないわよ。端攻めしたかったんでしょ」
そう、端攻めをしたかったのよね、鬼首さんは。
でもいきなり1六同歩だと、1二歩~2一角がある。
これには気づいているはず。
だからほかの手を指す必要があるのだけれど──
「3六歩だッ!」
来た。同歩に3七歩で、端を薄くする手だ。
「同歩」
7五飛、2四飛。
高めに浮く。
「2三銀」
「同飛成」
「チッ、切って来やがったか。同金」
3二銀、3七歩、同桂、2二金、4三銀成、同玉。
私は角を手にした。
「6一角」
この時点で脳内評価値は、+400ちょっと。
先手有利に。
金をタダ取りできるから、というわけじゃない。
こっちは飛車を切り、銀も捨てて駒損している。
ポイントは端。
鬼首さんは3二玉と逃げた。
7二角成、5一銀。
ここで3九金と引く。
「よっしッ! 反撃だッ! 1六歩ッ!」
8一馬、1七歩成、7一馬、3八歩、2九金。
「ぐッ……金が邪魔すぎる……」
でしょ。
さっきのところ、3九金としないで8一馬には、2九飛があった。
この金引きが絶妙。
そして、鬼首さんが46手目に指せなかった手でもある。
3六歩に代えて7一金なら、私の6一角はなかった。
【参考図】
そう、鬼首さん……あなたは私と相性が悪いのよ、かなり、ね。
決め打った攻めにこだわるから、読みの分岐が少ない。
だから私のほうも、読む枝を刈ることができる。
さっきの手で言えば、7一金以下は省略して考える。
一直線の深さになれば、今回のメンバーで私は一番の自信がある。
しかも私が早く指すと、鬼首さんもそれに合わせてくれた。
そんな鬼首さんも、さすがにおかしいと気づいたらしい。長考に入った。
私はお茶を飲み、それからまた思考回路を動かした。
4二銀と受ける手はあるけど──それは読まない。
鬼首さんは2七と。
私は2三歩、同玉と叩いて、3五桂と打った。
同飛、同歩、3七と、同銀、4五桂、3一飛。
包囲へ。
鬼首さんは4九銀で、なんとか先手玉に手をかけた。
5九玉と引いておく。
1九香成。
次に2九成香で、金の入手ね。金があれば5八金で詰むから。
だけど、間に合わないわよ。
「2四歩」
同玉、2五歩、同玉、6一馬、5二香、2六金。
鬼首さんは、がっくりと肩を落とした。
「ぼ、ボロ負けじゃねぇか……」
「それは投了宣言?」
脳内評価値では、先手の3000超え。
2九成香とするヒマはない。2四玉に5一馬が詰めろだから。
鬼首さんは歯ぎしりした。
「……オレの負けだ」
「ありがとうございました」
チェスクロの残り時間は、先手16分、後手14分。
時間がかなり余ったわね。
「な、なんでだ……急に悪くなっちまった……」
「端攻めがムリだったんじゃない?」
「くっそ、指運が悪かったか」
指運じゃないのよね。
種明かしはしない。決勝トーナメントで当たる可能性があるから。
本局は、早指し合戦の指運、ということにしてもらいましょう。
「ほかはまだ対局中だし、控え室へ移動する?」
「ん……ああ……」
私たちは席を立って、会場を出た。
すると、廊下で雑談をしている犬井先輩と葉山先輩がいた。
ふたりはすこしおどろいていた。
葉山先輩は、
「あれ、終わったの?」
とたずねた。
私はそうだと答えた。
葉山先輩はメモ帳をとりだして、
「最終戦を前に、ちょっといいですか」
と、コメントを求めてきた。
急に丁寧語になる先輩。
まずは私から返答。
「そうですね……鬼首さんに勝ったことで、決勝トーナメントの芽は残りました。ただ、次で勝ってもプレーオフになるのではないか、という気もしています。最終戦で負けたときもプレーオフの可能性はありますが、確率的に期待していません」
「最終戦は宇和島さんですけど、感触はどうですか?」
「巨神ファンは成敗します」
このコメントに、鬼首さんは、
「ただの私怨じゃねーか」
と言ってきた。
「私怨っていうのは、個人の好き嫌いで恨むことじゃない?」
「へりくつだろ、そりゃ」
あとで国語辞典でも引いておきましょう。
葉山先輩はメモを終えて、鬼首さんに向きなおった。
「えーと、現時点ではこのメンバーしか終わってないので、なんとも言えないんですが、他の選手が負けた場合、鬼首さんは決勝確定になるパターンがありますよね」
「そんなのいちいち覚えてねーよ」
「まあ、他力に期待しないっていうのは、わかります。次の対局は、どうですか?」
「だれだっけ? ……あのへんなコスプレ坊主か」
あれはコスプレじゃなくて、本職の正装じゃないかしら。
鬼首さんは首を掻きながら、
「どうって言われてもな。指してみないとわかんねぇし」
と答えた。
ここで犬井先輩がわりこんだ。
「けっこう初手合いが多いよね。情報収集とか、ちゃんとしてる?」
「おまえ、オレにアドバイスしていいのか? おな高の記者だろ」
「おっと、ごめんごめん」
葉山先輩は、
「フェアプレイの精神、だいじにしてるんですか?」
と質問した。
「そりゃおまえ、素手で殴り合ってるときにバット渡してきたら、味方でもどやすだろ」
「そ、そうですか……」
バットはダメよ。メガホンにしなさい。
あ、メガホンといえば、訊いておきたいことがあった。
「鬼首さんはどこのファンなの?」
「ファンって、なんの?」
「野球」
「なんで腹が出たおっさんの玉遊びを見ないといけないんだよ」
……………………
……………………
…………………
………………バットを用意しておけばよかったわね。
場所:第10回日日杯 4日目 女子の部 16回戦
先手:早乙女 素子
後手:鬼首 あざみ
戦型:横歩取り
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩
▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲3四飛 △3三角 ▲5八玉 △5二玉
▲3六歩 △2六歩 ▲2八歩 △7六飛 ▲7七角 △同角成
▲同 桂 △2七歩成 ▲2四飛 △2二銀 ▲8八銀 △3六飛
▲2七歩 △8二歩 ▲3七歩 △3五飛 ▲3八金 △7二金
▲4八銀 △6二銀 ▲9六歩 △3三桂 ▲9五歩 △1四歩
▲2六飛 △1五歩 ▲1六歩 △3六歩 ▲同 歩 △7五飛
▲2四飛 △2三銀 ▲同飛成 △同 金 ▲3二銀 △3七歩
▲同 桂 △2二金 ▲4三銀成 △同 玉 ▲6一角 △3二玉
▲7二角成 △5一銀 ▲3九金 △1六歩 ▲8一馬 △1七歩成
▲7一馬 △3八歩 ▲2九金 △2七と ▲2三歩 △同 玉
▲3五桂 △同 飛 ▲同 歩 △3七と ▲同 銀 △4五桂打
▲3一飛 △4九銀 ▲5九玉 △1九香成 ▲2四歩 △同 玉
▲2五歩 △同 玉 ▲6一馬 △5二香 ▲2六金
まで89手で早乙女の勝ち




