516手目 付き人はつらいよ
※ここからは、剣さん視点です。女子第16局開始時点にもどります。
礼音様へのあいさつも終えて、いざ出陣──と言いたいが、あざみはどこだ?
私は子守りではない。しかし、不戦敗などということがあっては困る。大会としても面目が立たないだろう。
電話をかけようとしたところで、入り口にあざみが現れた。
スマホを片づけ、歩み寄る。
「どこへ行っていた?」
「朝メックだよ、朝メック」
あざみはそう言うと、ニシシと笑った。
「エネルギー充填完了。今日は調子いいぜえ」
「気をつけろ。油断は足もとをすくわれる。あいては早乙女だ」
「桃子はじぶんの心配してな。2連勝しないと芽がないんだろ」
あざみはポケットに手をつっこんで、その場を去った。
……………………
……………………
…………………
………………ふん、まあいい。
こうでなければ、あざみらしくない。
ここまでの大勝負、あざみにとっても初めてのはずだ。
プレッシャーで、ひよる可能性も考えたが、その気配はないな。
となれば──私は会場を見渡した。
総勢32名の高校生たち。その立場はさまざまだ。
もう芽がない者、プレーオフに賭ける者、予選通過まであと1勝の者。
上位陣は、こうだ。
1位 鬼首あざみ 13勝2敗
萩尾萌 13勝2敗
3位 磯前好江 11勝4敗
大谷雛 11勝4敗
桐野花 11勝4敗
6位 温田みかん 10勝5敗
早乙女素子 10勝5敗
8位 出雲美伽 9勝6敗
剣桃子 9勝6敗
梨元真沙子 9勝6敗
私にもまだ芽がある。
11勝6敗のプレーオフは、わずかながらありえる。
ただし、他力だ。上位陣が突っ走れば、それまでの話。
《間もなく対局が始まります。選手のみなさまは、ご着席ください》
一直線にテーブルへ。
私の相手は──
「えへへぇ、よろしくお願いしまぁす」
桐野花。
まずここから落とす。
桐野が破れれば、4敗以下は4名。
あざみの決勝トーナメント進出は、自動的に確定する。
「桃子ちゃん、昨日の夜は、なに食べましたかぁ?」
「カップ麺」
「ふえ? 礼音くんと、めちゃんこゴージャスなディナーじゃないんですかぁ?」
付き人はつらいのだ。
「桐野は?」
「メロンパンでぇす」
あまり変わらないではないか。
メロンパンは糖質がすごいぞ。
「とりあえず、振り駒をしてくれ」
「はぁい」
表が3枚。桐野の先手。
《……対局準備はよろしいでしょうか?》
無論。
《では、始めてください》
「よろしくお願いしまぁす」
「よろしくお願いする」
7六歩、3四歩、2二角成、同銀。
【先手:桐野花(H島県) 後手:剣桃子(O山県)】
戦型は予想済み。
いざ尋常に勝負。
8八銀、3三銀、7七銀、8四歩、8八飛。
序盤は手なり。
1四歩、1六歩、6二銀、3八金、4二玉、4八銀。
むッ……変わったかたちだな。
桐野の将棋は、型にハマったところがない。
なにが飛び出しても、驚かないつもりではいた。
とはいえ、準備してきた作戦も使えなくなった。手将棋か。
7四歩、3六歩、5二金右、4六歩。
私は即興で組んでいく。
3二玉、4七銀、7三銀、4八玉、6四銀。
前へ。
6六歩、8五歩、5六銀、7三桂、5八金。
なるほど……5六に右銀を置く構えか。
事前研究では、まったく考えていなかった順だ。
「ずいぶんと、変わった手に出たな」
「えへへぇ、桃子ちゃん、なんかめちゃんこ調べてる気がしたのですぅ」
さすがは桐野……というほどでもないか。囃子原グループが選手のデータ分析をしていることは、ほかの連中も気づいているようだ。敢えて外してくる選手も、何人かいた。
しかし、舐めてもらっては困る。
不肖、剣桃子、力戦は嫌いではない。
「8四飛だ」
「うにゅぅ、手堅いのですぅ」
4七金左、5四歩、3九玉、4四歩、2八玉。
先手は入城。
私も2二玉と深く入った。
3七桂、4二金上、2六歩、2四歩、9六歩、9四歩。
先手から攻めて欲しいが……むずかしいか。
この局面で、指される可能性がある手は4つ。
第1候補は6七銀。そのあと5六歩と突いて、陣形を安定させる。攻めの焦点がなくなるから、私も陣形を整えるくらいか。
第2候補は4八金引。これは次に4七銀で、3枚にする構想。銀を出たり入ったりしているだけだから、心理的にはやや指しにくい。
第3候補は4八飛。よくある飛車の位置換え。この手は少し悠長だ。私のほうから5五歩と突いて、6七銀、5四角と打ちたい。先手がなにもしないなら、7五歩で開戦する。もっとも、先手は4五歩で攻めてきそうだ。
第4候補は7八飛。今の7筋の責めを警戒した手だ。が、これは即座に6九角と打つ手がある。先手、あまり面白くない。
さて、桐野はどれを選ぶか──ん、6七銀か。
「3二金」
「4八飛ぃ」
5六歩ではなかった。読みが外れた。
攻めて来るか? それとも次に5六歩?
ここで5五歩とすれば、第3候補の順と合流する。4九飛、7五歩となって、後手が先着できる。しかし……先手から攻めて欲しいというのが、本音だ。自信がないわけではない。先手のかたちが歪になる、そのタイミングを狙いたかった。
4二銀として、一手スキを見せるか? 即座に6五歩なら、同桂、6六銀左、8六歩で反撃……いや、先手の6五銀、同銀、7七桂のほうが速い。
(※図は剣さんの脳内イメージです。)
この局面も迷う……8七歩成と行くか、そのまえに7六銀と捨てるか。
8七歩成、6五桂、7七とは、かなりストレートな順だ。と金が銀当たりで、これを逃げるヒマはないだろう。となれば、先手は4一銀と割り打つ展開がみえる。
7六銀と捨てるのは、同銀にいったん8一飛と引くのが目的だ。一見消極的だが、後手から8六歩とは取り返せない。どのみち8筋は破れる。もっとも、8七歩成と比べれば、と金の出来が遅い。これは事実。それに、7六銀は同銀、8一飛、4五歩で先着されるのも気になった。4八の飛車は、このまま閉じ込めておきたい。
6五歩ではなく4五歩から開戦のときは、同歩、5六銀、3三桂で支える。これも分岐が多い。
「……」
「あんまり怖い顔で読まないでくださぁい」
「……」
「ふええ……刀に手をかけないでくださぁい……」
「4二銀」
だいぶ時間を使ってしまった。
一応、この手に4九飛もある。それも読んであった。
桐野はだいぶ前から決め打ちしていたらしく、10秒で6五歩。
私は同桂として、6六銀左に8六歩と突いた。
6五銀、同銀、7七桂。
よし、本線。
「8七歩成」
直線的に行く。
居飛車なのだから、飛車先を突破するのが本筋。
6五桂、7七と、4一銀、8九飛成、5二銀成。
ここまでは読み通り。
さきほどの長考は、この次の手で悩んでいた。
「1五歩」
敢えて端を突く。
「うにゅう、強い手なのですぅ」
桐野もさすがに長考。
同歩は、ないだろう。龍が直通しているから、1八歩、同香、1九銀が決まる。
これは期待していない。
攻め合うなら4二成銀、受けるなら4九桂。3九桂は狭すぎる。
もっとも、4二成銀~4九桂や4九桂~4二成銀もある。
このあたりは、手順の前後に過ぎないように思う。
「……4九けぇい」
1六歩。
桐野は4二成銀と寄せた。
けっきょくどちらも入ったか。
同金、5一角、3三銀。
……………………
……………………
…………………
………………
な、なぜ1七銀と打たなかったのだッ!?
手拍子だったッ!
「うにゅ? 受けるんですかぁ?」
桐野は考え始めた。
くぅ、待ったしたいくらいだ。
1七銀、3九玉、2八銀打なら、寄っていたかもしれない。
「2五歩ぅ」
落ち着け、剣桃子。
指してしまったものはしょうがない。
ここから1七銀……は銀が足りない。さっきのは2枚あったから成立する攻めだ。
1七角か? 2九玉……次がない。
単に端を破って暴れるほうが良さそうだ。
「1七歩成」
同香、同香成、同玉、1六歩、同玉、1五歩。
「うにゅにゅ……けっこう厳しいのですぅ……」
桐野は2六玉。
2五歩と行きたいが、攻めを呼び込む可能性もあった。
同桂、2四香で、押さえ込めればいいが──安全策なら2四歩か?
いや、待て、さきほど安全策の3三銀で失敗したばかり。
ここは強気に……それもおかしいな。
コインで裏が出たから次も裏、というわけではない。
3三銀と受けた以上、むしろ受けるのが一貫しているのでは?
「……」
「なんか迷ってるのですぅ」
「……」
「ふええ……まだ死にたくありませぇん……」
私は残り時間を確認した。
先手13分、後手10分。
間もなく10分を切る。
分岐が多いのは、直感で指す桐野の領域だ。
後手有利だとは思うのだが、気にかかる流れになってしまった。
「……読みに従うか。2五歩」




