515手目 ファーストガールへの道
※ここからは、萩尾さん視点です。
あのさぁ……これ、とっておきの研究ぶつけてきたでしょ。
いや、いいんだけどさ、ハマっちゃったよ。
めちゃくちゃ後手が悪いわけじゃない。でも、自然と悪化しそう。
暴れるしかないね。
「3八角成」
とりあえず叩き切る。
同金、8三歩、7一角。
うーん、厳しい。
6一玉、8六飛、5二玉、8一銀成。
先手のほうが、あからさまに固くなってしまった。
残り時間は、先手が13分、後手が12分。
時間でも負けてるか。
ボクは方針を考えた。
一方的に寄るかたちになったらダメだ。
部分的には悪手でも、咎められなければオッケーの精神で行こう。
「……4四飛」
亜季は4七歩で蓋をした。
手堅いね。
「1三角」
この角出に賭けておく。
狙いはあとで分かる。
8二角成、同金、同成銀。
後手は決めに来た。まだまだ。土俵は割らない。
4五桂、4八金、3九角、5八金打、2七歩成、同歩。
5七の地点を狙う。これが1三角からの構想。
2七歩成のところで2八角成は、2筋に歩が利くようになってしまう。
ボクは8四歩と伸ばした。
ここで亜季は悩んだ。
次に後手から2八歩があるのは、はっきりしている。
これに対して、先手の方針はやや多様。
9一成銀で駒を拾うのが、ひとつ。これは持ち駒不足を解消するため。
もうひとつは飛車のスライド。
とはいえ、8筋をムリヤリ突破することはできない。
スライドするなら2、3筋かな。7六飛は7四飛とぶつける手が生じる。
しばらく待っていると、亜季は9一成銀を選択した。
予定通り2八歩。
亜季は右手をしならせ、香車を打った。
んー、いい手だねぇ。ただ、最善じゃないと思う。
こっちが悪いから、そんな説教垂れてる場合じゃないけど。
ひとまず同銀で食いちぎる。
同飛、5四香、3六飛、3三歩。
我慢の一手に対して、亜季は3五銀。
ひよらないか。これは取るしかない。
同角、同飛、2九歩成。
亜季は30秒ほど考えて、6六角と打った。
……なるほど、逃げると即死だ。
3四飛、同飛、同歩も4四桂で死ぬ。
だけど紛れそうな局面になってきたぞ。単に3六桂が一番困った。
「5五銀」
亜季は8四角と逃げた。
その手はヌルイ。
「1九と」
7三角成、1七角成、3六飛、2四飛。
微妙に光明が見えてきた。
両者にとって方針が変わったからだ。
さっきまでのボクは受け、亜季は攻め。
だけど今のボクは入玉狙い、亜季は入玉阻止。
亜季の持ち駒は、入玉阻止には向いていない。
2六歩、同馬、8六飛、1七馬、8二飛成。
亜季は2六歩で一手稼ぎ、飛車を成り込んだ。
ボクは入玉のプロセスへ移行する。
4三玉、4六歩、2三金、4五歩、3四玉。
亜季は背筋を伸ばして、両手を頭に当てた。
だいたい考えてることは分かるよ。馬が働かなさすぎなんでしょ。
7三の馬は、どう動いても意味があまりなかった。
とはいえ、これを活用しないといけないから、亜季は7四馬と引いた。
亜季も入玉阻止へ本格的に移行。
この時点で、先手の残り時間と後手の残り時間は、2分で並んだ。
ボクは2八飛成と入った。
亜季は3八馬。
「同龍」
サクッと切る。
1八龍、3二龍、4六桂みたいな展開もあった。
同金、4六桂。
ここで4八金右なら、5八成桂、同金で、1~3筋がスカスカ。
たぶん4八金左が最善。以下、3八桂成、同金、2九角の順。
ピッ
亜季は1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
おっと、サイドから止めに来た。
疑問手……とは言えない。慎重に考えよう。
ピッ
ボクも1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
5八桂成、2六桂、2四玉。
亜季は59秒まで考えて、2五歩。
これは取ると3六龍で困る。
1五玉、1六歩、同玉、2八桂。
んー、うまい。清算は避けられないか。
「同馬」
同金、1七金、3八飛。
2八金でも、まだ後手が良さそうだけど──
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
ボクは2七に香車を打ち込んだ。
1七金、同玉、5八飛。
成桂が抜かれた。思ったより先手も粘るな。
「4六歩」
4七歩成から、ゆっくり攻める。
亜季は苦吟するように前傾した。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
8八玉。
手がない? ……入玉狙いかな。
金銀があるから、止められるとは思う。
一回7五歩、同龍と吊り上げて、4七歩成。
亜季は当然に5九飛と引いた。
2八香成で入玉を確保する。
亜季は悩んだ末、9二角で入玉の準備をした。
めんどくさくなってきた。
6四銀、7六龍、4六歩、7五桂、8四桂。
この手に、亜季の手が迷った。
盤上をふらついたあと、8六龍。
ボクは7五銀と切って、同龍に7六桂打と重ねた。
よし、これは手ごたえがある。
9八玉、4八角、4九飛、5七香成、7九銀、6七成香。
追い込んだまま仕留めるのは、難しそうだ。
9六歩で脱出してくると思う。
4八飛、同と、9六歩、7八成香、同銀、8八飛、9七玉。
捕まるか? 捕まんなきゃ持将棋になる。
ボクだって体力には自信がある。けど、亜季もサバゲで鍛えてる。
あいてのスタミナ切れは、期待できない。
ボクは7八飛成、8六玉に、9四銀で露骨な止めを入れた。
8四龍、8八桂成、7五玉、7七龍、7六金。
筋に入ってきた。
6六銀、6五玉、6四金、同龍、同歩、同玉。
「長かったね。6二金」
亜季は腕組みをして、しばらく盤を見つめた。
「是非もなし……ですか。投了です」
「ありがとうございました」
よっしッ! 決勝トーナメント確定ッ!
やっぱ自力で決めないとかっこ悪いでしょ。
内心でガッツポーズする中、感想戦が始まった。
「スターリングラードみたいな負け方でした」
「ごめん、その比喩よくわかんない」
「包囲しようとしたら逆に包囲された、という感じです」
なるほど、だったらいい比喩だ。
亜季の攻めから始まって、最後はボクの攻めで終わったからね。
亜季は嘆息した。
「どこが悪かったですか? 馬がどうも活きず……」
「6六角のところで、単に3六桂だったかも」
【検討図】
「これなら後手がしびれてた。6六角も悪くはないけど、5五銀に8四角じゃなくて、4六歩と強く反発するんじゃないかな」
亜季はしばらく考えて、
「たしかに、角を逃げたのはちぐはぐでしたか。5七の守りに打ったつもりだったので、8四~7三ではそっぽですね」
と答えた。
そして、すこし間を置いて、
「こちらから入玉する順は、ありましたか? 入れそうな気もしました」
とたずねてきた。
「あったかも。ただ9三に歩が残ってるからなあ」
「検討してみたいところですが、このあたりとしておきましょう。萩尾先輩、決勝進出、おめでとうございます」
「サンキュ」
ボクは席を立って、インタビューへ。
イヤホンをはめると、内木さんの声が聞こえた。
《おつかれさまでした。決勝進出、おめでとうございます》
「ありがとうございます」
《勝利の余韻をくもらせてもうしわけないのですが、とちゅうまでは先手が良かったように思います。対局者視点では、いかがでしたでしょうか?》
「ええ、後手が悪かったですね。亜季が寄せをあせってくれたのが勝因かな、と」
《なるほど、承知しました……伊吹さん、いかがですか?》
《夜ノ伊吹でーす。決勝進出、おめでとうございまーす。さっそくですが、決勝への意気込みをお願いします》
「まだ最終局が残っているので、そちらのほうに専念したいですね」
《プレーオフの人数がよほど多くない限り、本日ですよ?》
「今は考えないようにしてます」
《わかりました。では、またのちほど》
インタビューは終わった。
すこしくつろいでいると、松陰先輩があらわれた。
「萌、やったな」
「気が早いですって。まだ最終局があります」
「ハハハ、すまんすまん。なにか用意が必要なら、あとで言ってくれ」
「おにぎりと温かいお茶、それにチョコレート」
松陰先輩は眉を持ち上げて、ニヤリと笑った。
「気が早いんじゃないのか」
「考えないけど、準備はします」
これ、萩尾流ね。
それじゃ、最後も勝ってフィニッシュしようか。
二階堂亜紀さん、首を洗って待ててね。
場所:第10回日日杯 4日目 女子の部 16回戦
先手:長門 亜季
後手:萩尾 萌
戦型:横歩取り
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩
▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲3四飛 △4二玉 ▲3六飛 △7二銀
▲8七歩 △8四飛 ▲2六飛 △1四歩 ▲3八銀 △3三桂
▲6八銀 △2五歩 ▲3六飛 △2四飛 ▲7五歩 △2六歩
▲2八歩 △8三銀 ▲5五角 △4四歩 ▲7六飛 △4五歩
▲4六歩 △5二玉 ▲4五歩 △4二銀 ▲6九玉 △7二金
▲7九玉 △4三銀 ▲7四歩 △6二玉 ▲7七桂 △7四銀
▲4四歩 △5四銀 ▲7四飛 △5五銀 ▲8四飛 △9二角
▲8二銀 △3八角成 ▲同 金 △8三歩 ▲7一角 △6一玉
▲8六飛 △5二玉 ▲8一銀成 △4四飛 ▲4七歩 △1三角
▲8二角成 △同 金 ▲同成銀 △4五桂 ▲4八金 △3九角
▲5八金打 △2七歩成 ▲同 歩 △8四歩 ▲9一成銀 △2八歩
▲5六香 △同 銀 ▲同 飛 △5四香 ▲3六飛 △3三歩
▲3五銀 △同 角 ▲同 飛 △2九歩成 ▲6六角 △5五銀
▲8四角 △1九と ▲7三角成 △1七角成 ▲3六飛 △2四飛
▲2六歩 △同 馬 ▲8六飛 △1七馬 ▲8二飛成 △4三玉
▲4六歩 △2三金 ▲4五歩 △3四玉 ▲7四馬 △2八飛成
▲3八馬 △同 龍 ▲同 金 △4六桂 ▲8六龍 △5八桂成
▲2六桂 △2四玉 ▲2五歩 △1五玉 ▲1六歩 △同 玉
▲2八桂 △同 馬 ▲同 金 △1七金 ▲3八飛 △2七香
▲1七金 △同 玉 ▲5八飛 △4六歩 ▲8八玉 △7五歩
▲同 龍 △4七歩成 ▲5九飛 △2八香成 ▲9二角 △6四銀
▲7六龍 △4六歩 ▲7五桂 △8四桂 ▲8六龍 △7五銀
▲同 龍 △7六桂打 ▲9八玉 △4八角 ▲4九飛 △5七香成
▲7九銀 △6七成香 ▲4八飛 △同 と ▲9六歩 △7八成香
▲同 銀 △8八飛 ▲9七玉 △7八飛成 ▲8六玉 △9四銀
▲8四龍 △8八桂成 ▲7五玉 △7七龍 ▲7六金 △6六銀
▲6五玉 △6四金 ▲同 龍 △同 歩 ▲同 玉 △6二金
まで174手で萩尾の勝ち




