513手目 語ることも尽きて
ホテルのドアをくぐると、心地よい冷気。
気分転換に、外出しちゃってました。
夜のH島散策は、楽しかったけど暑かったです。
ほかのひとも誘いたかったんですけど、今夜は行動がバラバラ。
ホテルの中も、昨日より静かになっていました。
女子選手の集まっている18階まで上がって、ラウンジへ。
廊下の一番奥にスペースがあって、夜空が見えるんですよ。
あ、先客がいますね。磯前先輩です。
釣り用のジャケットを着てますね。まだお風呂前でしょうか。
「先輩、こんばんはー」
「……」
「こんばんはー」
背中をつんつん。
先輩はびっくりして、ふりかえりました。
「夢子ちゃんか。おどかしっこなしだよ」
「お、おどかしたつもりはないのですが……」
「どうしたの? なにか用?」
「いえ、たまたま寄っただけです」
ラウンジには、ふたりがけのソファーが3つ。
磯前先輩はその中で、窓際に近いところに座っていました。
「となり、座る?」
「あ、いいですか」
では、失礼して。
腰を降ろして、夜景を眺めます。
「さすがに100万都市だけあって、いい感じですね」
磯前先輩は、黙ってその風景を眺めていました。
「お疲れですか? 邪魔だったらもどりますが……」
「ん……いや、なんとなくしんみりしてた」
先輩、まだ早いですよ。
まさか諦め気味になってきたのでは。
「最終日は明日ですし、決勝の芽もあるじゃないですか」
「あ、ごめん、そういう意味じゃなくて……祭りが終わる前って感じかな」
私はなんとなく、先輩の言いたいことを察しました。
「そうですね。明日で終わりです」
「どういうかたちで終わるにせよ、ね」
ふたりのあいだに、沈黙が流れました。
主催者が今夜のイベントを入れなかったのは、適切な配慮だったと思います。
話したいこと、やりたいことはもう過ぎて、あと2局を残すのみ。
私にはその先の対局がありません。
このホテルの静けさは、みなさんがじぶんたちの3日間を振り返るための静けさかもしれません。考えすぎでしょうか。
「夢子ちゃんは、ここまで指してきて、どうだった?」
唐突な質問。
私は一瞬、答えに詰まりました。
「みなさん、お強いな、と……」
「そうだね。全国大会よりも気合いが入ってるんじゃないかな」
私はおどろいて、
「そうですか? あっちは公式大会ですよ?」
とたずねました。
「ちょっと言い方が悪かった。全国大会よりは実力勝負だと思うんだよね。だから選手のオーラが違うというか……じぶんで言っててなんだけど、抽象的だな」
「一発勝負じゃない、ってことですか?」
「うん、そういうこと」
全国大会はトーナメントです。負ければ終わり。
だけどそれって、ある意味では言い訳になるんですよね。
総当たりのリーグ戦は、弁解ができません。
「先輩は、どうですか?」
「ここまで後悔のある大会は、はじめて」
……どうしましょう。中身を訊くのが、ちょっと怖いです。
それを気遣ったのか、磯前先輩はじぶんから話し始めました。
「県大会の決勝で負けると、翌日はくよくよする。全国大会はそうでもないかな……負けてもしょうがないとまでは思わないけど、実力的に納得がいくし……でも今回は、ああしとけばよかったとか、こうしとけばよかったとか、そんなことばっかり考える」
なんと答えればいいのか、私にはわかりませんでした。
じぶんがちょっとお気楽過ぎたというか。
黙っていると、磯前先輩は帽子をなおしました。
「ごめん、愚痴のあいてをさせちゃった。そろそろ戻るよ」
先輩は席を立ちました。
私も腰をあげます。
「夢子ちゃんはゆっくりしていきなよ」
「いえ、シャワーもまだなので」
先輩は廊下のとちゅうで立ち止まりました。
カードキーをとりだして、
「ほんとごめん……じゃ、またあした」
と言って、部屋の中に姿を消しました。
私はさらに奥の部屋を目指して──ん? 今、なにか倒れる音がしませんでしたか? 階段のところから聞こえたような。
ちらりと覗き込むと、上の踊り場にひとの姿がありました。
「六連くんッ!」
六連くんは床に尻もちをついて、壁に寄りかかっていました。
私は階段を駆け上がりました。
「どうしたんですか? こけました?」
六連くんは苦しそうな表情で右手を上げ、
「静かにして……」
と言いました。声が変です。
「どこか打ちました?」
「だいじょうぶ……眩暈がしただけだから……」
「眩暈? ……スタッフを呼んで来ます」
私が腰をあげかけると、そでを引っ張られました。
ふりかえると、六連くんはうつむき気味になって、
「呼ばなくていい……」
と言いました。
「気分が悪いんですよね?」
「寝たら治るから……」
六連くんは立ち上がろうとしました。
ふらついて倒れかけたので、私はあわてて支えました。
「病気ですか?」
「なんでもない……」
「なんでもないはずがないです」
「とにかく部屋へ……」
六連くんは19階へ上がろうとしました。
私はどうしたものか迷ったあと、ひとまず部屋へ連れて行くことにしました。
肩を貸して階段を上がり、カードキーを借りてドアを開けました。
ベッドに寝かせたあと、
「スタッフのひとを呼んで来ます」
と言い、部屋を出ようとしました。
「ダメだ」
背後から、すこし大きめの声が聞こえました。
私はふりかえり、
「たぶん病気ですよ」
と言いました。
「病気じゃない……ただの体質……」
六連くんの返答に、私は困惑しました。
そして、部屋のなかが異様なことに気づきました。
テーブルのうえに、空のエナジードリンクが何本もほったらかしでした。
六連くんはベッドに寝たまま、ポケットに手を突っ込みました。
財布を取り出し、そこから五千円札を抜きました。
「一番高いドリンク買って来て……」
「ドリンクって……それよりもお医者さんですよ」
「ダメ……」
六連くんは私の目を見て、
「それだと棄権になる……」
と言いました。
憔悴しきっている表情の中で、その瞳にだけ奇妙な生気がありました。
私は無意識のうちに、五千円札を受け取っていました。
部屋を出ると、無人の廊下。
数秒ほど立ちすくんだあと、私はエレベータで1階へ。
レセプションの男性に話しかけました。
「すみません、19階の六連さんが……」
ダメ……
「……」
「六連様が、いかがなさいましたか?」
「……ちょっと買い出しを頼まれたんですが、最寄りのコンビニはどこですか?」
男性スタッフは、地図を広げて場所を教えてくれました。
私はお礼を言って、コンビニへ。
ほんとうにすぐ近くでした。
中に入った瞬間、私は身構えました。
鳴門先輩と米子先輩の姿が。
ふたりは雑誌コーナーで立ち読みをしながら、雑談をしていました。
「駿、このバンドどう思うっすか?」
「DuTubeで観たら、けっこうよかったよ。こんど西日本公演があるってさ」
こ、ここは存在感のなさを活かすとき──こそこそこそ。
ドリンクコーナーへ到着。
なにを買えばいいんでしょうか。一番高いやつは……あ、これですか?
1500円。高いですね。
これを3本買えばいいんですか?
いやでも、なんかそれっておかしいような。
やはりお医者さんを──それとも──
「お客さん、なにかお探しですか?」
若い女性の店員さんに、声をかけられました。
留学生のかたでしょうか。
「あ、すみません、迷ってたもので」
私はとっさにそのドリンクを買って、会計を済ませました。
ホテルへ戻り、六連くんの部屋へ。
後ろ手でドアを閉めたとき、妙にホッとしました。
「六連くん?」
……寝てますね。寝息が聞こえます。
近寄ってみると、高校生らしい、まだ幼さの残る寝顔。
私は額に手を当てました。
熱はないみたいです。
とりあえずお布団をかけて……どうしましょう。
お医者さんに相談するのが、最善手だと思います。
いくら体調不良でも、勝手に棄権には、ならなくないですか?
あ、でもドクターストップになれば……ううん、そうじゃないです。
私はドリンクを握り締めたまま、首を振りました。
ドクターストップがかかる状態なら、なおさらお医者さんを呼ばないと。
「六連くん、ごめんなさい」
私はもう一度、レセプションへ向かいました。




