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こちら、駒桜高校将棋部Outsiders  作者: 稲葉孝太郎
第43局 日日杯3日目(2015年8月3日月曜)
521/681

509手目 帰って来た事務方

※ここからは、松陰まつかげくん視点です。女子第15局開始時点にもどります。

 男子は終わって飯──というわけにもいかず、一般会場へ。

 もえの将棋が始まるまで、菓子をひとくち食べていた。

「このバームクーヘン、うまいな」

 俺がそう言うと、となりに立っていた嘉中ひろなかは、

「マジ? 買えばよかったか」

 と嘆息した。

「おごってやるって言っただろ。なんで拒否った?」

「いや、おごってもらうなら、もっと高いところにする」

 おいおい、何千円分もおごるとは、言ってないんだが。

 こいつと賭けをしたのは、よくなかったな。実力的にも分が悪かった。

 俺は正直、将棋を指すタイプじゃない。ほんとうは観る将なんだ。H島の傍目はためさんみたいに。彼女はもう卒業してしまったが。

 じゃあなんでこの大会にいるのかって? 妹が毛利もうりのブレイン役でな。その縁で大会に出てたら、強豪のいない空白期間に優勝してしまった。

 嘉中はバームクーヘンに未練があるらしく、

「さっきのメイド服のねーちゃん、交渉したらタダでくれないかな」

 とつぶやいた。

「くれるわけないだろ」

「ま、それもそっか……っと、始まった」


【先手:萩尾はぎおもえ(Y口県) 後手:早乙女さおとめ素子もとこ(H島県)】

挿絵(By みてみん)


 解説はH島の姫野ひめのさんと、Y口のキャシー。

 嘉中は、

「なんかすごい組み合わせだな」

 と言った。

 俺はどちらかと言えば盤面のほうに目が向いて、

「矢倉か。萌の得意分野だ」

 と判断した。

「萌はどれも得意じゃん」

 それを言っちゃあおしまいだ。

 6二銀、2六歩、4二銀、2五歩、3三銀。

 飛車先が早い。

 4八銀、3二金、5八金右、4一玉、3六歩。


挿絵(By みてみん)


 嘉中は、

「速攻っぽい?」

 と予想した。いやいや、ムリだろう。

 解説もちがう意見で、姫野さんは、

《さすがにここから3五歩はできません。フェイントに見えます》

 とコメントした。

 キャシーは、

《姫野センパイは攻めるんじゃないデスカ?》

 と、危ないことを言い出した。

 これは華麗にスルーされた。

 5二金、5六歩、5四歩、7九角、3一角。

 やはり攻めなかった。

 6六歩、7四歩、6七金、4四歩。

《先手は早囲いを狙っているようです》

《囲えマスカ?》

《この手順なら入れます。後手から速攻で潰すことはできません》

 6八玉、6四角、3七桂、4三金右、7八玉、7三銀、5八金。


挿絵(By みてみん)


 後手はオーソドックスに組んだ。

 先手は変則形に。

《キングさん、萩尾さんはこのかたちをよく指されるのですか?》

《Ahaha、萌の考えてること、よくわかんないデース》

 そこは同意する。

 萌のふだんの言動も、いまいち理解しかねるところがあった。

 藝術家だからか、それとも本人の個性なのか。

 今回の日日にちにち杯だって、俺が事前に流した情報を、あまり活用していなかった。

 べつに使ってくれとは言わない。

 ただ、どうして使わないのか、ここが読み取れなかった。

 8五歩、4六歩、3一玉、4七銀、1四歩、1六歩。

 嘉中は頭をぽりぽりやりながら、

「後手から攻めそうか? 7五歩、イケるっしょ」

 と言った。

「歩を交換して終わりだろ。先手からは6五歩がある」

「ま、そうとも言う」

 解説もこの順を気にし始めた。

《姫野センパイ、攻めますか?》

《7五歩、同歩、同角、7六歩、6四角、あるいは7五歩、同歩、同角、2九飛はよく見る順ですが、本譜は後続手がありません。以下、先手の6五歩を待って、4二角~6四歩と反撃したいところです》

《そこで3五歩か4五歩ありマース》

《4五歩は放置して、6四歩、4四歩、同金、6四歩、同角、4六角が一案です》


【参考図】

挿絵(By みてみん)


《3五歩の場合は同歩、4五歩、6四歩でしょうか》

 激しい。萌好みでもある。

 早乙女も攻め好きだから、この順は蓋然性が高かった。

 早乙女は1分ほど考えて、7五歩と開戦した。

 同歩、同角、7六歩、6四角、6五歩、5三角、4五歩。

 解説とはすこし異なるかたちで進む。

 6四歩、4四歩、同金、6四歩、同角、4六角。

 嘉中は、

「ほんとにぶつけたなあ。取らないだろうけど」

 と言った。

 カタチ的には取ると損だ。

 脇システムと同じ理屈で、手損になる。

 後手の継続手を考えていると、うしろから女性に声をかけられた。

 ふりかえると、意外な人物が立っていた。

傍目はためさん」

 私服姿の傍目さんが立っていた。

 三つ編みの髪型はそのままだったが、すこしおとなびて見えた。

「松陰さん、おひさしぶりです。高校のときは事務方で、いろいろお世話になりました」

「いえ、こちらこそ……解説で呼ばれたんですか?」

 傍目さんは、いやいや、とメガネをなおした。

「私は県大会優勝経験者でもなんでもありません。解説する棋力もないので……あ、嘉中さん、おひさしぶりです」

「おひさでーす。今日はどうしたんですか?」

「昨日帰省しました。今はあいさつ回りです」

 傍目さんはこちらに向きなおり、

「萩尾vs早乙女ですか。形勢はどうなっていますか?」

 とたずねた。

 局面は進んでいて、6五歩、1五歩、同歩、1三歩、同香、2四歩と、先手の本格的な攻撃が始まっていた。


挿絵(By みてみん)


 俺は、

「持つなら先手ですね。攻めてるほうが有利です」

 と答えた。

「たしかに、攻めるほうを持ちたがるひとは多いですね」

「それに、陣形差が出てきてます」

 萌は自然にかたちをよくした。これは大きい。

 傍目さんも同意して、

「早乙女さんは今日、2勝2敗ですか。調子が悪いのですかね」

 と言った。

「大きく後退したのは事実です。梨元なしもと出雲いずもに負けたのは、ちょっと予想外でした。ここを勝っていれば、トップグループでしたから」

 もっとも、それが不調を意味するのかどうか。俺は判断がつかなかった。

 ヘルスケアアプリでも仕込んでないとわからない。

 傍目さんは、

「彼女の脳内評価値が、おかしくなっているのかもしれません」

 と言った。

 俺はその点について、ちょっと訊いてみたいことがあった。

「ほんとうにそういうものが見えるんですか? オカルトだと思うんですが……」

「なるほど、早乙女さんの脳内を見ることはできませんね」

 ここで嘉中が口をはさんできた。

「俺はありえると思いますね」

 傍目さんは興味深そうに、

「嘉中さんが信じているというのは、やや意外です」

 と言った。

「いや、人間の脳の仕組みで、説明がつきますよ。俺はものつくり高校でIT農業やってるんですけど、AIってようするに、データからの特徴量の抽出じゃないですか。人間の脳も同じことをしていて、過去のデータから予測を出してるんです」

 傍目さんは、

「私は社会心理学を専攻したので、そこまで詳しくありません。が、学習用のデータセットというものは聞いたことがありますね。早乙女さんの場合は、過去の棋譜から学習し、それを脳内で数値化している、ということですか?」

 とたずねた。

「数値化できるところに、彼女の特異性があるんだと思います。だったら、AIがおかしな出力をすることがあるように、脳がおかしな出力をすることもあるんじゃないですか」

 ふむ、なんとなくわかったような、わからなかったような。

 この談義のあいだにも、手は進んでいた。


挿絵(By みてみん)


 2四同銀、1二歩、3三桂、1一歩成、4五桂だろうか。

 俺は、

「ひと目、先手がいいです」

 とコメントした。

 嘉中も同意見だった。

 4五桂は、苦しいところで手を作りにいった手だ。

 解説は応手を議論し始めた。

《ここは悩ましいです。同桂、2五桂、6四角のいずれもありえます》

《2五桂、3七桂成は6四角が王手デスネ。王様の位置、悪いデス》

《おっしゃる通りです。ただ、2五桂を跳ねずに6四角、同銀、4五桂でもよいですし、角交換をせずに4五同桂もあります。この3択の比較は、むずかしいように思います》

《Rich variety》

 萌は単に6四角を選択した。

 同銀、4五桂、同金、6三角。

 いいところに打てた。俺はそう考えたが、姫野さんは、

《思ったよりも後手は粘れそうです》

 という評価だった。

《Why?》

《上から潰す選択をとらなかったからです。本譜はやや迂遠うえんです》

 単純な解答。しかし説得力があった。

 キャシーは、

《4四金、7四角成なら、じわじわモードデスネ》

 と返した。

《4三金もあると思います》

《But dangerous》

《飛車の横利きが通りますし、先手も攻めがむずかしくなります》

 うむむ、このあたりはさすがにわからない。

 パッと見、4四金と引きたいが。

 早乙女もそちらを選択した。

 4四金、7四角成、3七角、2九飛、7三歩。


挿絵(By みてみん)


 ん、これは──思ったほど先手がよくないな。

 先手優勢かと思っていたが、やや有利くらいか?

《7四角成ではなく、7四桂だったかもしれません。本局の萩尾さんは慎重です》

 たしかに安全路線だ。萌、なにを考えてる?

 最終局が近づいてきて、手が伸びなくなったか?

 それとも……俺は観る将の立場で、対局を見守ることにした。

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