495手目 29手詰め
※ここからは、囃子原くん視点です。
パシリ
4四歩か……なるほど、それが捨神くんの答えなのだな。
1四歩という単純な攻めでなかったことは、喜ばしい。
そしておそらく4四歩が最善だ。次善で1七香だろう。
僕もきちんと正着を指さねばならん。
一見4二金引だが……僕はちがうと思う。1六桂でもない。
4二金引は初見最善。しかし深く読んでいくと先手がよくなる。とちゅうから後手に寄り筋が発生してしまうのだ。だとすれば──こうだ。
「!」
捨神くんの表情が、びみょうに変わった。
本命で読んでいた手ではないようだ。
この手は奥深いぞ。ぞんぶんに堪能してくれたまえ。
「……1四歩」
「2二玉」
「引くんだね……1七香」
挟撃に持ち込むつもりだな。それは正しい。
1六歩、1三歩成、同玉、1六香、1五歩、1四歩、2二玉。
「4五桂ッ!」
「2五桂」
3三桂成を許容する。
3七の金を取るつもりもない。
捨神くんはこの方針にすこしとまどったらしい。手が止まった。
まだ演奏をやめるには早すぎるぞ。
「……3三桂成」
「同金」
捨神くんは2六金と上がった。
僕は1七香と放り込む。
捨神くんは、また手が止まった。
残り時間は先手が2分、後手が3分。
捨神くんはそこから1分使って、1三歩成とした。
同玉に2五金と切ってくる。
1八香成、同玉、2五歩。
「うッ……」
ハハハ、まだ互角だよ。焦ることはない。
とはいえ若干後手持ちだがね。
ピッ……ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「1五香ッ!」
1四歩、4三歩成、同金。
どうだ、後手玉が広くなっただろう。これが3三金寄の効果だ。
あの局面はむしろ駒を清算したかった。
ここで僕も1分将棋に。
捨神くんは1四香と走った。
これは取る。同玉、1五歩、2三玉、1四金、3三玉、2四銀。
「同馬」
これで清算は終わりだ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同金ッ!」
同玉に対して、捨神くんは1六桂と打った。
あくまでも寄せるつもりだな。
「つきあうぞ。2三玉」
2四香、3三玉、4四歩。
ん? 4四歩? 詰めろか。しかし──
30……40……50……ふむ……残念だ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「2九銀」
「!」
さあ、この手の意味は分かるだろう。
もうすこし楽しみたかったが、しかたがない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
同玉、3七桂、2八玉、1八金、同玉。
ここで再度の2九銀。持ち駒は豊富にある。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
1七玉。
飛車の横利きに賭けたか──ムダだ。
「1八金」
飛車をもらう。
同飛、同銀成、同玉。
次の手が美しい。
「1九飛」
取れば4九龍で詰み。
捨神くん、どこで投げる? 投げ場所も勝負のひとつだ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「2八玉」
もうすこし先か……それもいい。
「2九桂成」
3七玉、4五桂、4八玉、1八飛成。
残り10手を切った。捨神くんは持ち駒をそろえた。
「ちょっとがっかりさせちゃったかな……見えてなかったよ……負けました」
「ありがとうございました」
チェスクロを止める。
捨神くんはしばらく黙っていた。僕は水をひとくち飲む。
「ごめん、詰みを見逃してた。29手詰みだね」
「4四歩では3八銀と下がる一手だった」
【検討図】
「だね。これなら詰まない。たださすがに僕が悪いよ」
「後手優勢というほどでもあるまい」
捨神くんはすこし自嘲気味に、
「いや、僕が攻めきれなかった時点でダメだよ。切れちゃってるし」
と答えた。
ずいぶん弱気だな。即詰みがショックだったか──ならば長引かせることもあるまい。
「それでは、次の対局もある。短いがこれで失礼するよ」
「え、あ、うん」
おたがいに一礼して、僕は離席した。
インタビューコーナーへ向かおうとしたところ、すこし混んでいた。
並んでもよいが──
「礼音さま、終わられたのですか」
「ああ、剣か。ちょうど終わったところだ」
「その御様子では、お勝ちになられたようですね」
さすがだな。僕の付き人を何年もやっていない。
「そのようすだと剣は負けたようだな」
「もうしわけございません……じつはあざみも負けております」
なに? ……磯前に敗れたか。
剣は小声で、
「萩尾が暫定単独首位になったので、今偵察しているところです」
と言い、すぐ近くのテーブルへ目配せした。
【先手:萩尾萌(Y口県) 後手:大谷雛(T島県)】
入玉模様か。おもしろい。
剣は、
「とちゅうまでは大谷が余裕で入れそうだったのですが、萩尾が巧みで止まりました」
と説明した。
たしかに、3六玉としても5九桂で止まる。それ以前に龍が当たりなのもあるが。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
3九龍。当然の一手。
萩尾くんは3一龍とした。
「今のところは1六歩で先に埋める手もあった」
「左様です」
しかし3一龍も無難だ。
大谷くんは入玉がむずかしいと見たのか、8五桂と攻めに出た。
萩尾くんの目つきが鋭くなる。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
いい手だ。これは取ると詰む。同銀、同銀、同玉、2七銀、2五玉、2六香、1四玉、2四角成まで。2六同銀に3六玉と上がるのも、3五龍、4七玉、5九桂以下。
大谷くんはさすがに取らないと思うが、どうする?
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6九銀」
引っかけたか。7七桂成もあった。
萩尾くんは駒音高く5九桂。さきほどの詰み筋でも出た急所だ。
大谷くんはやや険しい顔つきに。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
7七桂成、同桂、5七金、7九金、2八龍、同銀、7八金。
最後の突撃。一応3枚の攻めではあるが──
剣は横で、
「どうにも足りません」
とつぶやいた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
萩尾くんは冷静に9七玉。そこが安全地帯だ。
大谷くんは2六銀で、再度入玉を目指す。
2七歩、3六玉、2六歩。
大谷くんは軽く目をつむり、両手を合わせた。
「これが詰めろではどうしようもありません……拙僧の負けです」
「ありがとうございました」
周囲がざわついた。
観戦していた梨元くんは、
「んー、萌ちゃん、落ちて来ないなあ」
と言った。
同郷の長門くんは、
「さすがは萩尾先輩、入玉の阻止に痺れました」
と感嘆していた。
どのような止め方だったのだろうな。
「剣、棋譜を入手しておけ。僕はインタビューがまだ終わっていない」
「御意に」
それではインタビューコーナーへ。
「もしもし、囃子原だ」
聞こえてきたのは御手くんの声だった。
《御手だ。おつかれさん》
「御手くんか。すこし待たせてしまったな」
《あいかわらず態度がデカいな。まあいいや。長手数を詰ませたのは派手だった》
「御手くんなら見えていたのではないかね?」
《まあな。むしろ捨神がアレを見落としたのは意外だった》
そこは僕も意外に思っている。
すこし疲れが出ているのかもしれない。
「とはいえ一手違いだ。大差とも言えんだろう」
《そういうことにしておくか……我孫子、なんかあるか?》
《おつかれさまでやんす》
「おつかれさまだ」
《終盤の入り口で4四歩に3三金寄と逃げたでやんすが、棋理的には4二金引のほうが本線だった気がしたでやんす。なにか意図があったでやんすか?》
【参考図】
「たしかに一目4二金引だ……が、それは進めていくと先手に振れると思う」
《ほんとでやんすか?》
「うむ、3三金寄のほうが上部は厚い」
《なんだか狐につままれたような話でやんす》
「時間があれば検討してみてくれたまえ」
《承知でやんす》
インタビューも終わった。次の対戦相手は──おっと、これは奇遇だ。
「吉良くん、まだインタビューを終えていないのかね?」
吉良くんはポケットに手を突っ込んだまま、こちらへ顔を向けた。
「なんだ囃子原か……次当たるのに話しかけるか?」
「常に紳士的であれ、と僕は思う」
「とかなんとか言って、次の獲物に目をつけただけだろ。捨神に勝ったんだってな」
僕が返事をするまえに、前のインタビューが終わった。
吉良くんは僕の横をすりぬける。
「3日目で決勝進出決められたら恥だからな。俺が止める」
「ハハハ、楽しみにしているよ」
ほんとうだ。僕を楽しませてくれるものなら、なんでも歓迎だ。
さきほどの対局の穴埋め、ぜひ期待している。
場所:第10回日日杯 3日目 男子の部 12回戦
先手:捨神 九十九
後手:囃子原 礼音
戦型:先手四間飛車vs後手右銀急戦
▲7六歩 △3四歩 ▲6八飛 △8四歩 ▲6六歩 △6二銀
▲1六歩 △8五歩 ▲7七角 △1四歩 ▲7八銀 △5二金右
▲6七銀 △3二銀 ▲3八銀 △7四歩 ▲4八玉 △4二玉
▲5八金左 △5四歩 ▲3九玉 △5三銀 ▲2八玉 △3一玉
▲5六歩 △3三角 ▲4六歩 △6四銀 ▲7八飛 △2二玉
▲4五歩 △5三銀 ▲3六歩 △4四歩 ▲3七桂 △2四角
▲4七金 △4五歩 ▲6五歩 △3三角 ▲5五歩 △8六歩
▲同 歩 △5五角 ▲同 角 △同 歩 ▲5四歩 △同 銀
▲7一角 △8六飛 ▲4四角成 △3三角 ▲5四馬 △4三金
▲4五馬 △8九飛成 ▲4八飛 △9九龍 ▲2五桂 △6九龍
▲5八銀打 △7九龍 ▲6三馬 △2四角 ▲5四歩 △5二香
▲4四歩 △5四金 ▲8一馬 △4四金 ▲7一馬 △4三金
▲4四桂 △5四桂 ▲3七金 △4七歩 ▲同銀左 △1五歩
▲同 歩 △1六歩 ▲同 香 △5七角成 ▲1四歩 △1五歩
▲同 香 △1七歩 ▲2九銀 △1八歩成 ▲同 銀 △2四歩
▲3二桂成 △同 金 ▲1三桂成 △同 桂 ▲同歩成 △同 香
▲同香成 △同 玉 ▲4四歩 △3三金寄 ▲1四歩 △2二玉
▲1七香 △1六歩 ▲1三歩成 △同 玉 ▲1六香 △1五歩
▲1四歩 △2二玉 ▲4五桂 △2五桂 ▲3三桂成 △同 金
▲2六金 △1七香 ▲1三歩成 △同 玉 ▲2五金 △1八香成
▲同 玉 △2五歩 ▲1五香 △1四歩 ▲4三歩成 △同 金
▲1四香 △同 玉 ▲1五歩 △2三玉 ▲1四金 △3三玉
▲2四銀 △同 馬 ▲同 金 △同 玉 ▲1六桂 △2三玉
▲2四香 △3三玉 ▲4四歩 △2九銀 ▲同 玉 △3七桂
▲2八玉 △1八金 ▲同 玉 △2九銀 ▲1七玉 △1八金
▲同 飛 △同銀成 ▲同 玉 △1九飛 ▲2八玉 △2九桂成
▲3七玉 △4五桂 ▲4八玉 △1八飛成
まで160手で囃子原の勝ち
場所:第10回日日杯 3日目 女子の部 13回戦
先手:萩尾 萌
後手:大谷 雛
戦型:後手矢倉急戦
▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲7七銀 △6二銀
▲2六歩 △4二銀 ▲2五歩 △3三銀 ▲4八銀 △3二金
▲5八金右 △5四歩 ▲5六歩 △4一玉 ▲7八金 △7四歩
▲6九玉 △5二金 ▲3六歩 △7三桂 ▲6六歩 △6四歩
▲6七金右 △1四歩 ▲7九角 △4四銀 ▲3七桂 △5五歩
▲同 歩 △6三銀 ▲9六歩 △5五銀 ▲5六歩 △4四銀
▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △2三歩 ▲2八飛 △6二飛
▲4六角 △3五歩 ▲同 歩 △3六歩 ▲2五桂 △2四歩
▲3四歩 △2三金 ▲3三桂成 △同 桂 ▲2四角 △3四金
▲3五歩 △2四金 ▲同 飛 △5一金 ▲2三飛成 △3一桂
▲2七龍 △4五桂 ▲3六龍 △8五桂 ▲4六歩 △5七歩
▲4七銀 △3二飛 ▲3四歩 △7七桂成 ▲同金寄 △5八歩成
▲同 玉 △1三角 ▲2四歩 △1五角 ▲4五歩 △3五銀
▲3八龍 △3七銀 ▲1八龍 △4八銀成 ▲6九玉 △2四銀
▲7九玉 △4七成銀 ▲8八玉 △3七角成 ▲4四歩 △同 歩
▲5五桂 △3四飛 ▲6三桂成 △3二玉 ▲1六歩 △2六歩
▲1五歩 △2七歩成 ▲1六龍 △2六と ▲1四歩 △1六と
▲1三歩成 △同 香 ▲1六香 △2三玉 ▲1三香成 △同 玉
▲3八歩 △同成銀 ▲1六銀 △2五銀打 ▲同 銀 △同 銀
▲2六歩 △1四玉 ▲2五歩 △同 玉 ▲3九歩 △同成銀
▲1八銀 △1六銀 ▲3五歩 △同 飛 ▲1三角 △2四香
▲1七銀打 △同銀成 ▲同 銀 △1五銀 ▲2八銀打 △1六歩
▲2六歩 △3六玉 ▲3九銀 △1七歩成 ▲3八香 △2七玉
▲3七香 △同飛成 ▲2九金 △2六玉 ▲4八角 △3六歩
▲2八銀打 △2七香 ▲3八桂 △2五玉 ▲3七銀 △同歩成
▲同 角 △2六歩 ▲2八歩 △6九飛 ▲5五飛 △3五歩
▲5一飛成 △2八香成 ▲同 銀 △2九飛成 ▲1七銀 △3八龍
▲2八金 △3九龍 ▲3一龍 △8五桂 ▲2六角 △6九銀
▲5九桂 △7七桂成 ▲同 桂 △5七金 ▲7九金 △2八龍
▲同 銀 △7八金 ▲9七玉 △2六銀 ▲2七歩 △3六玉
▲2六歩
まで181手で萩尾の勝ち




