489手目 水平線効果
※ここからは、早乙女さん視点です。女子12回戦開始時点に戻ります。
次は梨元先輩か──とりあえずいつも通りに。
私は席について待った。なかなか現れない。
開始3分前になって、ようやく会場の入り口から入ってきた。
お手洗いにでも行ってたのかしら。
カウボーイハットを指先でくるくるさせながら、こちらへ歩いてくる。
「ごめんごめん」
梨元先輩はカウボーイハットをかぶりなおした。着席。
「梨元先輩、振り駒をどうぞ」
「了解」
梨元先輩は歩を5枚集めて、手のなかでかき混ぜた。
盤上へほうる。
「歩が3枚、私の先手」
後手か。梨元先輩は振り飛車党。振ってくる筋は決まっていない。
私の計算によれば、角交換型四間飛車になる確率は50.2%、ゴキゲン中飛車が27.9%、三間飛車が8.5%、その他が13.4%だ。
《対局準備はよろしいでしょうか? ……では、始めてください》
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いしまーす」
私がチェスクロを押すと、梨元先輩はすぐに7六歩。
3四歩、6八飛。
角交換型四間飛車。
8四歩、6六歩、6二銀、1六歩、1四歩。
穴熊でもない。予想していた中で、一番オーソドックスなかたちになった。
用意してきた作戦をくりだせそうだ。
3八銀、4二玉、7八銀、5四歩、4六歩、5二金右。
私の脳内評価値は、この時点で居飛車がいいと判断してしまう。
後手に振れた-100くらいだから、誤差みたいなものだけど。
4八玉、3二玉、6七銀。
すこし藤井システムっぽく指して来ている。
こちらの持久戦が読まれているようだ。
私は8五歩、7七角を決めてから、4四角と上がった。
これを見た梨元先輩は、
「あ、ふーん、そういう作戦か」
とつぶやいた。
ええ、そういう作戦です。
「面白いじゃん。受けて立つ。3九玉」
3三桂、2八玉、2二銀、5六歩、2一玉。
ミレニアム。おちょくってるわけではない。
一番勝率が高いと読んだ。
梨元先輩も動揺した形跡はなかった。悠々と5八飛。
3一金、7八金、4二金寄、5九飛。
まだ互角。
6四歩、9六歩、9四歩、6五歩。
ここで私は角交換。
同桂に6五歩と取り返す。
「5五歩」
私は脳内評価値を確認した──あら、すこしミスしてしまったみたい。
7八金までは脳内評価値で-200だった。後手やや有利。
ところが進めるうちに数字が溶けて、今は+150ほど。先手が戻している。
「水平線がありましたか……」
「ん、なんか言った?」
「いえ、失礼しました。ひとりごとです」
私は水を飲む。うしろ髪をなでた。
水平線効果が出てしまった。無限に先を読めるわけじゃないから、評価はどうしてもブレてしまう。読める限界、つまり水平線のむこうがわの有利不利はみえない。これはソフトでもいっしょだ。
とはいえ先手有利というほどでもない。
ここは冷静に対処する。
同歩、同飛、1五歩、同歩、8六歩。
「早乙女ちゃん、あせってなーい? 同歩」
「いえ、これで問題ありません。6六歩」
梨元先輩は10秒ほど考えて、同銀。
私は1七歩と垂らす。
梨元先輩は、親指でカウボーイハットのつばを持ち上げた。
「全面抗争ってわけね。かかってきなさい」
と言いつつ、梨元先輩は2六歩。
なんでしょうか、その逃げ道を作ったような手は。
「裏口から出て行こうとしている気がしますが」
「チッチッチッ、決闘は最後にとっておくものよ。西部劇の常識」
そうですか。西部劇は観たことがないので、なんとも。
とりあえず将棋をする。
8六飛、8七歩、5四歩、6五飛、8二飛。
梨元先輩はこの手をみて、テーブルに肘をついた。
「ふーん、急に消極的、と」
先輩の着地失敗待ち。
このかたち、後手は簡単に崩れませんよ。
「……5七銀」
さすがにムリ攻めはしてこなかった。
ならば揺さぶりを。
「7四歩」
梨元先輩はこっそり1七香。
私はさらに4四角でプレッシャーをかける。
「あれ、角使っちゃうんだ」
「先輩も使いますか?」
「んー、射撃する場所がないかな。1四歩」
伸ばしですか。いい手です。さすがに県代表だと安定していますね。
7三桂で飛車を下げさせる。
6七飛、7五歩。
梨元先輩は、表情がすこし硬くなってきた。
思い通りに攻められなくて、焦れてきたようだ。
となると次は攻勢に出る確率、87.1%。梨元先輩の性格込みで。
「よし、行くか。4五歩」
3五角と手順に出る。
梨元先輩は5八歩。
おしりに歩を打つようだと、べつの手のほうがよかったのでは。
もっともこれが見落としとも思えないけれど。
7六歩、6五桂、同桂、同飛、6四歩、同飛。
「2四桂です」
「ん? それでいいの? 成っちゃうよ?」
「どうぞ」
「じゃ、敵のアジトへ突撃ィ! 1三歩成」
私は1六歩と置く。
梨元先輩はノータイムで2二とと入った。
+0
ついに評価値がもどった。
今のところは1二歩と打たれるほうがイヤだった。
同金、1六香、同桂。
「あ~ッ、2七玉」
ここからは反撃。
4五桂、5六銀、2四香、1二歩。
「それはさっき打っておくものでしたね。同香」
「見せ場はあとにとっとくもんよッ! 4五銀ッ!」
8五飛と浮く。これが銀当たり。
梨元先輩は迷った。おそらく6五歩と4六歩の天秤。
「……4六歩」
私は何通りか読んだ。
7七歩成、同金、2六香、3六玉、2九香成は一見好調。
でも1三歩、同香、2四歩という反撃があって、後手が悪い。
2六角、2五歩、同香、3六玉、2八桂成なら、互角か。
私はこちらのルートを選択した。その通りに進む。
「先手がいいはずッ! 1三歩ッ!」
梨元先輩は踏み込んできた。
私は脳内評価値がプラマイゼロなことを確認する。
この先手の攻めはいなせる。
「同香」
1四歩、同香、4七玉、3八成桂、同金。
この瞬間、後手に振れる手順がひっかかった。
どこかで2六桂と打って、この金を攻めるのがいい。それで-200。
もちろんすぐには打てない。先に5三角と撤退した。
「5四飛ッ!」
2九香成で桂馬を入手。
梨元先輩は1三桂とむりやり押し込んできた。
3一玉、3四飛、3三歩、1四飛、1二歩。
「続くはずッ! 2五桂ッ!」
「いいえ、続きません。5五桂」
「そんなのタダの王手じゃん。4八玉」
「こちらが本命です。5七歩」
梨元先輩の顔色が変わった。
「ぐッ……」
これはいい手。私の脳内演算がそう言っている。
「同……歩」
2四銀と手をもどす。
1一銀、2五銀、2二銀不成、同玉。
「1一角」
私は評価値を読み直す──あら、予定より早く―150まで来たわね。
このペースだと、2六桂で後手有利に持ち込める。
3一玉(-145)、2一桂成(-150)、4一玉(-155)。
1二飛成で-150。龍ができても問題ない。
私は桂馬を手にした。
「2六桂」
打った瞬間、私の脳内に電気信号が走った。
| | -135
| | | | -75
| | | | +0
え? 評価値が溶けて ── +500!?




