488手目 外野への浮気
※ここからは、石鉄くん視点です。
切ってしまいました──もうあともどりできません。
正直、先手苦しいです。
6五歩のところで、すなおに3五角と出ておけばよかったでしょうか。
後悔先に立たず。とにかくがんばります。
同玉、7四金、6二玉、7五金。
自陣をガチガチに固めていきます。
米子先輩が攻めてきたら、その反動で手を作りたいです。
「4六角っす」
あ、さっそく攻めてきました。
6八金右、5七桂成、同金、同角成。
き、厳しいです。
6八金ではじきつつ、上部脱出を模索。
4六馬、5八歩。
米子先輩の手が止まりました。
ある程度受け切れましたか? どうですか?
米子先輩は片目をつむって、頭をかきました。
「思ったよりよくならない……」
思ったより悪くなりませんでした。
米子先輩は3分を切るまで考えて、5二玉としました。
いったん態勢を立て直してきましたね。
「4四桂」
4三玉、3二桂成。
「駒が足りないっすよ。同玉」
「それは承知です。5七金」
反撃狙いじゃありません。このまま受け潰します。
4五馬、5六金打、4四馬、3五歩、同馬、4六金寄。
「さすがに馬は切れないか……2四馬」
なんだかんだで後手の上部脱出はむずかしくなりました。
もうちょっといじめます。
「2五歩」
同馬、3六銀。
「マジっすか?」
マジです。入玉を防ぎつつ防御。
塹壕をどんどん右へ伸ばします。
米子先輩は水を飲んで、猫背気味に小考。
盤をにらんで固まりました。
僕は点数を計算──足りないですね。大駒が1枚しかないですし。
米子先輩もそのことには気づいているはず。
「……2六馬」
入ってきました。自然な一手。
この手に考え込んでいたとは思えません。
たぶんこの先を読んでいたのでしょう。
僕はここで時間攻めに出ます。
「6八飛」
米子先輩は「えッ」という表情で、姿勢を起こしました。
さすがにこれは読んでなかったっぽいです。
たぶん2七歩とかを読んでたんじゃないでしょうか。
米子先輩、のこり1分。
ピッ……ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6五桂ッ!」
攻めてきますか。
僕も最後の時間を消費。
ピッ……ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
同金、同馬──脱出もむずかしいです。
このまま前線を押し上げて、なんとかします。
「3三歩」
「ここで歩?」
取っても取らなくても5六銀か5六金上です。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「2二玉ッ!」
すかさず5六金上。
「俺っちも攻めるっす。8六歩」
あッ……どうしましょう。
手抜けば6五金と取れますね。
でもさすがに8七歩成とされたら……いや、いずれにせよ苦しいです。8六同歩に6四馬とされて、次に8六馬を狙われるとジリ貧。
「攻め合います。6五金」
「よ、読みが当たんない……」
米子先輩、困惑。お願いですから間違えてください。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「8七歩成ッ!」
8六歩、同飛、6四角。
攻防になるように打ちます。
米子先輩は「いやいやいや、どうなの」と独り言。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
米子先輩は8八と。
僕はノータイムで同飛。
「これが厳しいはずッ! 6八銀ッ!」
……………………
……………………
…………………
………………あッ。
ぼ、僕のほうが間違えてしまいました。
痛恨の見落とし。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「ど、同飛」
「これで仕舞いっす。7七歩成」
必至です。たぶん。
後手に王手ラッシュ……しても意味ないですね。
僕は持ち駒をそろえました。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「負けました」
「ありがとうございました」
僕は天井を仰ぎ見ました。これはひどい。
「……7七歩成が見えてなかったです。投げないなら6八同玉でした」
「だね、もうちょっとだけ長引きそう」
後手勝勢には変わりないんですよね。
僕は嘆息しつつ、
「だいぶ前から悪かったですね。中盤で後手有利だったような……」
とコメントしました。
「あ、うーん、3六銀、2六馬のあたりは、ちょっといいくらいだと思ってた。正確に指せば勝ちだとは思うんだけど、俺っちの棋力だとどっかでミスりそうだし」
「3五歩のところで、4五歩と堅実に押さえたほうがよかったですか?」
【検討図】
米子先輩はちょっと考えて、
「これだとすぐに2六馬と入るかも。3五馬は中途半端なイメージ」
と答えました。
「そこで7六銀と早めに取っときたかったです」
「本譜はなんで取らなかったの?」
「攻めの兼ね合いを見ていたら、取る暇がなくなってました」
「ああ、なるほどね。先手が入玉目指すなら俺っちも目指すし、そのとき石鉄くんは点数が足りてないんじゃないかな」
ですね。まさにそこを懸念して、攻めのルートを残していたので。
しかしあくまでも入玉を目指して、点数を事後的に調整するほうがよかったかもしれないです。大駒を取れる気はあまりしませんけど、米子先輩がどこかで焦れて、大駒を渡してくれる展開もありえなくはなかったです。
米子先輩は「あ、それと」と言って、
「飛車が6九に引っ込んだの、やっぱりよくなかったと思うんだよね」
と指摘しました。
僕はすこし振り返って、
「じつは5九飛も考えてました」
と答えました。
【検討図】
米子先輩は、
「これだとなんか違うの?」
と首をかしげました。
「5九飛に6四桂なら、4六角と出られます。4七馬が角当たりになりますが、飛車当たりにはならないので回避可能です」
「あ、そういう……6九飛の状態でそれをやると、飛車角両取りになるのか。だったら、なんでこっちにしなかったの?」
「2七馬~4五馬と移動されたとき、5九飛が浮いてる感じがしました」
「うーん、2七馬~4五馬ってするかなあ」
米子先輩はこの順を読んでなかったみたいです。
こっちにすればよかったでしょうか。たらればですが。
あとは中盤をすこし調べて解散になりました。
インタビューコーナーへ。ちょっと気が重いです。
「もしもし、石鉄です」
かわいらしい女の子の声が返ってきました。
《もしも~し、おつかれさま~》
あ、これは海老野さんですね。
M崎の女子代表です。下の名前は美々ちゃん。
ハイツインテールで、ちょっと背が低い子です。
僕と同学年で、となりの県だからよく知っています。
「おつかれさま。なんかかっこ悪い対局だったね」
《そんなことないよ。積極果敢っていうか》
前のめり、ということでもありますね。
海老野さんもそこを突いてきて、
《5三角のとき、7六歩で一回我慢したほうがよかったんじゃないかな?》
と言いました。
【参考図】
「そうかもしれない。本譜の7九玉は、7四銀~7五歩で位を取られたから」
《ま、それだと全然ちがう将棋になっちゃうか……あ、別府くんと代わるね》
O分の別府くんも来てましたか。
彼も隣県の同学年なのでよく知っています。
僕が言うのもアレですが、のほほんとした男子です。
《おつかれ~、最後は残念だったねぇ》
「あれは見落としてた。途中からずっと悪かったと思う」
《たしかに中盤苦しかったかも。6四歩のところで一回6六桂って溜めるのは?》
【参考図】
「なるほど……こっちのほうがプレッシャーになりそう……かな」
《最終的には本譜と合流するかもしれないけどね。まだ上位だし、残りもがんばって》
《美々も応援してるよ》
「うん、がんばる」
インタビュー終わり。
今のようすだと、僕の応援のために観ていてくれたみたいです。
外野に仲間がいるのは心強いですね──と、ランチタイム。
僕はみかんちゃんと落ち合うため、ろうかに出ました。
みかんちゃんは先に対局を終えて、観葉植物の近くで待っていてくれました。
「あ、ダーリン、おつかれさまなの~」
「おつかれ。負けちゃった」
「そっかぁ~米子先輩けっこうやるの~」
そうですね、米子先輩ならイケるかな、と思ったのは驕りでした。
反省しています。
「美々ちゃんたちにも応援してもらったし、午後はがんばるよ」
このひとことに、みかんちゃんはほっぺたを膨らませました。
「なんで美々ちゃんと先に連絡してるの~? もしかして浮気なの~?」
あ、ちがいますッ! 誤解ですッ!
場所:第10回日日杯 3日目 男子の部 11回戦
先手:石鉄 烈
後手:米子 耕平
戦型:後手右玉
▲7六歩 △8四歩 ▲2六歩 △3二金 ▲7八金 △8五歩
▲7七角 △3四歩 ▲8八銀 △4四歩 ▲2五歩 △3三角
▲4八銀 △4二銀 ▲5六歩 △4三銀 ▲6八角 △6二銀
▲6九玉 △7四歩 ▲3六歩 △5二金 ▲5八金 △5四歩
▲7七銀 △7三桂 ▲9六歩 △4一玉 ▲1六歩 △1四歩
▲3七桂 △6四歩 ▲4六歩 △9四歩 ▲4七銀 △8一飛
▲7九玉 △6三銀 ▲2九飛 △4二角 ▲5九金 △6五歩
▲5七角 △6二金 ▲6八金上 △5二玉 ▲8八玉 △3三桂
▲9八香 △6六歩 ▲同 歩 △7五歩 ▲同 歩 △同 角
▲6七金直 △5三角 ▲7九玉 △7四銀 ▲6八玉 △1二香
▲7九玉 △7五歩 ▲5八銀 △6四角 ▲6八金引 △6三金
▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △2三歩 ▲2九飛 △6二玉
▲6七銀 △4五歩 ▲同 桂 △同 桂 ▲同 歩 △3七角成
▲3五歩 △4七馬 ▲4九飛 △3八馬 ▲6九飛 △6四桂
▲5八金 △7六歩 ▲8八銀 △5六桂 ▲3四歩 △4六歩
▲同 角 △4八桂成 ▲6五歩 △3四銀 ▲6四歩 △5三金
▲6六桂 △7五銀 ▲7四歩 △6五桂 ▲6三歩成 △同 金
▲7三歩成 △同 金 ▲同角成 △同 玉 ▲7四金 △6二玉
▲7五金 △4六角 ▲6八金右 △5七桂成 ▲同 金 △同角成
▲6八金 △4六馬 ▲5八歩 △5二玉 ▲4四桂 △4三玉
▲3二桂成 △同 玉 ▲5七金 △4五馬 ▲5六金打 △4四馬
▲3五歩 △同 馬 ▲4六金寄 △2四馬 ▲2五歩 △同 馬
▲3六銀 △2六馬 ▲6八飛 △6五桂 ▲同 金 △同 馬
▲3三歩 △2二玉 ▲5六金上 △8六歩 ▲6五金 △8七歩成
▲8六歩 △同 飛 ▲6四角 △8八と ▲同 飛 △6八銀
▲同 飛 △7七歩成
まで152手で米子の勝ち




