3手目 女子高生将棋指し、出航
というわけで、やって参りました……H島港です。路面電車に揺られてついた先は、のほほんとした波止場。いろんな船が停まっていて、内陸出身の私には、それだけでおもしろい。私物なのか、いくつかのヨットもみえた。
平日とあって、乗客は少なかった。私たちはM山までの切符を買い、乗船。
フェリーといっても高速フェリーで、ずいぶん小さな型だ。前方に甲板があって、そこから海を見渡せるみたい。客層は、おじさんのほうが多いかしら。釣り道具を持っているひともいた。さもありなん、という感じ。この船は、M山のまえに、H島のK市にも立ち寄る。だけど、K市へは電車で行ったほうが安い。全員、四国へ渡ると考えて、間違いなさそうだった。私たちみたいに。
「香子姉ちゃん、早く早く」
ベージュの短パンに白のTシャツを着た桂太は、客席で私を手招きした。椅子が等間隔で並んでいる。新幹線にあるような、青いフェルト地だった。
「全席予約でしょ」
私は両手で荷物を抱えながら、席を捜した……あった。切符の番号を確認。
椅子のしたに荷物をなんとか押し込んで、うんと背伸びをする。壁には、大きなガラスが何枚も嵌められていて、そこから瀬戸内海の穏やかな海が見渡せた。若干、曇り空なのが気になる。晴れてくれるといいんだけど。
しばらくして、アナウンスがあった。もうすぐ出航のようだ。
私たちは、忘れ物がないかどうか念入りに確認して、着席した。
ゆっくりと、スクリューが回り始める。岸辺がだんだんと離れた。
船のこういう雰囲気、いいわね。電車やバスとは、また違ったおもむきだ。
「香子姉ちゃん、俺、寝るから」
そう言って、桂太は目を閉じた。昨日の晩は、H島で過ごす最後の晩とあって、ずいぶんと遅くまで起きていたようだ。おじいちゃんと将棋を指してたんじゃないかしら。ぼこぼこにされたみたいだけど。ま、そりゃそうよね。私に勝てなきゃ、ムリムリ。
私は、海が見たくなる。荷物を盗まれる心配もないし、甲板のほうへ出た。
潮風に、ポニーテールが揺れる。うーん、この爽快感。
ベンチに座って、島々の風景を楽しんだ。ポケットから、一冊の本を取り出す。詰め将棋パラダイスだ。昨日、松平が将棋の勉強をしているのをみて、若干思い直した。秋の個人戦にむけて、そろそろエンジンをかけないとね。
同じH島県のK市にはすぐついて、また再出航。
一度だけ荷物をみにいって、それから甲板へもどった。ふたたび詰め将棋。
悩みながら解いていると、いきなり手元が暗くなった。
「詰めパラなの〜」
間延びした女の子の声。
顔をあげると、ゆるふわショートボブの少女が、肩越しに覗いていた。目がぱちくりとしていて、背はちょっとだけ低い。服装は、パステルカラーのワンピース。スカートが風に吹かれて、押さえるのがたいへんそうだった。
女の子は、なぜかウィンクして、にっこりと笑った。
「お姉さん、将棋するの〜?」
「え……ええ」
「みかんもするの〜」
……なにこれ? 将棋に食いついてきた?
いかにも女の子女の子してるから、全然そういう趣味があるように見えない。
っていうか、みかんって、なに? みかんは将棋指せないでしょ。
「わたしの名前は、温田みかんなの〜よろしくなの〜」
下の名前かい。私も、一応自己紹介した。
みかんさんは、めずらしい名前だ、と言った。おまいう。
「それで〜こっちの男の子は〜」
みかんさんは、ちょっと離れたところにいる男の子を指差した。
さらさらショートの子で、前髪が目にかかっている。
可愛い系……いや、なかなかのイケメンだ。クールな雰囲気はあるんだけど、挙動がどうにも変だった。やけに、もじもじしている。チェック柄のシャツが、丈にあっていなくて、ちょっとぶかぶか。両手を握って、なんだか気まずそう。
「みかんのダーリンなの〜」
どういう紹介じゃい。名前を教えなさいよ。なんで関係性から入るかな。
そのうしろで、男の子は頬を染めた。ういういしい。
「こ、こんにちは……い、石鉄、れ、烈って言います……」
レツ? ……烈かしら。完全に名前負けしてますね、これは。
「ダーリンは、将棋がチョー強いの〜」
えぇ……これまた意味不明な紹介。どんだけ将棋に絡めてくるのよ。
「お姉さんは、H島のひとなの〜?」
私は、そうだと答えた。みかんさんは、H島観光の帰りなのだと教えてくれた。
そして、宮島に行ったことはあるかと尋ねてきた。
「ええ、あるわよ。年始にお参りしたこともあるし」
みかんさんは、宮島にも寄ったらしい。両手を胸元で合わせて、うっとり。
「宮島は、とってもいいところなの〜ダーリンと一緒に、永遠の愛を誓ってきたの〜」
さいですか……ようござんしたね。
っていうか、これ、なに? のろけ話のターゲットにされた?
なんとも迷惑な……ん? 待ってよ。今の話、全部嘘じゃないでしょうね。
「まだ、朝の9時よ? いつ観光したの?」
「もちろん、お泊まりで観光したの〜」
えぇえええええッ!? 私は驚愕した。
学生カップルがお泊まり観光とか、なに考えてるのよ。
「ああ〜お姉さん、変なこと考えてるの〜ダーリンはお兄さんの寮に泊まって、みかんは女友達のところに泊まったの〜ホテルじゃないの〜」
くぅ、引っかかった。私は顔が赤くなる。
べつに妙な妄想してないんだからね。
「そもそも、中学生と高校生じゃ、ホテルに泊まれないの〜」
「え……あなた、中学生?」
「違うの〜みかんは高1で、ダーリンが中3なの〜」
年下彼氏かいッ! しかも中学生ッ! 肉食系とみました。
「将棋に話をもどすの〜お姉さん、みかんと指さないの〜?」
……はあ? フェリーのうえで将棋?
いや……べつに暇だから、いいっちゃいいけど……。
「将棋盤がないわよ」
「みかんが持ってるの〜」
みかんさんは、折り畳み式のマグネット盤をとりだした。
なんと準備のいいことよ。私は、半分感心、半分呆れてしまう。
まあ、暇つぶしにはちょうどよさそうだし、私は本を閉じた。
「風が強いけど、大丈夫?」
「マグネットだから、かえって便利なの〜」
みかんさんはそう言って、私のとなりに座った。
烈くんは、彼女の斜め右うしろ。ほんとに引っ込み思案なのね。
私たちはちっこい駒を並べて、じゃんけんをした。私がパー、みかんさんがグー。
「お姉さんの先手なの〜」
「持ち時間は?」
「てきとう〜」
じゃあ、30秒以内に指しましょう。
陸を離れてから、そこそこ時間が経っている。あんまり長考できない。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いしま〜す」
私は7六歩と突いて、角道をあけた。
「3四歩〜」
私の2六歩に、みかんさんはちょっと迷った。
「角交換型でもいいけど……今回は普通に指すの〜4四歩〜」
これは、棋風をバラしてるわね。振り飛車で確定。
角交換型で悩んだから、四間の可能性が高い。
2五歩、3三角、4八銀、4二飛(予想通り)、6八玉、6二玉、7八玉。
「7二銀〜」
普通の美濃囲い。穴熊ですらないのか。
ほんとにノーマル四間だ。
5六歩、7一玉、5八金右、3二銀、7七角、5二金左、5七銀。
「急戦にしてくれないの〜」
だれがしますか。わざわざ相手に合わせる必要がない。
「端歩〜9四歩〜」
8八玉、6四歩、9八香。穴熊。
「4五歩〜」
角道開けで牽制してきた。でも、関係ない。この形なら潜れる。
「6六歩」
「7四歩〜」
「9九玉」
みかんさんは、入られちゃったと言ってから、7三桂。
8八銀でハッチを閉めて、間に合った。
「クマっただけで勝てるとは、思わないほうがいいの〜」
みかんさんは、4三銀、7九金、5四銀で、攻勢に出た。
3六歩、8四歩。端を詰めてこないのか……こっちから突いておきましょう。
9六歩、8二玉、6七金、6三金、5九角。
このままだと攻め駒が足りなくなるから、角を展開させる。
1四歩、1六歩、8三銀、3七角、7二金。
相手は、定番の銀冠+5四銀型。これは堅い。
私は念のため、6八銀と引いた。4枚穴熊に転換する。
「ここが穴熊の急所なの〜8五歩〜」
8筋の位取り……イヤな感じ。
挑戦してくるだけあって、ただのアマチュアじゃなさそう。
用心しましょ。
「7七銀右」
「4一飛〜」
「7八金」
最後の一手に、みかんさんはウーンと首を傾げた。
手の意味を把握しかねているようだ。ここから、ちょっとした構想がある。
「よく分かんないの〜9二香〜」
手待ち? それとも地下鉄飛車? 後者は、間に合わないような。
5八飛、4三銀、6八銀(!)、4四銀、7九銀右(!)
どうよ、この組み替え。みかんさんも驚いている。
「お姉さん、うまいの〜何者なの〜?」
駒桜市の裏見香子よ。覚えておきなさい。
いくら市外で無名だからって、そうそう舐められてたまりますか。
「でも、みかんだって負けないの〜5四歩〜」
みかんさんの陣形は、9二香が入っている分、もろい。
攻めて来てくれるなら、むしろ歓迎ね。
私は5九角と引いて、攻めを誘った。
「さすがに5五からは仕掛けないの〜5三銀〜」
4筋の飛車先を通してきた? ……6八角で止まるでしょ。
「6八角」
ここで、みかんさんは長考。攻めの糸口を捜しているとみました。
予想は……6五歩? でも、足りないように思う。
このタイミングで9一飛は間に合ってない。
私があれこれ考えていると、みかんさんと目があった。
みかんさんはちょっと不敵な笑みで、1筋に手を伸ばす。
「大丈夫なの〜ここに手があるの〜1五歩〜」