４８６手目 落胆
※ここからは、捨神くん視点です。
僕はお茶で一服した。緊張がずっと続いている。
湯のみをおいて、盤と向き合う。
……………………
……………………
…………………
………………攻めようか。採算はギリギリあると思う。
気になるのは六連くんがそれをさそってそう、ってことかな。
六連くんの棋譜を昨晩見た。もっとじっくりした展開になると思っていた。
だけど今回はだいぶ挑発された。９八飛も誘いのスキっぽい。
それともこの攻めが見えにくくて見落とし？
アハッ、そういう考えはよくないよね。
僕は７三の桂馬をもちあげた。
「オッケー、受けて立つよ。８五桂」
さあ、殴り合おうか。
石鉄くんのときは裏目に出た。だけど僕は引かない。
六連くんはじっと盤を見つめている。そこに動揺はなかった。
「５五歩」
９七桂成、同桂、５五歩、４八金左。
僕は４五香と打った。
六連くんは飛車にゆびをそえた。
「５八飛」
これが六連くんの想定局面？
かなり激しいね。
おそらくまだ互角だ。どちらがいいとも言えない。
僕はいったん７三銀と撤退する。
六連くんは７五歩で、ふたたび攻めの焦点を作ってきた。
このタイミングで銀を回収。４六香。
「８五桂」
同馬じゃないのか。４七香成と捨ててもいいけど──
僕は６四銀と逃げた。
７四歩、７二飛、７三歩成、同銀、同桂成、同飛。
銀桂交換も成立。
このままだと飛車を成り込まれちゃうから、六連くんは７六歩と押さえた。
ここで４七香成とする。
同馬、６三飛、４五歩、同馬、４六銀打、６七馬。
六連くんは５五飛と浮いた。
手が広いな。４四銀と出るか、６六馬と引くか。
４四銀は前に出過ぎな気もする。
ここは飛車を押さえ込もうか。
まず６六馬と引いて、５四飛と浮かせる。
「５三歩」
さあ、７四飛なら７三歩だよ。このとき８四飛とできないのが６六馬の効果だ。
縦に逃げるしかないはず。
「……５八飛」
僕は６七馬と入りなおした。
５五飛、７七馬、５七飛、６八馬、５五飛。
ひたすら飛車をいじめる。
だけど飛車を取るのが目的じゃない。
「６六歩」
本命はこれ。と金作り。
ごちゃごちゃと馬の屈伸をしていたのは、このかたちを作るためだ。
六連くんは口もとに手をあてて小考。
「……７五飛」
そう来るんだ──ちょっと予想外だったかな。
じつは６九香が怖かったんだよね。以下、７七馬、８五飛、８七馬、８二飛成みたいに。
単純な攻め合いを選択したってことなんだろうけど、と金のほうが大きいと思う。
それは僕の錯覚？ だとしても軌道修正ができない。
僕は６七歩成、六連くんは７一飛成と成り込んだ。
６一歩、９一龍、５四桂、６四歩、６二飛、５五銀。
飛車までは成り込めないか。馬になんとかしてもらうしかない。
４六銀、同銀、同桂、３九金。
僕はサッと銀を打った。
「５七銀ッ！」
食らいつく。
六連くんは３八金寄と逃げた。
桂馬の射程に入って来るのか。
じゃあ取る……まえに銀を入っておこう。
「５八銀不成」
六連くんは手順に６五馬と逃げた。
３八桂成、同金、５七馬、４八銀打、６六と。
馬の消し合いに持ち込む。
六連くんの手が止まった。
のこり時間は六連くんが４分、僕が３分。
攻め合うなら８三馬だけど、それは自信がある。
８二歩と一回打って、９二馬に６四飛と飛び出す。
もし８二龍としたら、そこで６二飛とぶつける。
（※図は捨神くんの脳内イメージです。）
同龍、同歩で後手が安全になる。
六連くんは１分使って、この局面を回避した。
５七銀。馬の取り合いに。
６五と、２六香、４七金、１五桂。
反対側から攻めてきたね。当然か。
僕は３八金と入って、同玉に４二玉と逃げた。
六連くん、最後の長考。
ピッ
１分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ！
六連くんは４八金と打った。
切らしにきた。
僕は４七金と打つ。
「同金」
！？ ……え？
あっけにとられる僕のまえで、六連くんは冷静に水を飲んだ。
なんで？ ４九角で？ ……４八玉と寄って勝負ってこと？
しまった。それは読んでなかった。
僕も時間を使ってしまう。
ピッ……ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ！
僕は４九角と打った。
六連くんはノータイムで４八玉。
おちつこう。慌てて４七銀成とかしなければ、大丈夫なはず。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ！
「６四飛」
これで包囲する。
六連くんも同じように包囲戦へ切り替えてくる。
２三桂成、２二歩、４五桂、２三歩、同香成。
頭がこんがらがってきた。
ここで４七銀成はいけそう？ ４九玉で角のほうを取ってきそうだ。
そのあと追いつめられるかどうか。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ！
「４七銀成」
六連くんはノータイムで４九玉。
さっきから指し手が早い。
僕は５七成銀で詰めろをかけた。
こんどは六連くんもさすがに考える。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ！ パシリ
攻めてきた。
僕は５９秒まで考えて、５一玉と引いた。この地点で粘るしかない。
六連くんは３九玉で、一回詰めろを解除。
４六桂で詰めろをかけなおすと、４九角で受けられた。
まだ１枚足りないんだよね。もう１枚金があれば詰むんだけど。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ！
「３三桂」
僕は手をもどした。これが詰めろ。
とにかく詰めろ詰めろでいく。将棋の基本に立ち返る。
六連くんは２八玉と逃げた。
４八成銀で再度詰めろ。
六連くんは７三角と打ってきた。
これは……使う必要はない。６二金。
先手の詰めろは継続中だ。
ふりほどけないんじゃないかな──僕がそう思った瞬間、３九銀が指された。
あ、そっか、同成銀で詰めろが消えるのか。
３八金としても１八玉で逃れている。
でもそこで詰めろは簡単にかかるよね？
そうでもない？ むしろ僕のほうに詰めろがかかりそう？
不安になって自陣を読む。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ！
僕は同成銀とした。
六連くんは５二歩と叩いてくる。
同玉だと詰めろが発生する？ 読み切れない。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ！
「同玉」
あともうちょっとで着地できるはずなんだ。
六連くんも読み切れないらしく、秒読みのなかで苦吟していた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ！
「６四角成」
これは詰めろじゃない。僕は寄せに没頭する。
……………………
……………………
…………………
………………
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ！ そうかッ！
パシーン
六連くんは目をみはり、ぐッと歯を食いしばった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ！
六連くんは同歩。
僕はもういちど確認する──詰んだ。
複雑だけど詰みだ。
「２九成銀」
これを同玉のとき、３七桂の余地を作る。それが３六桂。
六連くんは青ざめた。
「そんな……」
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ！
同玉、３七桂、２八玉、３九銀、同玉、４九桂成。
六連くんは一瞬目をつむって、同玉と取った。
僕はじぶんの心臓がドキドキするのを聞きながら、５八銀と打った。
六連くんは額に手をあてて、もういちど目を閉じた。
すごく悔しそうな顔をしている。
ここまで感情的なところを、僕は初めてみた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ！
「負けました」
「ありがとうございました」
僕はじぶんが勝ったことに、しばらく呆然としていた。
それからだいぶたって、感想戦が始まらないことに気づいた。
六連くんは額に手をあて、ひじをテーブルについたまま、ずっと目を閉じていた。
うつむき加減になって、微動だにしない。
「六連くん？」
「！ ……あ、すみません」
六連くんは目をあけた。姿勢をもどす。
「すみません、考えごとをしてました」
「ごめん、考え中だったんだね。邪魔しちゃった」
「……もうしわけないんですが、感想戦はあとでもいいですか？」
いいよ、と僕は答えた。
義務じゃないし、このまえの県大会の件*もあったから。
六連くんは席を立った。
僕はすこし遅れて席を立って、インタビューコーナーへ向かった。
イヤホンをはめる。
「もしもし、捨神です」
御城くんの声が聞こえてきた。
《おつかれさん》
「あ、おつかれさま」
《大きな一勝だな。最後の詰みはすごかった。俺は気づかなかったよ》
「アハッ、よく考えたら安全に３八成銀、同角、同桂成、同玉、６四とでも勝ちだったと思うんだよね。対局中は独り相撲であせってたよ」
【検討図】
《解説席では、それで後手勝勢の結論だった》
「勝勢かどうかまではわかんないけど、優勢なのは事実だね」
《いずれにせよ詰ませたのはかっこよかったよ。魚住と代わる》
《もしもし、おいらだよ》
魚住くんの音声が入った。ちょっと元気がなさそう。
六連くんの応援をしてたのかな。地域的にも学年的にもそうだろうな、と思う。
《最後の詰みもすごかったけど、中盤、馬の位置の組み替えもすごかったよ。おいらだとあれはできないかなあ。と金を引いて行ったのも、最後めちゃくちゃ利いてたね》
「と金が詰みに利いたのは、運がよかったよ。あと、馬で飛車を追い回していたとき、６八馬に５四歩と打たれるほうがイヤだったかも」
【検討図】
「５七馬、同馬、５四歩、８一角とかね」
《そこは解説席じゃ出てなかったと思う。おいらもあとで考えてみる》
インタビューは終わった。僕は安堵のため息をもらした。
ひとまず順位をキープできたはず。でもこれで脱力しちゃダメだ。まだ山場の入り口。
大一番ごとにプレッシャーがすごい。メンタルコントロールをしないと──そうだ、ほかの選手はどうなったんだろう。
僕はトーナメント表の確認にむかった。
*４０９手目 分かったこと、分からなかったこと
https://ncode.syosetu.com/n2363cp/421/
第１０回日日杯 ３日目 男子の部 １１回戦
先手：六連 昴
後手：捨神 九十九
戦型：先手向かい飛車
▲７六歩 △３四歩 ▲２二角成 △同 銀 ▲７八銀 △３三銀
▲９六歩 △９四歩 ▲４八銀 △２二飛 ▲６五角 △８八角
▲９七香 △５五角成 ▲８三角成 △６四馬 ▲５六歩 △７四歩
▲５七銀 △７二銀 ▲８四馬 △７三銀 ▲６六馬 △８二飛
▲４六銀 △８四銀 ▲５五銀 △７三馬 ▲８六歩 △６四歩
▲８七銀 △６三馬 ▲８八飛 △７三桂 ▲３八金 △４二玉
▲４九玉 △５二金右 ▲３九玉 △３二玉 ▲５八金 △６五歩
▲５七馬 △５四歩 ▲４六銀 △５三馬 ▲２八玉 △４四馬
▲９八飛 △８五桂 ▲５五歩 △９七桂成 ▲同 桂 △５五歩
▲４八金左 △４五香 ▲５八飛 △７三銀 ▲７五歩 △４六香
▲８五桂 △６四銀 ▲７四歩 △７二飛 ▲７三歩成 △同 銀
▲同桂成 △同 飛 ▲７六歩 △４七香成 ▲同 馬 △６三飛
▲４五歩 △同 馬 ▲４六銀 △６七馬 ▲５五飛 △６六馬
▲５四飛 △５三歩 ▲５八飛 △６七馬 ▲５五飛 △７七馬
▲５七飛 △６八馬 ▲５五飛 △６六歩 ▲７五飛 △６七歩成
▲７一飛成 △６一歩 ▲９一龍 △５四桂 ▲６四歩 △６二飛
▲５五銀 △４六銀 ▲同 銀 △同 桂 ▲３九金 △５七銀
▲３八金寄 △５八銀不成▲６五馬 △３八桂成 ▲同 金 △５七馬
▲４八銀 △６六と ▲５七銀 △６五と ▲２六香 △４七金
▲１五桂 △３八金 ▲同 玉 △４二玉 ▲４八金 △４七金
▲同 金 △４九角 ▲４八玉 △６四飛 ▲２三桂成 △２二歩
▲４五桂 △２三歩 ▲同香成 △４七銀成 ▲４九玉 △５七成銀
▲３三桂成 △５一玉 ▲３九玉 △４六桂 ▲４九角 △３三桂
▲２八玉 △４八成銀 ▲７三角 △６二金 ▲３九銀 △同成銀
▲５二歩 △同 玉 ▲６四角成 △３六桂 ▲同 歩 △２九成銀
▲同 玉 △３七桂 ▲２八玉 △３九銀 ▲同 玉 △４九桂成
▲同 玉 △５八銀
まで１５８手で捨神の勝ち
