483手目 猪突猛進
※ここからは、内木さん視点です。
これは……長門先輩、だいぶ健闘しているのでは?
序盤押し込まれるかと思いきや、互角にみえる。
私がそのことを伝えると、伊吹さんは、
「前評判よりはいい勝負になってると思います」
と返した。
それからマイクをオフにして、
「こういうコメント、オンエアしていいんですかね?」
と小声でたずねた。
うッ……マズかった? あとで長門先輩にモデルガンで撃たれそう。
《もしもし、マイクがオフになっていませんか?》
スタッフの声。
伊吹さんはしれっとした顔で、
「あ、すいませーん、変なところ触っちゃいました」
と答えて、マイクをオンにした。
とりあえず解説。
私はタッチペンで画面をつつきながら、
「手筋で6五歩でしょうか?」
とコメントした。
「どうですかね。ここはひねらずに7六銀と受けたいですけど」
「理由は?」
「6五歩、同歩のあと、6六歩と伸ばされたらめんどうです」
なるほど……っと、指しそう。
パシリ
私のほうが正解。
伊吹さんは納得してないみたいで、
「んー、同歩のあとどうするんですかねぇ」
とつぶやいた。
その答えはすぐに指された。
同歩、3三角。
伊吹さんは眼帯の位置をなおしながら、
「これ6六歩が王手なんで、同角とできないです」
と指摘した。
なるほど。だけど長門先輩がこれを見落としているはずもなく。
6六歩、7六銀、6三香、7八金、7六角、同玉、6七銀。
判断がむずかしい。
「切れるとも切れないとも言えないような……」
私のコメントに、伊吹さんも同調した。
「先手がいいとも悪いとも言えないです」
同金左、同歩成、同金、同香成、同玉。
ここで鬼首先輩の手がとまった。
伊吹さんは、
「どうしたんですかね。3八金くらいだと思いますが」
と、いぶかしげだった。
私もちょっと疑問に思ったから、
「もしかして先手を寄せる手がありますか?」
とたずねた。
「いやぁ、寄らないでしょ、これは」
「では比較する手があって、分岐を読んでいるのでしょうか」
伊吹さんは腕組みをして、マジメに考え始めた。
私も考える。
ふたりの結論としては、なさそう、だった。
けっきょく鬼首先輩は3分も考えてから3八金と打った。
私は「浮きますか?」とたずねた。
「ですね。左へ逃げるのは意味ないです」
長門先輩も2七飛。
4八金、7七銀、4六歩。
ここで先手が反撃に出た。
6二歩、7一金、1二飛、6三金、4六歩、6四金、4三角。
……あれ?
「先手良くなってません?」
伊吹さんも目つきするどく、
「びみょーに先手いい気がしなくもないです」
と答えた。意見の一致。
私は、
「鬼首選手、どこかで間違えましたか?」
とさらに深堀り。
「……たぶん6三金が良くなかったですね」
「4三金だった、と?」
「それなら4三角はなかったです。なんで6筋に上がったのか、伊吹わかんないです」
私はここまでの流れをふりかえる。
「……上から潰そうとしているのでは?」
「そんなメリットないと思いますけど」
たしかにメリットはない。
でも上から潰すことにこだわっている、という解釈以外は成り立たない気がした。
全勝中だから縛りプレイでもしているのだろうか。
鬼首先輩に限ってそれはないとは思うけど。
6六歩、同銀、6五歩、同銀、同金、同角成、5四銀。
「ほら、やっぱり上から潰そうとしてるじゃない」
「じゃない?」
「ですか」
「6三金が悪手だったから補正してるんだと思いますよ」
むッ、そういう解釈もあるのか。反論がむずかしい。
長門先輩は9八馬と撤退した。
鬼首先輩は6六歩で拠点を確保しようとする。
同玉、6五金、7七玉、7五金。
明らかに攻めが切れた。
長門先輩は前傾姿勢で小刻みに揺れながら考える。
パシリ
2度目の反撃。
私は即座に、
「同香、9三歩、同香、9四歩の連打が予想されます」
と解説した。
ところがこれは外れて、9二同香、9三歩、同玉だった。
長門先輩は当然さらに叩いて、9四歩、同玉、7六金と打った。
これに伊吹さんが反応する。
「ちょっと危ないですね。後手も便乗してきそうです」
鬼首先輩は7四歩と伸ばした。
長門先輩は6一歩成、同金を入れてから長考。
のこり時間はもう5分もない。
伊吹さんは、
「テクニックな話になっちゃいますけど、ここはキメにいったほうがいいです」
とコメントした。
「どういうことですか?」
「鬼首さんはまだ10分余してます。ここからだらだら指すと棋力差で逆転されちゃいますよ。格上相手に優勢になったら、ばっさりいかないとダメです」
ふむ……ばっさりいくとすれば……私はタブレットで一手指す。
【参考図】
「これでしょうか?」
「ですね。同歩に9五歩が厳しいです。同玉なら8七桂で詰みます」
のこり1分で、長門先輩は9六銀を決行した。
駒音高く桂取り。
ここで鬼首先輩も大きく姿勢を動かした。
舌打ちが聞こえてきそうな局面。
同歩、9五歩、9三玉、7五金、同歩、7四桂。
長門先輩、うまい。退路のほうから断った。
鬼首先輩はむりやり上を開拓し始める。
9四銀、同歩、同玉、7六銀、6五銀打。
ピポ
長門先輩が1分将棋に。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
私はこの手をみて、
「同香、同銀、9五玉の次が問題ですね」
とつぶやいた。
すると伊吹さんはほおひじをついて、
「そこは飛車切りの一手ですよぉ」
と言った。
飛車切り? ……あッ、同歩なら8七桂の一手詰め。
「なるほど、2五飛が詰めろです……あれ、ということは……」
「後手敗勢です」
その瞬間、鬼首先輩は持ち駒を盤上にぱらりとやって、軽く頭をさげた。
そのままひじをついて、こめかみに手をあて、首をかしげる。
長門先輩も遅れて一礼した。
私もちょっとびっくりして、コメントが遅れた。
「あ、はい、133手をもちまして、長門選手の勝ちです」
私はどこからまとめたものか迷った。まずは──
「現局面で投了になりましたが、詰んではいないはずです」
「2五飛は癪なんで早投げじゃないですか。後手はもう指す手ないですよ。6六金とかしても同角成、同銀、同玉で清算されるだけですし、受けも利きませんから」
感想戦は意外にも長引いた。
中盤をずいぶん議論して、鬼首先輩はひとさしゆびであれこれ指摘していた。
聞き取れないのがもどかしい。
他の解説席が休憩に入り始めたところで、ようやくインタビュータイム。
まずは長門先輩から。
《もしもし、長門です》
「おつかれさまです。内木です。白星おめでとうございます」
《ありがとうございます。正直、金星という感じですが》
「序盤の戦法は用意なさっていたんですか?」
《はい、三間対策で昔研究していた順です。中盤からは力将棋でしたが、入り口まで互角に持ち込めたのはよかったと思います》
「最後、鬼首選手はすこし早投げだった印象ですが、そのあたりは?」
《そうですね……8五同香、同銀、9五玉に2五飛が詰めろなので、仕方がなかったのかもしれません》
「承知しました……伊吹さん、いかがですか?」
「伊吹でーす。感想戦の内容をちらっと教えてもらえませんか?」
長門先輩はすこし間をおいた。
長くならないように整理しているのだろう。
《6四歩と突かれた局面で、3五歩ならどうだったか、という話をしていました》
【検討図】
「なるほど、結論は?」
《3一飛に6四歩で本譜と似た感じになるんじゃないか、と思うんですが、鬼首さんはあんまり納得していないみたいです。3五歩に代えて4六歩、7四歩の突き合いも検討しました。こちらは7四同歩に6八玉と撤退して、次に5五角を狙う流れになりそうです》
「わかりました。ありがとうございまーす」
次は鬼首先輩と。
ちょっと緊張する。機嫌が悪くなければいいけど。
《おーっす》
「あ、解説の内木レモンです。おつかれさまです」
《なんか質問ある?》
ストレートな物言い。
だったらこっちもストレートに。
「6三金~6四金はやや危険だったと思いますが、いかがでしょうか?」
《ああ、あれはミス》
……それ以上の説明はなし、か。
引き出すほうがいいのか、それともあんまり突っ込まないほうがいいのか。
私が迷っていると、伊吹さんが割り込んだ。
「もしもーし、伊吹ですけど、それって形勢判断ミスですか? それとも読み抜け?」
《オレ感覚で指してるから、そういうのよくわかんねぇ》
「ふむ……そうですか」
インタビューは終わった。
時間も押してるし、私はしめくくることにした。
「ありがとうございました。次の対局もがんばってください」
《あいよ》
マイクが切れる直前、鬼首先輩はなにかをつぶいやいたような気がした。
私は小声で、
「最後、なにか言いませんでしたか?」
と伊吹さんにたずねた。
「舌打ちじゃないですかね」
いや、ふつうに日本語だったような──
私は妙に気になりながらも、次の解説の準備を始めた。
場所:第10回日日杯 3日目 女子の部 11回戦
先手:長門 亜季
後手:鬼首 あざみ
戦型:へなちょこ急戦
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △4四歩 ▲4八銀 △3二飛
▲2五歩 △3三角 ▲6八玉 △6二玉 ▲7八玉 △4二銀
▲5八金右 △7二玉 ▲9六歩 △9四歩 ▲3六歩 △8二玉
▲4六歩 △7二銀 ▲3七桂 △5二金左 ▲4五歩 △同 歩
▲2四歩 △同 歩 ▲3三角成 △同 銀 ▲4五桂 △4二飛
▲3三桂成 △同 桂 ▲8八角 △2五桂 ▲4七歩 △4一飛
▲3三角成 △6四角 ▲5五銀 △3一飛 ▲2二馬 △2一飛
▲同 馬 △5五角 ▲2九飛 △9九角成 ▲8八銀 △9八馬
▲7九金 △8四桂 ▲1一馬 △7四香 ▲7五香 △同 香
▲同 歩 △9六桂 ▲9七銀 △9五歩 ▲6六馬 △8四香
▲8六歩 △8七銀 ▲7七玉 △6四歩 ▲9九香 △同 馬
▲8七玉 △6六馬 ▲同 歩 △4三角 ▲6五歩 △同 歩
▲3三角 △6六歩 ▲7六銀 △6三香 ▲7八金 △7六角
▲同 玉 △6七銀 ▲同金左 △同歩成 ▲同 金 △同香成
▲同 玉 △3八金 ▲2七飛 △4八金 ▲7七銀 △4六歩
▲6二歩 △7一金 ▲1二飛 △6三金 ▲4六歩 △6四金
▲4三角 △6六歩 ▲同 銀 △6五歩 ▲同 銀 △同 金
▲同角成 △5四銀 ▲9八馬 △6六歩 ▲同 玉 △6五金
▲7七玉 △7五金 ▲9二歩 △同 香 ▲9三歩 △同 玉
▲9四歩 △同 玉 ▲7六金 △7四歩 ▲6一歩成 △同 金
▲9六銀 △同 歩 ▲9五歩 △9三玉 ▲7五金 △同 歩
▲7四桂 △9四銀 ▲同 歩 △同 玉 ▲7六銀 △6五銀打
▲8五金
まで133手で長門の勝ち




