482手目 対面の気づき
※ここからは、長門さん視点です。
夏休みにお似合いな快晴。サバイバルゲーム日和。
Y口の女子テーブルは、今朝もにぎわっていた。
私の正面に座ったキャシーは、パンをほおばりながら、
「ベースのbreakfastよりおいしいデース」
とご満悦。
トレイのうえにはスクランブルエッグとベーコン。
ここまで来て、ありきたりな海兵隊の朝食だと思う。
私も似たようなメニュー。あれこれ食べる必要もない。卵は栄養価が高いし。
私の左どなり、窓際に座っている萩尾先輩は、ご飯とお味噌汁、それに鮭の切り身。
その向かいの毛利先輩は、クロワッサンにイチゴジャムを塗っていた。
すこし変わった食べ方のような? ふつうはバターじゃない?
萩尾先輩は私に、
「さっきからなんか考えごと? 今朝は口数がすくないね」
とたずねてきた。
みなさんの朝ごはん観察を……というのは冗談で。
「第1局目のことを、すこし」
「ああ、鬼首戦だっけ? オールマイティだから読んでも仕方がないと思うよ」
そのとおりだ。
鬼首さんはなんでも指しこなしてくる。
それは勉強しているからじゃなくて、腕力で対応できてしまうからだ。
戦法を絞ることもできない。
萩尾先輩は、
「ところでさ、亜季、その軍服みたいなの、何着持ってるの? 昨日も着てたよね?」
と、質問を重ねた。
「これはオーダーメイドなので1着です」
「……」
「なんでそんな顔するんですか? 学生服だって毎日洗いませんが?」
「たしかに、そう言われると学生服って不衛生だな」
私もそう思います。
月1で洗ったら上等くらいのしろものだし。
萩尾先輩は箸をおいて、
「まあ、ものつくり高校に制服はないんだけどね……ごちそうさま」
と手を合わせた。
「そこはすこしうらやましいですね」
私が同意すると、毛利先輩は、
「そうか? 毎日おしゃれしないといけないのはめんどうだ」
と口をはさんだ。
なるほど、そういう意見もある。
今日の毛利先輩はクリーム色のワンピースに杏子色のジャケット。
アラサー向けファッション雑誌に載っていそうな組み合わせ。
毛利先輩は紅茶にミルクを追加で入れながら、
「で、鬼首の弱点は見つかったのか?」
とたずねた。
私は、
「いえ……公式戦の棋譜をすべて調べてみましたが、なんとも……」
と答えた。
「会ってみれば意外とわかるかもしれない」
「会ってみれば……ですか。例えば?」
「風邪ぎみとか寝不足とか」
健康状態に期待する作戦か──ありだけど、私のほうでコントロールできない。
萩尾先輩はお茶を飲み干して、席を立った。
「ま、気楽にやろうよ。鬼首はどのみちボクが仕留める」
かっこいいですね。
いざ、私も出撃。
○
。
.
9時15分前、私は会場入りした。
先に対局席で待つことに。
しばらくして、鬼首さんがあくびをしながら現れた。
「ういーっす」
鬼首さんは大都会高校の制服に、上着の腰巻。
大都会高校は白のシャツに赤とシルバーのストライプネクタイ。
ジャケットの色はうすいカーキ色。
シンプルだけどかなりいいブランドだと思う。生地が上等そうだ。
鬼首さんは頭をかきながら、
「眠い」
と言った。
「寝てないの?」
「オレは夜型なんだよ。飯の時間が早すぎだっつーの」
「8時台ってそんなに早くなくない?」
「オレは毎日10時なの」
ブランチというやつか。お昼ごはんと兼用になっているタイプだ。
大都会高校はカリキュラムが自由だから、そういう生活を送れるのだろう。
ふつうの高校なら授業中に早弁するしかない。
私は鬼首さんに、
「振り駒は?」
とたずねた。
「めんどいからやって」
了解……ほい。
「歩が5枚で、私の先手」
「あいよ」
あとはアナウンスを待つ。
鬼首さんは全勝中。今日の体調も悪くなさそうだ。
毛利先輩の言ってた作戦は、ムリそう。
《間もなく定刻になります。対局準備はよろしいでしょうか?》
おっと、姿勢を正す。
《では、始めてください》
開戦。
7六歩、3四歩、2六歩、4四歩。
振り飛車?
「4八銀」
「3二飛」
しかも三間飛車か。これはあまり考えていなかった。
私はここで手がとまる。
鬼首さんはポケットをごそごそやりながら、
「もう考えるの?」
とたずね、チョコの包みをとりだした。
「昨日多めにガメといてよかったぜ」
いきなり朝食タイム。
一方、私はある筋を読み進めていた──例の作戦にしましょう。
「2五歩」
「はいはい、サクサクいこ」
3三角、6八玉、6二玉、7八玉、4二銀、5八金右、7二玉。
私はここで9六歩と突いた。
鬼首さんはテーブルに備えつけのお茶を飲む。
「フゥ……穴熊にしないの?」
ノーコメントで。
9四歩と突き返された。
3六歩、8二玉、4六歩。
この手に鬼首さんは反応した。
ななめにかまえて、じっと睨みつける。
「4六歩?」
鬼首さんは10秒だけ考えて7二銀。
私は3七桂と跳ねた。
「三間に4五桂早仕掛けするつもり?」
さあ、どうでしょう。
「急戦はキライじゃないからいいぜ。これで囲い切りだしな。5二金左」
私はすぐに4五歩と仕掛けた。
これで勝負。
「見たことねぇな。研究か?」
「それは指してみてのお楽しみ」
「将棋は腕力だぜぇ。同歩」
2四歩、同歩、3三角成、同銀、4五桂、4二飛、3三桂成、同桂。
私は8八角と打ち直す。
鬼首さんは2五桂。これは飛車先止め+桂逃げで当然の一手。
私は4七歩と打った。
鬼首さんは眉間にしわをよせた。
「消極的すぎんだろ」
これは5六歩からの一貫した手だ。
陣形を徹底的に低くする。
狙いは単純で、飛車をさばかせないこと。
こちらは角成りが保証されている。長期戦はむしろ有利になる。
鬼首さんもそれに気づいたらしい。
「なるほどね……オレのほうは飛車がさばけない、と」
ご明察。
鬼首さんは右手の中指を立てた。
「オレの攻めを舐めるな。潰す」
4一飛、3三角成、6四角、5五銀、3一飛、2二馬。
鬼首さんは2一飛とぶつけてきた。
飛車捨て?
「もう外れたんじゃねえの? こっちは飛車と銀桂交換でいいんだぜ?」
さすがに研究して……ます。
萩尾先輩と検討した順だ。
その順を本番でいきなり指してくるなんて、やっぱり剛腕。
私はそのまま研究をなぞる。
同馬、5五角、2九飛、9九角成。
私はすこしゆっくり指した。
その甲斐もあってか、鬼首さんはもう研究からはずれたと誤解したっぽい。
私は8八銀でロックダウン。
かたちの崩れた舟囲いvs美濃囲い。
守りでは後手がすぐれている。
ここまでは研究通りなんだけど……最善で来られたかたちになってしまった。
とちゅうの分岐点でひとつもまちがえてくれない。
私はここからしばらく受けないといけなくなった。
9八馬、7九金。
「上から潰すぜ。8四桂」
研究から外れた。6四桂が本命だった。
いずれにせよ……だいぶキツイ。
私はお茶のペットボトルを開けた。
ひとくち飲んでじぶんを落ち着かせる。
正直なところ、先手が潰れる可能性はふつうにあると思う。
そのときはそのときか。
1一馬で、香車を回収。
「7四香」
7五香と打ち返す。
同香、同歩、9六桂、9七銀、9五歩。
……粘るしかないか。
6六馬とひきつける。
ここで鬼首さんは初めて小考した。1分ほど考えて8四香。
これは手筋の8六歩で受ける。
「8七銀」
王様を右に逃げるか、それとも立つか。
6八玉は7六銀成で馬をいじめにくると思う。
7七玉は3五歩で右側を開拓され始めるとめんどう。
どっちのほうがいいか……7六銀成、3三馬、8六香はさすがにもたない。
「7七玉」
鬼首さんは6四歩と突いた。
ん? 6四歩? ……ほんとに上から潰すつもり?
私はちらりと鬼首さんを確認する。
盤の左側しか見ていない感じがした。
……………………
……………………
…………………
………………なるほど、そういう弱点があるのか。
いや、弱点とまでは言えないかもしれない。けど、個性はわかった。
棋譜を調べるだけでは気づかなかった点だ。
鬼首さんは、一回読み始めたルートにこだわるっぽい。
おそらく上から潰すことしか考えていない。
対局態度は棋譜からじゃわからない。毛利先輩、ナイスアドバイスです。
私は上方の防衛に徹する。右翼は放置。
「9九香」
同馬、8七玉、6六馬、同歩。
パシリ
王手──私は長考に沈んだ。




