479手目 神々のみぞ知る
※ここからは、葦原くん視点です。
さて、ここまで指してきましたが……どういたしましょうか。
本来なら9六歩を考えたいところです。それが棋風という自覚があります。
しかし昨日の浴場での会話、あれをどう考えたものか。
私もボランティアで出場しているわけではないので、利用しない手はありません。
とすれば──
「5六角」
攻めを見せます。さあ、前のめりになってください。
4四角よりももう少しつんのめったかたちになっていただけると、理想的です。
私は意図を悟られないように、お茶を一服。
ほかの対局席を見回します。
3日目で脱落者が出ていることもあり、気楽に指している席もありますね。
私もその一歩手前なので、この局はどうしても落とせません。
決勝トーナメント進出をするためには、吉良くんに落ちてもらわないといけないので。
おっと、動きます。
パシリ
……理想的。
狙いはわかります。4八金に1五角でしょう。
以下、2八飛、4八角成、同飛、3八金、4九飛、同金と予想します。
私はそれを無理攻めと読んでいるので、ここからはその答え合わせ。
吉良くんの読みが勝っていたなら、おとなしく投了しましょう。
「4八金」
1五角、2八飛、4八角成、同飛、3八金、4九飛、同金。
私は2二歩の叩きを決めました。
同金、4六歩、4八金、4五歩。
ここで吉良くんの手が動かなくなりました。
一貫させるなら5九飛だと思います。
おそらく私が4四歩と攻めてくる予想なのでしょうね。
攻め合いは嫌いではありませんよ。
「……3二金」
いったん受けましたか。
「それでも4四歩です」
吉良くんは同歩。
私はもう一度2二歩。
同金には1六角があるので、指しにくいのではないかと思います。
2一歩成は決まりそうですが、私の歩切れと、どうバランスが取れているのか。
吉良くんは3分ほどの長考の末、5四歩。
2一歩成、5五歩。
「切ります。7四角です」
同銀、5四角。
飛車桂交換ですが、これで両取り。
さあ、吉良くん、どうしますか。
心の中でそう問いかけた瞬間、吉良くんと目が合いました。
「さすがにそれは読んますよ、葦原先輩。7七歩」
もちろんこちらも読んでいます。
同銀、8二飛打に8六桂。銀をさらに攻めます。
吉良くんは6五角。
私は7二角成と切って、同飛に7四桂。
吉良くんは7四同角を選択せず、8五桂の反撃。
そちらでしたか……ならば私も前に出るのみ。
8二銀で飛車を捕獲。
2一飛は飛車が隠居するので指せないはずです。
同飛寄、同桂成、同飛、7三飛。
どうでしょうか。
感触として優勢とまではいきません。
私のほうもすこし危なくなってきました。
のこり時間は私が6分、吉良くんが8分。
ここからは終盤の読み合いです。
「……」
「……」
多少の息苦しさのなかで、吉良くんは6二銀。
なるほど、これは読み筋のひとつ。
気になる筋でもありました。おそらく入玉含みだと思います。
5三銀、同銀、6三金、4三玉、5三金と押し込まれたとき、3四玉と抜けられます。
これが捕まるや否や。
3六銀くらいで縛れるのではないかと思うのですが──抜かれる筋も見えます。7七桂成と突っ込まれて、同金に6九銀、同玉、5八角。7七桂成に対して同桂としますか? それはそれで怖いところが残ります。7七に桂馬がいても守りになっていませんし、どこかで8七飛成とされる恐れもあります。
「……5三銀」
同銀、6三金、4三玉、5三金、3四玉。
私は3六銀と打ちました。
こちらが有利だとは思うのですが、あえて下駄を預けます。
対応を見せてください。
吉良くんはひたいに手を当て、ひじをついてうつむくように長考。
ここで持ち時間の差が並びました。両者3分。
「……2四歩」
入玉を断念? ……まだ分かりませんか。
とりあえず3五歩、2三玉で後退させます。
「7一飛成」
飛車を逃げるようなら1一とです。これは分かりやすい包囲網。
吉良くんはそれを嫌って7七桂成と突っ込んできました。
同金、6九銀、同玉。
5八角の筋に入りますか? しかし飛車当たりですよ?
吉良くんは30秒ほど考えて、8三飛。
「1一と」
「5八角ッ!」
このタイミングでしたか。
私は最後の長考。7八玉、3六角成以下の寄せを考えます。
ピッ……ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「7八玉」
吉良くんは即座に3六角成。
ここからはさきほどの長考で考えた寄せを活かします。
まず2一龍で王手。
2二金に1二銀で王様を追い出して、1六銀。
詰めろ。2一金とする暇はありません。
ここで吉良くんも1分将棋に。
ピッ……ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「6六桂ッ!」
これは……私の手が止まりました。
同歩で? ……1五銀、2二龍、4五馬の王手?
しかしそれでも寄る気がしますが──
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
8八玉。同歩は吉良くんの術中と判断しました。
これで寄らなければ勝ちです。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
……………………
……………………
…………………
………………勝ちました。
「2二龍」
「……1六銀」
1三龍、2五玉、1六龍、3五玉、3六龍、同玉、3七金。
吉良くんはがっくりとうなだれました。
「負けました」
「ありがとうございました」
ふぅ……熱戦でした。
扇子であおぎながら、感想戦を待ちます。
「……どこが悪かったですかね?」
「難しいご質問ですね。中盤は互角だったと思いますが」
「2回目の2二歩に、じつは同金で取れたんじゃないかな、という気が……」
【検討図】
私は角を1六に打ちました。
「王様を寄りますか?」
「6二……ですかね」
「はい、そこで6一銀と打ちます」
吉良くんは10秒ほど考えて、
「同飛、同角成、同玉、4一飛に6二玉でなんとかなりませんか?」
とたずねました。
【検討図】
ふむ……たしかに難しいですか。
4二飛成に5二飛と打ち返されれば、攻めが続くか否かは微妙です。
私はそのことを認めて、
「後手からは5九銀という反撃があります。互角の局面かと」
と返しました。
「そうですか」
吉良くんは片目をつむって頭をかきながら、
「やっぱこっちだったか……」
と小声でつぶやきました。
とはいえ、かなり指しにくい順だと思います。
わざわざ自陣に龍を作らせているので。
私たちはそのあと終盤をすこし調べました。
思ったよりも後手は回避手段がなかったようです。
そのあとは終局のあいさつをして、インタビューコーナーへ。
「もしもし、葦原です」
《おつかれさまでやんす》
我孫子くんでしたか。
辛口の解説をされていたかもしれません。
「おつかれさまです」
《吉良兄さんあいてに見事な指し回しでやんした。ご感想は?》
「そうですね……終盤の入り口までは互角だと思っていました。吉良くんの攻めが途中で頓挫したのが大きかったという印象です」
《なるほどなるほど……御手兄さん、いかがでやんすか?》
御手くんが来ているのですか。
昨日まではいなかったように記憶していますが。
《葦原、ひさしぶり》
「おひさしぶりです。全国大会のとき、お会いして以来でしょうか」
《だな。ところでさ、本局の吉良の攻めは成立してたと思うぜ》
「……そうなのですか?」
《ああ、我孫子とも検討したが、4九銀は成立してる。むしろ吉良がおかしかったのは受けだ。4四歩にはそのまま5九飛と攻めたほうがよかった》
【参考図】
4四歩を取らないで攻めですか──
「5九飛自体は候補にありました。しかし指しにくいというのが第一感です」
《そこは否定できない。当事者なら俺も迷うと思う。だけど慎重に考えたら、4三歩成のヒマはほとんどないんだ。先手は一回受けないといけないし、受けたあとも後手の攻めは続く。例えば3七銀、5八金、同金、同飛成、6八金とかな。あるいは4三歩成、同金、4四歩、同金、2六角の攻め合い》
私は頭のなかで棋譜を追いました。
たしかに後手の攻めは切れないかもしれません。
「ご指摘ありがとうございました。あとで検討してみます」
《ま、夕食のときにでもまた話そう》
こうしてインタビューが終わりました。
私は扇子をひらいて口もとに当て、やや嘆息。
すると、同郷の光彦が話しかけてきました。
「お、貴、どうしたぁ、そのようすだと負けたな」
「いいえ、勝ちました」
光彦はびっくりして、
「マジ? 吉良に勝ったの?」
と言いました。
「さすがにその反応は心外です」
「ハハハ、悪かった。だけどそれなら嬉しそうにしろよ」
「吉良くんにムリ攻めをさせたつもりだったのですが、その攻め自体は成立していたようなのです。思い通りの作戦にならず、反省をしていました」
光彦は「なーんだ」と言って、両腕を後頭部にあてました。
「あいかわらずクソ真面目だな。吉良が浮かばれないぞ」
「吉良くんは死んでいませんよ」
光彦はすこし冷たい表情になり、ちらりと会場を見回しました。
「わりと致命的だと思うけどね……貴に負けたの、上位陣だと吉良だけだろ」
なるほど、そういう意味ですか。
しかし勝負は水物。
結果をご存じなのは神々のみ──そう考えることにいたしましょう。
場所:第10回日日杯 3日目 男子の部 10回戦
先手:葦原 貴
後手:吉良 義伸
戦型:角換わり力戦形
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △3二金 ▲2五歩 △8八角成
▲同 銀 △2二銀 ▲4八銀 △3三銀 ▲3六歩 △6二銀
▲3七銀 △6四歩 ▲6八玉 △6三銀 ▲4六銀 △7四歩
▲5八金右 △7三桂 ▲7八玉 △8四歩 ▲3五歩 △同 歩
▲同 銀 △8五歩 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 銀 △同 銀
▲同 飛 △2三歩 ▲2六飛 △5二玉 ▲6八金上 △7二金
▲3六飛 △3三歩 ▲2六飛 △8六歩 ▲同 歩 △同 飛
▲8七歩 △8一飛 ▲5六角 △4九銀 ▲4八金 △1五角
▲2八飛 △4八角成 ▲同 飛 △3八金 ▲4九飛 △同 金
▲2二歩 △同 金 ▲4六歩 △4八金 ▲4五歩 △3二金
▲4四歩 △同 歩 ▲2二歩 △5四歩 ▲2一歩成 △5五歩
▲7四角 △同 銀 ▲5四角 △7七歩 ▲同 銀 △8二飛打
▲8六桂 △6五角 ▲7二角成 △同 飛 ▲7四桂 △8五桂
▲8二銀 △同飛寄 ▲同桂成 △同 飛 ▲7三飛 △6二銀
▲5三銀 △同 銀 ▲6三金 △4三玉 ▲5三金 △3四玉
▲3六銀 △2四歩 ▲3五歩 △2三玉 ▲7一飛成 △7七桂成
▲同 金 △6九銀 ▲同 玉 △8三飛 ▲1一と △5八角
▲7八玉 △3六角成 ▲2一龍 △2二金 ▲1二銀 △1四玉
▲1六銀 △6六桂 ▲8八玉 △1五銀 ▲2二龍 △1六銀
▲1三龍 △2五玉 ▲1六龍 △3五玉 ▲3六龍 △同 玉
▲3七金
まで121手で葦原の勝ち




