477手目 大物との駆け引き
※ここからは、磯前さん視点です。
さーてさてさて、面白い局面になってきた。
すなおに取ってくれたね。
千日手コースになったら悩ましいと思ってたから、ある意味助かった。
そのまま8三歩と打ち込む。
同玉、7五桂、8二玉、6三金。
じわじわといくよ。
お花ちゃんは体を左右にゆらしながら、
「うにゅ~」
と鳴いていた。
7四銀と手堅く受けられるかな。そこで2八飛と浮きたい。
以下、馬をいじめる展開を予定している。
パシリ
ん、ちがったか。
これはかなり怖い受けだと思うけど──私は1分考えなおす。
結論として、5三金は7五歩で攻めが切れると判断した。
私は7二金、同玉、2八飛で、予定のコースと近似させる。
5七馬、6三金、8二玉、4三馬。
じっくりと前身。包囲網をせばめる。
お花ちゃんはここで小考。攻めて来そうだ。
「……7五歩ぅ」
急所なんだよねぇ。
たぶんこの局面はまだ互角だ。
私も小考し返す。
5三馬が第一感。ただ7六の守りは薄くなる。
それでも先手のほうが速い? 速いなら問題ない。
「5三馬」
「6六桂ぇ」
受けないのか──7一桂を予想してたんだけど。7一桂以下は、4四馬、4二飛みたいな展開になりそうだった。そこで8三歩が効いたと思う。まあそうはならなかったからあとで検討。
私は6八金と寄って、馬をいじめにかかる。
5六馬、6七銀、8三馬。
よし、完全に撤退させた。
「6六銀」
調子がよくなってきたんじゃない?
桂馬のタダ取り。
とはいえ、お花ちゃんの狙いは、桂馬を犠牲にしての攻めの緩和だったと思う。
現に馬は自陣に引きつけられたし、あたしのほうは銀を手放した。
でも先手が悪くはないでしょ。
お花ちゃんは3二飛。
歩がないんだよねぇ、歩が。3六桂とはさすがにできない。
3八飛と寄るのは意味がない。
あたしは6四馬とした。
9二玉、7五銀、3七飛成、7四銀、9三馬、5五馬。
ちょっとグダってきた?
いや、そんなことはないはず。急いでリールを巻く必要はない。
包囲していけばそのうち王様は釣れるはずだ。
のこり時間はあたしもお花ちゃんも10分を切っている。
お花ちゃんはまた「うにゅ~」と言ったあと、3九龍と入った。
6九歩の底歩で受ける。
お花ちゃんは10秒ほど追加で考えて、7八歩と打った。
ん? なんだこれ? 読みになかった。
5四歩、6四馬みたいに、馬を攻めてくるかな、と思ったんだけど。
馬筋がそれたら2八龍で飛車を拾えるから。
そうじゃなくて7八歩か──
あたしはお茶を飲んで考える。
……………………
……………………
…………………
………………むずかしいな。
7九銀からの決戦にもみえるし、単に同玉を期待しているようにもみえる。
7九銀は厳しい? 厳しいかもしれない。
例えば8五桂打で寄せに行くと、7九銀、9七玉、8八銀打、8六玉で、上の方まで押し出される可能性はある。
(※図は磯前さんの脳内イメージです。)
だけどこれでも先手がいいんじゃない?
7七銀不成とされても、簡単には寄らないだろう。
あたしはそう判断して、8五桂打と攻めた。
お花ちゃんは、
「これめちゃんこ迷うのですぅ……」
とつぶやいたあと、1分使って同歩とした。
単に取り、か。これはちょっと意外。
あたしは同桂とした。
8四馬、8三歩(詰めろ)、6四歩、7二金(詰めろ)。
詰めろ詰めろになってきて、あたしは手ごたえを感じた。
「8三馬ぁ」
同銀成、同玉。
あたしは手がとまる。
金を助けるなら8一金か6一角。
8一金はいかにもそっぽだからやりたくない。寄せにも利かない。
となると6一角? でも逃げられないか?
確実に仕留めるなら6四馬~5八飛のほうがいいかもしれない。
ただ金を渡すというのがネック。
後手は金銀5枚。それにプラス1枚して6枚。
自玉がどれくらい安全なのか──やっぱり7九銀は来るよね。
優勢な終盤で手が多い、という局面になってしまった。迷う。
ピッ
うわ、ここで秒読みに。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
飛車の活用を選択。
お花ちゃんは「ほえぇえ」と言って考え込んだ。
あっちはまだ2分ある。
「……7九ぎぃん」
金を取らないのか。
あたしは前傾姿勢になった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
7八玉と寄る。
「8八きぃん」
59秒まで考えて7七玉。
お花ちゃんはこのタイミングで7二玉と取った。
あたしは6三角打で王手して、6一玉と下段に落とす。
ここで5八飛。
詰めろ。これに賭ける。
お花ちゃん、最後の長考。
ピッ
1分将棋。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
お花ちゃんは5七歩と打った。
時間稼ぎ? 6八銀不成以下の寄せを読み切れないのかもしれない。
あたしはノータイムで同飛。
「5六歩ぅ」
取る。
「5五歩ぅ」
これも取る。
「5四歩ぅ」
これも……取る?
この連打、ほんとに単なる時間稼ぎ?
たしかにお花ちゃんは毎回59秒考えている……けど……。
あたしはノータイム指しをやめた。
これで同飛だとどうなる? こんどは5三歩?
あたしはチェスクロをチラ見しながら脳みそフル回転。
同飛でいいんじゃないか?
のこり30秒。
ん、待てよ、同飛だと飛車の横利きが全部消えるな。
その状態で6八銀不成だと?
のこり20秒。
……そうか、6八銀不成、6六玉、5七銀打、同飛、同銀不成、同玉のとき、後手玉は詰めろが外れてるのか。銀2枚だと詰まない。5二銀、7一玉、7二銀、6二玉でギリギリ残っている。6九に歩があるから6二歩ともできない。
のこり10秒。
だけど6八銀不成にすぐ同玉だと? ……4八龍、5八歩、7九銀?
いっそのこと6八銀不成に同歩として7九龍を受け入れる?
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! 読み切れないッ!
パシリ
こっち。6四の地点を空ける。
これなら上部脱出で死ぬことはないはず。
「う、うにゅ」
お花ちゃん、すこし困った顔になる。
あたしも必死に読む。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
お花ちゃんは6八銀不成とした。
あたしは6八同歩を選択。
7九龍、7八銀打、8七金、同玉、7五桂、8六玉、8八龍。
あたしは力強く王様を上がった。
「7五玉」
5四同馬が活きた。どう見ても詰まない。
お花ちゃんは最後の王手ラッシュ。
8四金、6六玉、7四桂、5六玉、6六金、4七玉。
「よ、4六銀ですぅ」
ぐッ……馬か飛車が抜かれそう。
同玉、4五銀、同馬、同歩、同角成、5六金打。
最悪。両方抜かれた。
3五玉、5五金。
同馬だと8五龍か。将棋勝つのたいへん過ぎでしょ。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「7二銀ッ!」
頼む、寄ってくれ。
5一玉、4三桂、4一玉、4二歩、同玉。
「3一銀」
……………………
……………………
…………………
………………詰んだッ!
3二玉、3三歩、同玉、3四馬、3二玉、3三金、2一玉、2二金までだ。
「ほ、ほぇえええ……負けましたぁ」
「ありがとうございました」
いやぁ、勝った。あたしはチェスクロを止めた。
どうも7二銀の時点で詰んでたっぽいな。
「さ、最後よくわかんなくなったのですぅ。飛車抜くまえに4六角でしたかぁ?」
【検討図】
「これはなに? タダ捨てだよね?」
「同馬、5五金だと、お馬さんが寄せに利かなくなるのですぅ」
「あ、そういう……」
あたしはその場で考えた。
これ本譜で指されなくてよかったな。パニックになったかも。
「……5三桂かな」
【検討図】
「7一玉、6一金、7二玉とさせてから5五馬じゃない?」
お花ちゃんは納得した。
「なるほどなのですぅ。これだと8五龍とできないのですぅ」
「8五龍が馬と王様を串刺しにする筋がみえてなくてあせったよ」
そもそも3五まで王様が行くとは思ってなかったしな。反省。
お花ちゃんはあまり納得していないような顔で、
「そういえば、なんで6一角って打たなかったんですかぁ?」
とたずねた。
【検討図】
「これ打たれたらめちゃんこ困ってたのですぅ」
「6一角、7九銀、7八玉、8八金、同馬、5五角の王手飛車が気になった」
「王手飛車しても飛車取れないのですぅ。2八角成は間に合いませぇん」
……そっか、たしかに後手は寄る。
「ごめん、あたしのポカだね。こっちなら明快だった」
そのあと中盤をかるくやって、おひらき。
長手数だから終わるのが遅かった。休憩時間は確保しないとね。
すぐにインタビューコーナーへ。
《もしもし、裏見よ》
「あ、香子ちゃん、どうだった、この局? 熱戦だったでしょ?」
《とちゅうで先手優勢から有利くらいにもどった気がするんだけど》
それが第一声なの? ひどくない?
「んー、まあちょっとポカした局面はあったかな。7二の金を渡したのは疑問だった」
《最後大駒を抜かれても寄せ切ったのはすごかったわ……あ、キングさんに替わるわね》
《Hello!! 泥試合デシタね》
「解説席、もうちょっと褒めて」
《Ahaha, nice game. おもしろかったデスよ。8四歩の踏み込み、よかったデス》
細かいところも解説席とやりとりしたけど、そこは省略。
1局目からつかれたな。だけど大物は釣り上げた。
まだまだイケるんじゃないの、これは。
場所:第10回日日杯 3日目 女子の部 11回戦
先手:磯前 好江
後手:桐野 花
戦型:後手ダイレクト向かい飛車
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8八角成 ▲同 銀 △4二銀
▲6八玉 △3三銀 ▲4八銀 △2二飛 ▲9六歩 △9四歩
▲7八玉 △6二玉 ▲4六歩 △7二玉 ▲4七銀 △2四歩
▲8六歩 △8二玉 ▲8七銀 △7二銀 ▲8八玉 △4四銀
▲7八金 △3三桂 ▲3六歩 △4二金 ▲3七桂 △2一飛
▲2九飛 △6四歩 ▲4八金 △6三銀 ▲5六銀 △5四歩
▲4五歩 △5三銀 ▲7七桂 △7二金 ▲6六歩 △1四角
▲8五歩 △3六角 ▲6五歩 △同 歩 ▲同 銀 △5五歩
▲6四歩 △同銀直 ▲同 銀 △同 銀 ▲4四歩 △同 歩
▲4三銀 △5三金 ▲4二銀不成△4五桂 ▲5三銀不成△同 銀
▲4三角 △2二飛 ▲3四角成 △3七桂成 ▲同 金 △5八角成
▲8四歩 △同 歩 ▲8三歩 △同 玉 ▲7五桂 △8二玉
▲6三金 △7四歩 ▲7二金 △同 玉 ▲2八飛 △5七馬
▲6三金 △8二玉 ▲4三馬 △7五歩 ▲5三馬 △6六桂
▲6八金 △5六馬 ▲6七銀 △8三馬 ▲6六銀 △3二飛
▲6四馬 △9二玉 ▲7五銀 △3七飛成 ▲7四銀 △9三馬
▲5五馬 △3九龍 ▲6九歩 △7八歩 ▲8五桂打 △同 歩
▲同 桂 △8四馬 ▲8三歩 △6四歩 ▲7二金 △8三馬
▲同銀成 △同 玉 ▲6四馬 △7九銀 ▲7八玉 △8八金
▲7七玉 △7二玉 ▲6三角 △6一玉 ▲5八飛 △5七歩
▲同 飛 △5六歩 ▲同 飛 △5五歩 ▲同 飛 △5四歩
▲同 馬 △6八銀不成▲同 歩 △7九龍 ▲7八銀打 △8七金
▲同 玉 △7五桂 ▲8六玉 △8八龍 ▲7五玉 △8四金
▲6六玉 △7四桂 ▲5六玉 △6六金 ▲4七玉 △4六銀
▲同 玉 △4五銀 ▲同 馬 △同 歩 ▲同角成 △5六金打
▲3五玉 △5五金 ▲7二銀 △5一玉 ▲4三桂 △4一玉
▲4二歩 △同 玉 ▲3一銀
まで159手で磯前の勝ち




