466手目 手将棋
※ここからは、内木さん視点です。10回戦になります。
いよいよ本日最終局。
疲れを顔に出さないよう、気合を入れなおす。
私はチョコレートで体力補給をして、コーヒーを飲んだ。
「さて……伊吹さん、どこを観ますか?」
「ここは萩尾vs桐野一択でしょ~」
先輩たちに気兼ねせずゴールデンカードを引きにいく姿勢、嫌いじゃない。
私はタブレットで萩尾vs桐野を選択した。
「過去の対戦成績は……全国大会では当たっていませんね」
「県代表でもちょくちょくは当たらないですか。戦型は予想がつきますが」
「はい、桐野選手のダイレクト向かい飛車になると思います」
萩尾先輩もそれは分かってるから、対策は練ってきたはず。
伊吹さんもチョコの包みを開けつつ、
「一本槍の戦法ってどうなんですかね。読まれて損だと思うんですけど」
と言った。
「県代表になれるなら、それでいいのでは」
「それもそうですか……あ、このチョコおいしいです」
「囃子原グループの新商品です」
スポンサーのよいしょも忘れずに。
そうこうしているうちに、ヘッドセットからスタッフの声が聞こえた。
《まもなく開始のアナウンスがあります。よろしくお願いします》
解説陣も沈黙する。
ピポッ
電子音と同時に、序盤が高速で進んだ。
7六歩、3四歩、6六歩。
【先手:萩尾萌(Y口県) 後手:桐野花(H島県)】
先手から角筋を止めた?
私は早速解説を始める。
「後手ダイレクト向かい飛車は見えているので、対策だと思いますが……」
「そうですねぇ、後手は手が止まりましたよ」
相振りという可能性もなくはない。
居飛車の感覚である程度指せる。
萩尾先輩レベルの居飛車党なら、苦にはならないだろう。
だとすれば桐野先輩が警戒するのも当然だ。
けっきょく30秒ほど使って、桐野先輩は4四角と出た。
私は、
「後手も挑発しました。先手は飛車を振るのかどうかが焦点です」
とコメントしておいた。
6八銀、2二飛、5六歩、2四歩、5七銀。
萩尾先輩は態度を明らかにしない。
2五歩、4六銀、6二玉、3八銀。
こ、これは……完全な手将棋になった。
伊吹さんは肩をすくめた。
「最終局で解説がめんどくさいの来ましたね。これ観たいって言ったのだれですか?」
あなたでしょ。
内木レモン、怒りの解説。
「とりあえずここから振るのはムリそうです」
「うーん……先手は3六歩とかするんですかね?」
伊吹さんの予想は当たった。
桐野先輩の3三角に、3六歩、3二銀、3七銀上と進む。
伊吹さんはこれを見て、
「あ、これ……すでに先手持ちたくありません?」
とコメントした。
「もう?」
「素が出ましたね」
「あ、失礼……もう先手持ちですか?」
「後手はなにをしていいのか、分からないかたちになってますよ」
……そうなのかしら。判断がつかない。
ここまでの解説で、伊吹さんが嘘を言ったりごまかしたりした局面はなかった。
とりあえず進行を見守る。
4四歩、3五歩。
いきなりの仕掛け?
忙しくなった。
私は、
「これは……取れません。4三銀と予想します」
と、無難な手を推した。
伊吹さんもうなずいて、
「そこで3六銀と立てば、理想形になります。あとは3五歩、同銀左、3四歩で収める展開になりそうですね。そのあとがイマイチよくわかりませんが……」
と補足した。
4三銀、3六銀、7二玉、6八玉、3五歩、同銀左、3四歩、4六銀。
途中で王様の移動があった以外、解説通りに進んでいる。
ここからは地味な陣形整備に入った。
8二玉、7八玉、5二金左、5八金右。
構想力を問われる局面。
伊吹さんはお茶を飲んでから、真剣に考えこんだ。
私はそれを横目で見ながら、ふと思う。
伊吹さんって、なんだかんだで将棋が好き……なのかしら。
彼女の正体はN良代表の忌部さんだ。
私は県代表になったことがないけど、指す機会は一度だけあった。
中学1年のとき、O阪で大きなイベントがあったのだ。
非公式のお祭りだったから、みんなでわいわいやるタイプの大会だった。
けど、伊吹さんはあまり楽しそうに指していなかった。
私がそんなことを考えていると、伊吹さんは上半身をすこし動かした。
「むずかしいですね……このレベルの選手でなにを指すか……」
どうやら伊吹さんにも見当がつかないらしい。
私は会話の呼び水で、
「7二銀で美濃を完成させるのが本線ではないでしょうか」
と持ち掛けた。
「うーん……それも考えてるんですが……やっぱり先手が指しやすいんですよ」
「具体的には?」
「3七桂~2五銀~2六歩です」
【参考図】
「かたちはぐちゃぐちゃですが、後手はなにもできなくなるので先手有利です」
なるほど、だんだんとわかってきた。
ようするに後手は2筋を維持できないのだ。
銀の応援も繰り出せない。
「2筋を支えきれないようだと、そのうち崩壊しそうです」
「ええ、ですから単に7二銀で美濃にしても、そのあとが手詰まりになります」
私たちはいろいろと打開案を考えた。
どうもうまくいかない。
長考中の桐野先輩の手をみることになった。
解説席に沈黙が流れる。
伊吹さんは「うーん」と言いながら盤面を見つめていた。
「……伊吹さん、ひとつ質問してもいいですか?」
「どうぞ」
「伊吹さんが将棋を始めたきっかけってなんですか?」
「きっかけ? 『5月のトラ』を読んで興味が湧いたからです」
マンガから入ったタイプなのか。ちょっと意外──でもないか。
忌部さんは他人から声をかけられるタイプではなかった。
「いつから読んでます?」
「連載開始時から読んでますよ」
「『5月のトラ』が始まったのって5年前ですよね?」
伊吹さんは、しまったという顔をした。
ほらほら、4ヶ月前に始めたっていう自己申告と矛盾してきてるわよ。
伊吹さんは澄まし顔で、私の肩をたたく。
「将棋マンガは将棋がわからなくても楽しめるんですよ」
「それは否定しませんが……」
パシリ
ん、これは……あッ、わかった。
「もしかして振りなおしですか?」
「あ~、なるほど、それっぽいですねぇ。7四歩~6三金~7二飛ですか」
今度は萩尾先輩の長考。
私は「先手の方針も難しいですが……」とひと呼吸おいてから、
「7二へ飛車を回られるまえに、3七桂~2五銀を決めてしまいたいところです」
と解説した。
伊吹さんもこれには同意した。
「行きがけの駄賃なら、そうするしかありませんね。ただ、2五の銀をそのあとどうするか難しいような……レモンちゃんならどうします?」
「左桂がさばけないのと見合いでよくありません?」
「なるほど……5四銀を牽制する意味もあるので、バランスオッケー、と」
萩尾先輩は中盤の要所ととらえているらしく、とうとう5分を消化した。
ほとんど身じろぎもしないスタイルで、考える姿もサマになっていた。
これで新進気鋭の陶芸家なんだから、反則よね──と、動きそう。
パシリ
タブレットが動き、3七桂が指された。
ここからおたがいに我を通す展開になった。
6三金、2五銀、7四歩、2六歩。
桐野先輩は即座に7五歩と仕掛けた。
同歩、7二飛、6七金、7五飛。
私たちはじっと局面をみつめた。
「7六歩、7二飛と収めるのはいいとして、その次が……」
「曖昧模糊としてますが、さっきの長考でさすがに考えてるでしょうね」
伊吹さんの言うとおり、ここからの指し手はすこし速くなった。
7六歩、7二飛、6八金上、7四金。
後手は金をうわずらせていく。
9六歩、9二玉、9七角。
こ、これは──私はタブレットを操作しながら、
「おたがいにトリッキーなかたち……ですが、先手のほうが安定しています」
と評価した。
伊吹さんも、
「先手、後手のそれぞれに弱点がありますけど、先手のほうがまだ少ないですか。先手は2五銀が立往生。後手は左桂がさばけそうにないのと、王様が危なすぎます」
ここで桐野先輩の長考。
後手は動かせる駒が少ない。
やるとすれば──私はタブレットで5一角とした。
「このあたりですか?」
「角を活かすならそこですね。でも次にどこへ動かすか悩ましいです」
「8四では?」
「8四角~6五歩はたしかに第一感ですが、7七桂くらいで消せるような……あと、5一角には5五銀だと思うんですよね。5一角、5五銀、8四角、6四銀と突っ込んでも先手がよさそうです。だから7三角と手前に出るのもありかなあ、と」
なるほど、一理ある。
「ただ7三角は狙いがあいまいだと思います」
「そこは反論できませんね。先手の出方待ちの戦略なので」
パシリとタブレットから音がした。
5一角が指されている。
萩尾先輩は30秒ほどで5五銀と出た。
桐野先輩は角に手をかける。その行先は──




