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こちら、駒桜高校将棋部Outsiders  作者: 稲葉孝太郎
第42局 日日杯2日目(2015年8月2日日曜)
477/682

465手目 陰ながら

※ここからは、捨神すてがみくん視点です。10回戦開始前の話になります。

 9回戦もほぼ終わりに近づき、僕は先に会場を出た。

 午後4時。廊下はまだ夏のひざしを残している。

 H島の街並みに目を奪われていると、声をかけられた。

 葉山はやまさんだった。

「あ、捨神くん、見つけた」

 葉山さんは犬井いぬいくんといっしょにいた。

 小走りに駆け寄ってきた。

「おつかれさま。終わったばかりで申し訳ないんだけど、インタビューいいかな?」

「もちろん」

 葉山さんはメモ帳をめくりながら、

「2日目が終わって、ここまでの感想は?」

 とたずねた。

「そうだね……4日制だから、まだなんとも言えないかな」

「トップグループだよね?」

「トップグループのなかの2番手。六連むつむらくんがひとつ抜けてると思う」

「そう思う理由は?」

 僕はこれまでの成績をふりかえって、そう結論づけた。

 葉山さんも納得してくれたみたいだった。

「印象に残ってる対局はある?」

「どれも厳しい戦いだったけど……やっぱり阿南あなんくんに負けた局かな」

「それはどういう意味で?」

「阿南くんの指し回しが素直にすごかったから」

 葉山さんはメモを終えた。

「それじゃ、残りもがんばってね」

「善処するよ」

 僕は葉山さんたちと別れて、19階の自室へもどった。

 顔を洗って、お茶を飲む。

 それから身支度をすませた。

 トランクに入れてあった夏物のパーカーを羽織る。

 フードを深めにかぶって、サングラスをつける──逆にあやしいかな?

 まあ見つかったら見つかったで。

 僕は部屋を出て、エレベータで一般会場へと降りた。

 中に入ると、ひとがごった返していた。

 えーと、約束の場所は……あ、いた。

 僕はひとごみをかき分けて、飛瀬とびせさんに声をかけた。

「お待たせ」

 飛瀬さんはふりかえって、

「あ、おつかれさま……」

 と言ってから、箕辺みのべくんたちにも僕の登場を知らせた。

 箕辺くんは笑顔で、

「捨神、おつかれ」

 と言った。

 シーッ──僕はひとさしゆびをくちびるにあてた。

「っと、すまん……どうだ、調子は?」

「可もなく不可もなく、かな。長丁場だから疲れないように調整してる」

 箕辺くんはすこし残念そうな顔をして、

「捨神はそのへんに気を配らないといけないから大変だな。ムリはするなよ」

 と言ってくれた。

「ピアノに4日制はないからね。とりあえず今はそこまで疲れてないよ」

 僕はたしかに体が強くない。

 でも体調管理には、ほかの選手も気を配っていると思う。

 とくに参考にしたかったのは長門ながとさん。

 長門さんはサバイバルゲームが得意だし、頭脳派だからコツを知っていそうだ。

 その証拠に、会場で観察していたら、長門さんは定期的に運動したりドリンクを飲んだりしていて、休憩にムダがなかった。

 それから六連くん。六連くんがやってるカードゲームは、世界大会なら3日制らしい。長期戦は経験があるってことだ。ほかにも主催者の囃子原はやしばらくんはこのルールを熟知しているはずだし、体力勝負なら吉良きらくんのほうが有利か。

 僕がそんなことを考えていると、飛瀬さんは、

「捨神くんは捨神くんらしく指して……」

 とつぶやいた。

「……そうだね。ありがとう」

 それからしばらく雑談をした。

 4時半を過ぎた頃になって、箕辺くんは、

「すまん、そろそろ帰らないといけないんだ。また明日来る」

 と言った。

「ごめんね、夏休みをつぶしちゃって」

「そんなことはないぞ。観てるだけでも面白い」

 僕は1階のホールまでつきそった。

 みんなそれぞれあいさつをして、ホテルを出て行く。

 回転ドアのところで、飛瀬さんと目が合った。

 僕はほほえんで手を振った。

 ひとりになった僕は、大きく息をつく。

 ホールを見回すと、家族連れやビジネスパーソンが、ソファーでくつろいでいた。

 ふと、待合スペースの向こう側に、グランドピアノがみえた。

 僕はなんとなく宿泊客を横切って、そのグランドピアノのまえに立った。

 指を触れようとした瞬間、いきなり肩に手を置かれた。

 ふりむくと、高校の制服を着たきざっぽい少年が立っていた。

 ピアノコンクールでよく会う二階堂にかいどうくんだった。

「あれ……どうしたの?」

 僕がたずねると二階堂くんは、

「そこはさすがに『おひさしぶり』あたりから入って欲しいね」

 と答えた。

「あ、ごめんごめん、ひさしぶり。でもどうしてここに?」

「親戚の応援に」

「親戚……? え、もしかして二階堂さんたちの親戚なの?」

 二階堂くんはそうだと答えた。

 これには僕もおどろいた。

「そっか……だけど二階堂くん、将棋知らないって言ってなかった?」

「ああ、だから見ててなにも分からない」

 僕は笑った。

「今のに笑う要素があったかい?」

「いや、二階堂くんらしいな、と思って。それにしても、よく僕だって分かったね」

 二階堂くんはやれやれという顔をして、

「靴を変えてないだろ……ところで、男子は終わったっぽいけど?」

 とたずねた。

「うん、もう終わったよ」

「忙しい?」

「ううん、女子が終わったあとで夕食だから」

 二階堂くんは勝手にピアノの椅子をひいて、そこに座った。

 ペダルを踏み、鍵盤のタッチを確かめる。

 あたりに軽やかな音色がひびいた。

「整調済みか。捨神くん、ご希望は?」

 僕はすこし考えて、

「バッハ、インベンションの……3番」

 と答えた。

「あまり夏らしい曲じゃないね」

「二階堂くんの得意曲でしょ、バッハは」

 二階堂くんは「さあ、どうだろう」と言って肩をすくめてから、演奏を始めた。

 冒頭の12小節が、軽やかな、それでいて秋を思わせる寂しげな音色をかなでた。

 もつれそうになる複雑なトリルをさばき、全身でリズムをとりながら弾いていく。

 僕はそばにたたずみ、目を閉じてその音楽に身を任せた。

 締めくくりのコーダに入り、最後のヘミオラが弾かれたところで、曲は終わった。

 僕は軽く拍手した。

 二階堂くんは立ち上がり、

「どうぞ、一曲」

 と僕に演奏を求めた。僕は着席し、ペダルの具合を確かめる。

 好きな曲の数小節を弾いて、ダンパーの掛かりと鍵盤の重さも把握した。

「将棋大会でピアノの弾き合いっこだなんて、妙な気分だね」

 僕がそう言うと、二階堂くんはくすりともせず、

「すまない……僕が捨神くんについて知っているのは、ピアノだけなんだ」

 と答えた。その声には、茶化したようなところがすこしもなかった。

 僕は曲名をたずねた。

 二階堂くんは「ラヴェル/ソナチネ 第3楽章」と即答した。

 僕は提示部を生き生きと始めて、そこから脳内の楽譜通り忠実に展開した。

 明るい軽やかな曲が、ホールに小川のように流れた。

 僕が弾き終えると、二階堂くんは腕組みをしたまま、

「ずいぶんと杓子定規に弾くね」

 と感想を述べた。

「そうだね……やっぱり基本が大事というか……」

「意識がピアノへ行っていないように感じた」

 僕は苦笑した。

「二階堂くんがそういうなら、そうなんだろうね。緊張しているのかな」

「将棋っていうのは面白いの?」

 単刀直入な問い。

 僕は即答できなかった。

「……質問を質問で返すようで悪いけど、二階堂くんはピアノが面白い?」

「難問だね。だけどこれがなきゃ僕はただの高校生さ」

「二階堂くんは両親にすすめられて始めたんだっけ?」

「ああ、じぶんでやりたいと言ったわけじゃない。捨神くんは?」

 僕は昔のことを走馬灯のように思い出した。

「……僕は両親から言われて始めたことはなにもないよ」

 ピアノも将棋も、まったく違うところからやってきた。

 二階堂くんはなにか言いかけた。

 そのまえに、女の子の声がした。

「ちょっと、英樹ひでき、なにしてるの」

 すこしおめかしした、ワンピースの女の子が駆けてきた。

 ピアノ仲間の樋口ひぐちさんだった。

 樋口さんはすこし怒ったような顔で、

「英樹、捨神くんを連れ回しちゃダメでしょ」

 と言い、それから僕に謝った。

「ごめんなさい。英樹が捨神くんの応援に行きたいって言うから」

「ちょっとちょっと、僕は親戚の応援に来たんだよ」

 ふたりはしばらくああだこうだと言い合っていた。

 僕はその光景に、なぜかほほえんでしまった。

「ありがとう。すこしだけ将棋のことを忘れられたよ。ふたりとも、まだ時間はある?」

 僕はピアノに座りなおした。最初の1音節のキーに指をかける。

 今ならさっきよりもうまく弾ける、そんな気がして。

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