463手目 ポージング
※ここからは、吉良くん視点です。第9局開始時点にもどります。
ふぅ……次で最終局。
席に向かうと、嘉中は先に待っていた。
「義伸、よろしくぅ」
「よろしく、と」
俺は水分補給をする。
嘉中は椅子のうえであぐらをかいていた。
俺はキャップをしめがなら、
「おまえ、俺の名前あげてたよな?」
とたずねた。
「ん? ……ああ、あのパンフレットのこと?」
「わざわざ指名をもらったからには、容赦しないぜ」
「おお、怖い怖い」
《対局準備はよろしいでしょうか? ……では、始めてください》
おたがいに一礼。
俺は7六歩と突いた。
嘉中は椅子のうえで上体を揺らしながら、
「んー、どうしよっかなぁ」
と言った。
おいおい、なにか研究して来てるだろ。バレバレだぞ。
「とりあえず8四歩ね」
6八銀、3四歩、7七銀、6二銀、2六歩、3二金。
矢倉にみえるが──2五歩、6四歩……6四歩?
俺は反射的に2四歩と突きかけた。
手を引っ込める。
「突かないの?」
俺は返事をせず、じっと盤を見た。
……………………
……………………
…………………
………………これはなにかあるな。
2四歩、同歩、同飛、6三銀、3四飛を誘ってる。
嘉中はニヤニヤして、
「えらく考えるね。まだ序盤だよ」
と挑発してきた──行くか。
「2四歩」
「そう来なくっちゃ」
同歩、同飛、6三銀、3四飛、3三角。
「3五飛だ」
「2三金」
!? ……そういう手か。
「あいかわらずむちゃくちゃだな……2五飛」
嘉中は2二飛と回った。
変則向かい飛車。
狙いは棒金からの圧殺だ。
俺は2八飛と撤退して、2四金に6八玉でかたちを整える。
「どんどん行くよ。2五金」
3八金、2六歩。
蓋をされた──が、後手も渋滞してないか?
まだ焦るような時間じゃないな。
7八玉、6二玉、5六歩、7四歩、7九角。
嘉中はこの手をみて、
「さすがに機敏だね」
と言った。
「俺を序盤でリードするのは百年早いぜ」
「いや、これ後手が指しやすいでしょ。7三桂」
4八銀、7二玉、8八銀。
さっきはああ言ったものの、たしかに後手が指しやすい。
攻める取っ掛かりがつかめない。
5四歩、1六歩、4四角、4六歩、3三桂、4七銀。
嘉中はここで長考。
俺は攻めの糸口をさがす。
むずかしいな。後手のほうが先に仕掛けてくるか?
「……3五金」
嘉中は金を寄った。
これは攻めの準備とも取れるし、角頭の守りとも取れる。
とりあえず攻めのかたちへ持っていく。
3六歩、3四金、3七桂、6五歩、5七角。
嘉中は腕まくりをした。
「よしッ、準備万端ッ! 5五歩ッ!」
先攻された。
先手を引いた意味のない展開だ。
アマだからそんなに関係ないとはいえ、気分はよくない。
同歩、同角、5六歩、6四角。
角の展開か……8筋から攻めるか?
あの角は意外と負担になると思う。
6八金、6二金、2九飛、4二銀。
俺はここで端に手をつけた。
「9六歩」
4四歩、2八歩、8三玉、9五歩、5三銀、7七銀。
銀の上げ下げで手損になったが、しょうがない。
嘉中も俺が角頭を狙っているのは気づいてるらしく、5四銀直とした。
8六歩で玉頭にプレッシャーをかける。
ここで嘉中はまた長考。
時間差はそんなにない。
先手が15分、後手が16分。
それになんだか攻めて来そうな気配がある。
4五歩か?
4五歩、同歩、同桂、同桂、同銀なら、4六歩、5四銀引、4九飛を考えてる。
(※図は吉良くんの脳内イメージです。)
先手のほうが駒の働きは悪い……が、そこは腕力でなんとかする。
俺はその順で読み進めた。
嘉中の持ち時間が10分になったところで、次の手が指された。
パシリ
桂跳ね? 意外な手だ。
狙いはなんだ? 単に桂交換?
……2筋奪取のチャンスか。
「同桂」
同飛、4八角で、2筋の奪還を目指す。
ところが嘉中は立て続けに攻めてきた。
「8五歩」
後手から玉頭戦?
俺は無意識のうちにペットボトルへ手を伸ばした。
水分補給をする。
視線だけは盤に向けていた──イケる。
俺はペットボトルをおいて、すぐに次の手を指した。
「2七歩」
玉頭は無視する。
どう指されても桂単騎だ。
嘉中は8六歩と取り込んだが、これも無視。
2六歩、2一飛、5五桂。反撃開始。
嘉中も速度負けしたと思ったのか、銀を逃げずに8五桂と跳ねた。
6三桂成、同金、8四歩、7二玉、7五歩。
ガンガンいくぞ。ノンストップミュージックだ。
嘉中は7七桂成、同金と交換してから、3七歩と叩いてきた。
同金に7五歩と手をもどす。
「おかわりだ。5五桂」
「ぐッ……」
嘉中は椅子のうえであぐらをかいたまま固まった。
斬り合いしかないぜ。その手順も限られてる。
おそらくは5五同銀と食いちぎってから7六歩だ。
「……同銀」
同歩、7六歩、同金、8七銀。
俺は6八玉と寄った。
嘉中は7六銀不成。
これは入玉含みだな。さて、どうするか。
一気に決めるなら5二銀だ。7五桂よりも6三銀成のほうが速い。
慎重にいくなら7七歩。
5二銀には5三金が気になるな。8三歩成くらいで続くとは思うが──
「7七歩」
俺は安全策を選んだ。
6七銀成、同玉、7五桂、5八玉、5七歩、4九玉。
どんどん逃げる。
6七桂成で一旦王手が止まった。
今度こそ5二銀。
5三金なら8三歩成、同玉、6三銀打でつなげる。
5三金打なら8三銀、6二玉、6三銀成でつなげる。
嘉中の持ち時間が3分を切った。
「……5五角」
5五角? 受けないのか?
俺はこの手で小考した。
5五の歩を払って攻めを緩和した、とも取れる。
ただどこか気になるな。
俺の残り時間は5分。寄せを考えると残したい。
4:57 4:56 4:55 …… 4:00 3:59
ん、そうか、4五桂だ。
4五桂、同歩、3七角成を狙ってる。3七歩はこの布石だったか。
嘉中のやつ、焦ってるように見せかけて、ちゃっかり罠をしかけてやがった。
俺は残り時間を寄せの速度計算に使った。
しのげば先手勝勢になる。
「……8三歩成」
これでキメる。
嘉中も罠が効かないと見たのか、ちょっとばかり渋そうな顔をした。
あぐらをかいたまま、ピンと背筋を伸ばしている。
……ピッ
嘉中が1分将棋に。
ピッ ピッ ピッ ピーッ!
嘉中は59秒ギリギリで6二玉と寄った。4三銀打で支える。
ピッ ピッ ピッ ピーッ!
「4五桂」
案の定の一手。
俺は最後の持ち時間で確認を入れる。
ピッ……ピッ ピッ ピッ ピーッ!
「3八玉」
これで寄らない。
5八成桂、同銀、3七桂成、同角、5八歩成。
俺は59秒まで考えて7五桂と打った。
詰めろ。
嘉中は即座に4七銀と打った。
同玉、4八金、同角、同と、同玉。
ここで廣中は頭をかきながら、
「これが見えてないってことはないよね」
と言い、6六角と出た。
「もちろん見えてるぜ。5七歩」
「アハハ、だよね。7五角」
俺は7一銀と打つ。
決まったな。これで詰みだ。
以下、5三玉、4二銀打、6四玉、6三銀成で、どうやっても詰む。
嘉中は後頭部に両手をあてて、大きくのけぞったあと、
「負けました」
と言った。
「ありがとうございました」
チェスクロを止める。
嘉中の第一声は「んー、序盤は良かったと思うんだけど……」だった。
「そうだな、棒金にはプレッシャーをかけられた」
「どこで間違えたかな? 8五歩が良くなかった?」
俺たちは8五歩回りを調べたが、どうもほかに手がなさそうだった。
嘉中は、
「じゃあ2五桂が勇み足だったか」
と言った。
「だな。あそこは4五歩を本命に読んでた」
【検討図】
「こっちも考えたけど、4九飛と回られるのがね」
「そう簡単でもなくないか? そこで4四金と手渡しされたら意外と困る」
「……なるほど、そこで一手指させてから8五歩か」
感想戦のあいだ、嘉中は中盤の失敗を悔やんでいた。
どうやって後手が明確によくするのかは難しかったと思う。
右玉に近いかたちだったから、終盤がどうしても脆い。
感想戦が終わったのは、グループのなかでも比較的遅かった。
大きく背伸びをしていると、スタッフのひとりに声をかけられる。
「お疲れのところすみませんが、インタビューをお願いします」
「あ、はい」
俺は所定のカメラのところまで行って、イヤホンをはめた。
《もしもーし、あっしでやんす》
我孫子か。
「もしもし、吉良です」
《いやはや、お見事な将棋でやんした。終盤は読み切りだったでやんすか?》
「詰んだと確信したのは、7五角で桂馬を取られたときですね。5七歩に同角成として詰めろを解除する順はあったと思います」
《たしかに、5七角成、同玉、4五桂と捨てていけば、上部に抜けるルートは確保できたかもしれないでやんす。もっとも駒を渡しすぎなので、後手負けでやんすね》
我孫子はもうひとりの解説に替わった。
《H庫の三室です。おひさしぶりです》
ん、三室が来てたのか。
「おひさしぶりです」
《先輩に敬語を使われると違和感ありますね。全国大会以来ですか》
「そうですね……いや、もうめんどくさいな。そうだ、全国大会以来だ」
《せっかくだから解説じゃなくて先輩と指したいんですけど……あ、話が脱線しました。本譜、2一飛に7五歩でしたが、5五歩のほうが安全だったことありませんか?》
【参考図】
「あ〜、それはあったかもな」
《この場で検討ってわけにはいきませんから、あとで教えてください》
インタビューはそこで終わった。
俺は深呼吸する。
これで8−1。トップグループは維持した。
問題は囃子原→捨神→石鉄の3連戦……自力はある。
できればトップ抜けするぜ。
場所:第10回日日杯 2日目 男子の部 9回戦
先手:吉良 義伸
後手:嘉中 平三
戦型:後手向かい飛車棒金
▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲7七銀 △6二銀
▲2六歩 △3二金 ▲2五歩 △6四歩 ▲2四歩 △同 歩
▲同 飛 △6三銀 ▲3四飛 △3三角 ▲3五飛 △2三金
▲2五飛 △2二飛 ▲2八飛 △2四金 ▲6八玉 △2五金
▲3八金 △2六歩 ▲7八玉 △6二玉 ▲5六歩 △7四歩
▲7九角 △7三桂 ▲4八銀 △7二玉 ▲8八銀 △5四歩
▲1六歩 △4四角 ▲4六歩 △3三桂 ▲4七銀 △3五金
▲3六歩 △3四金 ▲3七桂 △6五歩 ▲5七角 △5五歩
▲同 歩 △同 角 ▲5六歩 △6四角 ▲6八金 △6二金
▲2九飛 △4二銀 ▲9六歩 △4四歩 ▲2八歩 △8三玉
▲9五歩 △5三銀 ▲7七銀 △5四銀直 ▲8六歩 △2五桂
▲同 桂 △同 飛 ▲4八角 △8五歩 ▲2七歩 △8六歩
▲2六歩 △2一飛 ▲5五桂 △8五桂 ▲6三桂成 △同 金
▲8四歩 △7二玉 ▲7五歩 △7七桂成 ▲同 金 △3七歩
▲同 金 △7五歩 ▲5五桂 △同 銀 ▲同 歩 △7六歩
▲同 金 △8七銀 ▲6八玉 △7六銀不成▲7七歩 △6七銀成
▲同 玉 △7五桂 ▲5八玉 △5七歩 ▲4九玉 △6七桂成
▲5二銀 △5五角 ▲8三歩成 △6二玉 ▲4三銀打 △4五桂
▲3八玉 △5八成桂 ▲同 銀 △3七桂成 ▲同 角 △5八歩成
▲7五桂 △4七銀 ▲同 玉 △4八金 ▲同 角 △同 と
▲同 玉 △6六角 ▲5七歩 △7五角 ▲7一銀
まで125手で吉良の勝ち




