461手目 鬼
※ここからは、越知さん視点です。第9局開始時点にもどります。
どうも、越知です。
次の対局、緊張してます。鬼首さんなんですよね。
ちょっと怖いですが、がんばります──あ、来ました。
「次、あんた?」
鬼首さん登場。そのまま着席。
腰に上着を巻いて、なかなかファッション味があります。
「越知です。よろしくお願いします」
「よろしく……ところで、食べ物持ってない?」
「え……いえ、持ってません」
鬼首さんはボリボリと後頭部をかきながら、
「昼飯足んなかったなあ。剣のバカはダブルバーガーにしとけよ」
と、愚痴を言いました。
栄養補給大事ですよ……あ、そろそろ始まりそうですね。
《対局準備はよろしいでしょうか? ……では、始めてください》
「よろしくお願いします」
「よろしく」
鬼首さんがチェスクロを押して、対局開始。先手は私です。
7六歩、3四歩、2六歩、5四歩、2五歩、5二飛。
中飛車ですか。
鬼首さんはオールマイティっぽいんですよね。
このあたりは調査してあります。香宗我部先輩情報です。
とりあえず用意してきた局面に誘導。
4八銀、5五歩、6八玉、3三角、3六歩。
超速ですよ、超速。
4二銀、3七銀、5三銀、4六銀、4四銀。
やりたい局面になりました。
「7八銀です」
左美濃へ。
鬼首さんは首の骨をポキポキさせながら、
「ふーん、そう来る……」
と言い、10秒ほど考えて7二銀。
私は9六歩と打診しました。
これは無視されて、6二玉。
端を突き越してもいい、と……じゃあ9五歩。
7一玉、7九玉。この簡易美濃でいきます。
「この対局終わったらチョコ買ってくるか……早めに終わらす。5六歩」
それはこっちの台詞です。
チョコは関係ありませんが、短期決戦狙いですよ。
棋力差があるときはがむしゃらに殴るに限ります。
5六同歩、同飛、2四歩、同角、3五歩。
どんどん攻めます。
8二玉、5七歩。
「引かないぜ。7六飛」
……玉頭戦ですか。
飛車単騎ですよね、でも。
援軍が来ないうちになんとかしましょう。
私は3四歩と取り込みました。
鬼首さんは3二金──飛車を浮かせたままの駒組。
私の悪手待ちですか?
私は1分ほど考えて5八金右としました。
「1四歩」
急に減速してます。
っていうか、この局面、鬼首さんはだいじょうぶなんですか?
2二歩、同金に2四飛と切って、同歩、6五角があるんですが。
(※図は越知さんの脳内イメージです。)
これでイケませんかね。
馬作りを回避するためには、7八飛成、同玉、7五飛、7七桂、3二金という手順になりますが、これは角銀交換なので後手の駒損。
金銀5枚のほうが飛車角3枚よりもいいという読みでしょうか?
ありえなくはないです。私のほうは陣形が薄いので。
それとも鬼首さんの見落とし? ……そうは考えないほうがいいですね。
とはいえ、このチャンスを見送る理由はないです。
「……2二歩」
「はいはい、同金」
2四飛、同歩、6五角、7八飛成、同玉。
「5四歩」
あれ? 読みがはずれました?
これは……あ、同角だと7四飛の王手角ですか。7七桂じゃ防げません。
先に4二飛と下ろしますか? ……3二銀で身動きが取れなくなりますね。
先に7七桂で玉頭をガード? ……5五銀と出られそうです。以下、同銀、同歩、4三角成に3九飛が厳しいように思います。
……………………
……………………
…………………
………………ちょっと待ってくださいよ。
これ永遠に5四角と出られなくないですか?
いや、そんなはずは……長考。
「……3五銀です」
鬼首さんは目を細めました。
「ん? なんだそりゃ?」
同銀なら2二角成です……が、もちろん7五飛ですよね。
その場合は7七桂、3五銀で銀のタダ捨て。
しかし、これで3九飛と打たれる心配がなくなります。私のほうは現時点で角銀交換の駒得ですから、銀を捨てる余裕があります。これで一手稼ぎます。
鬼首さんもすぐにこの意図に気づいて、
「あ、ふーん……ひねりすぎだろ。7五飛」
と打ってきました。
7七桂、3五銀、4一飛、7六銀。
これはこれで厳しいんですよね。
でもがんばります。
待望の5四角から、5二銀、3一飛成、7七銀成、同角、8五桂。
「がっちり受けます。8六銀です」
「チッ、もう1枚あれば楽勝なんだがな。7七桂成」
私の同銀に、鬼首さんは5三角と打ってきました。
龍が死亡──ですが、読み筋です。
「7一龍ですッ!」
後手は端を突いてないから棺桶なんですよ。
それに飛車を殺せます。
同銀右、6五金。
「度胸は褒めてやるが、踏み込みでオレに勝てると思うなよ。7七飛成」
同玉、8九飛、7八金、9九飛成、5五桂。
とにかく敵陣にトライ。
鬼首さんは9七角成としました。
私は4三桂成を選択。6三桂成だと6二香があります。
5三歩、1八角、4三銀。
王様の横が空いたので4二飛。
5二銀引、2二飛成、5四銀、6六歩、6五銀、同歩、5四桂。
ううッ……包囲されました。
「ろ、6七金……右です」
「これで終いだな。8八金」
つ、詰めろ……なんとか入玉を……。
5四角、7八金(王手)、6六玉、5四歩(詰めろ)。
……5六歩と突いても7五馬以下の詰みですか。
「負けました」
「よし、ありがとさん」
ううん……完敗です。
一手違いとかいうレベルですらありませんでした。
「すみません、どこが悪かったですか?」
「3五銀はひねりすぎだろ」
そうでしたか……うーん……でも他の手が思い浮かばなかったんですよね。
「3五銀に代えた手が、なんとも。4二飛は3二銀〜5一飛で死にますし」
「じゃあその前がおかしい」
そうなりますか。不覚。
「ただ、2二歩以下の仕掛けがおかしかったとは思えません」
「んー、まああれはアリっちゃアリだが……場所移動しね?」
たしかに、この席は早く終わっちゃいました。
鬼首さんは15分、私も3分残しです。ほかはまだ指してますね。
解説のインタビュー時間としても早すぎます。
感想戦もやりにくいですし、一回出ましょう。
私たちは席を立って、会場を出ました。
なんとなく解放感。鬼首さんは、
「このへんにコンビニある?」
と訊いてきました。
「選手控室にお菓子がありましたよ」
「マ? どこ?」
さ、最初のミーティングで説明があったと思うのですが。
鬼首さん、もしかしてサボってました?
会場から出て左どなりが解説ルーム、右どなりが選手控室です。
私たちは選手控室へ移動。9つのテーブルがあって、選手全員が入るのはちょっとムリぽいかな、という広さです。もともとは会議室なのでしょうか、すみっこのほうに椅子が山積みになっていました。
ここは早めに終わったとき、感想戦の続きができるようになっています。
そして入り口の近くに、コーヒーサーバーとお菓子がありました。
「やったぜ」
鬼首さんはチョコレートをわしづかみにして、ポケットに突っ込みました。
「鬼首さん、チョコがお好きなんですか?」
「大好き」
さっそくパクついてますね。
私もひとついただきます。
鬼首さんは手近な椅子を引いて、どかりと腰をおろしました。
「ハァ、生き返った……で、なんの話だったっけ?」
「3五銀に代えてなにを指すか、ですよ」
「あ、それね」
私たちは盤駒で局面を再現しました。
【検討図】
鬼首さんは新しいチョコの包みを開けながら、
「先に7七桂ってする?」
と言いました。
「それは対局中に考えました。5五銀とぶつけられて、同銀、同歩、4三角成に3九飛が厳しくてムリかな、と。次に8九銀、同玉、6九飛成では勝てませんよね。5五銀を無視して5四角でも、けっきょくは4六銀、同歩、3九飛になります」
「なるほどね、じゃあ悪いのはそこじゃなくて8六銀だろ。あれは7六歩」
【検討図】
7六歩……こっちですか。
「7七桂成、同玉、5五飛のあとがイマイチ……」
「そこで6六桂と打ちゃいいじゃん。でないと3五銀捨が活きないぜ」
……納得しました。
2五飛と回れなくした利点を活かしたほうがよかったですね。
私が感心していると、鬼首さんは、
「よっしゃ、腹も満たされたし、しょんべん」
と言って、席を立ちました。
も、もうちょっとべつの言い方があるんじゃないですかね。
私はコーヒーを飲みたいので、居残りです。
「ふぅ……落ち着きます」
カチャリ
あれ? 忘れ物ですか?
入り口のほうへ顔を向けると──六連くんでした。
六連くんはコーヒーを淹れて、それからチョコレートの包みをひとつ。
ふらりととなりのテーブルに座りました。
手に紙コップを持ったまま、ジーッと虚空を見つめています。
「六連くん、対局が終わったんですか?」
……………………
……………………
…………………
………………
わ、私ってやっぱり存在感ないんですかね。
「六連くーん?」
「……ん?」
六連くんはこちらを向きました。
「越知さん、いつ来たの?」
「さ、さっきからいます」
「あ、ごめん……で、なに?」
特になにというわけではないのですが……もしかして対局中でした?
話しかけるとマズかったかもしれないですね。
「控室に来たので、対局が終わったのかな、と……」
「ああ、終わったよ」
結果を聞いてもだいじょうぶですよね?
「結果のほうは?」
「今朝丸先輩に勝って8−1……越知さんは?」
「私は鬼首さんに負けて2−7です」
「そっか……」
六連くんはコーヒーをひとくち飲んで、コップをテーブルに置きました。
き、気まずいです。TRPGの話にすればよかったかも。
「そういえば、最近クトゥルフ系の面白いシナリオを見つけたんです」
「……」
うわーん、無視しないでください……って、あれ?
六連くんは椅子にもたれかかって、こくこくと船をこいでいました。
あ、眠たかったんですね。
男子はさっきの対局で終わりです。緊張の糸が切れたのかもしれません。
それにしても六連くん、寝顔がカワイイですね。
将棋やTRPGのときはちょっと近づきがたいイメージなのですが。
戦士の休息。そっとしておいてあげましょう。
場所:第10回日日杯 2日目 女子の部 9回戦
先手:越知 夢子
後手:鬼首 あざみ
戦型:後手ゴキゲン中飛車
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △5四歩 ▲2五歩 △5二飛
▲4八銀 △5五歩 ▲6八玉 △3三角 ▲3六歩 △4二銀
▲3七銀 △5三銀 ▲4六銀 △4四銀 ▲7八銀 △7二銀
▲9六歩 △6二玉 ▲9五歩 △7一玉 ▲7九玉 △5六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲2四歩 △同 角 ▲3五歩 △8二玉
▲5七歩 △7六飛 ▲3四歩 △3二金 ▲5八金右 △1四歩
▲2二歩 △同 金 ▲2四飛 △同 歩 ▲6五角 △7八飛成
▲同 玉 △5四歩 ▲3五銀 △7五飛 ▲7七桂 △3五銀
▲4一飛 △7六銀 ▲5四角 △5二銀 ▲3一飛成 △7七銀成
▲同 角 △8五桂 ▲8六銀 △7七桂成 ▲同 銀 △5三角
▲6一龍 △同銀右 ▲6五金 △7七飛成 ▲同 玉 △8九飛
▲7八金 △9九飛成 ▲5五桂 △9七角成 ▲4三桂成 △5三歩
▲1八角 △4三銀 ▲4二飛 △5二銀引 ▲2二飛成 △5四銀
▲6六歩 △6五銀 ▲同 歩 △5四桂 ▲6七金右 △8八金
▲5四角 △7八金 ▲6六玉 △5四歩
まで88手で鬼首の勝ち




