458手目 現場目線
※ここからは、丸目くん視点です。
「丸目くんではないかッ!」
今朝丸くんは笑顔で僕に握手をもとめた。
僕も手をさしだす。
「今朝丸くん、おひさしぶり」
「ほんとうにひさしぶりだ……しかし、なぜここに? 解説者ではないのか?」
「解説の資格はあったけど、スタッフのほうがおもしろいと思って」
今朝丸くんは笑った。
「むしろスタッフのほうが楽だからではないのかね」
僕も笑った。
「それも半分ある。御城くんや裏見さんの仕事ぶりを見てると、大変そうだ」
今朝丸くんはすこし真顔になって、
「ここまで2勝6敗だが、まだ優勝は諦めていないぞ」
と宣言した。
「そうだね。9勝6敗で団子になればプレーオフかもしれない」
「スタッフは食事に参加しないのか? 積もる話もあるのだが……」
「残念だけど、会場スタッフはイベント不参加だよ。そこだけは失敗したかも」
「丸目くんが良ければ、明日のランチはいっしょに食べよう。他の3年生も呼んでな」
ぜひぜひ……と、あちこち終わり始めた。
そろそろ仕事にもどらないといけない。
「じゃ、僕は仕事中だから、またあとで」
「おたがいにがんばろう」
僕は担当のテーブルをかたづける。
飲みかけのペットボトルは回収。新品と交換。
湯のみも交換して……盤駒をきちんとそろえる。
スタッフひとりあたり、都合4席の担当。
けっこう大変だね。
定刻が近づき、選手が着席し始めた。
僕の担当は、葦原vs捨神、石鉄vs長尾、今治vs米子、鳴門vs香宗我部。
なかなか面白そうなメンバーじゃないか。
今治くんと米子くんはなにかしゃべってるけど、ほかのメンバーは静かだね。
《対局準備はよろしいでしょうか? ……では、始めてください》
よろしくお願いしますの大合唱。
僕は早速テーブルを見て回る。
【先手:捨神九十九(H島県) 後手:葦原貴(S根県)】
4八玉、4二玉、2二角成。
角交換型振り飛車。捨神くんの十八番だ。
葦原くんは同銀としながら、
「さて、対策はして来ましたが、通用するかどうか……」
とつぶやいた。
「アハッ、お手柔らかに。3八玉です」
3二玉、8八銀、6二銀、2八玉、5二金右。
対策と言っても、変化しやすいのは捨神くんのほうだ。
どうなるかな。
3八銀、8五歩、7七銀、7四歩、5八金左。
葦原くんは扇子でポンと手を叩いて、静かに笑った。
「ずいぶんとオーソドックスに組んでいただけるのですね」
「挑発してるわけじゃないですよ」
「ぞんぶんに戦いましょう。6四歩」
4六歩、6三銀、4七金、2四歩。
これが用意してきた手かな?
ここから捨神くんの長考。
僕はとなりの席へ移動。
【先手:香宗我部忠親(K知県) 後手:鳴門駿(T島県)】
これは……ちょっと変わった角換わりだな。
6二の銀が鳴門くんの工夫か。
腰掛け銀にしないっていう手だね。
以下、3七桂、7三桂、2九飛。
鳴門くんはここで小考。
1分ほどして背筋を伸ばした。首にかけてあるヘッドセットが揺れた。
パシリ
速攻──しかもかなり過激だ。
香宗我部くんは右手をこめかみにやって、テーブルにひじをついた。
「研究か……」
たしかに研究手くさい。
鳴門くん、飄々としてるようにみえて、かなり準備してきたっぽいんだよね。
ここまで何局か担当して気づいた。
とはいえ香宗我部くんも研究家タイプだし、的確に対応していくだろう。
僕は次のテーブルへ移った。
【先手:今治健児(E媛県) 後手:米子耕平(T取県)】
おっと、今治くんが穴熊?
これは雪でも降るかな。
そういえば今治くんは全敗だ。
体勢を立て直しにきてるのかもしれない。
米子くんがどういなすか。
パシリ
プレッシャーをかけにいく。
後手のほうが陣形は薄い。
7八飛、3三桂、3六歩、6五桂、5九角、4五桂。
今治くんはこれをみて、
「ずいぶんと過激だな」
とつぶやいた。
米子くんの狙いは明白だ。中央からの殺到。
今治くんはその大柄な指で4六歩と突いた。
同角、4七金、2四角、4八金引、5二飛。
執拗な5筋への攻め……だけど、いい勝負かな。
先手もすぐには潰れないだろう。
じゃあ、最後のテーブルへ──
【先手:石鉄烈(E媛県) 後手:長尾彰(K川県)】
オーソドックスな対抗形……でもないか。すこし変則的だ。
端の攻防があったのかな。陣形がだいぶ乱れている。
一応両取りだけど──石鉄くんは5五角と飛び出した。
8一玉、6八銀、5四歩、6六角。
どっちも取れなかった。長尾くん、この展開はだいじょうぶなのか?
パシリ
……なるほど、端攻めの布石だったのか。
石鉄くんは真剣な表情で読んでいる。
ふだんはカワイイ系だけど、こういうときは将棋指し。迫力がある。
パシリ
同香。
攻めを呼び込んでいるから、後手も怖い。
9四歩、7七桂、同桂成、同金寄、9五歩、同香。
さあ、歩切れだ。9四歩とは受けられない。
手堅く受けるなら9四桂だと思う。
以下、8五桂の追撃に対し、8二銀と辛抱してどうか。
個人的には互角の勝負かな。
長尾くんのレシピを拝見。
「……8二銀」
いきなりの引き。
これは石鉄くんも予想していなかったみたいだ。
すこしあっけにとられたような表情を浮かべた。
うーん……どうだろう。危ないようにも見えるけど。
例えば9四歩で?
「9四歩です」
そうそう、これがあるよね。
もちろん長尾くんの見落としというわけではなく、すぐに応手が指された。
9一香。
石鉄くんは薬指で静かに8五歩と進めた。
これは自然な攻め。
同歩なら9三歩成、同香、同香成、同銀、同角成で崩壊する。
9二香と打ち返しても、9四歩と置かれてダメだろう。
長尾くんは9四香と走った。
8四歩、同銀、9四香、8三金。
ここで石鉄くん、長考。
もう一巡しようかというところで、ほかのスタッフが近づいてきた。
こっそりメモを見せてくる。
30分休憩
あ、ここでか……いいところなんだけど、しょうがない。
僕はジェスチャーでお礼をしてから、会場を出た。
ガラス張りの廊下に出る。そこからH島市内を一望できた。
日差しが入り込んでいるから、会場より少し暖かい。
僕は大きく背伸びをして──おや? だれかいるな。
御城くんだった。御城くんはポケットに手をつっこんで、街並みを眺めていた。
声をかけてもいいかな。いいよね。
「御城くん」
僕が名前を呼ぶと、御城くんはふりかえった。
こっちに気づいていなかったっぽい。僕は歩み寄る。
「おつかれさま。解説の抜け番?」
「ええ、男子はこの局で終わりなので……今日はお役御免です」
そう言った御城くんは、なんだか疲れているみたいだった。
「解説は大変かい?」
「まあ……どうでしょうね。気軽に引き受けてみたんですが、向いてないです。魚住とかのほうがずっとうまいですね。俺の席はお通夜になりがちなので」
「べつにいいんじゃない。プロの解説でもそういうタイプのひとはいるし」
御城くんはすこし笑って、肩をすくめた。
「丸目先輩はどうしてスタッフに?」
「こっちのほうが楽かと思ってね。懇親会に出られないのはミスだったかな」
「なんなら変わりますよ」
「だいじょうぶ、仕事は最後までやるさ」
僕たちはすこしばかり高校生活の話をした。
僕はH島の西、御城くんは東に住んでいるから、会う機会はほとんどない。
おたがいに顔見知りなのは、県大会を通じてだけだった。
僕が入試の話をしていると、御城くんは急に話題を変えた。
「夏の大会は出場しなかったんですか? 本榧ブロックはべつの……」
「門倉くん?」
「ええ、べつの選手がブロック代表でしたよね」
「今年のブロック予選には出てないよ。ただ門倉くんの名誉のために言っておくけど、彼は強いからね。僕が出場したら僕が代表だったと言うつもりはない」
御城くんはしばらく黙った。
そして、聞きにくそうにしながら尋ねた。
「日日杯に出るラストチャンスだったと思うんですが……なぜ不出場に?」
難しい質問だ。どう答えたものか。
「……日日杯に出場したくなかった、と言えば嘘になる。でも僕は3年生だし、実力的にも優勝が狙える位置じゃない。たぶん決勝トーナメントにも残れないだろう。だから受験勉強のほうを優先した……というのは回答になってる?」
「なってます。丸目先輩らしい合理的な回答ですよ」
「ハハッ、じゃあ僕からも質問させてもらうけど、日日杯には出たかった?」
御城くんは、なんともいえない微妙な表情で、
「直球の質問ですね」
と返した。
「御城くんのさっきの質問も、同じような趣旨じゃなかった?」
ラストチャンスなのに出場しなかったんですか、なんて、未練があるかどうか間接的に訊いているようなものだからね。
御城くんは口もとに手をあてて、遠くのH島城に視線を移した。
「はぐらかしたような答えになるんですが……決勝は捨神とだったんです」
「ああ、土居さんから聞いた。熱戦だったらしいじゃないか」
「いや、それは誤解で……まあ観戦者からどう見えたかっていうのは別問題かもしれませんけど、対局者視点では俺の独り相撲でした。俺の攻めは切れてたんですが、最後まで気づかなかったんです」
形勢判断そのものがおかしかったというわけか。
このセリフは、どう解釈すればいいんだろう……訊くだけ野暮か。
「2014年度秋の決勝戦は、いい将棋だったよ」
「あのときは捨神が出てなかったですしね」
「いや、三和さんも褒めてただろ*。最後の21手詰めはスゴかった」
御城くんはちょっと照れたように頬をかいた。
「まああれも詰みだって気づいたのは途中なんですけどね」
「それでも詰むと判断したんだからスゴイもんだよ……っと」
僕は腕時計を確認した。もうすぐ30分だ。
「それじゃ、明日の解説も期待してる」
「ま、自分らしくやります」
会場へもどる。ふたたびあの静寂が訪れた。
廊下のほうが静かだったのに、ここの空間はそれよりも透明で硬質だ。
勝っている選手も負けている選手もいる。
決勝トーナメントの芽がない選手もいるし、それに手をかけている選手もいる。
自分らしく──それでいいんじゃないかな、御城くん。
僕はそんなことを思いながら、持ち場へともどった。
*(7)将棋を楽しむ少女
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