457手目 離席禁止
※ここからは、今朝丸くん視点です。第8局開始時点にもどります。
ふむ、なにやら女子のほうが騒がしいな。どうやら梨元くんのようだ。
対局開始前は心を落ち着けたほうがいいぞ。
とはいえ、ふだん合わないメンバーがそろっている。
僕も松陰くんに言いたいことがある。
「松陰くん、ひさしぶりだな」
松陰くんは目薬を指しながら、
「ん……ちょっと待て、今取り込み中だ」
と言った。おっと、失礼。
松陰くんは目薬をさし終えると、こんどはメガネを拭き始めた。
「さて、なんだ?」
「松陰くんと指すのはひさしぶりだな」
「ああ、ほぼ1年ぶりか」
「そうだ。ネット将棋でもすっかりご無沙汰になっている。というわけで、僕との対局中は離席しないでもらいたい」
松陰くんは顔をあげて、目を細めた。
前髪がすこしばかり目にかかっていて、あいかわらず冷たい印象がある。
「……離席は対局者の自由だと思うが」
「きみが離席しているのは、他の対局の情報収集だろう。Y口のブレイン役ということなのだろうが、きみも選手なのだ。せめて僕とは全力で指してもらいたい」
松陰くんはメガネをかけた。
位置を調整する。それから会場内を見回した。
「ここには男子だけで16人の将棋指しがいる」
「そのとおりだ」
「そして決勝トーナメントへの出場枠は4つしかない」
「……もう諦めているというわけかね?」
「俺は全敗だからな」
「優勝の可能性がなくなっても、手を抜く理由にはならないぞ」
松陰くんは顔色ひとつ変えずに、もういちどメガネの位置を調整した。
「今朝丸も1勝6敗だろう。気楽に指してもいいカードだと思う」
松陰くんらしいコメントだ。
事実の指摘である以上、怒るわけにもいくまい。
「……分かった。無理強いはしない」
ここでスタッフが動いた。
対局開始の合図だ。
《対局準備はよろしいでしょうか? ……では、始めてください》
「よろしくお願いしますッ!」
「よろしくお願いします」
僕の先手だ。まずは角道を開ける。
7六歩、8四歩、6八銀、3四歩、7七銀、6二銀。
うむ、矢倉だな。
僕は早めに2六歩と突いた。
これを見た松陰くんは、
「飛車先が早いな……速攻か」
とつぶやいた。
それは見てのお楽しみだ。
7四歩、2五歩、3二金、7八金、7三銀、5八金。
松陰くんも速攻に切り替えてきたか……後手のほうが速いかもしれない。
すこし方針を変えよう。
4一玉、6六歩、6四銀、6七金右、8五歩、5六歩、7五歩。
やはり先に攻められてしまった。
ここはしばらく受ける。
同歩、同銀、7九角、8六歩、4六角、6四歩。
不安定な止め方をしてきた……8六歩でどうするつもりだ?
そのまま同銀なら6四角、7三歩、8六角で銀得だが……ふむ。
松陰くんの狙いは8六歩に7六歩か?
7六歩、同銀、6六銀、同金、同角ならこちらが悪い。
「松陰くんらしい罠だな」
「べつに罠のつもりはない」
「ハハッ、失敬。それでは飛び込ませてもらおう。8六歩だ」
7六歩、同銀、6六銀。
ここでキッチリ止める。
「7七歩だ」
さあ、松陰くん、どうする。
さすがに読んでいないということはあるまい。
案の定、松陰くんの対応は早かった。
6七銀成と成り込んで来た。
同銀、4二銀、6四角、7三歩、4八銀、3三角。
一転して渋くなってきた。
ここは攻勢を取らせてもらう。
「3六歩だ」
3一玉、3七桂、5二金。
後手は陣形の整備か……付き合おう。
6九玉、4四歩、7九玉、4三銀。
むッ、雁木……攻めの糸口が掴めなくなってしまった。
じぶんの棋力をイヤというほど自覚させられてしまうな。
しかし、ここで暴発するほどヤワではないぞ。
僕は9六歩でようすをみた。
「攻めて来い、か……だが合わせる。9四歩」
8八玉、4二角、1六歩、1四歩。
松陰くんのほうから攻めてはくれないか……ならば組み直す。
僕は5九銀と引いた。
この手を見て、松陰くんは長考。
なにかあるか? 僕の見落としでなければいいが──
「3五歩」
「!」
僕は松陰くんの持ち駒を確認した──歩はないな。
9五歩、同歩、同香の補充か? ……いや、それは後手が悪い。
先手が一方的に入玉しやすくなる。
となれば3六金の強硬策だ。こちらも読みを入れる。
……なるほど、3七桂には角の紐がついているようにみえて、8四飛、5五角、5四歩以下で追い払えるということか。6六角と逃げれば3七金で桂得、4六角と逃げれば同金で角金交換になってしまう。
「松陰くん、なかなかやるな」
「今朝丸の対応次第だぞ」
承知した。
ここで松陰くんを失望させるわけにもいくまい。
のこり時間はおたがいに15分。腰をすえて読む。
……………………
……………………
…………………
………………よし、決まった。
僕は3五同歩とした。ノータイムで3六金が置かれる。
「この手を僕の答えとさせてもらおう」
パシリ
「!」
どうだ、松陰くん、指されてみれば納得という手ではないか。
8四飛なら7五銀で直接止める。
「好手……と言いたいところだが、すべての筋に対応できていない。4七金だ」
4八銀、6二飛。
なるほど、6二飛には対応できていない。
だがこれも愚直に止める。
「6五歩だ」
「4八金」
同飛、3六歩──ふむ、結局打たれてしまったか。
「捨てるぞ、4五桂」
同歩なら5五銀〜4四歩とくさびを打ち込む。
あくまでも愚直に。これが僕の棋風だ。
3七歩成、同角、9五歩。
端を絡めてきた。しかしすぐには潰れない。
「同歩」
「5七銀」
僕は4九飛と引いた。
松陰くんは4五歩と手をもどす。
6四歩、3三角、4五飛、8二飛、6三歩成。
松陰くんの手が止まった。
このままだと後手はジリ貧のはず。
「……同金」
「3四銀だ」
「飛車を引いてくれ。5四銀」
ん? 4七飛だと先手になるが? ……6六角か?
(※図は今朝丸くんの脳内イメージです。)
……この角は殺せないな。6七歩と打ってもすり抜けられてしまう。
5八銀不成から角の成り込みまでは許容せざるをえまい。
「素直に引こう。4七飛」
松陰くんは6六角と飛び出した。
僕はここで思案する。
攻めるなら2四歩だが……問題は寄るかどうかだ。
2四歩には手抜いて5八銀不成かもしれない。以下、2三歩成、4七銀成は後手陣が広くなってしまう。4筋からの脱出は防ぎたいところだ。となれば──
僕は2四歩と突いた。
そしてその瞬間、ひとつ読み抜けしていることに気づいた。
5八銀不成ではなく4六歩と止めてくるかもしれない。それは面倒だ。
松陰くんは長考。しまった。これは5八銀不成と4六歩の天秤にみえる。
「……」
「……」
松陰くんは銀に指をそえた。5八銀不成と進める。
そちらか……僕的には4六歩のほうがイヤだったのだが。
いずれにせよ、指されたものをどうこうしても仕方がない。
僕は4一金で4筋を押さえた。
「ずいぶん重たい手だな……2二玉」
僕の趣向はこの次にある。角の回転ッ!
4七銀不成なら6六角が王手、4八角成なら同飛で飛車取りを回避できる。
松陰くんは大きく息をついて、ペットボトルのキャップを開けた。
湯飲みに注いだものの、口にはしなかった。
のこり時間は、僕が7分、松陰くんは9分。
おそらく90手前後ではあるが……完全に寄せの局面だ。
僕の予想では、4七銀不成が本命。4八角成、同飛は後手の攻めが切れる。
6六角の王手が厳しければ僕の勝ちだろう。
「……4七銀……不成」
「6六角。さあ、王手だ」
「それは見れば分かる。3三歩」
ふむ、なんとも愚直な受けだ。僕好みだぞ。
ここはいくら時間を使ってもかまうまい。
残り3分まで考えさせてもらおう。
第一感は3一角だ。
(※図は今朝丸くんの脳内イメージです。)
これは取ると2三歩成で詰む。
よって1二玉と逃げることになるが、そこから詰めろラッシュをしたい。
……………………
……………………
…………………
………………むッ、詰めろはないようだ。
だとすれば……4二金とするのが2手スキ。次に3二金で、同飛と取っても2三歩成で詰む。問題は4二金に同飛、同角成、2二金打と抗戦される場合だが……そこで5二飛と打ってもやはり詰めろにならない。
詰めろは継続できないのか。気を引き締める必要がある。
僕はその先も読んで、先手と後手の速度計算をした。残り3分を切る。
「3一角」
松陰くんはノータイムで1二玉と寄った。
4二金、同飛、同角成、2二金打、5二飛と進む。
松陰くんは残り3分まで考えて、3四歩と取った。
3二馬、7九銀打──同玉なら2九飛で脱出口を確保、というわけか。
入玉の筋さえ消せば安泰だ。持ち時間をつぎ込む。
ピッ……ピッ ピッ ピッ ピッ ピーッ!
「同玉」
松陰くんは2九飛の王手。
僕は3九金と受けた。
これで包囲完了。後手玉は詰めろ飛車取り。
松陰くんは持ち駒をそろえた。
「負けました」
「ありがとうございました」
松陰くんは、湯飲みのお茶を飲んだ。
「急に悪くなったな。4筋は封鎖しといたほうがよかったか?」
「その件だが……5八銀不成のところで4六歩はあると思っていた」
【検討図】
松陰くんも、これに同意してくれた。
「読みにはあったんだが……」
「なぜ封鎖しなかったのだ?」
「4六歩、同角、同銀成、同飛で銀を渡すと藪蛇だと思った」
そういう考え方もあるか。
「たしかに金駒を渡したくない局面ではある」
矢倉の終盤は金駒>角という価値判断が働きがちだ。
本譜は角の活躍が功を奏した。
あとは終盤を検討して終了。
4筋をこじ開けたあとは、僕が良かったようだ。
僕は駒を並べなおし、もういちど一礼する。
「ありがとうございました……離席しなかったことに感謝する」
松陰くんはとくに表情も変えず、
「タイミングがなかっただけさ」
と答えた。
そういうことにしておこう。
それでは起立。インタビューの時間だ。
今回はだれだろうか。
「もしもし、今朝丸高志です」
《もしもし、おつかれさま。千駄だよ》
千駄先輩だったか。
東京へ進学したと聞いている。
「おひさしぶりです」
《おひさしぶり。僕からひとつ質問なんだけど、5七銀と打ち込まれたとき、本譜は4九飛と引いたよね。2八飛と寄ったほうがよくなかった?》
【検討図】
「2筋からの攻めですか? 突破は難しいと思いますが」
《いや、2八飛は2筋からの攻めじゃなくて、次に7一銀と打つ準備。以下、7二飛、8二金なら殺せるし、6三飛なら6四歩、6一飛、7二金、4一飛で封印できるよね》
なるほど、言われてみればそうだ。
「勉強になります」
もうひとりの解説は、九州の男子だった。
こちらの質問は例の4六歩についてだったので、割愛する。
僕はイヤホンをはずした。スタッフのひとりが近づいてくる。
「イヤホンお預かりします」
「どうぞ」
……むッ! きみはッ!?
第10回日日杯 2日目 男子の部 8回戦
先手:今朝丸 高志
後手:松陰 忠信
戦型:急戦矢倉
▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲7七銀 △6二銀
▲2六歩 △7四歩 ▲2五歩 △3二金 ▲7八金 △7三銀
▲5八金 △4一玉 ▲6六歩 △6四銀 ▲6七金右 △8五歩
▲5六歩 △7五歩 ▲同 歩 △同 銀 ▲7九角 △8六歩
▲4六角 △6四歩 ▲8六歩 △7六歩 ▲同 銀 △6六銀
▲7七歩 △6七銀成 ▲同 銀 △4二銀 ▲6四角 △7三歩
▲4八銀 △3三角 ▲3六歩 △3一玉 ▲3七桂 △5二金
▲6九玉 △4四歩 ▲7九玉 △4三銀 ▲9六歩 △9四歩
▲8八玉 △4二角 ▲1六歩 △1四歩 ▲5九銀 △3五歩
▲同 歩 △3六金 ▲7六銀 △4七金 ▲4八銀 △6二飛
▲6五歩 △4八金 ▲同 飛 △3六歩 ▲4五桂 △3七歩成
▲同 角 △9五歩 ▲同 歩 △5七銀 ▲4九飛 △4五歩
▲6四歩 △3三角 ▲4五飛 △8二飛 ▲6三歩成 △同 金
▲3四銀 △5四銀 ▲4七飛 △6六角 ▲2四歩 △5八銀不成
▲4一金 △2二玉 ▲4八角 △4七銀不成▲6六角 △3三歩
▲3一角 △1二玉 ▲4二金 △同 飛 ▲同角成 △2二金打
▲5二飛 △3四歩 ▲3二馬 △7九銀 ▲同 玉 △2九飛
▲3九金
まで103手で今朝丸の勝ち




