455手目 力の抜き加減
※ここからは、鳴門くん視点です。第8局開始時点にもどります。
男子は全部で15回戦。いよいよ折り返し地点。
僕は対戦表を確認しながら、ヘッドセットで音楽を聴いていた。
そろそろ席にもどろうかな、というところで、ふいに肩をたたかれた。
ふりむくと米子が立っていた。
僕はヘッドセットをはずす。
「耕平、どうしたの?」
「調子はどうっすか?」
おっと、なんだか気になる質問だね。
「いつもどおり、かな。耕平は?」
「んー、パッとしない」
そう答えた米子の表情も、どうやらパッとしなかった。
「ちょっとメンタルやられてる?」
「じぶんじゃそのつもりはないんだけど……次は六連くんなんっすよね」
なるほど、強豪だ。
「囃子原くんが負けてたもんね」
「ちょっとちょっと、そういうプレッシャーはなしっす」
「ごめんごめん」
耕平はライブのときも、わりとアガるタイプ。
こういう大きな大会はメンタル的に不利か。
だけどそれも実力のうちだ。しょうがない。
「僕も捨神→吉良で連敗してるから、おたがいさまだよ」
「駿は決勝トーナメント行けると思うから、がんばって」
いやいや、そういう身内びいきこそナシだよ。
とはいえ邪険に答える必要もない。
「ありがと。耕平も余裕で芽があるからがんばってよ」
っと、そろそろかな。
僕は対局テーブルへむかう。
案の定、律儀な葦原先輩は先に……立って待っていた。
白の開襟シャツに黒いズボン。たぶん夏用の制服。
先輩は扇子を左手に持ち、それを右手のゆびにそえていた。
あいかわらず背が高いなあ。180超えてるのはまちがいないね。
それに弓道部なんでしょ。吉良くんとはべつのアスリート属性。
「葦原先輩、こんにちは」
「こんにちは。今日はよろしくお願いいたします」
あいかわらず礼儀正しいね、このひと。
「先輩、なにか気になることでも?」
「どうしてですか?」
「座ってらっしゃらないので、スタッフでもお捜しかな、と」
葦原先輩は静かな笑みを浮かべて、
「座ってお待ちするのは失礼かと思いました」
と答えた。
いやいやいや。
「まあまあ、先に座ってください」
僕は背中を押して着席させる。
駒はすでに並べられていた。
これをみた葦原先輩は、
「スタッフには感謝していますが、駒をじぶんで並べられないのは、やや寂しいですね」
とつぶやいた。
たしかに、至れり尽くせりなおかげで、対局以外やることがない。
どのあたりで気合を入れるのか、見極めがむずかしかった。
それから2、3言葉を交わしていると、スタッフのマイクが入った。
会場が静まり返る。
《対局準備はよろしいでしょうか? ……では、始めてください》
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
おたがいに一礼。
7六歩、3四歩、2六歩、8四歩、2五歩、8五歩。
横歩になった。
7八金、3二金、2四歩、同歩、同飛、8六歩、同歩、同飛。
「先輩、研究して来てますね」
僕のコメントに対して、先輩はおだやかにほほえんだ。
「鳴門くんが指したそうでしたので」
うーん、挑発し返されたかな?
いや、葦原先輩に限ってそういう邪心はないか。
もしかして読まれていたのかもしれない。
とりあえず進める。僕は3四飛と寄った。
3三角、5八玉、4一玉、3六飛、2二銀、8七歩、8四飛。
8五飛はすっかり下火だね。
こっちをメインで準備してきておいてよかった。
2六飛、7二銀、3八銀、2四飛。
僕は同飛と取った。
「威勢がよろしい。同角」
3六歩と突く。2八歩の対策。
葦原先輩は3三角と引いて、3七桂、8八角成、同銀。
飛車がそっと下ろされる。
さて……僕はペットボトルを開けた。
そのままラッパ飲みする。
最初の分岐点。
候補手は2つ。ひとつは2九歩。
2四飛成と撤退させてから、8二角と打つ。
(※図は鳴門くんの脳内イメージです。)
後手は3五歩で桂頭を狙ってくるはず。
以下、9一角成、3六歩、4五桂、3七歩成と攻めあって、どうか。
さすがに一回は3七同銀と手をもどさないといけない。
そこで後手からは、6四角という分かりやすい追撃がある。
それを全部いなせれば、先手が自然と良くなるだろう。
もうひとつの候補手は7七桂。
(※図は鳴門くんの脳内イメージです。)
こっちは6五桂を見せつつ、後手の攻めを誘う手。
一番過激に来るなら2七角、3九金、3八飛成、同金、同角成の2枚換えだ。
以下、4五桂+6五桂と両サイドに跳ねて反撃していく。
もうすこしおだやかに指すなら、2七角のところで3三桂と一回溜めてくると思う。
……………………
……………………
…………………
………………
葦原先輩の性格的に3三桂かな。
このあたりは人読みも大事。
僕は2分ほど使って、2九歩と7七桂を比較した。
7七桂のほうが形勢判断をしやすい、という結論になった。
「7七桂」
葦原先輩は扇子でポンと手のひらをたたいた。
「中央へ一気呵成ですか……よろしい、受けます。3三桂」
よし、やっぱり跳ねてきた。
そのまま単騎で6五桂。
4二金に2七歩と手をもどす。
さあ、どうだろう。
6五の桂馬を殺す暇はなくなった。
葦原先輩はここで長考。
先手、悪くないと思う。おそらくは2九角でムリやりこじ開けてくるはず。
そこで3九飛と打って、1八角成、同香、同飛成までがワンセット。
後手の飛車は死なないけど、角香交換までは保証されている。
もちろんこれが葦原先輩の見落としとは思っていない。おそらくはなにか対案があって2八飛と打ったのだろう。その内容も、だいたい予想がつく。飛車の横利きラインに僕の王様が入っていることだ。
「……2九角」
僕は3九飛と打つ。
1八角成の次は……ちょっと味つけ。
僕はすぐに同香とせず、8六角と打っておいた。
「ずいぶんと凝った指し方をするのですね」
「凝り性なので」
「なるほど、鳴門くんらしいですか……5二玉」
ここで1八香。
同飛成に僕は6九玉と引いた。
これは次の2五桂対策。
2五同桂、3七香のとき、王様が5八にいると取れない。
ただ、一手空いてしまうのが怖い。
葦原先輩も的確に突いてくる。6四香が打たれた。
6六歩、2六歩、同歩、2七歩。
うーん、このあたりまで算段があっての2八飛だったかな。
軽く見過ぎた。
とりあえず2九銀で追い返す。
1七龍、3八飛、2六龍、7九玉、9四歩。
……混沌としてきた。
先手から動け、っていう感じだけど……動かす駒もないんだよね。
だったら角を打つしかない。
僕はここで長考。
……………………
……………………
…………………
………………
5六角と打つ手があるかもしれない。
(※図は鳴門くんの脳内イメージです。)
1二歩と打てれば、なんだけど……ちょっと狙いが露骨過ぎるか。
後手からの止め方としては、3四歩、同角、2三銀かな。
もっとパッとした手……いっそのこと5三桂成と成り込む?
同金、6五歩、同香、3五角とか。
(※図は鳴門くんの脳内イメージです。)
こっちのほうがいい。
角と龍の交換は必然。以下、3五同龍、同歩なら先手良し……だけど、今のは勝手読みだ。さすがにこの順には飛び込んでくれない。おそらく6五歩のところで同香とせず、3五歩で封殺されると思う。以下、6四歩、同歩、6八飛、7四桂の展開。
さっきの5六角とどっちがいい?
決めるなら5三桂成だ。じっくりいくなら5六角。
葦原先輩の棋力からして、どっちのルートでも対応はされるだろう。
だとすればどっちが僕の好みか、ということになる。
「……5六角」
長期戦を選択。
葦原先輩は扇子をひらいて、軽くあおいだ。
「……」
「……」
この無言の緊張感、たまらないな。
何年指してても慣れない。それとも僕だけなのかな。
歓声もなにもあげないゲームって、力の抜き方がむずかしいよね。
ライブだと一発大声でもあげれば、かえってリラックスできたりする。
1分ほど経って、葦原先輩は3四歩と打った。
1二歩、同香、3四角、2三銀、5六角。
葦原先輩は王様に中指をそえて、6二玉と静かに寄った。
また手渡しか……どうやら僕の自滅待ちみたいだ。
これは長引くな。
答えがあったら教えてもらいたい局面だ。
観戦者のだれか、正解をこっそり……なんてね。
僕は首にかけたヘッドセットをなおし、長考に沈んだ。




