450手目 真剣勝負
※ここからは、剣さん視点です。
さて、昼食も終わり、会場へ向かっているところだが……解せぬ。
僭越ながら質問させていただこう。
「礼音さま、7回戦は手抜かれたのですか?」
礼音さまは足を止め、振り向かれた。
「剣、なかなか人聞きの悪いことを言うな」
「コンピュータの解析では、矢倉を推奨されていましたが」
「ハハハ、日日杯はお祭りのようなものだ。気分転換があってもいいだろう」
……そうだろうか。
なにか策があってのことだと思ったが。
そもそもあの棋譜、ざっと見た限りでは六連に準備があった。
礼音さまの角交換型向かい飛車は読まれていた、ということになる。
ならば、矢倉で外したほうがなおさら良かったはず。
「ほんとうにただの気分転換でしたか?」
「どうした? ずいぶんと気にしているようだが?」
「剣桃子、礼音さまの付き人として、コトの経緯を把握しておきたく存じます」
「バタフライ効果かね? 盤上の駒の動きが警護に差し支えるか?」
……はぐらかされたな。
こういうときの礼音さまは、本音を話してくださらない。
なにか合理的なウラがあると思っておこう。
「出すぎたマネをいたしました」
「いや、かまわん……それでは、剣、鬼首、健闘を祈る。僕は一回自室にもどる」
礼音さまはエレベータで18階へ向かわれた。
あとには私と鬼首のみ。私はタメ息をついた。
「ここに来て、礼音さまは単独行動が多い。心配だ」
鬼首は笑った。
「子守りじゃねぇんだからどうでもいいだろ」
「私は礼音さまの正式な付き人だ。給金ももらっている」
「ホワイトでいいじゃねぇか。それにしてもアイスだけだと腹が減るなあ」
偏食が過ぎる。
私はふところに手を入れて、例のブツをあざみに向かって投げた。
「っと……お、ハンバーガーじゃーんッ!」
こういうこともあろうかと、こっそり調達しておいた。
あざみは開封してかぶりつく。
もうすこしおとなしく食べろ。
「……あざみ、ひとつ言っておきたいことがある」
「説教ならごめんだぜ」
「私は決勝に残れない可能性がある。おまえは必ず残れ」
あざみは眉を持ち上げた。
「はぁ? ……おまえ、何敗してるの?」
「2敗だ」
「だれに?」
「Y口の萩尾とH島の早乙女だ」
あざみは指のケチャップを舐めた。
「やっぱそのふたりは強いんだな。今から楽しみだぜ」
あざみはニシシシと笑った。
「……おまえ、ほんとうに将棋が嫌いなのか?」
あざみはハンバーガーを左手で持ち、右手でこぶしを作った。
「オレはこっちのほうが好きだ」
「ケンカの代替手段というわけか……それもよい。ぞんぶんに暴れろ」
「おまえは自分の心配してろよ。まだ2敗なんだろ。それとも2敗だとキツいの?」
「いや、十分に圏内だ」
「だったら自分の心配をしな」
たしかに、まだ圏内だが……O山女子代表の本命はあざみだ。
その点は認めざるをえない……が、まあよい。
私が決勝を目指すことと、あざみをサポートすることとは同義。
とにかく勝ち続けること、それが第一だ。
「……曲者ッ!」
私は抜刀して振り返った。真剣と真剣がぶつかりあう。
相手はうしろに跳躍して、小太刀を下ろした。
「……なんだ、神崎か」
「桃子殿、あいかわらずやるな」
神崎は小太刀をふところに仕舞いながら、
「さすがの腕前。囃子原礼音の暗殺は難しそうだ」
と言った。ふざけるな。
「冗談でも首をはねるぞ」
「冗談だ」
いや、冗談でもはねると言っているのだが。
この女、たまに素ボケをする癖があるな。
鬼首は呆れ返ったようすで、
「こいつだれ? いきなり刃物で襲いかかるとか、オレでもやらねーぞ」
と言った。
神崎はこの言葉を聞きとがめた。
「おぬしが鬼首あざみか?」
「まずおまえが名乗れよ」
「拙者は神崎忍、地元の高校生スタッフだ」
「H島やべぇな……昼間っから女子高生が刃物持って暴れてるのか……」
「今のは余興だ。さて、本題を伝えよう。本日の対局終了後は、宴会場にて夕食だ。午後七時に瀬戸の間に集合してもらいたい」
「……それだけか?」
「左様だ」
……………………
……………………
…………………
………………
やはりH島は危ないな。礼音さま、どうかご無事で。
○
。
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というわけで、次の相手は出雲だ。
あいかわらず妙なかっこうをしているな。神社の巫女のようだ。
出雲は両手で湯呑みを支えながら、
「ほほほ、今日のわらわは調子がよいぞえ」
と言ってほほえんだ。
「百も承知。そのほうが倒しがいがある」
振り駒は済ませてある。私の後手だ。
あとは待つのみ──スタッフが動いた。
《対局準備はよろしいでしょうか? ……では、始めてください》
「よろしくお願いします」
「よろしゅう頼むぞえ」
出雲の初手は2六歩──相掛かりの誘いか。
受けて立つ。
「8四歩」
この手をみて、出雲は上機嫌になった。
「ふむふむ、正々堂々と勝負しようぞ」
2五歩、8五歩、7八金、3二金、3八銀。
飛車先を交換しないのか。6八玉型の匂いがするな。
7二銀、6八玉、1四歩、1六歩、9四歩、9六歩。
出雲は案の定、6八玉型。
どうも準備してきたくさい。ならばお手並み拝見といこう。
「5二玉」
3六歩に8六歩と先攻する。
同歩、同飛、7六歩。
私の3四歩は当然として、先手は3七桂か4六歩か。
4六歩なら8七歩と打ち込んで、2二角成を催促したい。
3七桂なら7六飛〜3六飛のスライドで踏み込む。
いずれにせよ出雲の選択。私はもたれかからせてもらおう。
「3四歩」
「すこし迷うが……3七桂でどうじゃ」
そちらか……7六飛〜3四飛で問題ないとは思うが、そのあとだな。
7六飛の瞬間、先手は攻めてくるだろう。
のちのち角交換がある。ミスをすればそこで即死だ。
「……7六飛」
出雲は2四歩と攻めてきた。
8三歩もあったように思う。同銀なら2二角成、同銀、6五角だった。
とはいえ、8三歩に同銀とは取らんがな。もちろん8六飛だ。
私は2四歩、同飛を許容してから、3六飛と予定通りにスライド。
ここで出雲は7七角と上がった。
一手溜めたか。
交換に応じるなら2三歩、2九飛、7四歩とプレッシャーをかけてからにしたい。
応じないなら3三桂だ。
あざみにああ言った手前、こちらも派手に暴れたいところだが──
「3三桂」
「ふぅむ、交換拒否か」
出雲は袖口に両手を入れて考え始めた。
2三歩を本命に読んでいたようだな。
しばらくして、出雲は4八金と上がった。
さて、それでは暴れさせてもらおう。
パシリ
出雲はうなった。
「攻めてきよったか……これは取れぬ。6六角じゃ」
9六歩、8二歩、8八歩。
攻め返されたが、こちらのほうが速い。
同銀、9七歩成、同銀、8八歩、7七桂、8九歩成。
と金作りに成功。
このまま一刀両断に──と行きたいところだが、そうもいかないか。
出雲は2七銀で飛車に当ててきた。
2三歩、3六銀、2四歩、9六歩。
辛抱した? ……8一歩成を読んでいたが。
おそらく8一歩成、9七香成、同香に9八飛を嫌ったのだろうな。
私は私で6五桂跳ねを警戒していたのだが……まあいい。
本譜は指された。すでに後手よし。
この剣桃子、踏み込みであざみに引けはとらないつもりだ。
「8七歩」
「うぬぅ……」
出雲は8一歩成とした。
8八歩成、同銀、同と、同金、2九飛。
出雲は8九飛と合わせた。同飛成、同金に2九飛と打ち直す。
「……7九飛じゃ」
「2六飛成」
さあ、これでどうする。
後手からは3六龍の銀取り。
先手は8二と〜7二とで取り返せるが、同金のあとがない。
7九の飛車を活かす手順がないのだ。
出雲、苦吟の長考。1分、2分、3分──
「……これしかあるまい。8二と」
3六龍、7二と、同金。
「ここで神頼みの一手じゃ」
パシリ
……ムリやりか。読みが合わないな。
私は8四桂の金当てを読んでいた。
なにを嫌った? 8二金、8三歩、7二桂成では飛車が死に体と見たか?
たしかに7六銀から抑え込む予定ではあった。本譜は7筋が通っている。
となれば、方針変更──
「露骨な攻めは露骨に止めるに限る。7四銀」




