449手目 ランチタイム
アハッ、というわけでランチタイムだよ。
不破さんと相談して、和食のお店を選択。
当たりだといいね。高級ホテルだからそこは保証されてるかな。
のれんをくぐって、店員さんにチケットをみせた。
奥のほうが貸切になっているみたいで、すぐに通してくれた。
本格的な和の装い、って感じの店だね。
仕切りは木製で、店員さんはみんな和服を着ていた。
左手の窓の外にはベランダがあって、日本庭園の作りになっていた。
途中、2人席に奥村くんと凡地先輩がいた。
奥村くんはお箸を持ったまま、
「お、捨神っち、がんばってるべな」
と声をかけてくれた。
「奥村くん、おつかれさま。スタッフも大変そうだね」
「なあに、誘導やらモニタの監視ばっかりで、案外ヒマしてるだよ」
そっか、裏方なんだね。縁の下の力持ち。
凡地先輩も手をふって、
「捨神くん、がんばるのだ〜」
と言ってくれた。
「アハッ、善処します」
さらに奥へ行くと、ふいに声をかけられた。
吉良くんだった。8人がけのテーブルの、向かって右端に座っていた。
吉良くんは箸を持った手で合図しながら、
「ここ空いてるぜ」
と言った。
うーん、大胆だね。とはいえ、断るのは悪いか。
それに、席はあんまり空いてないっぽい。
「お言葉に甘えるよ」
吉良くんの正面に座った。不破さんは僕の左どなり。
すぐにお冷やが持ってこられた。
なににしようかな……あ、吉良くん、ざる蕎麦を食べてるね。
僕は店員さんに、
「ざる蕎麦をひとつ」
と注文した。
「天ぷら、ご飯などもお付けできますが」
「いえ、お蕎麦だけでけっこうです。それと、温かいお茶もお願いします」
これを聞いた不破さんは、メニューから顔をあげて、
「師匠、せっかくチケットがあるんですし、もったいなくないですか?」
と言った。
「お腹がいっぱいになると、午後の対局に差し支えるからね」
「なるほど……じゃああたしは遠慮なくいただきます。この御膳で」
店員さんが去ったあと、僕は吉良くんのほうに向きなおった。
向かって左どなり、不破さんの正面には、知らない男の子がいた。
日焼けしてて、スポーツをやっていそう。中学生かな。
どこか顔に面影があるけど……思い出せない。とりあえずあいさつ。
「はじめまして、僕は捨神だよ。吉良くんの友だち?」
「あ、はじめまして、裏見です」
え? うらみ? ……偶然の一致かな。
「裏側を見る、じゃないよね?」
「そうですよ。香子姉ちゃんの従兄弟です」
あ、従兄弟がいたんだ。しかも吉良くんの知り合い。
世の中狭いなあ。
「もしかして帰省ついで?」
「帰省ってわけじゃないですけど、まあそんな感じです」
これには不破さんが食いついてきて、
「おまえも将棋指せるの?」
とたずねた。
「もちろんです」
「どのくらい? 裏見香子より強い?」
「んー、香子姉ちゃんのほうがちょっと強いと思います」
まあそうだよね。裏見先輩より強かったらふつうに県代表クラスだよ。
不破さんは椅子に寄りかかって、
「じゃあ市代表レベル?」
とたずねた。
「ですね」
「マジか。あとで一局指そうぜ。観戦ばっかしてるとさすがに疲れるんだよ」
ここでお蕎麦が来た。
お先にいただきます。
吉良くんはほとんど食べ終えていて、お茶を飲んでいた。
僕は、
「やっぱり冷たいものは飲まないの?」
とたずねた。
「氷が入ってるやつは飲まないな。代謝が落ちる」
徹底してるね。
歌手でも氷入りの水は飲まないってひとがいた。喉に悪いらしいよ。
ここで裏見くんが、
「吉良先輩、天ぷらぐらいつければいいのに」
と言った。
「天ぷらは脂質過多だろ。ただでさえ1日中座ってるんだぞ」
「先輩、健康診断で引っかかってるおじさんみたい……」
吉良くんはダンサーだからね。
体型は男の僕からみてもすごくいいと思う。
僕は裏見くんのほうがすこし気になって、
「裏見くんはスポーツしてるの? けっこう日焼けしてるよね?」
とたずねた。
「サッカーしてます」
そっか、裏見先輩も中学のときは陸上だったらしいし、文武両道なんだね。
僕がお蕎麦をすすっていると、3人組のお客さんが現れた。
その姿をみて、僕はアッとなった。
「は、囃子原くん」
「おや、捨神くんに吉良くんではないか」
囃子原くんは、ふたりの少女を従えていた。
ひとりはスーツ姿で帯刀している。剣さんだ。
もうひとりは制服をすごく着崩して、上着を腰に巻いていた。鬼首さん。
鬼首さんは、
「席、ここしかなくない?」
と言った。
囃子原くんはうなずいて、
「そのようだな。諸君、同席させてもらってもいいかな?」
と確認してきた。
もちろん。僕たちはすぐにオッケーした。
囃子原くんは裏見くんのとなり。さらにそのとなりに剣さんが座った。
鬼首さんは不破さんのとなり。
吉良くんはちょっと呆れ気味に、
「おまえ、こんなところで飯食ってるのか?」
とたずねた。
「こんなところというのは、店に失礼ではないかね」
「っと、失言だった。てっきりVIPルームでも借り切ってるのかと思ったぜ」
「僕の部屋もふつうの個室だ……ざる蕎麦をもらおう。剣は?」
「僭越ながら、礼音さまとおなじものにいたします」
「鬼首は?」
「んー、ハンバーガーとか売ってないの?」
「残念ながらないな」
「……アイスあるじゃん。アイスでいいや。バニラと抹茶、ひとつずつ」
すごいね。デザートオンリーでいくんだ。
囃子原くんは注文を済ませて、僕たちのほうへ話しかけてきた。
「男子は次の8回戦で折り返しだ。ひとまずお疲れ様と言ったところか」
吉良くんはむずかしい表情で、
「おつかれさん、と言いたいところだが、本番はこれからだぜ。トップグループは1敗で並んだ。俺たち3人は、まだおたがいに当たってない」
とコメントした。
囃子原くんは不敵な笑みを浮かべて、
「しかし、六連くんがひとつリードしているのではないかね?」
と返した。
吉良くんは悔しそうな顔で、
「だな……俺とおまえはもう負けてる」
と言った。
そうなんだよね。六連くんは前半に強豪とのカードが多かった。
そのなかで6勝1敗。僕たちの6勝1敗とはすこし意味合いが異なる。
吉良くんは、
「決勝枠は4人だ。そこに滑り込めばいい」
と言ってお茶を飲み、席を立った。
「それじゃ、またあとでな……裏見はゆっくりしてっていいぞ」
「あ、うん、吉良先輩、がんばってね」
吉良くんはそのままお店を出て行った。
入れ替わるように、囃子原くんたちのメニューが出て来た。
囃子原くんはいただきますと言ってから、お箸を割った。
鬼首さんはバニラアイスと抹茶アイスを交互に見比べて、
「どうすっかなあ。混ぜるか、混ぜないか」
と言って迷っていた。不破さんは、
「半分ほど別々に食ったあとで混ぜたら、一石三鳥だろ」
とアドバイスした。
鬼首さんは「おッ」と言って、にっかり笑った。
「おまえ頭いいな。どこのだれだ?」
「駒桜の不破だ。おぼえとけよ」
「こまざくら……もしかして捨神の彼女?」
「ちげーよ」
アハハ、僕の彼女はべつのひとだね。
鬼首さんも豪快に笑った。
「ギャハハ、そりゃそうか。似合ってないもんな」
「それはそれで頭に来るんだよなあ」
まあまあ、ケンカしないでね。
ここで剣さんが、
「あざみ、他の客を煽るな」
と注意した。
鬼首さんはチェッと言って、バニラアイスをすくって舐めた。
「うめぇ……それにしても張り合いがねぇ大会だな。もっと強いやついないのか」
そういえば、鬼首さんは全勝中なんだよね。
女子はもうひとり、萩尾さんが全勝中だったはず。
女子のほうが早めに決勝枠が埋まるかも。
僕はちょっと興味が出て、
「鬼首さん、中学のときは全国大会に出てなかったよね?」
とたずねた。
「ああ、あんときは学校行ってなかったからな」
「アハッ、奇遇だね。僕もサボってたよ」
「ん、マジか? ……おまえ話合わせてないよな?」
「違うよ。中学のときはわりとグレてたから」
鬼首さんはまた豪快に笑った。
「ガッコーなんて行ってたら頭がおかしくなるからなあ」
「ただ、友だちはできたからよかったかな、って思ってる」
鬼首さんはきょとんとした。
「友だち? ……おまえ、友だちなんか信じてるの?」
「もちろん……鬼首さんは?」
鬼首さんは笑った。
「友だちなんていてもしょうがねぇだろ。オレが会いたいのはオレより強いやつだ」
……なるほどね、鬼首さんって、そういうタイプなのか。
ほとんど面識がなかったけど、今のひとことで通じた気がする。
それともそう考えるのは、僕の傲慢かな?
不破さんは「へぇ」と言って、
「雑魚狩りしてるタイプかと思ったら、違うんだな」
とコメントした。
そ、それは失礼じゃないかな。
とりあえず僕は食事を終えた。
不破さんは御前だし女の子だから、まだ時間がかかりそう。
僕は先に席を立った。
「それじゃ、囃子原くん、またあとで」
「あとというのは、今日の午後のことかね。それとも明日の12回戦?」
気軽なあいさつのつもりだったんだけど……マジメに返しておこうか。
「12回戦と……それから決勝でね」
囃子原くんは口の端に笑みをこぼした。
「よろしい。必ずだぞ。この囃子原礼音、約束を違えられるのは性に合わないのでね」




