447手目 潰れた抜け番
※ここからは、香子ちゃん視点です。第7局開始時点にもどります。
いやはや、疲れた。初戦から持将棋模様になるんだもの。
次が抜け番じゃなかったら、クタクタになるところだった。
私はエレベータで一般会場へ降りた。
さすがに日曜日だけあって、満員御礼に近かった。
社会人もけっこう来ている。
駒桜のメンバーは……あ、いたいた。椅子に座ってる飛瀬さんを発見。
私は人ごみをかきわけて、飛瀬さんに声をかけた。
「飛瀬さん、おはよ」
「あ、おはようございます……抜け番ですか……?」
さいです。
手前のモニタをみると【しばらくお待ちください】の文字が。
「ここは捨神くん応援団?」
「はい……今日こそ応援していきますか……?」
「ごめんなさい、ちょっと観たい対局があるから……松平はどこ?」
「観戦のふりしてデートちゃんですか……?」
私は飛瀬さんのひたいに軽くチョップした。
「いたた……地球人はすぐ暴力を振るう……松平先輩なら1番モニタです……」
おっと、観たい対局のところにいるのか。一石二鳥だ。
私は1番モニタのほうへ移動──ぐはぁ、もう人だかりができてる。
さすがに人気局だけあって、来るのが遅かった。
私が隙間をさがしていると、
「おーい、ポニテの姉ちゃん」
と言う不破さんの声が聞こえた。
みると、私のうしろでポケットに手を突っ込み、飴玉を舐めていた。
「不破さんもここを観るの?」
「んー、師匠戦を観るけど、ポニテの姉ちゃんが困ってるんでね、助太刀」
意味が分からない──と思った瞬間、不破さんは、
「おーい、スタッフが通るぞぉ」
と言って、道を開けさせ始めた。ちょっとちょっと。
不破さんはスタッフじゃないでしょ。ところが、観客は私のほうをみて、
「あ、解説のお姉ちゃんだ」
「おーい、スタッフ来たぞ、空けてくれ」
と言い、なぜか通してくれることに──申しわけないけど入らせていただきます。
ススッとあいだを通ると、前列に松平が立っていた。
松平は私を見て、
「スタッフって裏見だったのか。現地解説もすることになったのか?」
と言った。
解説? 私がここで? ……ん? 周囲の視線が──
「生解説してくれるのか、いいねぇ」
「お姉ちゃんよろしくね」
ちょっと待ってッ! 私がここで解説するのッ!? ひとりでッ!?
スタッフ設定で割り込んだのは事実……いや、だけど……。
私が困惑していると、うしろのほうで、
「ニャハハ、お困りのようですね」
という、聞き慣れた声が聞こえた。猫山さんが姿を現す。
右腕に竹編みの籠をかけていた。お菓子を盛ってある。
メイド服を着ていたから、スタッフだと思われたらしい。
またスペースを作ってもらえた。
猫山さんは犬歯をのぞかせながら、
「ふたりならだいじょうぶでしょう……あとでお菓子を買ってくださいね」
と小声でつぶやいた。
うーん、商売上手。とはいえ、これは助かった。
そうこうしているうちに、画面に対局風景が映った。
【先手:囃子原礼音(O山県) 後手:六連昴(H島県)】
六連くんが後手か。
対局はまだ始まっていなかった。
正式な解説者は──将棋仮面と魚住くんか。
これはあれですね、魚住くんが頼んだんじゃないかしら。
私が憶測するなか、対局は始まった。
ふたりの一礼する姿が、天井カメラに映ったのだ。
7六歩、3四歩、5六歩、8八角成、同飛。
うわッ、いきなり変則的な出だしになった。
ここで将棋仮面のコメントが入る。
《ふむ……囃子原礼音はオールマイティと聞いているが、まさかの出だしだな》
魚住くんは、
《昴くんがどう対応するか楽しみですねえ》
と、ちょっとうれしそう。
魚住くんは六連くんを個人的に応援してるっぽいのよね。
まあべつに私情が入ってもいいとは思う。
「ニャハハ、解説の裏見さん、私たちも始めましょうか」
「あ、はい……現状の成績は、囃子原くんが全勝、六連くんが5勝1敗ですね」
会場を出るまえに、ちらっと確認してあった。
情報を仕入れといてよかった。
猫山さんは、
「ここから5七角と打って、6八銀に2四角成が本線ですか。6八角は8四角成と逆に成られて損です。6八に角がいても組みにくいだけニャンですね」
と、すらすら解説を入れた。
猫山さんひとりでも大丈夫そう。
そういえば猫山さんって、大盤解説のバイトもしているらしい。
だとすればお手のものってことか。
将棋仮面も負けじと(?)解説を入れてきた。
《ダイレクト向かい飛車を採用したのは、六連くんの研究を避けたものだろうか?》
《え、なんでそう思うんですか?》
《ヒーローの勘だ》
適当仮面。
あんまりガチで解説されるとハードルが高くなるから、助かると言えば助かる。
本局は猫山さんの読みどおりに進んだ。
5七角、6八銀、2四角成、8六歩、4二玉、8五歩、3二玉。
うーん、解説しにくい。
とりあえずそれっぽいことを言っておく。
「先手は馬を作らせた代償が必要ですね……角が手持ち、というだけでは足りないので、穴熊に組ませないようにするか……あるいは8筋を抑え込んでいるのを利用して、穴熊に組ませたうえで潰す感じでしょうか」
「ふむふむ……穴熊に組ませないのは、ちょっとムリかもしれニャイです」
ですね。本命は後者。
後手が穴熊の動きを見せたら、そのまま潰しにいくパターン。
いずれにせよ、相当自信がないと指せない順だ。
囃子原くんはスーツを着て、堂々とした対局姿勢。
六連くんはラフな白地のシャツに、いつものツバ付きスポーツキャップ。すこし椅子に寄りかかるように座っていた。
将棋仮面はこれをみて、
《六連くんの座り方は腰に悪いぞ》
と、また将棋と関係ないコメント。
うーん、わざとコントをしてる気がしてきた。
そのあいだも局面は進む。
6六歩、6二銀、6七銀、5四歩、6八金、2二玉、1六歩。
端を突いた。これは私たちの解説通りになりそう。
5三銀、4八銀、1二香、1五歩、1一玉。
穴熊vs急戦──だけど、先手から仕掛ける余地、ある?
じぶんで言っておいてなんだけど、ここから速攻はむずかしいような?
猫山さんもマジメに考えながら、
「これは藤井システムの応用っぽいですが……居玉のままいくかどうか……」
とつぶやいた。
私は「居玉はさすがに危なすぎませんか?」とたずねた。
「そうですね……このまま5七銀と上がるとしても、4八玉とするのは危険です。先手は右辺をどうまとめるのやら」
「2四に馬がいるので、4六歩〜4七銀の組み合わせもできないですね」
「ええ、ええ、それに6八金とした以上は、5七銀の準備だと思います」
猫山さんの予想は当たった。
囃子原くんは5七銀として、2二銀、7七桂、4四銀、8九飛。
そう来ますかぁ……なんか右玉っぽい方針?
ただ、右に王様を移動する余地はない気がする。
魚住くんもおなじことを思ったようで、
《将棋仮面さん、先手は王様をどうするんですか?》
とたずねた。
《後手のかたちを無視するなら、4九玉と右に入りたいところだ……が、やはり藤井システムの応用だろう。研究を披露しているのは、どうやら囃子原くんのようだ》
《ほんとうに藤井システムもどきなら、5八玉ですかね》
ん? 魚住くんの指摘、一理ある。
藤井システムもどきなら、5八玉と一回立つかもしれない。
私はこれに便乗して、
「5八玉と立って、地下鉄飛車を見せるのはアリですか」
とコメントした。
猫山さんも同調してくれた。
「ありえます。後手は角の打ち込みや馬消しを警戒しないといけないので、すんなり4枚穴熊へは持っていけません。そのあいだに地下鉄飛車まで組む余裕はあります」
先手、一見めちゃくちゃなようでかなり合理的。
これが囃子原くんの棋風か。
私が感心していると、画面の向こうで魚住くんが、
《囃子原のあんちゃんの向かい飛車を、昴くんは想定してたかもしれないです》
とコメントした。
将棋仮面も反応して、
《これが想定の範囲内? ……どういう推理か教えてもらいたい》
とたずね返した。
《昴くんはカードゲームであいての作戦を当てるのがうまいんですよ》
カードゲームと将棋は違うような?
よくわからない。ああいうのはやったことがないから。
将棋仮面も《そうか》と言っただけで、具体的なつっこみを入れなかった。
9四歩、4八金、9五歩、5八玉。
やっぱり立った。
3一金、3六歩、5五歩。
おっと、いきなり仕掛けた。
これには会場もざわつく。
将棋仮面もうなって、
《予期しない段階で仕掛けたな……同歩、同銀、5六歩ならただの交換だが……》
というコメント。
魚住くんも、
《3七桂が先かと思いました》
と言った。
5五同歩、同銀、2六歩。
5六歩で収める予想も外れた。ただ、この手で少し方針がみえてきた気がする。
「ニャルほど、だんだん分かってきましたよ」
「地下鉄飛車じゃなくて、2九飛の回り込みが本命っぽいです?」
「もう少し多面的な手ですね。2筋と5筋の両方を見ています」
「5筋?」
「4五桂と6五桂の両跳ねで殺到する順です」
同時侵攻ってことか。でもそんな余裕ある?
5筋は特に反動がきついと思うんだけど。
囃子原くんはいったいどうまとめるつもりなのかしら。
当然に六連くんも動き出した。
3五歩と逆に仕掛けて、同歩、同馬、5六歩と収めさせる。
以下、4四銀、4六銀、2四馬と進んだ。
ここで囃子原くんの手が持ち駒に伸びた。
駒音がスピーカーから響く。
え? 2筋をじぶんで封鎖した?
《……なるほど、3六歩対策か》
将棋仮面の一言で合点がいった。
3筋が清算されてるから、3七桂に3六歩と打てるのだ。
だけど疑問がある。魚住くんが代弁してくれた。
《3六歩を消すためだけに角を手放すんですか?》
《バランスが取れているかどうかだが……位置的には遠見の角だ》
《遠見の角? ……あ、1八角に打ったのと似てるってことですか?》
《そうだ。もしかすると狙いは左辺なのかもしれない》
それはどうなの? 攻めるポイントがなくない?
現時点で6三の地点を睨んでるけど、5二金でなんともないはず。
私はさすがに疑問に思って、猫山さんに、
「4五桂と跳ねたときに支えるため、というのが尤もらしくありませんか?」
とたずねた。
「うーん、それもありそうですねぇ」
あいまいな返事。とりあえず様子をみる。
5二金、3七桂、5三金、4五桂。
後手は飛車の横利きを広げた。先手はそれを咎めたかっこうだ。
5二金、6五桂(中央に殺到しそう)、3六歩、同角、3五銀、2五歩。
こ、これは機敏だ。
3六銀、2四歩の取り合いは後手が損。
六連くんは3四馬と逃げた。
以下、3五銀、同馬、3七歩で銀交換が成立する。
六連くんは3四銀で桂馬を狙ったけど、これは4六銀で阻止された。
4四馬に2九飛。
先手、あっという間に理想的なかたちに組み替えた。
猫山さんはニャハハと特有の笑い方をした。
「これは参りました。解説が当たらない展開です。この組み換えが5五歩の時点で見えていたとしたら、さすがとしか言いようがありません。とはいえ、六連くんの消費時間も気になるところです」
私はのこり時間を確認した。
画面上のバーに表示されている。
「先手が20分、後手が……おなじく20分ですか。まだたっぷりありませんか?」
「たっぷりあるのが不思議なんですね。先手の手が早いのは、そこそこ理解できます。準備してきた局面っぽいですからね。でも後手がそれについて来ているということは、事前に読めていたような雰囲気を感じさせませんか」
「……魚住くんが言うように、相手の戦法を事前に読めてたってことですか?」
「ありえなくはないと思います」
う、うーん、それって人外の領域なのでは……いや、そうでもないか。
プロでも初手でお互いの方針が分かることがあるみたいなのよね。
過去の膨大な対戦状況から推測できる可能性はある。
いずれにせよ、ここで後手が長考している。もう2分以上経っていた。
パシリ
攻めたッ! しかもかなり怖いところから。
囃子原くんは5三桂左成として、同金、同桂成、同馬と清算した。
これで金と桂2枚の交換。先手が損だ。
パシリ
会場が静まり返る。
ほ、ほんとに遠見の角にするんだ。
《将棋仮面さん、当たりましたね》
《当たったが、まったく分からなくなった。形勢は互角のようだが……ひとまず、この手渡しに後手がどう応じるかだ。動かせる場所はほとんどない》
また長考しそう? ……いや、すぐに動いた。
六連くんが選んだ手は──




