444手目 深読み
※ここからは、香宗我部くん視点です。第7局開始時点に戻ります。
ふわぁ……眠い。
なんだかんだで夜遅くまで起きてしまった。
今治のやつ、俺の部屋を溜まり場にしたからたまらんな──おっと、阿南が来た。
「先輩、おはようございまーす」
「おはよう」
「眠そうですね。昨晩はお楽しみでしたか?」
なにを言ってるんだ。早く座れ。
駒はもう並んでいるし、チェスクロも用意されている。
いたれり尽くせりだが、その代わりやることがなくて暇だ。
阿南は炭酸飲料のペットボトルをテーブルに置いた。
「ん? それいいのか?」
「なんでダメなんです?」
「スポンサーのやつが用意されてるだろ」
阿南は笑って、
「だいじょうぶです、このテーブルの中継とかだれも観てませんよ」
と言った。
おまえなあ……まあここは1勝5敗同士の末席だから、だれも観てないだろうな。
とはいえ解説者が有名な選手だったら、そっち目当てで観戦する可能性もある。
こういうのはTPOがだいじだ。
阿南は歩を集めて、
「まあまあひとまず振り駒を……えい」
と放り投げ、表を3枚出した。
「僕の先手ですね」
俺はチェスクロを向かって右に回す。
あとは対局開始を待つばかり。
阿南はキョロキョロしながら、
「六連vs囃子原があるんですよねぇ。観たいなあ」
と言った。
ぶっちゃけ俺も観たい。
選手として出てたら観戦できないっていうデメリットがあるよな。
ファンってわけじゃないから、いいっちゃいいんだが。
ここで会場のマイクが入った。
《対局準備はよろしいでしょうか? ……では、始めてください》
「よろしくお願いします」
おたがいに一礼して対局開始。
7六歩、3四歩、6六歩。
ん? 6六歩?
「おいおい、振り飛車にするつもりか?」
「先輩、私語はダメですよ」
たしかに……だがこれは気になるな……すこし挑発するか。
「1四歩」
「相振り飛車をご希望ですか?」
「私語は禁止なんだろ?」
「まあまあ……7八銀」
突き返して来ないのか。飛車を回ってもいないから態度不明だ。
俺は1五歩と突き越す。変則将棋、嫌いじゃない。
2六歩(居飛車か)、6四歩、7七角、6二銀。
阿南はこれを見て、
「……挑発したら挑発し返されましたか」
と言った。
ほんとに挑発してたのか。
「おまえに手玉にとられるほど経験不足じゃないぞ」
「ふぅむ、さすがは四国の元幹事長」
それは関係ない……いや、あるな。
あの魑魅魍魎をまとめるのはほんとうにたいへんだった。
「僕はここから普通に組みますよ。4八銀」
6三銀、5六歩、3二金、5七銀、4二銀、2五歩。
そこまで普通でもないな。
3三銀、3六歩、4一玉、4六銀、4四銀、5八金右。
まったく普通じゃないじゃないか。
部分的に超速か。わけがわからないかたちになった。
先手は6八玉から簡単に入城できる。俺のほうが若干いびつだ。
「……5四歩」
「速攻っぽいですね。6八玉」
そのとおり、すぐ仕掛ける。5五歩。
阿南は1分ほど考えて同歩と取った。
同銀、同銀、同角で飛車に当てる。
阿南は両手を後頭部にあてて、
「んー、銀を渡してるから1八飛ができないんですよねぇ……4六銀」
よし、打たせた。2二角と撤退。
以下、6七金、5四銀、7九玉、4四歩と進んだ。
阿南は6七の金に指をそえる。
「5六金」
そう来たか……6五歩の警戒だろうな。
すぐに仕掛けるのは危険だ。
5二金で一回固めて、3七桂に4三銀と雁木に切り替えた。
「さすがは香宗我部先輩、うまいですね。だけど主導権は僕にあります。2四歩」
なんだかんだで俺のほうが遅れるか。
後手だからしょうがないとはいえ、このかたちで受け続けるのは無理だな。
受け流しつつ反撃の手段を考えよう。
2四同歩、同飛、2三歩、2六飛、8四歩、5五銀。
8筋が間に合うか。
8五歩、4六歩──よし、先に突ける。
「8六歩」
阿南はこれをみて、
「突き捨てですか……」
と言い、盤全体を確認した。
これはあれだな、見落としがないかどうかのチェックだ。
8六歩自体はただの突き捨てだから、警戒されるのも分かる。
阿南は8六同歩と取った。
俺は7四歩と伸ばす。
阿南はここで長考に入った。作戦がバレたっぽい。
8六歩はもちろんただの突き捨てじゃない。
のこり時間は、先手の阿南が21分、後手の俺が19分。
陣形整備で苦慮した部分が反映されたかっこうだ。
この長考で詰まってくれるといいが……ん、もう指すか。
「6四銀」
歩を取ってきた。
これは6三歩と打たせて歩切れにさせるのが目的だな。
しょうがないから打つ。
6三歩、5五銀。
俺は30秒ほど読みなおして、9五銀と置いた。
「先輩、強引ですね」
「通ればいい」
「正論。でもこれはさすがに読んであります。8七銀」
3一角で援軍を送る。
7八金、8六銀、同銀、同角、同角、同飛、8七歩。
俺は8五飛と高飛車に浮いた。
阿南は髪をさわって、
「あ〜、8二飛だと5三歩、同金、7一角が両取りってオチですか……でも……」
阿南はかまわず5三歩と打ってきた。
同金、7一角と単純に下ろしてくる。
5二金、4四銀、同銀、同角成。
いやはや、先に馬を作られたか。
とはいえ先手陣も打ち放題だ。ここは辛抱する。
俺は3三銀と打った──ん? また長考か?
阿南は動かなくなった。
こいつがこういう態度に出ると不気味なんだよな。
軽口叩いてもらってるほうが気楽でいい。
先手が嫌ってるのは、5五馬に同飛の順があることだろうな。
だから7一馬と入り直すのが本命だと思っている。
パシリ
えぇ……なんだそれは……。
「香宗我部先輩、露骨にイヤそうな顔してますね」
「……」
ここは考えどころだ。無視する。
4四銀、5二歩成なら寄るってことか?
同玉でどうする? 拠点がなにもないだろ?
……………………
……………………
…………………
………………5三歩ともう一回叩いて、同銀に4五桂か?
(※図は香宗我部くんの脳内イメージです。)
……これは拠点ができるな。さすがに同飛とは払えない。
5三歩が取れないとなると、先手の攻めは続く。
気づいてよかった。対策を練る。
……………………
……………………
…………………
………………また強引にいくか。
「4四銀」
5二歩成、同玉、5三歩、4二玉、5四銀。
ここで押す。
パシリ
今度は阿南もつっこみを入れて来なかった。
狙いは単純で、同玉に4七角だ。しかも取るしかないはず。
「……同玉です」
4七角、5八銀。
そうなんだよ、これで受かるんだ。
とりあえず5六角成で駒損を解消する。まだ後手が悪いかもしれない。
阿南は持ち駒の銀を手にして、こちらに見せてきた。
「僕も強引にいきます。4三銀打」
ぐッ……やはり後手が悪い。
これが取れないのはキツい。同金は同銀成、同玉、2三飛成だ。
「3三玉」
のこり時間も少なくなってきた。先手9分、後手7分。
時間差も縮まらない。
阿南は冷静にここで長考した。まいった。最悪寄るな。
「……4五桂」
ノータイムで同銀。
阿南は同銀で馬に当ててきた。同歩と思ったが……なにかあったのか?
4六馬と逃げてもいいが、3四銀上の王手がある。
どうする? 7八馬と切るか? ……ダメだな。寄りが早くなるだけだ。
むしろ2六の飛車をなんとかしたい。あれがいると入玉もできない。
「……5九金」
露骨な王手飛車狙い。
「先輩、今回は強引な手が多すぎませんかね……」
と言いつつ、阿南は手が止まった。
俺が逆の立場でも悩む。一見、王手飛車をかけさせていいようにみえるからだ。
それに7九玉と逃げるのは、4六馬、8八玉、4五馬で銀を抜く順がある。
ただ、2六角成以下は後手に入玉の可能性が生じる。
そうなると大駒が3枚あるこっちのほうが有利。
入玉模様で指すのを阿南が嫌うかどうか──なかなか指さないな。
……………………
……………………
…………………
………………ん? 待てよ、これって思ったより後手がよくないか?
すくなくとも劣勢という感じはしなくなった。
我ながらどさくさに紛れて好手だったかもしれない。
「……7九玉」
嫌ったか──4六馬、8八玉、4五馬、5四銀打。
「7八馬だッ!」
阿南は笑いつつも、あちゃーという顔をした。
「これはどっかでやらかしましたね……同玉」
5六角、6七角、同角成、同玉、8七飛成。
龍ができた。あとは頓死しないように指す。
阿南もまだ諦めていないらしく、真剣に考えている。
「……7七金」
俺はお茶を飲んで一服。冷静になる。
すぐに7八角が効けばいいんだが……問題は6八玉、5八金、同玉の局面だ。
(※図は香宗我部くんの脳内イメージです。)
ここで5六銀と詰めろをかけたくなる……が、それは俺が詰む。
3二銀成、同玉、4三金、2二玉、3一角、1二玉、2二金、1三玉、2三飛成まで。
つまり金を渡した瞬間にこっちは詰む。
となると、7八角と打つ場合は即詰みに討ち取らないといけない。
詰むか?
俺はチェスクロを確認した。まだ3分ある。
詰みの可能性があるとすれば──
ピッ……ピッ ピッ ピッ ピーッ!
「7八角」
この手を見て、阿南は腕組みをした。首をななめにかしげる。
阿南も最後の長考。
ピッ……ピッ ピッ ピッ ピーッ!
阿南は59秒ギリギリで6八玉と引いた。
俺はもう一度確認してから、5八金とする。
同玉、4六桂、4八玉。
「4七銀」
同玉なら7七龍と切って詰む。以下、同桂、5六銀、3七玉、3八金、2七玉、2八金打まで。先手は2六の飛車が邪魔になってしまう。端を詰めたのも大きかった。4七銀を取らない場合は3七玉、4八銀打、2七玉、3八銀不成、1八玉、2七金、同飛、同銀成と清算して、同玉の瞬間に7七龍、同桂、3七金、2六玉、2七飛まで。
阿南は上体を起こして、大きく息をついた。
「往生際が悪いので指します。3七玉」
4八銀打、2七玉、3八銀不成、1八玉、2七金、同飛、同銀成、同玉。
俺は龍をスライドさせて、7七の金を取った。
「アハハ、さすがに見落としませんよね……投了です」
「ありがとうございました」
……………………
……………………
…………………
………………なかなか感想戦が始まらない。
阿南は本局の進行に、納得がいっていないようだった。
あごにこぶしをそえて、宙を見上げている。
「……どっかでミスりましたよね?」
「ん……そうだな、途中までは俺が悪かったかもしれない」
ふたりで少し意見交換して、分岐点らしきものを見つけた。
【検討図】
「同歩でした?」
「むしろなんで同銀だったんだ? 4三の銀が浮くよな?」
「4五同歩、5九金、7九玉のあと、4二歩と催促されるのが気になったんです。以下、4四銀、2二玉、3二銀成に1三玉と端に逃げられたら捕まらないのかな、と」
【検討図】
「? 2二金で詰めろじゃないか?」
「2四桂が詰めろの解除で、3三金、同桂、同銀成の詰めろに4六角でまた解除できるんですよね。以下、8八玉、5八金は先手に詰めろがかかって、後手は2三成銀、1四玉、2四成銀、同角で詰みません」
俺は部分的に納得した。
「だけど3三金なんてムリしなきゃいいんじゃないか?」
「ですよねぇ、本譜のほうがよっぽどムリしてるっていう」
俺はこの局面を想定していなかった。
こういう深読みが墓穴になるのは、将棋の怖いところではある。
そのあと中盤もすこし調べてから解散になった。
昼食時間をあまり削りたくない、というのが阿南の言い分だったし、俺も同意だ。
席を立つと、若い男性スタッフに声をかけられた。
「香宗我部選手、インタビューをお忘れなく」
「あ、だいじょうぶです。これから向かいます」
……………………
……………………
…………………
………………ん? 今のスタッフの顔、見覚えがあったぞ?
場所:第10回日日杯 2日目 男子の部 7回戦
先手:阿南 是靖
後手:香宗我部 忠親
戦型:居飛車力戦形
▲7六歩 △3四歩 ▲6六歩 △1四歩 ▲7八銀 △1五歩
▲2六歩 △6四歩 ▲7七角 △6二銀 ▲4八銀 △6三銀
▲5六歩 △3二金 ▲5七銀 △4二銀 ▲2五歩 △3三銀
▲3六歩 △4一玉 ▲4六銀 △4四銀 ▲5八金右 △5四歩
▲6八玉 △5五歩 ▲同 歩 △同 銀 ▲同 銀 △同 角
▲4六銀 △2二角 ▲6七金 △5四銀 ▲7九玉 △4四歩
▲5六金 △5二金 ▲3七桂 △4三銀 ▲2四歩 △同 歩
▲同 飛 △2三歩 ▲2六飛 △8四歩 ▲5五銀 △8五歩
▲4六歩 △8六歩 ▲同 歩 △7四歩 ▲6四銀 △6三歩
▲5五銀 △9五銀 ▲8七銀 △3一角 ▲7八金 △8六銀
▲同 銀 △同 角 ▲同 角 △同 飛 ▲8七歩 △8五飛
▲5三歩 △同 金 ▲7一角 △5二金 ▲4四銀 △同 銀
▲同角成 △3三銀 ▲5三歩 △4四銀 ▲5二歩成 △同 玉
▲5三歩 △4二玉 ▲5四銀 △6九銀 ▲同 玉 △4七角
▲5八銀 △5六角成 ▲4三銀打 △3三玉 ▲4五桂 △同 銀
▲同 銀 △5九金 ▲7九玉 △4六馬 ▲8八玉 △4五馬
▲5四銀打 △7八馬 ▲同 玉 △5六角 ▲6七角 △同角成
▲同 玉 △8七飛成 ▲7七金 △7八角 ▲6八玉 △5八金
▲同 玉 △4六桂 ▲4八玉 △4七銀
まで112手で香宗我部の勝ち




