440手目 敗者復活
※ここからは、内木さん視点です。第6局開始時点にもどります。
メイクよし、衣装よし、アクセサリーよし──アイドル、出陣します。
私が会場入りしたとき、スタッフはだいたいそろっていた。
扇状にならべられた椅子。私は前から2列目の左端に座った。
しばらくして2日目のミーティングが始まった。
とちゅうで魚住先輩がこっそり入室してきた。寝坊?
説明が終わったところで、解説のペアが発表された。
「えー、内木レモンさん」
「はい」
「このあと新規のかたがいらっしゃいますので、8番テーブルでお待ちください」
新参組とペアか。とりあえず8番テーブルへ移動。
2日目から来るのは、大学生が多いと聞いている。
日日杯優勝経験者とか、いろいろ。三和さんだといいな、と思った。
ソールズベリー出身の三和さんは、東京の医学部に通っているらしい。
H島の女流棋界では、超有名人だ。
できればお手合わせなど──
「あれ? レモンちゃんといっしょなんですかぁ?」
なんだかぶっきらぼうな声に、私は顔をあげた。
前髪ぱっつんショートの、右目に眼帯をした少女が立っていた。
黒いスカートに白い制服、赤いネクタイ。
……………………
……………………
…………………
………………夜ノ伊吹さんッ!?
「あの……なんであなたがいるんですか?」
夜ノ伊吹(本名:忌部安子)は、あきれたように肩をすくめてみせた。
「ほら、アイドルの格が違うっていうか?」
いや、オーディションに落ちたでしょ。
不正? じつは囃子原グループと話がついていた?
困惑した私は、あることに気づいた。
「……もしかして県代表枠ですか?」
「ぎくぅ」
やっぱりね。そういえばN良代表だし……って、それでもおかしい気がする。
オーディションで落ちたのに別枠で参加? ズルくない?
一方、ほかの解説陣は伊吹さんの登場にざわついた。
「TKY13の伊吹じゃないか?」
「ほんとだ、そういえばなんかの番組で指してたね」
ぐぬぬぬ、私より目立ってる。
伊吹さんは満面の笑みで、私のほうに上体をかたむけた。
「アイドルがそんな顔しちゃいけませんねぇ」
むッ……それはそのとおり。
私は平静を装って、
「お座りになられたらどうですか?」
と返した。
「ハイハイ」
ハイは一回。
伊吹さんは私の右どなりに着席した。
すると、七番テーブルに座っていた我孫子先輩が、
「伊吹ちゃん、レモンちゃんにいろいろ教えてもらうといいでやんすよ」
と言って、扇子をパチパチした。
ぐぅ、近畿勢は伊吹さんの正体を知ってるくせにぃ。
とりあえず平常心。やることは将棋で変わらない。
スタッフの合図があるまで、私は黙想した。
「あと1分で対局開始です。それでは本日もよろしくお願いいたします」
私は目を開けて、タブレットを起動させた。
「伊吹さん、どこから観ますか?」
「そうですねぇ、個人的に観たいのは磯前vs梨元です」
「高校将棋界にお詳しいんですね」
伊吹さんは、しまったという顔をした。
けど、すぐにうまく言い繕った。
「出場選手の前評判くらいは調べてありまーす」
「以前指したことのある選手を挙げたのでは?」
「カウガールと指す機会なんかないですしぃ」
中学の全国大会で当たったでしょ。把握済み。
ま、このへんで。解説開始。
【先手:磯前好江(K知県) 後手:梨元真沙子(T取県)】
だいたい予想通りの出だし。
私は用意したメモを見ながら、
「公式戦での対局は1回、そのときは磯前選手が勝っています」
とコメントした。
「ふぅん、四間飛車ですか。先手は熊さんですね」
たぶん。
ここでヘッドセットにスタッフの声が入った。
《せっかくですから、おたがいのアイドル生活なども、少々》
もう、完全に芸人枠じゃない。
とはいえ仕事だからやる。
「伊吹さん、TKY13のご活動はいかがですか?」
「そうですね、先週は東海のテレビ局にも呼ばれて、絶好調ってやつです」
ぐッ……活動領域がちょっと広がってる。
近畿のご当地アイドルは脱皮してるわけか。
「レモンちゃんはどうですか?」
「地域に密着したつながりのある活動をしています」
「ふむふむ、あの変態仮面さんとはどういうつながりなんですか?」
変態仮面? ……将棋仮面のこと?
なんで将棋仮面の話をするの? ……って、会場にいるじゃないッ!
こっちに親指を立ててアピールしてきた。するな。
伊吹さんはこちらにすりよってきて、
「彼氏だったりします?」
とたずねてきた。
「伊吹さん、恋愛ネタはNGですよ」
「たしかに……あ、後手が変なことしてますね」
ん? 私はタブレットを確認した。
……まさかの地下鉄飛車?
梨元先輩は、あいかわらずカウガールのかっこうだった。
あの衣装、何着もそろえてるのかしら。着回してはいないと思うけど。
梨元先輩は常に自信満々なところがある。じつは一番将棋指しっぽい性格かも。
私はそんなことを考えながら、
「ここから地下鉄飛車でも、先手の穴熊は間に合いそうです」
とコメントした。
「松尾流までいけますかねぇ」
どうだろう。6八銀のタイミングで8五桂がありそうだ。
「地下鉄飛車をみせられた以上、松尾流はさすがにムリでは……」
「だとすると3枚穴熊ですが、上から攻められると怖いですよぉ」
なんだかんだで解説が的確。さすがは県代表。
本譜は9八香、6四歩、9九玉と進んだ。
ここで6二金直かな──
パシリ
……………………
……………………
…………………
………………え? なにこれ?
伊吹さんは、眼帯をつけていない左目をほそめた。
「あぁ……8四銀で端棒銀ですか」
「端棒銀? 成立する? あ、成立します?」
伊吹さん、マジメに考え始める。
「んー……9五歩の速攻は成立すると思いますねぇ」
「速攻ということは4一飛〜9二香〜9一飛を入れずに?」
「4一飛は入れたいです。8四銀〜9五歩と仕掛けて、同歩、同銀、同香なら同香、9七歩、9一飛と回れます。まあそもそも9五同銀に同香としないでしょうけど」
なるほど……ただ、ひとつ気になることがあった。
「4一飛と引いた場合、6八角の筋が出ます。すぐに、というわけではないですが、例えば5五歩〜5六銀〜6八角なら2筋突破が確定します」
「ああ、ふむふむ、じゃあ5五歩には4五歩から3筋の確保が必要です」
3筋の確保、つまり4四銀と上がって、6八角に3五歩を用意するわけだ。
本譜は解説をトレースするかたちで進んだ。
先手は8八銀とハッチを閉めて、後手は8四銀。
以下、6七金、6二金直、7八金、4一飛、5五歩、4五歩、5六銀、4四銀。
ここから6八角と3五歩も当たった。
ひとまず解説の面目躍如。
私は、
「先手の応手にも依りますが、次に9五歩が本線です」
と指摘した。
「どのみち9五角とは取れないんで、いっそ8六歩と突きますか」
アリだと思う。
9五歩と仕掛けられたあと、9五角と取る順はない。
角が飛び出すと9一飛で狙われてしまうからだ。
磯前先輩は、変則的な局面でも堂々とかまえている。
私や伊吹さんみたいな中学生からみると、高校生はやっぱり年上という感じがする。
伊吹さんはペットボトルの水をコップに入れ替えながら、
「8六歩に即9五歩と仕掛けた場合、同歩、同銀に同香とは取れませんね。おとなしく受けるなら9七歩です。以下、8四歩、8七銀に8五歩で仕掛けなおします」
「9七歩に代えて7五歩と突っ張るのはどうですか?」
「んー、攻めるのは危ないと思いますけどぉ……ああでも磯前さんなら攻めるかな」
ここで磯前先輩が動いた。
8六歩と突く。
梨元先輩は駒音高く9五歩と攻めた。
同歩、同銀。
パシリ
攻めた。
伊吹さんは水を飲んでひと息ついたあと、
「ここから同歩、7四歩が受からないわけじゃないですか。先手は桂得です。でも8四銀でいきなり端をひらく手があるんですよ。以下、7三歩成、同金に9七歩と受けられないんですね。先手は歩切れなので」
「となると9一香成、同飛に9八香でムリやり受けるしかないですか」
「もちろん9五香と重ねますよね。そこで先手が受かるのかっていう話です」
【参考図】
……たしかに危ない気がしてきた。
私はタッチペンを動かしながら、
「同香、同銀、9八香と打ち直しても、9六香でどんどん前進されてしまいそうです」
と解説した。
「ですです。先手は歩切れを解消する方法がないのでぇ」
となると、磯前先輩の7五歩は賭けに出ている。
8六歩のまえに長考した段階で、このあたりを見据えていたのかもしれない。
梨元先輩はやや前傾姿勢になり、体を揺らしながら読んでいた。
彼女の性格からすると「かなりおもしろい局面」なのは間違いない。
パシリ
7五同歩が指された。
7四歩、8四銀、7三歩成、同金、9一香成、同飛。
飛車が9筋に回った。後手の構想はひとまず成就した。
9八香、9五香、同香、同銀、9八香。
梨元先輩は10秒ほど追加して、9六香と打った。
磯前先輩、ふたたび長考タイム。
私は、
「単に9七桂かそれとも9七桂打かを比較していると思います」
とコメントした。
「まあ、ふつうはパ……9七桂と跳ねて逃げ道を作りたいですね」
今、パンツを脱ぐって言おうとしたわね?
「パがどうかしましたか?」
「……まあ、ふつうはパッと桂跳ねです」
アドリブお上手。
さて、マジメに考える。
「9七桂打は上から圧殺ルートに入ったときに若干危険です」
「うーん、9七桂打、同香成、同銀、9六歩、8八銀で一回収まると思いますよ?」
【参考図】
私はすこしばかり思案した。
「9七桂と放り込むと……同桂、同歩成、同香、9六歩、9八歩、9七歩成、同歩……なるほど、こちらでもけっきょく脱げるので関係ないわけですか」
「なにが脱げるんですかぁ?」
しまった。
「失礼しました。右に抜けるの言い間違いです」
「アイドルは滑舌大切ですよぉ」
ぐぬぬぬ、ここは辛抱。
なんてやっていると、うしろから声をかけられた。
「おふたりさん、おつかれさんでやんす」
ふりかえると、我孫子先輩が立っていた。
今日はカーキ色の着物で、すこしお香の匂いがする。
私は「もう終わったんですか?」とたずねた。
「少名vs吉良を観てるでやんすが、吉良兄さんが大長考してて手が進まないでやんす」
ヒマになったから離席してもいい、というわけでもないような。
我孫子先輩はおかまいなしに、タブレットをのぞきこんできた。
「後手の地下鉄飛車でやんすか?」
これには伊吹さんが、
「もどきですかね。9一香成に同飛と取ったかたちなので」
と答えた。
我孫子先輩は扇子で肩をペチペチやりながら、
「このアグレッシブなかたち、真沙子姐さん好みでナイスでやんす」
と好意的。
観戦者視点、おもしろい将棋ではある。
私は我孫子先輩に、
「形勢をどう見ますか?」
とたずねた。
我孫子先輩は口もとを扇子でおおった。
「本局とかけまして、婚約相手の実家で夕食と解きます」
「その心は?」
「端(箸)の使い方がだいじです」
おあとがよろしいようで……って、見たまんまじゃないですかッ!




