423手目 最初の大一番
※ここからはプロローグの続きです。
パシリ
「あ、取った」
タブレットの局面が、パタパタと進んだ。
2六同歩、同飛、2七歩、2二飛、6七銀、4四歩。
【先手:温田みかん(E媛県) 後手:桐野花(H島県)】
まだまだ序盤だけど、後手はすこしつっぱってる感じがする。
とくに気になるのは居玉という点だった。このまま、ってことはないと思う。
「さすがに後手も囲うわよね?」
一之宮さんはじぶんのタブレットを確認しながら、
「あるていどかたちを決めるなら7二金、ぼやかすなら5二金左でしょうか」
と言った。どちらもありそう。
まあ、そのへんは単に順番の問題かな。
「先手は6五歩?」
「角道を開けるチャンスではありますが……やや危ないような……」
「6五歩のあと、7四歩、同歩、同飛、7三歩、7六飛で理想型じゃない?」
私はタブレットを動かした。中間部分は、適当な手で埋めておく。
私はタブレットを持ちあげて、一之宮さんにみせた。
一之宮さんはちらりとみて、
「6五歩の瞬間に4五歩がありませんか?」
と指摘してきた。
「4五歩? 3三角成、同桂……は損ね」
「さらに8五角もみえるので、先手は7四歩、同歩、同飛ができなくなります。この時点では、まだ6五歩とは開けられないと思います」
さすがはH庫の県代表。一瞬で問題点を指摘してきた。
ちなみに解説役として呼ばれているのは、九州あるいは近畿の県代表クラスと、中四国の高校竜王戦で優勝した人。私は後者の枠だ。
温田さんは、ここで長考。
ほとんど静止画状態になってしまった。
「……最初の対局にもどっても、いいかしら?」
「どうぞ」
私は、磯前vs大谷戦に画面をもどした。
【先手:磯前好江(K知県) 後手:大谷雛(T島県)】
え、こんなことになってるの?
私はおどろいてしまった。
さっきまではオーソドックスな矢倉だったのに。
「ちょっと変わったかたちね」
私のコメントに、一之宮さんはうなずきつつ、
「どういう手順だったのでしょうか?」
と確認を入れた。
「えーと……最後に見たところから、7三銀、1六香、8四銀、1八飛、7五歩、同歩、5五歩、同歩、8六歩、同銀、7五銀、同銀、同角、8六銀ね。先手の磯前さんがスズメ刺しをみせたけど、先行したのは大谷さんっていう流れ。いったん6四角?」
「6四角は4六銀と支えられてしまうので、4二角を推したいと思います」
なるほど、端攻めをされそうだし、そっちを厚くしたほうがいいかも。
本譜は一之宮さんの予想どおりに進んだ。
4二角、4六銀、2四銀。
大谷さんは積極的に指している。スズメ刺しを銀で刺しにいった。
先手からの攻めを、私はいろいろと読んでみた。
「……もしかして、先手動きにくくなってる?」
「そうかもしれません。単に1四歩では続かないような……」
一之宮さんもふくめて検討。
すぐに1四歩は、2四の銀と4二の角のシナジーで、潰れそうになかった。
うーん、磯前さん、いきなりピンチ?
パシリ
うわ、勝負に出た。
私はこの手をみて即座に、
「2七銀は?」
とつぶやいた。
一之宮さんも同調した。
「ひとめ、そう打ち込みたいところです」
羽生ゾーンってやつよね。
私はタッチペンで2七銀と打ち込む。
【検討図】
「1七飛、3六銀成……4六の銀には、いちおう角の紐がついてるわね」
「それでも4七成銀だと思います」
まあ、それはそうか。
「3六銀成の瞬間、一之宮さんなら、どう指す?」
「3七桂が第一感かと」
桂跳ね──私はタブレットを見つめたまま、考え込んだ。
2六成銀で上部を開拓していくのか、それともすなおに4七成銀とするのか。
「……後手は4七成銀〜5七歩の垂らしがあるから、攻めたほうが得かしら」
「先手に適当な反発があるのか否かが、争点になりそうです」
大谷さんも、さすがに長考している。
解説役の私たちは、ちょっと手持ちぶさた。
局面を温田vs桐野に切り替えた。
うわぁ、なんかごちゃごちゃしてる。
局面を把握するまで、すこし時間がかかった。
「4六同歩に4五歩の狙い?」
「はい。以下、同桂、5六銀だと思います。後手は2五飛と走るしかないのでは?」
それっぽい。2六歩は同角とできるから無効だ。
「先手も怖いかたちになるわね」
「後手も居玉のままでは戦えなさそうです」
それはそう。最悪なにかのときに5三角成から一気に寄りそうだ。
とくに、さっき読んだ2五飛の走りで、飛車の横利きがなくなった場合は。
パシリ
桐野さんは4六同歩と取った。
以下、4五歩、同桂、5六銀、2五飛、4八金直。
温田さんは自陣を整備した。
桐野さんも6二玉で居玉を避けた。
パシリ
……え? 切った?
「切ってもだいじょうぶなの?」
一之宮さんも、今回は即答しなかった。
「……4五同飛〜4七銀がみえますね。ただ先に7七角成かもしれません」
「角切り?」
露骨に8五桂ってこと?
それは飛車のほうを逃げられて、9七桂成、同香で意味がないような?
「7七角成、同飛、8五桂よりも4五飛のほうが厳しくない?」
「それは3七銀で受かってしまいます。7七角成、同飛、4五飛、3七銀、6五飛のスライドを狙うのは、いかがでしょうか。後手は角銀交換で損ですが、4六の拠点と飛車の働きでカバーすることは可能かと思います」
……あ、理解した。
うーん、私が対局者だったら、これは思い浮かばなかったかも。
やっぱりレベルが高い。
本譜もそのとおりに進んだ。
ここでまた動かなくなる。
「磯前vs大谷にもどってもいいかしら?」
一之宮さんが了承してくれたので、そちらへ切り替え。
むむッ、けっこう進んでる。
私は棋譜を確認した。
「最後に観たところから、2七銀、1七飛、3六銀成、3七桂、4七成銀、4五歩、5七歩、同銀、5八成銀とすり込んだところね……4四歩?」
「はい、角は逃げないと思います」
「同金、4五歩で拠点をつくって、4三金引みたいな感じか……」
私はお茶を飲んだ。
そのタイミングで、ヘッドフォンにスタッフの声が入った。
《選手紹介もあるので、すこしコメントをいただけると助かります》
ぐぅ、人使いが荒い。プライベートにふれるのはダメよね。私は思案した。
間をもたせるため、磯前さんの選手情報をひらく。
磯前 好江
出身地:K知県
学 校:南国水産高校(3年生)
戦 歴:2010〜2011年度中学県代表
2013〜2014年度高校県代表
趣 味:釣り
「過去4回県代表は、さすがよね」
「5回以上はいませんから、最多ですか」
私はうなずき返した。もちろん、磯前さんだけが4回というわけじゃない。県代表4回は、女子のなかに3人いる。それに、県代表の回数が少ないからと言って、弱いということにはならない。学年次第なところもある。
このあたりの仕組みは、ちょっと説明が必要だと思う。日日杯に出場できる選手は、全国学生将棋トーナメント(中学の部or高校の部)の全国大会経験者だ。まず、4月から5月にかけて、全国の各ブロック代表を決める個人戦がおこなわれる。このブロックは、市町村単位なこともあれば、いくつかの市町村が合わさっていることもある。私の出身地の駒桜市は、単体でひとつのブロックになっていた。
このブロック代表になった選手は、それぞれの都道府県で県代表(あるいは都代表、府代表、道代表)を争う。この代表選抜戦が、だいたい7月下旬。そして8月に、全国大会が開催される。この全国大会に出場した選手が3年に1度、日日杯へ招待されるわけだ。但し、日日杯自体は非公式戦のイベントで、招待選手も、中国地方5県、四国地方4県に限定されていた。近畿勢や九州勢からは不満の声があがっているという噂も、ちらほら。でも、出資している囃子原グループがそう決めているのだから、仕方がない。
「磯前さんの将棋について、なにか印象は?」
おっと、私があんまり考え込んでいるから、一之宮さんに催促されてしまった。
「うーん……パッと一手で釣り上げてくる将棋、かな」
磯前さんの趣味にひっかけてみた。
一之宮さんもクスリとして、
「言い得て妙ですね。磯前さんは、そうとうな釣り好きと聞きます」
と添えた。
いやあ、釣り好きっていうか、釣りキチのレベルだと思う。週末は絶対に釣りをしているらしいし、水産高校だし、大学も水産関係がいいと言っていた。いまも、釣り用のジャケットで対局している。アウトドア派なのよね。私も元陸上部だから、将棋=完全インドア派というのは偏見。まあ、そういうひとも多いけどさ。
私はそんなことを考えつつ、大谷さんの情報に切り替えた。
大谷 雛
出身地:T島県
学 校:観音高校(3年生)
戦 歴:2010・2012年度中学県代表
2013〜2014年度高校県代表
趣 味:八十八ヶ所巡り、読経、座禅
うーん、この……非・女子高生オーラ……。
「大谷さんも県代表4回だから、やっぱりここが最初の大一番かな」
「大谷さんのご印象は?」
「……仏教系女子?」
いや、そういうグループがいるのかどうか分からないけど、大谷さんは間違いなく、そうだと思う。今日もお遍路さんの格好で来てるし……でも、礼儀正しいし、そこ以外は普通かな……多分……見た目は、すっぴんでもカッコいい、ボーイッシュ(?)なタイプ。ソフトボール部のピッチャーを兼任していて、彼女もアウトドア派。
パシリ
駒音が聞こえた。
私は盤面タブにもどす。
4四歩が指されていた。
同金、4五歩、4三金引と進んで、ここまでは解説どおり。
「ここでいったん角を逃げるか、それとも……」
パシリ
ん?




