421手目 ナルの夏休み
※ここからは、ナル視点です。
俺は犬だ。名前はナルだ。
今朝は、ご主人さまの香子がなかなか出てこない。
これはアレだな、なつやすみというやつだ。
なつやすみになると、俺と遊んでくれる時間がふえる。
ずっとなつやすみにならないのだろうか。人間の生活は、よくわからん。
……………………
……………………
…………………
………………ん、香子の足音がきこえる。
ガラガラ
「ナルぅ、散歩いくわよ」
天にものぼる心地とは、このことだ。
俺は香子にとびつく。
いてて、首輪が締まった。
「ちょっと、落ち着きなさい」
「ワンワン!」
香子は犬小屋からひもをはずした。
俺は門のほうへグイグイ行く。
「もぉ、落ち着きなさいってば」
道路に出て、いつもの散歩コースへ。
近所の公園にむかうのだ。
太陽を浴びながら、自由を満喫する。
しばらく歩いていると、向かいからひとりの少女があらわれた。
ご主人さまの香子は、
「あ、ヨッシー、おはよ」
と言ってあいさつした。
俺もあいさつしておくか。
「ワン!」
「あ、香子ちゃん、おはよう。ナルちゃんもおはよう」
しっぽを振ってアピールしておく。
この少女は、ヨッシーというらしい。名前が変わってる。
「ヨッシー、最近どう?」
「夏休みになったから、ゆっくり勉強できてうれしい」
「マイペースが一番よね」
「そういえば、香子ちゃん、都ノが第一志望で決まったの?」
「オープンキャンパス次第かしら。八ツ橋と迷ってる」
「そっか……どちらにしても東京なんだね」
なんの話だ。ぜんぜんわからん。
俺も会話に混ぜてほしい。
「ワンワン!」
「こら、ナル、吠えちゃダメ」
「アハハ、ナルちゃん、今日もかわいいね」
かっこいいと言ってくれ。
「それじゃ、香子ちゃん、ナルちゃんのお散歩の邪魔しちゃ悪いし、またこんどね」
「ごめん、またね」
「ワン!」
よし、公園へ向かおう。
黒くてカタい地面は熱い。日陰を歩く。
ここの白いシマシマ模様を渡って……ん、だれか来たな。
死んだ魚のような目をしている、色白の少女だ。
「あら、飛瀬さん、おはよ」
「裏見先輩、おはようございます……」
少女は、ちらりと俺のほうをみた。
うーん、なんか気になるな。くんくんくん。
「こらッ、ナル! なにやってるのッ!」
むりやりひっぺがされてしまった。
足の匂いを嗅いだだけなのだが。
そのあたりの人間とは、なんだかちがう気がしたぞ。
「飛瀬さん、ごめんなさい」
「いえ……地球の犬にはよくやられるので……」
「そ、そう……今日は、どうしたの? このあたりで会うの、珍しくない?」
「たまには知らない場所を歩いてみようかな、と……」
いい考えだ。散歩のルートはたまに変えたほうがいい。
「このへんは道が狭いから、気をつけてね」
「はい……では、また……」
よし、先を急ごう。
白いシマシマを渡ると、すこしだけ広い道に出た。
ここは車が行ったり来たりしているから、あぶないのだ。
あいつらは、いくら吠えても無視してくるからな。恐れを知らないらしい。
さらに歩いて、また白いシマシマがみえた。赤い光のまえで待つ。
暑い──むッ、この匂いはッ!?
「ニャ、裏見さん、おはようございます」
変わった服装の女が出てきた。
こいつはアレだ。なぜか俺が人間になれたとき、ばったり出会ったやつだ。
「猫山さん、おはようございます。買い出しですか?」
「ええ、そうです」
女は俺を見た。
ここは威嚇するぞ。
「ワンワンワン!」
「ちょっと、ナル、やめなさい」
俺は、ほっぺたをモミモミされてしまう。
「めッ……猫山さん、すみません、ふだんは吠えないんですけど」
「いえいえ、ところで裏見さん、猫は飼われないんですか?」
「猫ですか? ……うちでは検討したことないです」
「ニャハハ、もっとも、人間が猫を飼っているのか、それとも人間が猫に飼われているのか、よくわかりませんけどねぇ。犬とちがって、猫は自由を放棄していないので」
あのな、俺たちだって自由を放棄してるわけじゃないんだぞ。
俺たちは人間と、持ちつ持たれつの関係なのさ。
「ウーッ」
「こら、ナル、どうしちゃったの? ……すみません、ナルの機嫌がちょっと悪いみたいなので、このあたりでお邪魔します」
「ではでは、これからも喫茶店八一をごひいきに」
俺たちはもういちど、白いシマシマを渡る。
ようやく公園に到着だ。
ここは木がいっぱいあって、大きな水たまりもあるから涼しくていい。
俺は元気いっぱいに、公園へ入った。
仲間がいるな。
まずは、でっかくて白いやつにあいさつする。
「ワン!」
「バウ」
次は、あっちのかわい子ちゃんにあいさつしよう。
「ワン!」
「……」
おーい、無視しないでくれ。
それから俺は、香子といっしょに公園をぐるりと一周する。
なつやすみだから、人間のこどももいっぱいいるな。
そろそろ一周というところで、ひとりの男とばったり出くわした。
「あ、松平じゃない。おはよ」
「おっと、裏見、おは……」
「ワンワンワン!」
男はめんどくさそうに頭をかいた。
「ナルぅ、おまえはいっつも俺に吠えるよな」
おまえは香子を狙ってるふしがあるからな。
ご主人さまを守るのは忠犬の義務だ。
「ワンワンワン!」
「こーら、ナル……松平ってば、ナルが嫌いな整髪料でもつけてるんじゃないの?」
「そう言われても、俺の責任じゃないからなあ」
「ま、それもそうか。ところで、受験勉強のほうは、どう?」
「まあまあだな。裏見は?」
「んー、とりあえず判定は、Aで安定してきた感じ」
なにか深刻な話をしているようだ。
俺はすこし黙る。
「裏見は、もう都ノで確定させるのか?」
「オープンキャンパス次第では、八ツ橋に変更する可能性もあるかな」
「マジか? 八ツ橋は文科系大学だから、俺は選択できないんだよなあ」
「ふーん……松平、わりとマジメに考えてるのね」
「正直、都ノの工学部はふつうにいいな、と思ってる」
「そうなんだ……」
おい、ちょっと待て。
なんだこの雰囲気は。
俺の居場所がない。
「ワンワンワン!」
「っと、ナルが散歩したがってるわね。じゃ、松平、またあとで」
「ああ、日射病には気をつけろよ」
こうして、俺たちは公園を無事一周。家路につく。
帰り道は、だれとも会わなかった。これはこれで退屈だな。
俺は人間がキラいじゃない。ただ、怖い人間もいるという、それだけのことだ。
犬小屋にもどり、水をもらう。
今日も暑くなりそうだ。お昼寝しよう。Zzz……
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
次回から、いよいよ日日杯編が始まります。
途中で大会に関する説明が何度か変遷しましたが、
最終的に3泊4日制でおこなうことになりました。
男女別の総当たりなので長丁場になると思いますが、
今後ともお楽しみいただけますとさいわいです。
なお、女子1回戦はプロローグと多少かぶる描写があるかと思います。
その点はご寛恕ください。
引き続きよろしくお願いいたします。




