414手目 壮行会
※ここからは、捨神くん視点です。
ドアをあけると、いかにもな大衆食堂。
左手に4人がけのテーブルが3つ、右はカウンター。
奥には仕切りのない座敷があって、長テーブルが2つ、縦に並んでいた。
けっこう大きいお店だね。サラリーマンとかが忘年会に使うのかな。
僕たちが到着した時点で、みんな先に飲食を始めていた。
魚住くんは、
「そりゃないんじゃないの」
と、半分あきれぎみ。御城くんは、
「こんなもんだろ。待ち合わせ時間も決めてなかったしな」
と言って、席をさがした。
もうだいたい埋まっていて、入り口に一番近いテーブルしか空いていなかった。
入り口そばのカウンター席に、大文字くんが座っていた。
僕たちに気づいて、
「おお、遅かったな。もうそこしか空いてないぞ」
と言った。
ちょうど4人分が空いてるから、むしろぴったりでいいよね。
僕たちは腰をおろす。
店内を確認──おなじ学校か、おなじ地域で固まってるね。
僕たちの席の組み合わせは、めずらしい感じかな。
不破さんはメニューをひらいて、
「師匠、なに食べます?」
と聞いてきた。
僕は横合いからのぞきこむ。
「……あ、ほんとにふつうの食堂なんだね」
「ですね。定食か丼か……うどんもあるのか。どうします、師匠?」
「不破さんが先に決めていいよ。御城くんと魚住くんは?」
僕の質問に対して、御城くんは即答した。
「俺はエビフライ定食にする」
「あれ? メニューみなくていいの?」
「紫水館は遠征のとき、たまにここを使ってる」
あ、そうなんだ。けっこう有名なお店なのかな。
魚住くんは来たことがないらしく、メニューを受け取った。
「んー……御城のあんちゃん、なにがおいしいの?」
「基本的になんでもイケるぞ。うな重は食べたことないから知らんが」
「そっか……うーん……うなぎは絶滅危惧種だからなぁ、おいらもやめとく」
さすがは魚住くん、水産資源に配慮してるんだね。
けっきょく、魚住くんはカツ丼にした。
僕はそのあいだ、壁のメニューを確認。こっちでもいいよね。
「……たぬきうどんにするよ」
「師匠、あいかわらず少食ですね。あたしは天ぷらうどんにします」
カウンターのおじさんに、不破さんが元気よく注文。
それから雑談タイムに入った。
最初に口をひらいたのは不破さんで、
「いやぁ、最後の決勝、あたしが出たほうが粘れたんじゃないかなぁ」
と、ちょっと皮肉っぽい発言。
御城くんはコップに水をそそぎながら、
「不破は準決勝で早乙女に負けたんだろ」
と、ストレートな物言い。
不破さんはうしろにふんぞりかえって、
「わかってるって。ジョーダンだよ。ところで、御城は日日杯へ観戦に来るのか?」
「俺は解説で呼ばれてる」
へぇ、そうなんだ。
これは僕も初耳。
ほかにだれがいるのか、知りたくなった。
「解説のひとがいるの? 御城くんだけ?」
「ん? 捨神は聞かされてないのか?」
「ううん、なにも」
「県大会優勝経験者で、かつ、日日杯に出場資格がないやつは、全員呼ばれてるらしい」
つまり、全国高等学校将棋トーナメント以外の大会で優勝したひと、だね。
H島だと、高校竜王戦の優勝者。
「……あ、じゃあ、裏見先輩も呼ばれてるのかな?」
「かもしれん」
「アハッ、じゃあ、御城くんに僕の将棋を解説されちゃうかも」
「担当しないとは言い切れないが……しかし、今日の将棋ではっきりわかった。俺と捨神のあいだには、やっぱり1段ほど差があるな。おまえのほうが強い」
どうしたんだろう、なんだか急な告白──と、料理がきた。
僕と不破さんのおうどんが先だった。
御城くんと魚住くんは、お先にどうぞ、と言ってくれた。
それじゃ、いただきます……うん、おいしいね。
不破さんも気に入ったみたいで、ズルズルすすっている。
そのうち御城くんたちのメニューも出て、しばらくは食事タイム。
「……ふぅ、おいら、カツ丼注文して正解だった。肉が厚かったよ」
魚住くんはお腹をポンポンとたたいて、水を飲んだ。
「ところで、捨神のあんちゃん、自信はどれくらいあるの?」
「自信って?」
「優勝する自信」
僕は箸をおいた。なんて答えようか。
嘘はあんまりつきたくない。
「……そうだね、優勝できないことはない、と思う」
「昴くんはどう? 決勝トーナメントに残れそう?」
急に六連くんの名前が出て、その場の空気が変わった。
魚住くんも失言だと思ったらしく、
「あ、ごめん、今のはナシ」
と謝った。
べつにいいと思うんだけど。六連くんも優勝候補だよ。
ただ、彼がほんとうに将棋とむきあってるなら、ね。
それにしても、なんだか妙な間ができた。
気分なおしに水を注ごうとすると、横合いから緑色のビンがのぞいた。
炭酸水がグラスにそそがれる。
みると、大伴くんだった。いつものスーツ姿。
「ふつうならビールでもそそぐんだろうが、この場は炭酸水でかんべんしてくれ」
「アハッ、ありがとう。大伴くんもおつかれさま」
大伴くんはビンを片手に、
「優勝、おめでとな。まあ、俺を1回戦で倒したんだ。優勝してもらわないと困る」
と言った。
それから、すぐに御城くんのほうへ顔をむけた。
「御城は惜しかったな。とちゅうはイケてたかと思ったが」
大伴くんのなぐさめに対して、御城くんはそっけない態度だった。
「いや、そもそも中盤の形勢判断がおかしかった。俺の攻めは切れてたよ」
大伴くんは大伴くんで、茶化さなかった。
「俺にはレベルが高すぎてわからないが、おまえがそういうんなら、そうなんだろうな。じゃ、捨神、俺は顔を出せるかどうか未定だが、がんばれよ」
「うん」
これをみて、カウンターの大文字くんも動いた。こちらに大柄な体をむけた。
「俺からも祝杯だ。今日の準決勝は、捨神に完敗だった」
「いい勝負だったよ。ちょっとヒヤリとする局面があったし」
「ハハッ、お世辞でも、そう言ってもらえると助かる」
それから何人かのひとに、お祝いをしてもらった。
場の雰囲気が、だんだんと弛緩してくる。
カウンター席の月代さんが立ち上がった。
「えー、それではお楽しみのところ、もうしわけございませんが、ここでH島県支部長の月代から、あいさつをさせていただきます。本日は、おつかれさまでした。大会も無事終了しました。みなさんのご協力に、あらためて御礼もうしあげます。さて、日日杯を来月の頭にひかえ、今日は壮行会という趣旨でお集まりいただきました。今年のH島代表選手は、例年になく層が厚いと思っています。ご活躍を期待しております……では、桐野さんから、抱負をお願いいたします」
急な指名で、桐野さんは「ほえ?」となった。
となりに座っている吉備さんと神崎さんが、あいさつをうながす。
桐野さんは、お座敷の奥で立ちあがった。
「お花は、今日みんなとパーティーできて、とってもうれしいのですぅ。将棋はいっぱいがんばりますので、よろしくお願いしまぁす」
桐野さんらしいや。
次は西野辺さん。
「今日は、壮行会をひらいていただき、ありがとうございます。日日杯はできるだけいい将棋を指せるように努めてまいりますので、応援のほど、よろしくお願いいたします」
流暢だね。
西野辺さんって、じつはどこかのお嬢さんらしいけど、あんまりそうみえないよね。
今も東雲さんと、なにか言い合ってるし。
たぶん「もっと気合入れろよ!」「うっさい」とかかな?
女子の最後は早乙女さん。
「あまり変わりばえのしたコメントもできないのですが……とりあえず、日頃は指せないメンツで指せることを、うれしく思っています。勝敗よりも内容を重視して、と言いたいところですが、いい将棋を指せば自然と結果はついてくるはずですので、いい将棋を指すことが第一目標です。それと、夏休みは、カァプの応援もよろしくお願いします」
最後のひとことが一番の推しかな。
月代さんは、僕のほうをみた。
「では、捨神くん、お願いします」
全員の視線が集まる。
こういうのは、慣れていてもちょっと緊張するね。
僕は席を立った。
「今日は、僕たちのために壮行会をひらいていただき、ありがとうございます。とても心強いです。ネット中継もされるそうなので、恥ずかしくない将棋を指したいと思います」
こんな感じかな。
僕は着席した。
月代さんがしめる。
「ありがとうございました。各選手のご活躍を祈念いたします。さて、このあとは自由解散とします。夜の8時までは開店しています。ゆっくりとおくつろぎください。おつかれさまでした」
それから30分ほど談笑したあと、僕たちはお店を出た。
H島市内に住んでいないメンバーは、だいたい解散みたいだね。
そとの空気は、まだ熱っぽかった。世界は青くなり始めている。
不破さんは大きく背伸びをして、
「いやぁ、けっこう楽しかったですね」
と笑った。
まったく異論はない。楽しかった。
御城くんはスマホで時刻表を調べる。
「……ふむ、まあまあ本数はあるな。捨神は駅のほうか?」
「ううん、僕は公民館まえのバス停で乗るよ」
「そうか、魚住と俺は山陽本線で帰る。とちゅうまで一緒に行くか」
僕たち4人は歩き始めた。
ぽつりぽつりとした会話のなかで、僕は、
「今日はいろいろとありがとね」
と、ほかの3人にお礼を言った。
すると、御城くんは、
「感謝されるようなことはしていないがな。あと、さっきのあいさつだが、ずいぶんと他人行儀だったな。言いたいことが、ひとかけらも感じられなかった」
と、つっこんだコメントをしてきた。
「あ、バレた?」
「ピアノの大会とかでも、あんな感じのコメントが求められるんだろ」
そうなんだよね。
スピーチの型は、だいたい決まっている。
感謝、謙遜、精進、このあたりを散りばめておけばOK。
御城くんは、
「で、じっさいのところ、どうなんだ? ヤル気はあるのか?」
とたずねてきた。
「もちろん。お祭りモードでは指さないよ」
「そうか……っと、バス停だな」
僕と不破さんは、バス停のまえでたちどまった。
御城くんと魚住くんは、さよならを言って立ち去る。
ところが、すこし歩いたところで、御城くんがふりかえった。
「捨神、さっきの月代のあいさつをおぼえてるか?」
「え? おぼえてるけど?」
「今年のH島代表選手は、って言ってたよな。でも、おまえはH島の代表じゃない」
これを聞いた魚住くんは、エエッ!?という顔であわてた。
だけど、御城くんの言いたいことが、僕にははっきりとわかった。
「だね。僕は捨神九十九として出場する。それ以上でもそれ以下でもないよ」
御城くんはうなずいた。
「月代の意気込みもわかる。だけど、おまえはおまえでいろ。じゃあな」
ふたりは、駅の方角に消えた。
バスがやってくる。時刻表どおりに。
おなじルートをぐるぐると、毎日回っているのだろう。
だけど、今この瞬間に来るバスは、あの一台だけ。代わりはいない。
すべてはそうなのだと思う。かけがえのない夏休みは、始まったばかりだ。




