411手目 缶コーヒーと包囲網
※ここからは、御城くん視点です。
いよいよ決勝だ。
会場には、H島各地からギャラリーが集まっていた。
物好きが多いよな。
俺と捨神は決勝テーブルで、駒をならべる。
さっき分かれてから、一度も口を利いていない。
勝負のまえにすることじゃないしな、おしゃべりなんて。
副幹事長の寒九郎が、壁の時計を見上げている。
「……それでは、振り駒をお願いします」
俺たちはゆずりあって、俺が振ることになった。
歩を集める手つきが、ぎこちなくなってしまう。我ながら緊張か。
結果は、歩が4枚で俺の先手。
捨神は、
「チェスクロは僕の左で」
と告げた。俺はそのとおりにする。
寒九郎は、ふたたび壁時計をみつめる。
会場は静まり返った。
「……準備はよろしいですね。それでは、始めてください」
「よろしくお願いします」
おたがいに一礼。捨神がチャスクロを押す。
俺は深く息をついて、7六歩と突いた。
3四歩、2六歩、4二飛。
捨神の十八番だ。
避ける理由もない。
6八玉、8八角成、同銀、6二玉、4八銀。
問題は、どういう組み方をするかだ。一応、矢倉の予定なんだが。
捨神は棺桶美濃あたりか、おそらく。
7二玉、7八玉、2二銀、5八金右、3三銀。
9六歩、9四歩と、おたがいに端を入れる。
俺の8六歩に対して、捨神は2四歩と突いた。
飛車回りからの攻勢狙いだな。
俺はしばらく、囲いに専念することにした。
3六歩、2二飛、4六歩、8二玉、4七銀、7二銀、8七銀。
「5二金左」
ん……ふつうの美濃だな。
これでバランスがとれる、と考えてるのか。
「……8八玉」
「4四銀」
ふむ……俺は腕組みをした。盤をみつめる。
角交換型にもかかわらず、攻守の二兎を追う、と。
欲張りだな、捨神。
「となると、5四歩も突いて来くるか」
「アハッ、それは答えられないよ」
「いや、独り言だ……7八金」
捨神は5四歩と突いた。
これは一見、3一角がある。が、3二飛、7五角成、3五歩で、いい勝負だ。5二金左型でも5四歩と突ける、というのが捨神の趣向なんだろう。
この順がほんとうに成立するかどうか、俺は考えた。
……………………
……………………
…………………
………………捨神から動いてもらうほうが得か。
現局面から3一角、3二飛、7五角成、3五歩よりも、俺がなにか一手指して、3五歩、同歩、同銀、3六歩、4四銀、3一角、3二飛、7五角成のほうがいい。俺は一手多く指せている。後手は歩を持ち駒にできるが、手得のほうがデカい。
「7七桂だ」
捨神は真剣に読んでいる。
序盤早々、勝負どころになった。
パシリ
攻めてきた。
俺は同歩、同銀、3六歩、4四銀と収めてから、3一角と打った。
3二飛、7五角成、3五歩、同歩。
「きわどいね。攻めきれるかな……同銀」
俺は6五馬と寄る。
3六銀、3七歩、4七銀成、同馬。
俺がチェスクロを押すのとほぼ入れ違いに、捨神は角を打った。
「1四角」
……………………
……………………
…………………
………………端角か。
3六歩は意味がない。4八馬と引く一手だ。
捨神は、次になにを指してくる?
後手は手が広い。俺もすぐに反攻できるわけじゃなかった。
俺は1分ほど考えて、ハマりの筋がないことを確認した。
この先は捨神に打診しよう。
「4八馬」
捨神は30秒ほど考えて、2二飛と寄った。
そこか……飛車交換狙いだな。
だったら、飛車の打ち合いを前提に組もう。
「8五歩」
俺の指し手に、捨神は表情を変えなかった。
ただ、駒が指から離れた瞬間、かるくイヤな感じがした。
「……」
「……」
読み合いの時間──ちょっと張り詰め過ぎだな。
俺は顔をあげた。ギャラリーが視界に入る。
正面には、駒桜市のメンツがいた。たまに見かける顔だ。あいつは、ミノベだったか。
背後には、魚住の気配を感じる。さっきいたから、今もいるのだろう。
イヤな予感がする。しかし、正体が分からなかった。
捨神は急に息をついて、持ち駒の歩を手にした。
「これが効くかどうか、試してみるよ」
パシリ
……?
俺は腕組みをして、右手の親指をあごにそえた。
なんだこれは? 楔を打ち込んできたっぽいが──待てよ、取れないな。
同馬ができないのは当然として、同飛もできない。
かといって、取らなきゃ3九銀の割り打ちだ。
……………………
……………………
…………………
………………
俺はうしろをふりかえる。案の定、魚住が立っていた。
「魚住、ちょっと悪いんだが、缶コーヒーを買って来てくれないか?」
「え、あ、うん、いいよ」
俺は財布をとりだし、魚住にお金を渡した。銘柄を指定しておく。
魚住が「ちょいとごめんよ」と言いながら消えていくのを背に、俺は考え込んだ。
4九馬だと耐えてるか? 4九馬、6九銀、4八金(6八金右は4七角成がある)、7八銀成、同玉、4七金、3八金、同金、同馬、4七金(5八角成は必殺の8三馬)。
(※図は御城くんの脳内イメージです。)
……あまり芳しくないな。
俺は、その先を読んだ。
しばらくして、テーブルのうえに缶コーヒーがおかれた。
魚住の日焼けした腕は、すぐにひっこんだ。
俺は缶のタブを開けた。ひとくち飲む。
捨神のほうは、ほとんど動きがない。
さて、正念場になった。この3八歩は、正直見えてなかった。白状する。
しかし、これで先手が終わったとも感じない。
俺は全体の方針を決める。そこがブレたらダメだ。
3分ほど投入し、最終的な結論を出した。
パシリ
ギャラリーが若干ざわついた。
一方、捨神はさも読んでいたかのようで、
「飛車を捨てて玉頭戦、ね……了解」
とつぶやいた。
そのとおりだ。飛車はやる。その代わり、打つスペースは作らせない。
俺は8筋を拠点にすればいい。これなら飛車はいらない。
捨神は3九銀と打つ。
3八馬、2八銀成、同馬。
「6四歩」
さすがに先受けか。
つまり、後手から2筋を破る順はないわけだ。
俺は7五歩と伸ばした。
6三銀、3八馬、7二金、6八金右、5五歩、4五歩、5三金、6六歩。
王様を固めつつ、どんどん盛り上がっていく。
捨神はちょくちょく時間を使っていた。が、攻め筋を発見できないらしい。
会話をしなくても調子がわかる──捨神の言葉が、ふと脳裏をよぎった。よく言ったものだ。現に捨神は今、困っているようだった。差はそんなにひらいていないと思う。捨神の表情もいつもと同じだ。が、先手の駒組には将来性があり、後手にはない。手数を伸ばせば伸ばすほど、自然に先手がよくなる態勢だった。
捨神はほんのりと笑って、
「僕から仕掛けるしかないみたいだね……4四歩」
と開戦した。
同歩、同金。
俺は8四歩と反攻する。
同歩、8五歩、3五歩、4五歩、3四金。
「銀はくれてやる。8四歩だ」
俺は玉頭の歩を取り込んだ。
「じゃあ、もらうよ。3六歩」
8三銀、7一玉、7二銀成、同玉、8三歩成。
3八馬が活きた。
捨神はノータイムで6二玉と寄った。
ここからなんだよな、問題は。
寄せ切れるかどうか、微妙なラインだと思う。
寄せは3枚が基本。俺は持ち駒に金しかない。
「……8二歩」
「9三桂」
「駒はくれないか。だったら1六馬だ」
俺は馬を迂回させた。
捨神は4五金で、歩の除去を優先。
8一歩成、5四銀、7三と、5三玉。
入玉に切り替えてきたか。俺でもそうする。
3七歩成まで決められると、ちょっと苦しいな。
「4六歩」
俺は押し戻すことに決めた。
同金に3四馬と入る。挟撃だ。
「一見4三銀で弾けるけど、それは3五馬の王手金だね。4五金と引くよ」
6三と、同玉、4四金。
「4八飛」
捨神は攻防に打った。
4五金に同飛成の予定か? ……いや、それは同馬でいい。
後手は飛車を渡せる状況じゃない。
「同金」
俺は強く取った。
同銀、4四馬。
包囲網完成。もう入玉の芽はない。
さあ、捨神、どう受ける? それとも攻めてくるか?
俺は次の一手を待った。




