409手目 分かったこと、分からなかったこと
さて、角が死んだな。
昴が7六歩を読んでいないとは思えない。
やはり攻め合いになるか。7六歩以下は、9九龍までほぼ一直線だろう。そこで昴がなにを指してくるか、それが重要だ。7三歩成は、同桂で後手が広くなる。これはない。となると、3四歩の処理が第一感だ。角筋の邪魔になっている。3三歩成、同桂、2三角成を本線に読もう。
俺は缶コーヒーを飲んだ。ブラックでもちょっと甘い。
腕組みをして考える。昴も真剣に盤をみていた。
「……7六歩」
そこからはパタパタと進んだ。
2三成、7七歩成、同銀、2三歩、6八銀、9九龍。
昴は3三歩成とした。同桂、2三角成、同金、同龍。
俺は3七歩と叩いた。
この手は、詰めろじゃないんだよな。6九角、4八玉、3八歩成に同玉だと詰みがあるかもしれないが、ふつうに3八同金でいい。ただ、後手も詰まない。例えば、3二龍、4二金、4一角は、5一玉と強く引いてオッケーだ。下手に6二玉と逃げるのは、4二龍、7一玉、7三香が詰めろになる。
しかし、3二龍としてこないかもしれない。4二金で弾かれるからだ。だったら最初から遠距離の1二龍で当ててくるだろう。これは4二金ではなく4二香で節約できる(3二龍に4二香は弾いていないから少し怖い)。つまり、3二龍も1二龍も一長一短だ。3二龍は俺に金を使わせる代わりに、龍を逃げないといけない。手番は俺になる。1二龍は手番こそ渡さないが、4二香の安い合駒を認めてしまう。
昴は1分考えて、1二龍と入った。
俺は4二香と打つ。昴も3七銀と手をもどした。
「6九角」
「4八玉」
「切るぞ。4七角成」
押すだろ、ここは。
この手番で踏み込むしかない。
昴もこれは予期していたらしい。ノータイムで同玉。
以下、4九龍、4八歩と進んだ。
俺は3六歩に活路を求める。昴の手が止まった。
「3六歩……同銀、3五歩、2七銀で弱体化狙いですか」
俺は持ち駒をそろえながら、
「解説しても手は変わらんぞ」
と答えた。
「TCGだと、プレイ中の私語はブラフになるからダメなんですよね。見えてないカードがありますから。これも将棋のいいところ……いや、それとも悪いところなのかな。とりあえず4六銀です」
2九龍、3二金、5一金打。
ここで昴は3三金と引いた。
金桂交換? ……中央に殺到か?
それ以外に、この金引きは解釈できない。
3三同銀に4五桂が狙いだろう。かといって、取らないわけにもいかない。
俺は3七歩成、同銀を決めてから、3三同銀とした。
「5六香」
香車が先か。いずれにせよ、中央への殺到だ。
6二金直、4五桂、4四銀。
「攻撃モンスターの展開完了。5三香成」
さて……モンスター3体か。
多いのか少ないのか分からんが、将棋的には多いな。
王様が引っ張りだされることは確定した。昴は角の手持ちが2枚。
王手龍の筋を警戒する必要がある。俺は方針について考えた。
……………………
……………………
…………………
………………難しいな。
残り時間は俺が5分、昴が4分。読みきれない。
1番難解なのは、どこかで7一角が入ったケースだ。この局面が広すぎる。
俺は、昴にかたちを決めてもらうことにした。
5三同銀、同桂左成、同金、同桂成、同玉。
昴に手を渡す。いきなり7一角とくるか?
パシリ
受けた──直感的に、あまりいい手とは思えない。
ただ、手堅いとは思った。先手の頓死もなくなったからだ。
俺は息をついて、すこし落ち着く。
昴は主導権を握るのを拒否している。
もういちど手を渡す方法は、おそらくない。
「……4四香」
しかたがないので、俺から攻める。
すこしばかり変調だ。さっきの読み筋と違ってきている。
昴は5八玉と下がった。3九龍、7一角、6二桂、2四角。
予想以上にめんどくさい局面になった。
1分将棋。俺は覚悟を決める。方針のブレだけは避ける。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「4六桂」
昴はこの手を読んでいなかったらしい。
ゴリ押しだからな。たぶんすぐには閃かない。
昴も1分将棋になった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同銀」
俺は4七金と捨てる。
「え……あッ」
同歩は4八金の一手詰みだ、が、正直、いい手かどうかわからん。
金銀を渡しすぎで、俺のほうが詰む可能性もあった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
昴は同玉と取った。
4六香、5六玉。
そっちか。同玉、5四桂(攻めつつ玉頭のガード)を狙っていたんだが。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
俺は5五歩、6六玉、5四桂で、ムリやりその筋を実現させた。
7七玉、7五金。
俺は詰めろをかけた。
昴は落ち着きをとりもどしている。
右手のひとさしゆびと中指を頬にそえ、少し猫背気味に読んでいた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ
……………………
……………………
…………………
………………龍切り?
なんだこれは? こんどは俺が混乱する。
30……40……
俺は龍を取りかけた──指先から良くない感触が伝わる。
50……ピッ
ちがうッ! 罠だッ!
同金は4五桂、6四玉に4二角成があるッ!
昴のトラップに気づいた俺は、慌てて手を変えた。
ピッ、ピッ、ピーッ! パシリ!
昴はこの瞬間、わずかに悔しそうな顔をした。
俺にみせた初めての表情だった。
「最後、取りかけましたよね……5六桂」
同歩、6六香、7四玉、6五金。
もしかして、こっちでも負けか?
金銀が入り乱れるかっこうになった。
双玉詰め将棋。俺は自玉の詰みと相手玉の詰みを同時に読む。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「同金」
8五銀、同玉、8六金、7四玉、6五香。
……………………
……………………
…………………
………………勝った。
「7六歩」
昴は6五香の時点で気づいていたのかもしれない。
それとも、終盤特有の時間攻めだったのだろうか。
ノータイムで同金とした。
俺はギリギリまで読みなおす。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
パシリ
昴は腕を組み、右手のこぶしを口もとにあてた。
そのまま動かなくなる。
チェスクロは時間を刻み、アラームが鳴った。
ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ!
「負けました」
前触れがなかったので、俺は反応がすこし遅れた。
駒をそろえて一礼。
「ありがとうございました」
感想戦は、すぐには始まらなかった。
俺は缶コーヒーの残りを飲み干す。
投了図以下は、同玉、8九龍、8八金、7八銀、9六玉、8四桂、9五玉、9四歩、8六玉、8八龍まで。簡単だな。王様が詰みに効いている。
缶コーヒーをテーブルに置くと、昴が動いた。
「御城先輩、決勝進出、おめでとうございます」
……? 感想戦の滑り出しじゃないだろ、それは。
俺は次の言葉を待った。
ところが、昴は席を立ち、そのままギャラリーをかき分けて、姿を消した。
俺はあっけにとられてしまう。
次に聞こえたのは、捨神の声だった。
「アハッ、御城くん、おつかれさま」
俺はうしろを向いた。
捨神は、先に対局を終えていたらしかった。
「勝ったのか?」
「うん、決勝は僕と御城くんだよ。最後の詰みは綺麗だったね。7六歩、同金としてから8七金、同玉、8九龍、7七玉。ここで8六銀、同金とかたちをもどす。パズルみたい」
俺は後頭部をかきながら、
「いや、まあ、打った瞬間は8九龍に合駒の順しか読んでなかった」
と白状した。
捨神は腕組みをして、
「そういうことってあるよね」
と笑った。
なんで捨神と感想戦になってるんだ?
昴のやつ……まあ、いい。感想戦は義務じゃないしな。
俺も席を立つ。捨神は、その動作の意味を読み取ってくれたらしい。
ふたりでギャラリーから離れた。すみっこへ移動する。
俺は白い壁にもたれかかりながら、
「悪かったな。俺が仕留めさせてもらった」
と告げた。
捨神は表情を変えず、
「僕は昴くんに恨みがあるわけじゃないよ。ただ、これでいつものメンツになった」
と答えた。
いつものメンツ。そうだな。俺と捨神の決勝、準決勝は腐るほどやってる。
「ところで、昴くんの将棋は、どうだった?」
「どの局面から見てた?」
「4二龍と切ったところ」
「ああ……それなら、昴の表情の変化には気づいただろ」
捨神は、気づいたと答えた。
俺は質問をかさねた。
「どう解釈した?」
「昴くんでも、あいてのミスに期待してることがあるんだな、って思った」
そうだ。あれは俺のミスを期待していた。
しかも秒読みの前半は、昴の流れだった。
俺は同金としかけていたからな。最後の20秒でトラップに気づいた。
運がよかった。俺はそう振り返りながら、
「でも、それだけだったな」
と言って、会場を見回した。昴はどこにもいなかった。
捨神は急にマジメな顔で、
「そうだね。それだけだったね。けっきょく昴くんは、将棋が好きなのかな?」
と、例の質問をぶつけてきた。
「さあな……捨神はどうなんだ?」
俺の質問に、捨神はきょとんとした。
「え? 僕?」
「捨神は将棋が好きなのか?」
捨神はあごに手をあて、視線を天井にむけた。
「……好きかな。御城くんは?」
「分からん……こういう質問って、いざ自分に向けられると、困るよな。小学生の頃から惰性でやってる気もする。昴は将棋が好きかどうかなんて、答えはないのかもしれん」
捨神は「そうかもね」と答えた。
そして、こう続けた。
「じゃ、おしゃべりはここまでにしようか。次は決勝戦で」
「ああ」
捨神は、俺から離れて行った。
次は決勝。これに勝てば、日日杯に飛び入り参加できる。
ここまでくると欲が出るな。
ってことは、俺はやっぱり将棋が好きなのか、それとも名誉欲が強いのか。
自分のことだって分からない。それだけは分かった。
場所:2015年度全国高等学校将棋トーナメント(H島県予選・個人)
先手:六連 昴
後手:御城 悟
戦型:横歩取り
▲7六歩 △3四歩 ▲2六歩 △8四歩 ▲2五歩 △8五歩
▲7八金 △3二金 ▲2四歩 △同 歩 ▲同 飛 △8六歩
▲同 歩 △同 飛 ▲3四飛 △3三角 ▲5八玉 △5二玉
▲3六歩 △7六飛 ▲7七角 △7四飛 ▲同 飛 △同 歩
▲2四歩 △2二歩 ▲8三飛 △8二歩 ▲8五飛成 △2四角
▲3八銀 △5一角 ▲3五龍 △3三角 ▲2六龍 △4二銀
▲3五歩 △7七角成 ▲同 桂 △3三銀 ▲1六歩 △4四銀
▲1五歩 △7五歩 ▲7四歩 △7二銀 ▲1四歩 △同 歩
▲1二歩 △同 香 ▲5六角 △2三角 ▲3四歩 △7六歩
▲6五桂 △7七歩成 ▲同 金 △8九飛 ▲7八銀 △7九飛成
▲2四歩 △7六歩 ▲2三歩成 △7七歩成 ▲同 銀 △2三歩
▲6八銀 △9九龍 ▲3三歩成 △同 桂 ▲2三角成 △同 金
▲同 龍 △3七歩 ▲1二龍 △4二香 ▲3七銀 △6九角
▲4八玉 △4七角成 ▲同 玉 △4九龍 ▲4八歩 △3六歩
▲4六銀 △2九龍 ▲3二金 △5一金打 ▲3三金 △3七歩成
▲同 銀 △3三銀 ▲5六香 △6二金直 ▲4五桂 △4四銀
▲5三香成 △同 銀 ▲同桂左成 △同 金 ▲同桂成 △同 玉
▲3九歩 △4四香 ▲5八玉 △3九龍 ▲7一角 △6二桂
▲2四角 △4六桂 ▲同 銀 △4七金 ▲同 玉 △4六香
▲5六玉 △5五歩 ▲6六玉 △5四桂打 ▲7七玉 △7五金
▲4二龍 △6四玉 ▲5六桂 △同 歩 ▲6六香 △7四玉
▲6五金 △同 金 ▲8五銀 △同 玉 ▲8六金 △7四玉
▲6五香 △7六歩 ▲同 金 △8七金
まで136手で御城の勝ち




