399手目 腕力勝負
御城先輩は7六歩と突いた。
動揺してる気配は、まるでない。
さっきまでの会話は、過去のものになる。
「8四歩です」
御城先輩は前髪をさわりながら、
「角換わりにするか、矢倉にするか……」
と言い、しばらく盤をみつめた。
そして、2六歩と突いた。
角換わりか──
8五歩、7七角、3四歩、6八銀、6二銀。
「ん?」
御城先輩の手が止まる。
僕が角交換をしなかったことをあやしんでいる。
「……2五歩」
僕は3二金と合わせた。
「なるほどな。俺に選択権はない、と」
さすがに気づいたね。
御城先輩は定跡重視タイプだ。
とくに角変わりは県内トップクラス。ここはハズさせてもらう。
すくなくとも後手からは交換しない。
「力戦を希望か。べつにいいがな。7八金」
7四歩、2四歩、同歩、同飛、7三銀。
「俺から交換もないぞ。6六歩」
ふーん、先手も角交換拒否なんだ。
ムリヤリ矢倉? ……いや、雁木か?
たまたま6八銀とあがっていたから、雁木に組み替えは可能だ。
僕は4一玉でようすをみる。
すると、予想どおりに6七銀と立ってきた。
うーん、このへんはさすがだ。
用意してきた作戦は、ほぼほぼパーになった。
とはいえ、力戦は力戦。ここからは構想力勝負。
5二金、5八金、4二銀、4八銀。
ここで先手の飛車を撤退させる。
「2三歩」
「ずいぶんタメたな。2五飛」
高飛車だ。狙いはなんだろう。7筋に利かせた?
3三桂でバックさせることもできる。
それを誘ってるのかな。
ただ、この状況で桂馬を跳ねると、争点を作りかねない。
「3一玉です」
4六歩、8四銀、9六歩、5四歩。
御城先輩は、9四歩と突き返されなかったことをいぶかしんだ。
「7筋からか?」
さすがに答えない。
まあ7五歩の予定なんだけど。
先手は居玉だ。右玉も視野に入れていそうな布陣。
でも、3六歩を突いていない。すぐに3七桂〜2九飛のかたちはとれない。
「4七銀」
うーん、居玉を維持してきた。
僕は1分使って、7五歩を再検討する。
……………………
……………………
…………………
………………攻めるか。
「7五歩」
御城先輩は、ふたたび前髪をさわった。
どう受けてくるか、ある意味楽しみではある。
ここまでは僕がオーソドックスな攻めの態勢。
先手は変わったかたちになった。
御城先輩は急にうしろをふりかえると、
「すまん、だれか缶コーヒーを買ってきてくれないか?」
とたずねた。
ギャラリーは目配せし合う。
紫水館の生徒がまえに出た。御城先輩は150円を渡した。
「ブラックで」
生徒は人垣をかきわけて消えた。
僕はなんの気なしに視線を送る。
御城先輩はこの視線をとらえ返して、
「悪いな。古谷のように先に買っとくんだった」
と言い、それから8八角と引いた。
手損を選択か……これ、居玉のままだから、先手はやりにくいんじゃないかな。
棋理的には、僕のほうが指しやすいはず。
僕は7六歩の取り込みを読む。
……………………
……………………
…………………
………………飛車の横利きが邪魔だ。
「4四角」
次に3三桂を狙う。
ところが、御城先輩は予想外の手を指してきた。
「7七金」
御城先輩はひとさしゆびでチェスクロを押した。
「……」
「……」
僕は静かに読む。
そのうち、買い出しの生徒が帰ってきた。
御城先輩は缶コーヒーを受け取り、タブを開けた。
軽いアルミの音。僕は盤面に集中する。
……………………
……………………
…………………
………………7六歩が成立してない?
いや、そんなはずは……でも、僕の読みでは成立していない。
攻めのタイミングを逸した気がする。
先に7六歩、同銀、7二飛、7七金と決めてから4四角だったかも。
本譜は、御城先輩が先受けできている状態だった。
力戦に持ち込めば、というのはやっぱり甘かったか。
「……9四歩」
「手待ちにみえるな……2八飛だ」
3三桂、5六歩、5三角、5五歩。
反撃された。
でも、先手はかたちが良くない。
これは事実だ。翻弄されないように注意。
棋理的には僕のほうがいいはず。ソフトにかけたら後手持ちの自信があった。
5五同歩、6五歩、7三桂、7八金。
いきなりの受けか……先手陣はムリができない、という自白。
僕はここで1分使い、8六歩と突いた。
「5四歩」
拠点を作りにきた。僕は4四角と出なおす。
御城先輩は8六同歩と手をもどした。
4五歩とはしてこなかったか。
8筋を手抜いて4五歩もありだった気がする。
「7六歩」
「4五歩」
んー、このタイミング──どうものらりくらりしてるな。
押したり引いたりのゲームになってる。
「同桂」
御城先輩は4六銀と立った。
桂馬が死んだ。けど、これはむしろチャンスだ。
「5七桂成」
捨てる。
御城先輩は、缶コーヒーをテーブルにおいた。
「5六歩の決戦じゃないんだな」
「それ狙いの4六銀でしたか?」
4六銀のところでは、代わりに4六歩、5七桂成、同金が本線だったと思う。
4六銀は、僕に5六歩のチャンスをくれた手だ。
つまり、5六歩からの角交換を誘ったのが4六銀だと、僕は読んだ。
御城先輩は澄まし顔で、
「どう解釈してもらってもいい」
と言ってから、5七同金と取った。
僕は7五銀と力強く出る。
シンプルな攻めになった。
御城先輩は5六歩の当たりを避けて、4七金。
僕は7七歩成、同桂、7六歩と押し込む。
「すこし反撃させてもらうぞ。3六桂」
ん……2四歩、同歩、同桂の準備?
角当たりだから一回対応するしかない。
僕は3三角と引いた。
8五桂、6五桂と跳ね違える。
むずかしくなった。争点が多い。
御城先輩は右手の中指をこめかみにあてて、テーブルにひじをついた。
残り時間は、おたがいに15分。
寄せをミスしたほうが負け。それを読む時間はたっぷりある。贅沢な終盤になった。
僕は7七歩成を中心に読んだ。
御城先輩が読んでいるのは、2四歩だろう。
2四歩は手抜けないんだよね。7七歩成よりも2三歩成のほうが速いから。
ここは一回受けにまわる展開になりそう。
「……2四歩」
僕はノータイムで取った。
「ずいぶんせっかちだな」
「次の手が広いので、早めに見せてもらったほうが得かな、と」
「なるほど……ちなみにこれだ」
パシリ
んー、そうきたか。
5六歩の緩和だ。
この手を指してきたってことは、御城先輩も決戦はイヤなわけだ。
もしかすると、このあと受けて来るかもしれない。
ここも手が多いから迷うな。
怖いのは、4四同歩、5五角、6四歩、4四角の飛び出し。
以下、同角、同桂が両取り──あ、4四角の時点で無視すればいいのか。7七歩成、7一角成、6七とのとき、さすがに同金だよね。仮に8二馬なら、5八銀、同飛(4八玉は6六角の飛び出しが王手)、同と、同玉、2八飛かな。
(※図は古谷くんの脳内イメージです。)
さすがに先手が悪そう。それでもまだむずかしいけど。
とりあえず、4四同歩に5五角はそこまで怖くない、と。
2四桂も当たりはキツくない。2三金と上がったあとが続かないからだ。
やっぱり受けてきそう。
「同歩です」
御城先輩は30秒ほど考えて、4九玉と寄った。
いまさらながらの居玉解消。
評価がむずかしい。
団体戦っぽいヒヨリともとれるし、こっちに指して欲しいともとれる。
……………………
……………………
…………………
………………後者っぽいな。
まずこうしよう。
パシリ
「ん、そうくるのか?」
御城先輩はロダンの銅像みたいに、すっかり考え込んでしまった。
僕はここでペットボトルを開ける。一服。
ほんとは窓辺でリフレッシュしたいくらいなんだけど。
ギャラリーが多すぎて、席を立てないんだよね。
気分転換のチャンスもない。
だんだんと息苦しくなってくる。
御城先輩はようやく顔をあげた。
「……攻めるしかないか」
先輩はそう言って、2四桂と跳ねた。
「同角」
角桂交換でいい。飛車を上にひっぱりだす。
同飛、7七歩成、同金、4五歩、5五銀。
僕は桂馬をおろす。
挟撃。2筋からの脱出口を封じた。
御城先輩は冷静に4八金。
じょじょに網をしぼっていく。
7七桂成、同角、7六歩、8八角。
んー、全面的に押さえ込めそうかな。だったら──
「3三銀」
飛車もついでに追い回す。
2六飛、2五歩、5六飛、6五金、5九飛。
玉飛接近に追い込んだ。あとは王様を包むように──とはいえ、微妙だな。
4七歩と打てれば簡単なんだけど。
先手陣は見た目がめちゃくちゃなのに、意外と耐久力があった。
「……4六歩」
わざと取らせる。
同銀、4七歩、3八金、7七歩成、同角、7六銀。
「5筋がガラ空きだ。5三歩成」
それは承知してます、なんて、面と向かって言うわけもなく。
あとは玉形の差で押し切る。
考えているのは、6七銀成、4三と、5八歩の攻め合い。
(※図は古谷くんの脳内イメージです。)
先手は2択。攻めるか、受けるか。攻めから読んで来そうだ。そもそも受けるなら飛車を逃げる手しかないからね。まず、3三角成みたいに角が突っ込んでの詰めろ(3二と、同飛、2三桂以下)は、5九歩成で先手の負け。角が退いた時点で、先手玉は詰む。
次に、3三とも大丈夫そうかな。5九歩成、同角、4八銀、同金なら、同歩成、同角、5八金、3八玉、4八金、同玉に6八飛と離して打って詰み。以下、3九玉、2八角、4九玉、5八飛成まで。だから、4八銀には同金じゃなくて同角で、同歩成、同金、4七歩の詰めろをかける。あるいは、4八銀じゃなくて5八銀、3九玉、5九銀不成の詰めろのほうがいいかもしれない。
というわけで、本命は3二と、だ。この場合は同飛でよさそう。そこで7九飛と手順に逃げるのは、4八銀、同金、同歩成、同玉、7七成銀のとき、同飛と取れない。取ると5九角で王手飛車。
(※図は古谷くんの脳内イメージです。)
あとひとつ気になるとすれば、3二と、同飛に4三桂の王手。
これは2二玉と逃げて大丈夫なんじゃないかな。
以下、追い回されても詰まない。
ここで僕の残り時間が5分を切った。潮時かな。
いずれにせよ、主導権を渡された状況だ。応じる。
「6七銀成です」
御城先輩は10秒ほど考えて4三と。
僕は敵陣にむけて、まっすぐ手を伸ばした。
「5八歩」




