389手目 やってきた県大会
※ここからは飛瀬さん視点です。
というわけで、光ちゃんの長い長い弁明も終わり──県大会です。
全国高等学校将棋トーナメント。47都道府県の覇者を決める、最大の公式戦。
そのH島予選が、いよいよ開幕する。今年は夏休み初日が団体戦、2日目が個人戦。
会場はH島の公民館。
こぎれいな控え室は、県内からあつまった高校生でにぎわっていた。
白いテーブルがならんでいて、各校で場所とりをしている。
ほとんどの生徒は制服姿で、なんだか展覧会みたい。
私たち駒桜市立は、窓際のいい席をとれた。近隣の自治体さまさま。
清心の佐伯くんたちとは同席。男女別で利害関係がないからね。
ただ、佐伯くんたちはすぐに練習をはじめた。
私たちも最終調整に入っていて、話したりする時間はなかった。
10秒将棋でまわす。いまは私と馬下さんの対局。
遊子ちゃんはとなりで棋譜とにらめっこしながら、
「……やっぱりプランAでいくしかないかな」
とつぶやいた。
プランAっていうのはオーダーに関する暗号。
遊子ちゃん→私→馬下さんでならべる。
と言っても、オーダーのならびはほとんど読めないんだよね。
キーポイントは、馬下さんがセンターだと威圧感がないかな、と。
そのあたりは遊子ちゃんの提案。
ピッ、ピッ、ピーッ!
「負けました」
馬下さんが投了。
勝ち抜けだから私がアウト、遊子ちゃんがイン。
すぐに対局がはじまって、私は観戦。
これ、福留さんと赤井さんにも、定刻どおり来てもらったほうがよかったかな。
とはいっても、あのふたりとはけっこう棋力差がある。
裏見先輩がいれば一番いいんだけど、模試でいなかった。
しょうがないから、じっと観戦する。
「……」
「アハッ、飛瀬さん、熱心に観てるね」
っと、この声は──ふりかえると、捨神くんが立っていた。
空色のシャツにぶかぶかの白いロングパンツを履いていた。
あいかわらず尊い。朝一なので拝んでおく。
「ど、どうしたの? 僕はまだ幽霊じゃないよ?」
「なんとなく……あれ? 個人戦はあしただよね?」
「うん、僕の出番はあしただけど、せっかく県内から選手が集まってるしさ。団体戦と個人戦の両方に出る選手もいるから、偵察……あと、同郷の応援かな」
捨神くんは、ちょっと照れくさそう。
すると、さらにうしろのほうから、
「最後のやつが本音なんじゃないのか、捨神」
と、男子の声が聞こえた。
私はその声に聞きおぼえがあった。
アタリー遊園地で出会った、紫水館の御城くんだった。
やや長めのうしろ髪と、目元までかかるアシメの前髪。
夏用の黒いイージーパンツに、白いシャツを着ていた。
捨神くんは「おはよう」とあいさつしてから、
「ずいぶんとラフなかっこうだね。似合ってるよ」
と言った。
「紫水館のモットーは『自由闊達』だ……というか、おまえもラフだろ」
「ごめんごめん、べつに皮肉で言ったんじゃないよ。それにしても、大胆だね」
「そんなに崩したかっこうじゃないと思うが?」
「ううん、このスペースに顔出ししたこと」
捨神くんの指摘に、御城くんはちらりと視線を変えた。
その数メートル先には兎丸くんがいた。
抜け番になっていた彼も、御城くんを見つめ返す。
だけど、あいさつはしなかった。
御城くんはタメ息をついて、
「たまに会うと、年下とは思えないときがあるな」
と評した。捨神くんは、
「ここにいるメンバーはだいたいそうだよね」
と返した。
「まあな……そういえば、六連も来てたぞ」
捨神くんはちょっとおどろいた。
「そうなの? 団体戦の男子代表は、皆星じゃなくて黒潮だよね?」
「明日の偵察だろうな……もっとも、偵察に来たこと自体が、あいつははじめてだ」
「アハッ、これって僕の年齢で言うことじゃないかもしれないけどさ」
捨神くんはスッと笑みを消した。
「明日の決勝は、同世代対決にしたいかな、っていう気がする」
御城くんは一瞬困惑して、それからセキばらいをした。
「なんだ? 試合前の心理戦か?」
「ちがうちがう。日本の教育制度って、小中高で分離してるでしょ。1コ差ですら学校が変わるときに対局しないし、ずっとおなじ土俵で戦ってきたって言えるのは、同世代だけじゃないかな」
「おい、捨神、俺はわりと勘ぐるタイプだから、そういう発言は深読みするぞ……おまえと昴が同世代なら、一度も全国大会には出場させなかった、って言いたいのか?」
「……」
捨神くんの沈黙は、暗にイエスだと言っていた。
御城くんはなおさら不審がって、
「昴となにかあったか?」
とたずねた。
「ううん、それどころか、対局以外で話したことないんだよね、じつは」
「だったら、なんで昴のことなんか気にしてる? ……さては日日杯か?」
「……まあ、そう受け取られちゃうかな。ごめん、さっきのはナシで」
御城くんは、六連くんよりも捨神くんのほうが心配になってきたみたい。
腕組みをして、
「おれは日日杯の参加選手じゃないから、憶測だが……プレッシャーがあるんだな」
とつぶやいた。
「アハッ、たぶんにね」
「……もうひとつ深読みしていいか?」
「ハラスメントじゃなければ、御城くんの好きなように」
「昴を短期間で県代表にさせたことは、昴にとってよくなかった、と思ってるか?」
捨神くんは、なんともいえない能面になった。
それは、私たちがつきあい始めてからも、一度も解読できない表情だった。
どこか無関心で──それでいて、悲しげ。
「ちょっと昔話なんだけど、僕がはじめてピアノコンクールで入賞したのは、中2のときなんだよね。審査員賞っていって、オマケの賞だったんだけどさ。養護学校で僕にピアノを教えてくれた先生は、受賞に反対だったんだ、審査員のひとりとしてね」
「……早めの成功には罠があるってことか?」
「さすがにそうは思わないよ。中学生でプロ棋士になるのは悪いことじゃないし。ただ、あのときH島の高校将棋界は、ちょっとナメられたんじゃないかな、と思ってる」
御城くんはふかくため息をついた。
「ジャビスコ杯で捨神は負けてるだろ。昴の実力はホンモノだ」
「アハハ、さすが御城くん、痛いところを突いてくるね……うん、やっぱり忘れて」
微妙な空気がながれる。
それをやぶるかのように、入り口で声が聞こえた。
開会式の呼び出しだった。
選手は会場へ移動。公民館で一番大きなホール。
スポーツの大会とはちがって、整列したりはしない。
このへんルーズなんだよね。
でっかいポニテの女子高生、月代幹事長がまえに出た。
「これより2015年度全国高等学校将棋トーナメント、H島予選をはじめます。ルールは大会要項で配布したとおり、3人制、登録後のオーダー変更不可、30分60秒、16ブロック16校のトーナメントです」
つづいて千日手や持将棋の説明があった。
このへんは常連も多いから、みんなあんまり聞いていない。
「では、トーナメント表を発表します」
むッ……いきなり幹事長の比呂高校とか。
ここは政治的圧力に屈しないようにしないとね。
私は遊子ちゃん、馬下さんと即興でミーティング。
そのあいだも大会の運営はすすんだ。
「それでは、オーダーを提出し、対局テーブルへ移動してくださーい」
オーダーの提出は、部長の遊子ちゃんに任せる。
すでにならべられていた長机のまんなかに着席。
ちょっと遅れて、月代さんが正面に着席した。
「振り駒をお願いしまーす」
幹事長、たいへんだね。
対局しながら運営とか。
こういうのがあるから、運営と将棋の実力はわけたほうがいいと思う。
とりあえず勝って、この労苦から月代さんを解放してあげよう。
1番席で遊子ちゃんが振り駒。偶数先。
チェスクロの位置を調整し、月代さんはひざのうえに手をおいた。
「対局準備が整っていないところはありますか?」
ふかい静寂。
それまでの軽い雰囲気は消えていた。
「では、はじめてください」
「よろしくお願いします」
月代さんがチェスクロを押して、対局開始。
7六歩、8四歩、6八銀。
「矢倉か……了解」
月代さんは3四歩と開けた。
私は7七銀で決め打ち。
6二銀、2六歩、4二銀、2五歩、3三銀、4八銀、3二金。
さすがに矢倉だから速い。
おたがいにノータイム。
7八金、4一玉、6九玉、5二金、5六歩、5四歩、5八金。
月代さんはここから4四歩と突いた。
うーん、どうしよっかな。
ノリで矢倉にしたわけじゃないんだけど、いろいろ案があって困る。
とりあえず後手が変化してこないかどうか確認。
7九角、3一角、3六歩、7四歩、6六歩、9四歩、9六歩、4三金右。
これは後手、総矢倉のかまえっぽい?
だったら私のほうでかたちを決めていいってことか。
「4六角……」
「7三桂」
「!」
ちがった。後手から変化してきた。
これはなんだっけ……? そうだ、スズメ刺しにこのかたちがあった。
でも、スズメ刺しなら5二金は保留しているはず。
つまりは研究手か。
私は腰をすえて読む。
捨神くんも応援にきてくれてるし、しっかり指さなきゃね。
優勝目指して、女子高生、全力疾走します。




