388手目 捨神九十九〔編〕
ソールズベリーをあとにして、あたしは犬井くんと合流した。
そのまま駅前のバスターミナルへ移動する。H島駅は最近改修されて、ずいぶんときれいになった。駅ビルと周辺の商業施設で、欲しいものはだいたいそろっちゃう。あと、観光客が増えたよね。インバウンドってやつかな。
駒桜行きのバスに乗車。最後の目的地へ。
道中、取材の経緯を話すと、犬井くんは笑った。
「西野辺さん、またノロケ話してたのか。彼氏のことになると、いっつも変なんだよ」
そういうひとってけっこう多い気がする。
そもそも、好きなひとのことを冷静に話すって、むずかしいと思う。
「彼氏って犬井くんの友だち?」
「うん、こんど紹介しようか? H島の高校生だよ?」
あたしは迷ったけど、やめておいた。
初段あるかないかって言ってたから、高校将棋界のひとじゃないんだろうね。
よくよく考えてみたら、高校将棋界はマイナーな世界だ。その外がわにもいろんな青春がひろがっている。あたしはあらためて実感した。
車窓に映る緑がふえた。
山陽本線のルートを北にそれる。桜川という名前の川を、どんどんのぼっていく。いったん民家がとぎれ、山道に入ったかと思うと、すぐに盆地へ出た。中国山地を背景に、あたしの生まれ故郷、駒桜市の街並みがひろがった。
中四国9県をまわったあたしの旅も、もうすぐ終わり。
ホッとしたような、なんだかなごり惜しいような。
いつも使う商店街のバス停じゃなくて、もっと先まで乗る。
「つぎは、さくら学園前です」
アナウンスが聞こえて、あたしは停車ボタンを押した。
バスが止まる。あたしたちとおばあさんがひとりだけ降りた。
ちいさな商店のそばに、2階建ての施設がみえた。
門はひらいていた。中に入ると、小さなグラウンド。
右手のほうに木陰がみえた。その下に芝生がひろがっていた。
お目当の少年は、その芝生に座って、ぼんやりと空をながめていた。
あたしは声をかける。
「捨神くん、お待たせ〜」
捨神くんはそのときはじめて、あたしたちの存在に気づいた。
ふと現実に帰ってきたような顔で、
「こんにちは」
とかるく手をふった。
あたしは捨神くんの左どなりに腰をおろす。
犬井くんは、あたしのさらに左にすわった。
捨神くんはちょっともうしわけなさそうに、
「ごめんね、変な場所を指定しちゃって」
と謝った。
「いえ、選手に指定権があるので……ちなみにここを選んだ理由は?」
「ここは僕が通ってた養護学校だよ」
あ、そうなんだ……捨神くんって、過去にいろいろあったらしいんだよね。
どこまで取材するか、あたしなりに悩んでいた。
とりあえず手帳をとりだし、ひとつめの質問にとりかかった。
「将棋をはじめたきっかけはなんですか?」
「アハッ、その質問、あると思ったんだ。ちょうど僕が座っているところだよ」
「? ……座っているところ、というのは?」
「ちょうどこの場所で、箕辺くんと葛城くんに出会ったんだ*」
あ、そういう……あたしは今座っている場所が、なんだか神聖なものに思えてきた。
ちょっとおおげさかな。でも、そんなイベント、人生で何度もない気がする。
「箕辺くんたちは、どうしてここに?」
「最初は箕辺くんだけだったよ。べつの子に会いにきて、校庭でたまたま」
「なんというか……すごい偶然だったんですね」
「そう、ほんの偶然」
捨神くんの言い方には、どこかさみしげなところが感じられた。
あたしはその正体がよくわからなかった。
「すみません、もしかして『奇跡』とか言ったほうがよかったですか?」
「ううん……むしろ『奇跡』っていうのはちがうかな」
「捨神くんたちって、今でもすごく仲がいいじゃないですか。そういう友だちと出会えたきっかけが、おなじ学校に通ってたからじゃなくて、校庭でピアノを弾いてたから、っていうの、けっこうミラクルだと思うんですよね」
「僕はそういう特別な意味づけをしたくないんだよね、あのできごとに」
??? ……いかん、いつもの捨神くんっぽくない。
いつもの捨神くんなら「アハッ、葉山さん、さすがは新聞部だね、表現がうまいよ」とか褒めてもらえそうな局面なのに。
あたしの困惑を読みとったのか、犬井くんが口をはさんだ。
「捨神くん、もしかして緊張してる?」
「ううん、緊張はしてないよ。ふたりとも知り合いだし」
犬井くんのフォローも空ぶり。
こりゃ本格的によくわかんなくなってきた。
しょうがないから次の質問へ。
「ふだんはどうやって練習してますか?」
「むかしは師匠と指してたけど、今は不破さんとがメインかな」
「師匠?」
「あ、ごめん、駒込歩美っていうひとだよ」
「……あ、知ってます。っていうか、うちの高校の先輩ですね」
「へぇ、知ってるんだ。葉山さんが入ったころには、もう引退してなかった?」
「えーと……あ、思い出しました。冴島っていう先輩がいましたよね?」
「まどか先輩? 応援団の?」
「ですです、応援団の取材のときお会いして、その場で駒込先輩とも会いました**」
「なるほどね……彼女が僕の師匠なんだよ」
くわしく聞いてみると、小学生のころに鍛えてくれたらしい。
うーむ、小学生の師弟関係とは?
実力の世界だから、年齢は関係ないのかも。
「趣味はなんですか?」
「趣味……」
捨神くんは悩んだ。
即答じゃないことは、ちょっとだけ予想してた。
だって、ピアノは趣味ってレベルじゃないし、かと言って、将棋とピアノ以外になにかしてるところ、ほとんど見たことないんだよね。だから無趣味なんじゃないかな。
ワンチャン、将棋って答えが返ってくるかも。
「……家庭菜園かな」
……………………
……………………
…………………
………………マジ? ぜんぜん予想してなかった。
「捨神くん、家庭菜園やってるの? ……やってるんですか?」
「あ、葉山さん、ふつうにしゃべっていいよ。なんか変な感じがするし」
「家庭菜園が趣味?」
「うん、最近はじめたんだ。マンションのベランダで育ててる」
いいなぁ、あたしもマンションでひとり暮らししたい。
高校生で生活費もらってひとり暮らしって、最高じゃない?
なんでもできるんだよ?
と、そんなことを考えてる場合じゃなく。
「急に家庭菜園をはじめた理由は?」
「あ、うん……なんとなく」
あやしぃ。
これには犬井くんが、
「カノジョの影響なんじゃないの?」
と、危ないつっこみを入れた。
捨神くんは赤くなって、
「え? ……そんなことないよ」
と答えた。
バレバレ。やはりカノジョがいたのか。吉良くん情報のウラがとれた。
いったいだれ? 天堂の女子? それとも藤女?
「捨神くん、オフレコにするので、詳細を……」
「ダメだよ、葉山さん、おなじ街に住んでるじゃない」
うーん、だれなんだろうなぁ。
まあ、あたしが知ってる子とはかぎらないしね。
「じゃあ、最後の質問。気になってる選手はいる?」
捨神くんはすこし間をおいた。
「……K知の吉良くんかな」
「あ、やっぱり……」
「やっぱり?」
しまった、口に出しちゃった。
あとでパンフに載るし、教えちゃってもいいよね。
「吉良くんは捨神くんをあげてたわよ」
捨神くんはおどろくわけでもなく、へぇ、とだけ答えた。
「……そういう流れなのかな、あのときから」
「あのとき?」
「僕が中2のとき、全国大会で彼と当たったんだ」
「そのときのリベンジマッチ?」
捨神くんは、「ちょっとちがうかも」と答えた。
「なんていうのかな……じっさいにはまだ一度も指してないんだよ、彼とは」
えっと……事故かなにかでノーゲームだった……?
でも、吉良くんが勝ってたわよね。あとでちゃんと調べた。
ただ、吉良くんも似たようなことを言っていた。あたしはそれを思い出した。
「事故かなにかで公式記録になっていない、とか?」
「事故……そうだね、事故かもしれない」
なんだろう、この雰囲気。
捨神くんから、得体の知れないオーラを感じた。
それは、桐野さんから感じた闘気とは、ちがったなにかだった。
ここで犬井くんがたずねる。
「ねぇ、ピアノについて質問してもいいかな?」
捨神くんは我に返ったような顔で、
「それは取材として?」
と訊いた。
「ううん、純粋な好奇心として、かな」
「それならいいよ。ピアノのことは、記事にしないで欲しいんだ」
犬井くんは空気を読んだのか、どうして、とすら訊かなかった。
淡々と質問をぶつける。
「捨神くんにとってピアノってなに?」
「……むずかしい質問だね」
「うん、その自覚はあるよ」
「質問に質問を返して悪いんだけど、犬井くんにとって記者ってなにかな?」
これまたむずかしい質問だなぁ。
ひとによっては、回答拒否と受け取られそうなやりとりだった。
だけど、犬井くんはマジメに答えた。
「ほかのひとが知らない情報を得られる職業、だよ」
「アハッ、打算的な回答だね。犬井くんらしいよ。でもさ、ほかのひとが知らない情報を得るなら、今だとIT企業でもイケるよね。むしろああいう企業のほうが、マスコミよりたくさんの情報を持ってるんじゃないかな?」
「GAFAか……そういう企業の情報収集と、僕が興味のある情報収集はちがうんだ」
「どのあたりが?」
「GAFAみたいな企業が目指してるのは、顧客情報をビジネスに活かすことだよね。そのプロセスのなかで、僕が犬井良太であることに意味はないんだよ」
あたしには、犬井くんの説明の意味がわからなかった。
ところが、捨神くんは理解できたみたいで、
「なるほどね……僕が払う100円と犬井くんが払う100円は等価だからね」
と、深くタメ息をついた。
「そう、それと似てる。日日杯を例にとろうか。名局を観たいだけなら、特定の選手に注目する必要はないよね。そもそもプロかソフトの将棋でも観てればいいんだよ。だけど、捨神くんの将棋を観たいと思ったら、捨神くんの将棋を観るしかない」
「僕の将棋を観たいひとなんて、そんなにいないと思うけど」
「そうかな? 企画部では、捨神くんの対局はアクセスが多いと読んでるよ」
捨神くんは、すこしさみしげな表情にもどった。
「ねぇ、犬井くん、それはちょっとちがうと思うんだ」
「……企画部の予測がまちがってるってこと?」
「それってさ、けっきょく僕の前評判が……うぬぼれてるって思われるかもしれないど、僕の前評判が高くて、優勝候補の一角だからだよね? 名局を観たいっていうのと、なにがちがうのかな?」
「優勝候補の一角だっていう自覚はあるんだね」
「一応、ね……僕が弱かったら、けっきょくだれも観ないんだよ。だから、『捨神九十九の将棋を観たい』っていうのは、僕を観たいんじゃなくて、『強い将棋指しの将棋』を観たいんだよ。おなじことなんだ」
あたしは、捨神くんの考えていることが、うっすらと理解できた。
でも、なんでそんなことにこだわるのかが見えてこなかった。
犬井くんも、かなり内面的なところに踏み込んでいるという気がしたらしく、ことばを慎重にえらんだ。
「でもさ……将棋が強いっていうのは、捨神くんの個性の一部だよね?」
捨神くんは悲しげに笑った。
「ちがうよ」
「どこがちがうの?」
「僕はね、この養護学校ではだれも友だちのいない、ただのひ弱な少年だったよ。もし僕に将棋の才能もピアノの才能もなくて、ただこの芝生のうえにぼんやりと座っていたら、たぶん今でもそうしているんだろうって……そんなことを考えると、怖くて眠れなくなるときがある」
セミの鳴き声が遠ざかり、あたりは静寂につつまれた。
夏場の、時が止まったような感覚におそわれる。
犬井くんもすこしのあいだ、言葉をうしなっていた。
「……さっきの質問に対して、返事はもらえない感じかな?」
「それはもう答えたよね?」
犬井くんは捨神くんをみつめて、気づかなかったと告げた。
捨神くんは空を見上げる。
「ようするに、ピアノとか将棋っていうのは、僕の本質的な部分じゃなくて、たまたま手に入ったプレゼントみたいなものなんだよ……だけど……そのプレゼントでみんなとつながっていられるなら、それってしあわせなことだよね……うん、僕はしあわせだよ。でもね、偶然にしあわせだってことが、なんだかとても怖いんだ」
*65手目 ピアノ、将棋、そして友だち
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**169手目 フェイク・ボックス
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