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こちら、駒桜高校将棋部Outsiders  作者: 稲葉孝太郎
第37局 葉山光、中四国9県を取材せよ!(2015年5月18日金曜)
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388手目 捨神九十九〔編〕

 ソールズベリーをあとにして、あたしは犬井いぬいくんと合流した。

 そのまま駅前のバスターミナルへ移動する。H島駅は最近改修されて、ずいぶんときれいになった。駅ビルと周辺の商業施設で、欲しいものはだいたいそろっちゃう。あと、観光客が増えたよね。インバウンドってやつかな。

 駒桜こまざくら行きのバスに乗車。最後の目的地へ。

 道中、取材の経緯を話すと、犬井くんは笑った。

西野辺にしのべさん、またノロケ話してたのか。彼氏のことになると、いっつも変なんだよ」

 そういうひとってけっこう多い気がする。

 そもそも、好きなひとのことを冷静に話すって、むずかしいと思う。

「彼氏って犬井くんの友だち?」

「うん、こんど紹介しようか? H島の高校生だよ?」

 あたしは迷ったけど、やめておいた。

 初段あるかないかって言ってたから、高校将棋界のひとじゃないんだろうね。

 よくよく考えてみたら、高校将棋界はマイナーな世界だ。その外がわにもいろんな青春がひろがっている。あたしはあらためて実感した。

 車窓に映る緑がふえた。

 山陽本線のルートを北にそれる。桜川という名前の川を、どんどんのぼっていく。いったん民家がとぎれ、山道に入ったかと思うと、すぐに盆地へ出た。中国山地を背景に、あたしの生まれ故郷、駒桜市の街並みがひろがった。

 中四国9県をまわったあたしの旅も、もうすぐ終わり。

 ホッとしたような、なんだかなごり惜しいような。

 いつも使う商店街のバス停じゃなくて、もっと先まで乗る。

「つぎは、さくら学園前です」

 アナウンスが聞こえて、あたしは停車ボタンを押した。

 バスが止まる。あたしたちとおばあさんがひとりだけ降りた。

 ちいさな商店のそばに、2階建ての施設がみえた。

 門はひらいていた。中に入ると、小さなグラウンド。

 右手のほうに木陰がみえた。その下に芝生がひろがっていた。

 お目当の少年は、その芝生に座って、ぼんやりと空をながめていた。

 あたしは声をかける。

捨神すてがみくん、お待たせ〜」

 捨神くんはそのときはじめて、あたしたちの存在に気づいた。

 ふと現実に帰ってきたような顔で、

「こんにちは」

 とかるく手をふった。

 あたしは捨神くんの左どなりに腰をおろす。

 犬井くんは、あたしのさらに左にすわった。

 捨神くんはちょっともうしわけなさそうに、

「ごめんね、変な場所を指定しちゃって」

 と謝った。

「いえ、選手に指定権があるので……ちなみにここを選んだ理由は?」

「ここは僕が通ってた養護学校だよ」

 あ、そうなんだ……捨神くんって、過去にいろいろあったらしいんだよね。

 どこまで取材するか、あたしなりに悩んでいた。

 とりあえず手帳をとりだし、ひとつめの質問にとりかかった。

「将棋をはじめたきっかけはなんですか?」

「アハッ、その質問、あると思ったんだ。ちょうど僕が座っているところだよ」

「? ……座っているところ、というのは?」

「ちょうどこの場所で、箕辺みのべくんと葛城かつらぎくんに出会ったんだ*」

 あ、そういう……あたしは今座っている場所が、なんだか神聖なものに思えてきた。

 ちょっとおおげさかな。でも、そんなイベント、人生で何度もない気がする。

「箕辺くんたちは、どうしてここに?」

「最初は箕辺くんだけだったよ。べつの子に会いにきて、校庭でたまたま」

「なんというか……すごい偶然だったんですね」

「そう、ほんの偶然」

 捨神くんの言い方には、どこかさみしげなところが感じられた。

 あたしはその正体がよくわからなかった。

「すみません、もしかして『奇跡』とか言ったほうがよかったですか?」

「ううん……むしろ『奇跡』っていうのはちがうかな」

「捨神くんたちって、今でもすごく仲がいいじゃないですか。そういう友だちと出会えたきっかけが、おなじ学校に通ってたからじゃなくて、校庭でピアノを弾いてたから、っていうの、けっこうミラクルだと思うんですよね」

「僕はそういう特別な意味づけをしたくないんだよね、あのできごとに」

 ??? ……いかん、いつもの捨神くんっぽくない。

 いつもの捨神くんなら「アハッ、葉山はやまさん、さすがは新聞部だね、表現がうまいよ」とか褒めてもらえそうな局面なのに。

 あたしの困惑を読みとったのか、犬井くんが口をはさんだ。

「捨神くん、もしかして緊張してる?」

「ううん、緊張はしてないよ。ふたりとも知り合いだし」

 犬井くんのフォローも空ぶり。

 こりゃ本格的によくわかんなくなってきた。

 しょうがないから次の質問へ。

「ふだんはどうやって練習してますか?」

「むかしは師匠と指してたけど、今は不破ふわさんとがメインかな」

「師匠?」

「あ、ごめん、駒込こまごめ歩美あゆみっていうひとだよ」

「……あ、知ってます。っていうか、うちの高校の先輩ですね」

「へぇ、知ってるんだ。葉山さんが入ったころには、もう引退してなかった?」

「えーと……あ、思い出しました。冴島さえじまっていう先輩がいましたよね?」

「まどか先輩? 応援団の?」

「ですです、応援団の取材のときお会いして、その場で駒込先輩とも会いました**」

「なるほどね……彼女が僕の師匠なんだよ」

 くわしく聞いてみると、小学生のころに鍛えてくれたらしい。

 うーむ、小学生の師弟関係とは?

 実力の世界だから、年齢は関係ないのかも。

「趣味はなんですか?」

「趣味……」

 捨神くんは悩んだ。

 即答じゃないことは、ちょっとだけ予想してた。

 だって、ピアノは趣味ってレベルじゃないし、かと言って、将棋とピアノ以外になにかしてるところ、ほとんど見たことないんだよね。だから無趣味なんじゃないかな。

 ワンチャン、将棋って答えが返ってくるかも。

「……家庭菜園かな」

 ……………………

 ……………………

 …………………

 ………………マジ? ぜんぜん予想してなかった。

「捨神くん、家庭菜園やってるの? ……やってるんですか?」

「あ、葉山さん、ふつうにしゃべっていいよ。なんか変な感じがするし」

「家庭菜園が趣味?」

「うん、最近はじめたんだ。マンションのベランダで育ててる」

 いいなぁ、あたしもマンションでひとり暮らししたい。

 高校生で生活費もらってひとり暮らしって、最高じゃない?

 なんでもできるんだよ?

 と、そんなことを考えてる場合じゃなく。

「急に家庭菜園をはじめた理由は?」

「あ、うん……なんとなく」

 あやしぃ。

 これには犬井くんが、

「カノジョの影響なんじゃないの?」

 と、危ないつっこみを入れた。

 捨神くんは赤くなって、

「え? ……そんなことないよ」

 と答えた。

 バレバレ。やはりカノジョがいたのか。吉良きらくん情報のウラがとれた。

 いったいだれ? 天堂てんどうの女子? それとも藤女ふじじょ

「捨神くん、オフレコにするので、詳細を……」

「ダメだよ、葉山さん、おなじ街に住んでるじゃない」

 うーん、だれなんだろうなぁ。

 まあ、あたしが知ってる子とはかぎらないしね。

「じゃあ、最後の質問。気になってる選手はいる?」

 捨神くんはすこし間をおいた。

「……K知の吉良くんかな」

「あ、やっぱり……」

「やっぱり?」

 しまった、口に出しちゃった。

 あとでパンフに載るし、教えちゃってもいいよね。

「吉良くんは捨神くんをあげてたわよ」

 捨神くんはおどろくわけでもなく、へぇ、とだけ答えた。

「……そういう流れなのかな、あのときから」

「あのとき?」

「僕が中2のとき、全国大会で彼と当たったんだ」

「そのときのリベンジマッチ?」

 捨神くんは、「ちょっとちがうかも」と答えた。

「なんていうのかな……じっさいにはまだ一度も指してないんだよ、彼とは」

 えっと……事故かなにかでノーゲームだった……?

 でも、吉良くんが勝ってたわよね。あとでちゃんと調べた。

 ただ、吉良くんも似たようなことを言っていた。あたしはそれを思い出した。

「事故かなにかで公式記録になっていない、とか?」

「事故……そうだね、事故かもしれない」

 なんだろう、この雰囲気。

 捨神くんから、得体の知れないオーラを感じた。

 それは、桐野きりのさんから感じた闘気とは、ちがったなにかだった。

 ここで犬井くんがたずねる。

「ねぇ、ピアノについて質問してもいいかな?」

 捨神くんは我に返ったような顔で、

「それは取材として?」

 と訊いた。

「ううん、純粋な好奇心として、かな」

「それならいいよ。ピアノのことは、記事にしないで欲しいんだ」

 犬井くんは空気を読んだのか、どうして、とすら訊かなかった。

 淡々と質問をぶつける。

「捨神くんにとってピアノってなに?」

「……むずかしい質問だね」

「うん、その自覚はあるよ」

「質問に質問を返して悪いんだけど、犬井くんにとって記者ってなにかな?」

 これまたむずかしい質問だなぁ。

 ひとによっては、回答拒否と受け取られそうなやりとりだった。

 だけど、犬井くんはマジメに答えた。

「ほかのひとが知らない情報を得られる職業、だよ」

「アハッ、打算的な回答だね。犬井くんらしいよ。でもさ、ほかのひとが知らない情報を得るなら、今だとIT企業でもイケるよね。むしろああいう企業のほうが、マスコミよりたくさんの情報を持ってるんじゃないかな?」

「GAFAか……そういう企業の情報収集と、僕が興味のある情報収集はちがうんだ」

「どのあたりが?」

「GAFAみたいな企業が目指してるのは、顧客情報をビジネスに活かすことだよね。そのプロセスのなかで、僕が犬井いぬい良太りょうたであることに意味はないんだよ」

 あたしには、犬井くんの説明の意味がわからなかった。

 ところが、捨神くんは理解できたみたいで、

「なるほどね……僕が払う100円と犬井くんが払う100円は等価だからね」

 と、深くタメ息をついた。

「そう、それと似てる。日日杯を例にとろうか。名局を観たいだけなら、特定の選手に注目する必要はないよね。そもそもプロかソフトの将棋でも観てればいいんだよ。だけど、捨神くんの将棋を観たいと思ったら、捨神くんの将棋を観るしかない」

「僕の将棋を観たいひとなんて、そんなにいないと思うけど」

「そうかな? 企画部では、捨神くんの対局はアクセスが多いと読んでるよ」

 捨神くんは、すこしさみしげな表情にもどった。

「ねぇ、犬井くん、それはちょっとちがうと思うんだ」

「……企画部の予測がまちがってるってこと?」

「それってさ、けっきょく僕の前評判が……うぬぼれてるって思われるかもしれないど、僕の前評判が高くて、優勝候補の一角だからだよね? 名局を観たいっていうのと、なにがちがうのかな?」

「優勝候補の一角だっていう自覚はあるんだね」

「一応、ね……僕が弱かったら、けっきょくだれも観ないんだよ。だから、『捨神九十九の将棋を観たい』っていうのは、僕を観たいんじゃなくて、『強い将棋指しの将棋』を観たいんだよ。おなじことなんだ」

 あたしは、捨神くんの考えていることが、うっすらと理解できた。

 でも、なんでそんなことにこだわるのかが見えてこなかった。

 犬井くんも、かなり内面的なところに踏み込んでいるという気がしたらしく、ことばを慎重にえらんだ。

「でもさ……将棋が強いっていうのは、捨神くんの個性の一部だよね?」

 捨神くんは悲しげに笑った。

「ちがうよ」

「どこがちがうの?」

「僕はね、この養護学校ではだれも友だちのいない、ただのひ弱な少年だったよ。もし僕に将棋の才能もピアノの才能もなくて、ただこの芝生のうえにぼんやりと座っていたら、たぶん今でもそうしているんだろうって……そんなことを考えると、怖くて眠れなくなるときがある」

 セミの鳴き声が遠ざかり、あたりは静寂につつまれた。

 夏場の、時が止まったような感覚におそわれる。

 犬井くんもすこしのあいだ、言葉をうしなっていた。

「……さっきの質問に対して、返事はもらえない感じかな?」

「それはもう答えたよね?」

 犬井くんは捨神くんをみつめて、気づかなかったと告げた。

 捨神くんは空を見上げる。

「ようするに、ピアノとか将棋っていうのは、僕の本質的な部分じゃなくて、たまたま手に入ったプレゼントみたいなものなんだよ……だけど……そのプレゼントでみんなとつながっていられるなら、それってしあわせなことだよね……うん、僕はしあわせだよ。でもね、偶然にしあわせだってことが、なんだかとても怖いんだ」

*65手目 ピアノ、将棋、そして友だち

https://ncode.syosetu.com/n2363cp/77/

**169手目 フェイク・ボックス

https://ncode.syosetu.com/n2363cp/181/

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