2手目 香子ちゃんの、瀬戸内海一周計画
桂太は、ひらき直った。このまま自陣龍で受け切るつもりらしい。
あっさり暴発されるよりも、こういうタイプのほうが厄介なのよね。
私は気を引き締める。
「同角」
6二角、7八金引、3三龍。
7八金引と3三龍の交換は、若干迷った。でも、次の一手がある。
「3四歩」
取ったら5三角成、同角、6三金として、逆から張り付く。
途中で6六歩を入れてもいい。
「これは……取れないか。4三龍」
それなら、6六歩だ。私は銀を殺した。
ここで5九成桂かと思いきや、桂太は4四金を選択した。
2六角、3五金。私は悩む。うちわで頬を扇いだ。
さすがに終盤の入り口だけあって、桂太も長考に文句を言わない。
「……3三歩成」
予想外の手だったのか、桂太はウーンと唸った。
「同龍」
「3九香」
「あッ!」
さあ、これをどう受ける? 私の予想は、3六歩、同香、同金、6二角成、同金。
このとき、金と龍の位置が悪くて、放置するなら5一角と打てる。6三龍と回っても、5四銀から張り付いていって勝ちだ。
「本格的に参ったな」
桂太は口もとに手をあてて、あれこれつぶやいた。
「……3六歩」
同香、同金、6二角、同金、6五歩。
私の読み筋通り。
ここでうまい手がなければ、私の勝ち……む、8四角と打ってきた。
これがあったか。でも、後手が苦しいのに変わりはない。
私は桂馬を5四に打ち込む。
6一金、4一飛、6三龍、3四角、7一金、5二銀、7三龍、6一銀成。
「な、7二金」
「5二角成」
全軍躍動。一気に包囲する。
桂太は6六香と打って、反撃に出た。
5八銀、同歩成と清算してから、8五桂を足す。
6九香成、7三桂不成、同角、6二桂成、7九成香。
一回同金……いや、その必要はないか。8九成香でも、大したことはない。
「7二成桂」
「あ……うぐ……」
「もう、受けがないわよ?」
この7二成桂は、詰めろ。8一成桂、同玉、7一金、同銀、同成銀、9一玉、8一成銀までだ。私のほうはゼット。8九成香、同玉で、絶対に詰まない。
桂太は大きく息をついて、仰向けに倒れた。
「投了」
こらこら、お行儀の悪い。
私は麦茶を飲んで、深呼吸した。真夏の将棋って、疲れる。
「感想戦は?」
桂太はようやく起き上がって、両腕をテーブルにつき、顔を乗せた。
「……中盤の分かれで、既に悪かった気がする」
「3五歩がムリ攻めだったんじゃない?」
そうかなあ、と、桂太は同意しなかった。
「あれ自体は、成立してると思うけど」
「振り穴の攻めが成立するなら、だれも苦労しないでしょ」
プロだって、みんなやるはずだ。実際は、角交換型四間のほうが多い。
「で、どこのだれが強いのかしら?」
私の嫌味に、桂太はむずかしそうな顔をした。
「香子姉ちゃんが、ここまで強いとは思わなかったからさ……もしかして市代表?」
「なったことないわよ」
「そっか……駒桜市って、人材が厚いんだね」
厚いというか、女子は姫野先輩が完全に鬼門。
あそこをどうにかしないと、市代表はムリ。
燃え尽き症候群な理由のひとつも、そこにあった。勝てる気がしないのだ。
「6六歩で銀を殺したとき、4四金と上がったわよね。初志貫徹で、5九成桂はダメだったの? 方針が、ちぐはぐに見えたわ」
私たちは、局面をもどした。
「角を殺しに行かないと、先手はいくらでも手がありそうじゃない?」
「例えば?」
「6五歩、5八歩成、5四銀とか」
ん……たしかに、5四銀が激痛か。
「だったら、本譜のほうがマシかしら」
「4四金、2六角で、角の位置が改善されちゃうのがなあ……この進行だと、3五に歩を打った意味がないし……2六角が好手過ぎたよ。正直、読んでなかったから」
おほほ、そうでもありましてよ。
私たちは中盤を掘り下げて、検討を終えた。
終始、私が良かったみたいね。快勝譜。
「ところで、香子姉ちゃん、うちまでは、どうやって来るの?」
「え? 桂太が考えてくれるんでしょ?」
私の返事に、桂太はアチャーと言った。
「もしかして、おたがいに丸投げしてた?」
「丸投げもなにも、私は四国の地理を知らないんだけど」
「船か電車かくらいは、考えてあると思ってさ」
電車? ……ああ、淡路島経由で繋がってた気がするわね。
「さすがに陸路は遠いでしょ。船でちゃちゃっと行きましょう」
桂太は、呆れ顔になった。
「ちゃちゃっとって……H島から船便があるのは、E媛のM山だよ。K知じゃないから」
「同じ四国でしょ?」
「あのさ……M山市からK知市まで、電車で何時間かかるか知ってる?」
「1時間くらい?」
「4時間以上だよ」
えぇッ!? 私は驚愕した。
「そ、そんなに遠いの?」
「そうだよ。ちなみに、H島からK知までは、電車で3時間だから」
そっちのほうが早いのか……意外過ぎる。
私が陸路に変えようと思った瞬間、桂太はポンと手を叩いた。
「あ、ちょっと待って……K知からM山まで、高速バスがあったような……」
桂太はスマホを取り出して、調べ物を始めた。
「……あった。バスなら、2時間半で行ける」
「船は、どれくらいかかるの?」
桂太はそれも調べて、1時間くらいだと答えた。
「なんだ、あんまり変わらないわね。値段は、どっちが安いの?」
「船でM山経由が1万円、陸路でO山経由が9千円くらい」
そっちも、大差なしか……私は、妙手が思い浮かんだ。
「じゃあ、こうしない? 瀬戸内海を一周できるように、船で入って電車で出るか、あるいはその逆にするっていうのは?」
「あ、それ、いいね。フェリーは乗ったことないから、フェリーで帰りたいな」
相談がまとまった。H島から高速フェリーに乗って、E媛経由でK知入り。帰りはK知から電車でO山経由。途中で、讃岐うどんが食べたい。そのための一周。
あとで揉めないように、今から旅行計画を立てることにした。
「T島とK川までは、簡単に移動できる?」
「ンー、それも簡単じゃないかな。どっちも電車で2、3時間だと思う」
四国、思ったより広い。
「まあ、2、3時間ならいいわ。在来線にしては、ちょっと長いけど」
「えっと……在来線は、4、5時間かかるよ」
私は絶句した。
「何駅あるのよッ!?」
「土讃線で……T松まで、40駅くらいかな」
「おかしいでしょッ! H島ーK知が3時間くらいって言ったじゃないッ!」
「あれは、途中まで新幹線で行けるからだよ」
ぐぅ……そういうことか。四国は新幹線が通ってないんだった。
「ただ、俺も全部把握してるわけじゃないから。親父に訊いたほうが早いと思う。ダメならダメで、K知から特急で四国を出たほうがいいんじゃないかな」
……そうね。私は、現時点で計画を立てるのを諦めた。
あちらに到着してから、いろいろ考えてみましょう。
中学生と高校生であれこれ思案するよりも、道がひらけそう。
なにか見落としてる可能性もあるし。
「とりあえず、明日はフェリーに乗るのね。何時の便?」
「H島港から、1時間おきに出てるっぽいよ」
「H島港って、どうやって行くの? H島駅の近く?」
桂太は、スマホから顔をあげた。
「地元なのに知らないの?」
ここはH島市じゃないから。駒桜市だから。内陸。
今度はさすがに、私がスマホで調べた。
「……ん、H島駅から路面電車か」
「あ、路面電車あるなら、それも乗りたいな」
じゃあ、これで決定。
桂太は両親にメールを送って、プランの了承待ちになった。
私たちはお茶を空っぽにして、いろいろと雑談する。それにも飽きてきたから、外出することにした。サンダルをつっかけて、道路に出る。真夏の太陽がまぶしい。まだお昼まえだから、すこしばかり散歩。
「香子姉ちゃんって、どこの高校なの?」
「駒桜市立よ」
「へぇ、公立なんだ。近い?」
桂太は、私の高校を見たがっているようだ。
なにがおもしろいのか分からないけど、一応案内した。
桂太はグラウンドから校舎を眺めて、
「いかにも公立って感じだね。平凡」
とつぶやいた。まったく、案内させといて、それが感想かい。
私が憤っていると、聞き慣れた声が聞こえた。
「おーい、裏見じゃないか」
振り返ると、制服姿の松平が立っていた。
歩いてくる方向からして、校舎にいたようだ。
「松平、なにしてんの? 補習?」
「俺は赤点取ってないぞ」
「じゃあ、なに? 部活ってわけじゃ、ないんでしょ?」
松平は、部活だと答えた。そして、一冊の本をみせた。
「……中座プロの横歩取り本?」
最近出たばかりの、横歩取りガイドブックだった。
「部室へ取りに来たんだよ。秋の個人戦は、横歩が出そうだからな」
なるほど……ずいぶんと熱心だ。私は、ちょっと恥ずかしくなった。
そのとなりで、桂太は片足立ちになり、松平の顔をじろじろと見つめていた。
松平も気づいて、こいつは誰だと尋ねた。
「私の従兄弟で、桂太っていうの」
「ちゃーす」
「俺は松平だ、よろしく」
おたがいにあっさり挨拶してから、松平は私のほうへ向き直った。
「裏見って、従兄弟がいたんだな。知らなかった」
「K知に住んでるから、普段は全然会わないわ」
そういうことか、と松平は納得して、いきなりマジメな顔になる。
「今度から、お義兄さんと呼んでくれ」
私は青空のしたで、爽快なハイキックを決めた。